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鞍馬から貴船神社へ     


今年の夏は異常なんでしょうかねぇ。
ひょっとしたら、毎年同じ事を繰り返し言っているような気がするけど、年々暑くなっているような気がします。
先日の木曜日は、大阪管区気象台の発表によると、大阪市内は38.4度の気温を記録したそうです。
でも、気象台では、気温は芝生の上1.5メートルの所の、尚かつ涼しい日陰で測っているそうで、都会の真ん中のビル街では、気象台で測った温度より、4度から5度くらいは気温が高いんだそうです。
となると、都心では殺人的な暑さになるんですよね。
私、とんでもないところに住んでいるみたいです。(汗)
この、余りの暑さに耐えかねて、今日は涼を求めて京都の鞍馬山まで避難しにいきました。
いやあ、全くの別世界でした!!
京都市内もうだるほどの暑さと言うのに、ここだけは涼風が吹き渡り、森の中ではフィトンチッドもたっぷり吸い込んで、しばし心の大洗濯&しわ伸ばしが出来ました。


鞍馬へは、大阪の「淀屋橋」から京阪特急で京都の「出町柳」まで、そしてそこで叡山鉄道の鞍馬行きに乗り換え、終点の「鞍馬」で下車。
約1時間30分くらいの小旅行です。
うまく行けば「貴船」にはお昼くらいに行き着けるだろうか。
そう思って家を出たのが8時過ぎ。
玄関を出たとたん、いきなりカンカン照りの太陽が照りつけて脳天を直撃。
暑すぎるぅ〜〜〜!
そう言えば今朝の天気予報では、大阪の最高気温は37度と発表されていました。
鞍馬の駅を出て振り返ると、駅舎はまるで大きなお寺の別院のようなたたずまい。
まさしく、世に名高い霊場へ来たという実感がわき起こります。
駅から鞍馬寺へは全くの一本道なので、いくら天下に知れ渡った程の方向音痴の私でも、さすがに迷わず行き着けます。
この参道の途中には、数軒の土産物屋さんがありますが、この辺りは「山椒」がたくさん採れるのでしょうか。
どこからともなく、山椒の佃煮を炊きあげる良い香りが漂っておりました。
軒を並べる土産物屋さんの店先を覗くと、山椒の実や葉っぱを佃煮にした物が、沢山売られていました。

程なく見えてきたのが「仁王門」、ここが天下の霊場、「鞍馬寺」の入り口になります。
この「鞍馬寺」の歴史はかなり古く、寺伝によれば、奈良にある唐招提寺の開祖である「鑑真和上」の高弟、「鑑禎」によって西暦770年に毘沙門天が祀られたことが始まりとされています。
その後、西暦796年になって、堂塔伽藍が整備されると同時に千手観音も併せて祀られ、朝廷、幕府、そして数多くの庶民の信仰を集めてきたそうです。
この仁王門で左右に立ち、この寺を守っている仁王尊像は、鎌倉時代の著名な仏師「湛慶」の作だと伝えられています。


「仁王門」を入ると、その先は坂道と階段の連続、修験の場と定められているほどですから確かに鍛えられますが、夏バテでヨレヨレになった身には応えます。
心臓はバクバクする、息切れはする。
まるでバアサンになったような気がしました。
程なく、多宝塔まで登っていくケーブルがありますが、貴船まで下りたかったし、途中の「由岐神社」へも立ち寄りたかったので、これはパス。

途中、「魔王の滝」というおどろおどろしいネーミングの滝に出くわしました。
昔は、滝行をしたところだそうですが、今は落石の危険があるという事で一般には使われていないようです。
しかし、高さ2メートルは超えると思われる立派な石碑の割に、写真を撮ってもちゃんと写ってくれないほどの小さな滝でした。
そうね、温泉に良くある「打たせ湯」程度の物を想像していただくと良いかも知れません。

   
一応、滝はあるのですが、さてさて、どこでしょう。(笑)

そして見えてきたのが「由岐神社」
この神社は、鞍馬寺が朝廷から鎮守社として勧請した神社だと言うことで、「由岐」というのは「靫(ゆぎ)」のこと、つまり都を鎮守するために、戦の時に矢を入れて背負う「靫(ゆぎ)」をご神体にして祀ってあります。
そしてこの「由岐神社」と言えば、毎年10月22日に行われる「鞍馬の火祭り」、これはここで行われているお祭りなんです。
れはそれは勇壮な祭で、闇夜も焦がすほどの大きな松明が修験僧達によってうち振られます。
この火祭りの起こりですが、約千年ほど昔、宮中から「由岐神社」のご神体をここまで移したときに、夜になってしまいあたりは真っ暗。
そこで、地元の人々が手に手に松明を持ってご神体を運ぶ人々の足下を照らしたことが事の起こりとされています。

しかし、すぐ側にこんな看板が・・・・・・・・・・

どうぞ、山火事には充分気を付けて下さりませ。>お祭り関係者様

「由岐神社」を後にすると、九十九折参道(つづらおれさんどう)を行くことになります。
私の大好きな清少納言女史もこの参道には苦労されたのか、「枕草子」の中で「近うて遠きもの」としてこの道のことがあげられています。
確かに先は見えているのになかなか目的地まで行き着けない、ちょっと登ればすぐにヘヤピンカーブ、この辺りで大汗をかきました。




この参道の途中に「源義経」の供養塔があります。
ここは幼名「牛若丸」と呼ばれていた義経が、7歳から10年間暮らしていた住まいの跡だそうです。
今はこうして供養塔が建てられていますが、当時はここに小さな庵のような物が設けられていたんでしょうね。






くねくね曲がる九十九折参道の終点近くに、その昔勅使がくぐった「中門」と呼ばれる四脚門があり、その先はまたまた急な階段の連続です。







階段を上りきる一歩手前にこんな看板が・・・・・・・・・・
果たしてその頃にはもう、息も絶え絶え(笑)
仰せに従い、ゼーゼー、ハーハー、ヒーヒー言っていた呼吸を整え、跡は一気に本殿の金堂まで。

ずっと森の中を歩いていたのですが、ここで視界が開けてサーッと明るくなったような気がします。

そして、ここから北の方を見ると、まさに絶景!!

 真夏の深緑とその背後の山並みが、とても綺麗でした。

本殿前でしばし休憩をとってから、いよいよ奥の院を目指しました。
画像を処理する段階で、撮った画像を少し明るくしてここに掲示しましたが、本当はこんな所。
「昼なお暗い」なんて感じでしょ。

この参道にはやたら沢山の立て看板があり、訪れる人の注意を促していました。
どういう内容かというと、「マムシ、スズメ蜂、毒虫や、クマが出没する危険があるので、参道から外れたコースを歩かないように」というものでした。
なるほど確かにここは山の中、自然がいっぱいと言うことはこういう事なんですよね。
綺麗な蝶がいると言うことは、同じ花に集まる蜂もいるはず、そしてその蜂をエサにしようとするスズメバチがいるのは当然のこと。
そう言う食物連鎖が順調に行われていると、色々な生物が寄り集まってきます。
当然その中には人間に大して害を与える物も少なくはないですが、だからといって人間の目で見た害虫、害獣を我々が勝手に淘汰してしまうと、後で飛んだ災害を招き寄せる可能性だってあるわけです。
この際、無理矢理歩きにくい脇道を行こうとせず、ある程度整備された道を行く方が得策。

でも、この道を歩いていても、他にも大きな危険があるわけで・・・・・・・・・・・
実際に、そちらの危険性についての注意を促す看板の方が圧倒的に沢山掲げてありました。

「女性の一人歩きに注意」

実はこの参道では鞍馬寺の僧を騙った人が出没し、女性の一人歩きを見つけると、言葉巧みに近づき、暴行を働いた上に金品を脅し取るというとんでも無いヤカラが現れたそうです。
私もちょくちょくあちらこちらを彷徨っていますが、京都と言うところは特別なんでしょうか?
一人旅をする女性の姿があんがい良く目に付きます。
1人で旅行をすると、初めのうちはかなり緊張もし、近づく男は皆オオカミに見えてきて、時間を聞かれただけでもきっと睨んだりしてしまいますが、そのうちに緊張がほぐれてくると今度は人恋しくなったりするときもある。
そして、とんでも無い落とし穴に落ち込んだりする危険性もでてくるわけなんです。
女性の「一人旅」愛好家の皆様、1人で行動しているときは、矢張りそれが終わるまでは、自分で自分の身を守るための十分な注意が肝要だと言うことですね。

今まで何もなかったから、これからも災難に遭遇する危険はないとは言い切れません。

今回はその様な妙なヤカラとは遭遇しませでしたが、その代わりこの奥の院の参道で「一人旅」の女性二人と遭遇し、何となく3人で賑やかなお散歩と相成りました。

「何となく君に待たるるここちして いでし花野の夕月夜かな   晶子」 向かって右側
「遮那王が背比べ石を山に見て わがこころなほ明日を待つかな 寛」 向かって左側
この二首の和歌は、与謝野鉄幹と与謝野晶子ご夫妻の詠まれたものです。

この歌碑がここ、奥の院の参道に仲良く2つ並べてありました。
何でも、数代前の「鞍馬寺」の管長が与謝野晶子の和歌の弟子だったということで、この歌碑以外にも東京にあった与謝野邸の中の晶子の書斎「冬伯亭」がここから近い所に移築されています。


「冬伯亭」の前を行き過ぎると、さきの「与謝野鉄幹」の詠んだ「背比べ石」が、三叉路になったところにあります。

この歌にでてくる「遮那王」というのは、後の源義経、当時は「牛若丸」の別の幼名です。
牛若丸が16歳になったとき、この「背比べ石」と同じ背の高さになったので、「平家」を倒すべく、まずスポンサー候補になる奥州の「藤原氏」を頼ってこの鞍馬から脱出したそうですが・・・・・・・・しかし・・・・・・・・・・

いやいや、マイッタ、マイッタ!!(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!

私も「背比べ石」とばっちり背比べをしてきました。
この周りを玉垣によってめぐらされた石がそうなのですが、ちょっと小さすぎる。
そこで笑い転げそうになっていて、前出の「女性の一人旅」のお方達、お二人と知り合ったのですが・・・・・
その二人も大笑い!!
話には聞いていたんですよん。
貴種流離譚のお陰で「判官贔屓」の方達からとても「いいオトコ」っぽい表現をされたり、テレビドラマでも義経の役となると二枚目の役者さんが演じたりするので、どうしてもオトコマエを想像しがちですが。

その実、物の本によれば、「源義経」という人物はかなりの小男で顔も不細工、どちらかというとお猿さんみたいな人だったらしい。
それにしても、この「背比べ石」の高さは、かなり小柄な私でさえも背比べをすると、私の圧倒的勝利でした。
何しろ、高さは1メートル位しかなかったんじゃ無かろうか。
16歳で身長1メートルじゃ、いくら当時は体格が今と違って貧弱であっても、ちょっと小さすぎる。
今なら、小学校入りたての一年生でも、もう少し身長はありますよね。

とにかくここで、三人出会ったとたんに仲良くなって、木の根道から「大杉権現社」を目指しました。

木の根道というのは、地盤が固くて木の根が地中深く入り込めず、地表でまるで唐草模様のようになっている道のことです。
歩くときには余程気を付けないと、足を引っかけて躓いたり転んだりしてしまいそうですが、かつての義経はここで剣術の稽古に励んだそうです。
確かに今は床をピカピカに磨き上げた道場で剣道を習うものですが、なるほど、実戦を目指すとなればここでの修行の方が役に立つ。
白兵戦で敵を相手にする場合、掃除の行き届いたピカピカの道場だけで剣術の練習をしていては、たぶん実際の役には立たないでしょうねぇ。

ここは、謡曲「鞍馬天狗」の舞台になった場所でもあります。
昔の嵐勘十郎さん主演の映画「鞍馬天狗」じゃないですよ、お間違いなく。
東谷の僧が、修行中の平家の公達や牛若丸を連れて花見に出かけたが、妙な山伏に出くわし気を悪くして一行を連れて帰ってしまったが、山伏は一人残った牛若 丸の素性を見抜き、諸所の桜の名所を案内した後、自分はこの鞍馬に住む天狗だと正体を明かした末に牛若丸に兵法を教えた。

その、天狗が牛若丸に数々の鍛錬をさせた所がここなんだそうです。

しかしそれにしても歩きにくい道でした。
私の前を行くお二人さん、お話に夢中になっていて何度足を引っかけたやら、私もカメラに夢中になっていて、二度ほどつまずき掛けました。
「大杉権現社」と言うのは、金星から地球へ地球の守護をすべくやって来た「魔王」が降り立った、樹齢千年を越える大きな杉の木が祀られているところです。
(何だか、M78号星雲からやって来た、ウルトラマンのご先祖様のような気がしますが・・・)

その杉の大木も寄る年波には逆らえず、今は十メートルくらいの所でぽっきりと折れてしまっており、只今二代目が御神木として祀られています。

そうこうしているうちに、例の「魔王」を祀る「魔王殿」に到着。

鞍馬山全体を含むこの一帯は、約二億六千万年前に海底火山が隆起して出来たところなのだそうですが、 そのせいで岩盤が固く木が沢山生育してはいますが、根が真っ直ぐ地中に潜り込めなくなっている、という事は前述の通りなのですが、特にこの辺りは石灰岩が 地表に露出していて、変わった石庭のような雰囲気をかもし出してくれています。
お二人さんが「魔王殿」へ参拝している間、私はちょっと小休止。

この魔王殿を過ぎると、後は「貴船」へ向かって降りて行くだけ。
しかし、この「降りていくだけ」の道がくせ者なんです。
延々と続く急勾配の坂道、もしくは階段の連続。

初めは調子よくさっさと歩けていても、だんだん足がガクガクしてきます。
途中で立ち止まって写真なんかもいっぱい撮りたくなるようなものがあったけど、簡単には立ち止まれない。
いわば足が「笑う」という状態になって来るんです、よしんば立ち止まれても、何だか足がガクガクしていて、前へつんのめって坂から転げ落ちそうになってきます。
本当は、原生林独特の自然のオブジェが至るところにあったのですが、私も「牛若丸」を見習って鍛え直そうかなぁ、しかし、ちょっと遅すぎる感もなきにしもあらず。

そのうちにだんだん無口になってきて、三人ともそろそろへこたれ気味。
おしゃべりをするよりも、自分の足元に注意する方が先決になって来るんです。
足場は相変わらず悪いし、足の方はふくらはぎが張ってくるのが目に見えてくるし、下り坂を甘く見ていてはイケマヘン。
そう言えば、「箱根駅伝」だって、下りの方は足の強い人が走るんだそうですね。
さすがの私も、これには参りました。(;^_^A アセアセ・・・

やっとの思いで坂を下りきり「鞍馬寺西門」に到着。
すぐそばに「貴船川」が流れています。

ここで、「一人旅」のお二人さんとはお別れ。
お一人は、夕方の東京行き新幹線に間に合うようにと、貴船のバス停まですぐに降りて行かれ、もう一方は予約しておいた料理旅館で川床料理を楽しむつもりとか(リッチやなぁ!)

その「川床」、川の流れの上に臨時に床を作り、その上で涼を楽しみながらご飯を食べるわけですが、川面の上を渡ってくる冷たい風のお陰でかなり涼しいのだそうです。
聞く所によると、周囲はとても暑くても川床だけは特別で、だんだん寒ささえ感じるほどだそう。
初めはビールを飲んでいたけど、終いに熱燗を注文したくなったと聞けば、何だか想像つきます。(笑)
貴船川の至るところにこのような「川床」が設けられており、この日もあちこちから訪れた観光客でごった返していました。
鞍馬の参道の静寂さがまるでウソのよう。
道路は車がひしめき合って、渋滞ならぬ停滞状態。
ここは車で来るより、電車で来た方が良いかも知れませんよ。
駐車場が空くまで2時間待ったという話がチラッと聞こえましたが、2時間もあれば大阪からここまで行き着けますからね。

  「鞍馬寺西門」の目の前に「貴船神社」があります。

見たとおり、また階段!!
あ〜あ、タマランわぁ。
仕方ない、一生懸命登って登りきると、そこが本殿。
本殿では、沢山の人が神妙に祝詞を受けている最中で、ちょっと写真撮影は控えなければいけないような雰囲気でした。
あれは、いったい何をしていたんだろうか?

とにかく、私はもうヘトヘト。
夏バテを起こしているつもりは無かったのですけどねぇ。

ちょっと本殿の写真は撮りにくいような状況だったので、「水占い」という事をしてみました。

社務所でおみくじを買うのですが、それにはこの通り、何にも書いていないんです。
いっぱいおみくじを積んである束の好きなところから一枚取ると、それを「水占斎庭」と呼ばれる小さな池に浮かべます。



すると、こんな風に文字が浮かんで来るんです。

「貴船神社」と言われる所、西暦678年に社殿を造り代えたと記録に残されているところから、かなり歴史的に古い神社だと言われています。
伝説によると「貴船神社」のあるところは、神武天皇の母上である「玉依姫」が、黄色い舟に乗って、淀川から鴨川へ、そしてそのもっと上流へと川をさかのぼり上陸したところと言われています。

「奥の宮」まで行けば、その「黄船」を覆い隠したと言われる舟形石があるのですか、私は敢えなくここでダウン!!
(ハハハッ・・・お恥ずかしいことで・・・)

その小石を持って船旅をすると、航海の安全が保障されるという言い伝えもあります。
たしかに「玉依姫」と言えば、海に住む龍神のお嬢様ですからね、何だか納得。
そして、平安時代には、この川が平安の都の水源地であったことから、水神を祭り、雨乞いの神様として広く信仰されました。

今は、どの神社へ行っても願文を書いて神前に供えられる「絵馬」がありますが、その「絵馬」の発祥の地はここなんです。
平安の頃、雨乞いのためにこの神様にはそのつど馬が捧げられたのですが、日照りの時には黒馬、長雨の時には白馬か、もしくは赤馬。
でも、時には神様のご希望通りの馬が用意できない事もあり、そんな時には絵に描いた馬を仕方なく捧げられたのだそうです。
でも、そのうちにその方が安上がりと言うわけで、神に雨乞いの願文を捧げるときには、絵に描いた馬を供えるのが主流になったとか。
これが、今に伝わる「絵馬」の始まりです。

それにしても、ここは平安の頃から貴人達が涼を求めてやってくると言われている、まさに別世界。
朝、「出町柳」で電車を乗り換えるときは、びっくりするほど京都の町は暑かったのに、ここではさわさわと清々しい風が吹き渡っていて、とても気持ちよく、1時間ばかりこの「貴船神社」でボーッとしていました。
そんな時間があれば、「恋の神様」と言われる「結社」や「奥宮」まで行けたんですけどねぇ。
ま、これはまた今度来るときの宿題にしておきます。
「川床料理」には興味はないけど、冬にちらつく雪を眺めながら「ボタン鍋」!なんてのは、オツなものかも。(誰か誘ったろ(^_^)ニコニコ)

かなりの長時間、ボーッとしてからボチボチ帰路につきました。
この貴船神社前から「貴船口」の駅までは約2キロ。
バスに乗るほどの距離でもなく、川沿いをブラブラ歩くとこんな大石があります。

「もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出ずる 魂かとぞ見る」
「木船川 山もと影の 夕ぐれに 玉ちる波は 蛍なりけり」


この二首の歌はかつて「和泉式部」が、「貴船神社」で蛍の歌として詠んだものだそうですが、この大石は「蛍石」と呼ばれ、毎年夏になるとこの一帯に蛍の乱舞が見られるのだそうです。

う〜〜ん、雪を見ながらの「ボタン鍋」も魅力的、しかし、蛍を見ながら「鮎の背越し」というのも捨てがたい。

さて、どっちをとろうか。。。。。。




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