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山辺の道 桜井から、天理まで


行ってまいりました!!
もう、ほとんど諦めていた、「錦秋」の大和路。
若干、遅かったかなという感も、なきにしもあらず、でも、見事な紅葉を堪能してまいりました。
今回は、桜井から、天理までの道を歩いてまいりました。(地図)
実は、ココで正直なところをぶちまけますと・・・・・・・・
今回に限り、私の一人歩きではございませんでした。

三輪山中腹から見た、「景行天皇陵」


でも、おかげさんで、例の「迷子!」にもならず、よけいなところをぐるぐる、堂々巡りもせずに、かなりの道のりを歩くことが出来ました。
改めて、ナビゲーター様に「敬礼!!!」

朝、9時前に近鉄大阪線で、「上本町」を出発すると、約40分程度で「桜井」に到着します。
電車を降りると、ヒート・アイランド化した大阪市内と違い、キーンと冷え切った空気に包まれました。
初めは、JR桜井線で「巻向」まで行こうと思ったのですけどね、電車が来るまでずいぶん時間がある。
で、超短気な私と、私と同程度に気短らしい「ナビ様」、いっそ、歩こうかということで、今年の夏歩いた道をそのままなぞることにしました。
やはり、ほんの少し景気は上を向いているんでしょうか、半年前に前を行き過ぎた貯木場、この日は、材木の山がかなり増えていました。
このまま、もう少し景気が上を向いてくれるとありがたい反面、消費が嵩むと、自然破壊、公害などの問題が噴出する。
杉や、桧の香りを吸い込みながら、ちょっと、複雑な心境でした。
今度は、後からついてくる人の心配をすることもなく、三輪山の中腹の道を、ほんの少し息を弾ませながら歩ききり、「景行天皇陵」へ向かいました。

「景行天皇」というと、知らない人も多いのですが、「日本武尊」(ヤマトタケルノミコト)というと、ご存じの方も多いはず。
高校生時代、古文で苦しんだ、そこの貴方!
覚えているでしょ。それとも、忘れちゃいましたか?

「倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭し うるはし」  (注)

東国へ遠征して後、伊勢の能煩野(鈴鹿市)で、病にかかり亡くなった、日本武尊ですが、その亡くなるときに、上のような、大和を讃える歌を歌われています。
「景行天皇」は、その日本武尊の父親と言われています。
ただ、しっかりと宮内庁が番をしている古墳もあり、日本書紀にも記されてはいますが、実在した人物かどうかは、怪しいです。

  「景行天皇陵」の側面に立って、三輪山を見ると、まさしく錦秋の候。綺麗です。

「景行天皇陵」正面  

「景行天皇陵」を一回りして、次は、「垂神天皇陵」の横を通り抜け、「柳本古墳群」に向かったのですが、もう、余りに古墳がゴチャマンとありすぎて、レポートどころではございませんでした。(参考マップ)
そのまま致し方なく、山城跡のある龍王山の麓を抜け、「夜都伎神社」(やとひめじんじゃ)へ向かいました。
その途中、とても趣のある家を見つけました。

 なんだか、源氏物語に出てくる、「花散里」か、「末摘花」のお姫様の屋敷跡のような、ちょっと崩れ掛けた土塀。
家の持ち主の、塀をこのままにしておられる事情はともかく、なんだかとても、珍しい風景を見せてもらいました。
この集落を通り抜けると、今度は「大和古墳群」(参考マップ)
しかしまあ、良くもこれだけ古墳がかたまった事やら、辛うじて一つ「行頭山古墳」だけは何とか判ったのでその写真だけを撮ってきました。

この二つの古墳群を抜けると、「夜都伎神社」(注)に着きます。
まず私達を出迎えてくれたのは、見事に色づいたモミジでした。

このモミジの木の他にも、とても美しい紅葉に彩られていました。
このレポートのトップを飾った画像も、実は、この「夜都伎神社」の木立です。

  

「夜都伎神社」の狛犬と、拝殿。

しばらく、美しい紅葉に見とれ、それを堪能したら、「石上神宮」に向けて出発。
「夜都伎神社」と、「石上神宮」の中間地点当たりに、「衾山古墳」(ふすまやまこふん)があります。

  「衾山古墳」

そのほど近いところに、「柿本人麻呂」の歌碑が建っていました。

「衾道を引手の山に妹を置きて山路をゆけば生けりともなし」

どういう意味かな?
多分ですね、「衾道の引手の山に、恋人を葬った帰りに山道を歩くのだが、(悲しくて)生きている気がしない。」
誰か〜、このページを読んでいる方で、古文の先生がおられたら、メ−ル下さい!!
全然自信がございませーん。

この「山辺の道」、やはり昔と違い、ずいぶん整備されていて、かなり歩きやすくなり、そして、所々に観光客のために公衆トイレも用意されております。

途中でちょっと「トイレ休憩」・・・・・・・・・・・・・・・・
で、トイレのすぐ横に、お地蔵さんの団体さんが・・・・・・・・・・・、良いのかねぇ、私、仏教徒じゃないけど、それにしても、こんな所に公衆トイレなんか設置しちゃって。
後ろの板塀みたいに見えるのが、実は、トイレの外壁なんですけど、なんだか、バチが当たりそうな気がしませんか?

とりあえず、スッキリしたところで、県の条例によって保護されている景観を楽しんでいたわけですが、今、田んぼを作っている人って、どのくらいおられるのでしょうね。
聞く所によると、米作り、とても手間がかかる割りに、それだけでは生活するのがやっと、と言うほどに収益率が少ないとか。
私のような都会人にとっては、田んぼのある風景、どちらかというと珍しく、心も和むものなのですが、農業に携わる方々は、大変なのじゃないかと思います。

刈り取りの済んだ「田んぼ」、後ろの山の赤っぽく見えるもの、すべて、柿畑です。

道沿いには、無人の屋台のような小さなお店があちらこちらにあり、今収穫が終わったばかりと言った感じの野菜や果物が沢山売られていました。
柿など約5.6個入った袋がなんと100円!!
あんなの見ると、日頃サボっては居ても、やはり私も主婦のハシクレ、買って帰りたかったですぅ。
余りの安さにキャーキャー騒いでしまって、「ナビ様」の失笑を買っておったかも知れず・・・・・・・、それにしても、やっぱり安い!!
そうこうするうちに、こんもりした森のようなものが見え、そのままゆくと、「石上神宮」(いそのかみじんぐう)に到着。

「山辺の道」をそのまま来たので、我々は、「石上神宮」の横門から入っていった形になったのですが、境内にはいると、国の天然記念物、「東天紅」が出迎えてくれました。

一見、名古屋コーチンにも見える、鮮やかな色のニワトリさん、これが、「東天紅」

実はこの鳥の写真を撮るとき、ちょっと、おっかなびっくり状態。
あんまり名古屋コーチンに似ているでしょ、名古屋コーチンには、いっぱい苦い思い出を作ってもらいましたのでね、昔の事ながら、つつかれまくったときの痛みが、いきなり蘇ったわけです。
このニワトリさん達も、なかなか根性ありそうな顔をしておられましたぁ。

この神社には、三つの国宝と、二つの重要文化財があります。

その一つ「七支刀」(注)   そして、それに対を為すような「鉄盾」(注)

その他に、建築物としての国宝と、重要文化財。
石上神宮拝殿(国宝) 石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿(国宝)
石上神宮楼門(重文)

ちゃんと写真を撮ってくれば良かったですね。
でも、この時点で、二人とも、もうヨレヨレ!!
やはり、日頃からちゃんと鍛えておかねば!!!と、自戒だけはしてます。

   

ここが、石上神宮の境内。
山辺の道を歩くときは、かなりたくさんの人がおられて、結構賑やかな一団も居たのですが、「桜井」から、ここまで歩き通す人はさすがに少なく、この神社の中は比較的静かでした。
境内の一隅にある「四風」の絵馬堂でしばらく休憩をとったあと、「天理」の駅目指して、また出発。

私は、いつも山道ばかり歩いて、大抵途中でバスに乗って帰ってしまうので、天理の町中を歩くのはこれが初めてでした。
そこでちょっと、タウンウォッチング。

町中の歩道には、こんな風に「山辺の道」への道標が刻まれています。

 この建物、実は「交番」です。周囲の景観に溶け込んで、粋な造りだと思いました。

そして、「天理」と言えば、「天理教」発祥の地。
ありました。
まさしく、総本山とも呼ぶべき、立派な本部教会。

歩道から写真を撮ったわけですが、向こうの建物ははるか彼方に見えます。さすがというか、やはりというか。
私は、「天理教」教義など全然知らないのですけど、どうも、奉仕をする、と言うのがその教義に入っているようですね。
道を歩いていると、あちらこちらで数人ずつのグループで、もしくは一人で、周りを掃き清めている人々の姿を見ることが出来ます。
そのせいでしょうね、町の中がとても綺麗。本当に、清潔感に溢れていました。

 ほら、ゴミと言えば、今散ったばかりの落ち葉だけ。

また訪れたくなるような街でした。


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