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初夏の明日香路       


5月の連休、まとまったお休みがあるというのは良いけれど、この日は日本全国、観光地と名の付くところはどこへ行ってもスゴイ人。
でも、悲しきかな、サラリーマンの多くはカレンダー通りにしか休めないわけで、遊びに行くにも観光地へ行くとすれば人混みも覚悟しなければいけない。
この日は、しばらく前より「どこかへ連れていってぇ。」と言っていたマイ・ダーリン、すなわち旦那を連れてのお散歩と相成りました。
明日香と言うところ、実は、旦那の若かりし頃は守備範囲だったんですよね。
明日香村のお隣、橿原市にある高校に通っていたわけなんですが、明日香にも友人達がいっぱい住んでいて、よく遊びに行ったとか。

しかしまあ、明日香の駅に着いたら、この人の群!!
電車が駅に到着するたび、沢山の人が押し寄せてくる。
まるで、朝の淀屋橋か、梅田近辺を連想してしまうような人の群でした。

駅前の人混みから抜け出て、まっすぐ一直線、前回訪れた高松塚古墳公園を横目に見て、そのまま行くと、天武天皇と、持統天皇が合葬された古墳の前に出ます。

この古墳、みんなのよく知っている、二大スターの古墳である割にこぢんまりしていますが、これは、ただ憶測で天武天皇、持統天皇陵として決められたものではなく、ちゃんとした証拠があるそうです。
何でも、持統天皇は、日本で最初に火葬にされて葬られた天皇だったとか。
そして、天武天皇陵に合葬されたと言うことがその地名と共に、日本書紀に記述してあり、全くその通りの場所からその通りの形式で葬られた見られる墓が発見されたというわけです。

この道をそのまま行くと、やがて、以前行った亀石の前に出ます。
亀石の前には、菜の花畑が広がり、とっても鮮やかな黄色い花が目を楽しませてくれました。

以前明日香を訪れた際、撮り忘れてしまった写真が一枚。
仕方ない、ここまで来たんだし、また行ってみようか。
足を向けたのが、橘寺。
橘寺には以前も行ったのですが、その本堂横に、二面石という不思議な石像があるんです。

  昔の寺領の入り口に、こんなのを発見。

ふーん、昔は下馬なら、今は、下輪?    

どういう訳なのか、皆自転車に乗ってきた人は、ここに自転車を置いて、約300メートルほど向こうにある、橘寺へ徒歩で行かれます。

橘寺に着くと、早速、二面石の画像をゲット。
近くにあった説明書きを読むと。

   

これは奈良時代に作られ、右善面、左悪面、と呼ばれ、我々の心の中を現したものなんだそうです。
橘寺をでて、今度は石舞台へ、

      

石舞台の前の売店で売っている柿の葉寿司が目的だったのですが、途中でオヤツも買っていきました。
奈良では、柿を始め、色々な果物が特産ですが、このイチゴも、その一つ、
「あすかルビー」という品種なのですが、適当に酸味も効いていて、とても美味しいと評判です。
良い香りの誘惑に負け、一つつまみ、二つつまみ、結局いつの間にか、向こうに着くまでに、オヤツは私と旦那のお腹の中に入ってしまいました。

名物にうまいもの無し、なんて言いますが、奈良県中部から、南部にかけて作られている名物、柿の葉寿司。
すし飯に、塩漬けの鯖を薄くスライスしたものを載せ、それを柿の葉で包んだだけの、単純なものですが、私の大のお気に入りです。
昔は、来客があったときや、祭りの時に食べた、ちょっと贅沢な食べ物だったそうです。
でも、海のない奈良で、鯖のお寿司が名物だなんて面白いですよね。
ご存じのように、奈良は海には面していませんが、古代から伊勢や、熊野からの街道が通じており、そこで撮れた新鮮な鯖を塩漬けにし、奈良まで運んでいると、ちょうどこの辺りで食べ頃の塩加減になったそうです。
それで、考案されたのが、柿の葉寿司だというわけです。

石舞台前でゆっくり休憩時間をとり、さて、次は、酒船石のあるところに向けて出発。
途中、こんなのを見つけました。

柘植の木を刈り込んで作った、亀石ならぬ、亀木!
器用な人っているんですね。(^-^)

酒船石まで行く近道は、岡寺の前を経由すると良いんですけど、この坂道がまたスゴイ。
上りの坂がきつくてまさに心臓破りの坂道、途中まで来ると、息はゼーゼー、しばらくすると、今度はまた、スゴイ下り道。
アスファルトを貼ってあるものだから、衝撃も大きく足が吊りそう、、旦那名付けて、「ふくらはぎパンク道」(笑)
そしてやって来たのがこの酒船石です。

ところでこの石、いったい何に使ったものなんでしょうかねぇ。

この石の置かれている藪の中を抜けると、新しく発見された、「亀石」というものがあります。

これは、貴族の庭の一部の飾りだと言われています。
近くの川から水を引いてきて、小川のある庭の演出に使われたもののようです。

その場を後にすると、今度は飛鳥寺の前でしばしの休憩。
(なんか、休憩が多いなぁ。どうも、ペースが乱れてしまう。)
まだ、田の荒起こし前、昔なら、明日香中レンゲ畑が広がっていたのですが、最近は、減反政策のため、休耕田も数多く、一面バラ色に染まったレンゲ畑は、なかなか見られなくなりました。
とりあえず一枚のフォト、まばらにしか咲いていませんが、一応レンゲ畑。

その向こうは、明日香のシンボルの一部とも云える、甘樫の丘です。

甘樫の丘へ行く前に、「飛鳥坐神社」(あすかいますじんじゃ)にちょっと寄り道。
この「飛鳥坐神社」、毎年、2月の第一日曜に、「おんだ祭り」というかなりエロティックでユニークな祭りが行われることで知られた神社です。

この神社が創建されたのは、まだ神話の時代と言っていいほど古く、いつ創建されたのかははっきり知られていませんが、始め、「雷丘」にあったのを、829年にこの鳥形山に遷されたのだそうです。
今の宮司さんは、87代目の方で、大国主命の長男、事代主命の子孫だそうです。

境内には、小さな社がいっぱいと、そしてものすごい数の石があちこちに置かれています。
木が鬱そうとしげり、歩いているときは、ホント暑いくらいだったのに、ここでは気持ちの良い風が吹き、ウグイスがいっぱい鳴いていました。

そしていよいよ「甘樫の丘」。
前回行ったときは、スタートも遅く、また途中で道が分からなくなったりしてここに着いたのはほとんど夕方でしたし、カメラのコンパクト・フラッシュの容量 も小さいのを装填していたので、大和三山も一部しか撮って来られ無かったのですが、今回は、大和三山が全部撮影できました。

この山、昔は普通の山道だったそうで、登るのもずいぶん苦労したそうですが、今はこんな風に階段が設けられています。
でも、これを一気に駆け上がると、さすがに息切れがしました。


畝傍山

  


耳成山                    天香具山

これが、「甘樫の丘」から見た大和三山です。

甘樫の丘でしばし休憩した後(また休憩!ヤレヤレ(^。^;)ホッ)、山から降りると、明日香川沿いを少し歩き、そのまま「雷丘」を目指しました。

「雷丘」、その昔、雄略天皇が、家来に命じて雷を捕らえさせたという言い伝えのある丘ですが、数年前は、プリンをぽこんと置いたような形をしていました。
それが、先年の台風のために、木がなぎ倒されちょっとお粗末な形に変貌してしまっています。
丘の麓には、この丘を詠んだ「柿本人麻呂」の歌碑が残されていました。

「大君は神にしませば 天雲の 雷の上に庵りせるかも」
大君は神様でいらっしゃるので、天雲の中にいる雷の上に仮の宮殿をお作りになっていらっしゃることだ

「雷丘」を後にして、豊浦寺跡をすり抜けて、後はおうちへ帰るだけ。

もう、旦那ちゃまは、へとへとでごじゃりますぅ。
まっすぐ行くと「橿原神宮駅」なのですが、途中に「剣池」があり、その向こうに「孝元天皇陵」が見えます。

この古墳に鬱そうと茂っている木々、よく見ると、一部色が変わって、若干灰色っぽく見えていますよね。
これ、サギが群を作って、ここを巣にしているからなんです。
ちょっと離れたところにいましたが、サギの鳴き声がとても賑やかでした。

この池を後にすると、橿原神宮駅東口まで後640メートル。

もうちょっとの辛抱だから、壊れんといてね。(笑)



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