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木曾街道 春まだ浅き「奈良井の宿」  


「奈良井」の宿場町は約一キロほどの町並みが続いたところですが、北端にある駅からこの南端の「鎮神社」まではゆっくり歩いても15分ほどで行き着いてしまいます。
そのまままっすぐ南へ行くと、当地の民謡「お六節」に歌い込まれてある鳥居峠を越えて隣の宿場町である「薮原」へ至ります。

「鳥居峠」から薮原やこの奈良井を見下ろすととても景色が良いと言われていたのですが、この冬は大雪に見舞われる事が多く、そしてまた例年になく冷え込みも厳しかった事から、今は旧中山道は雪に覆われてしまって、私のような軽装備のハイカーは歩けないと言う事でした。

この日の時点で峠まで行く途中の積雪量は約80センチほどとか。
怖い物見たさでちょっと行ってみようと思ったけど、さっきの「鎮神社」境内のアイスバーンのものすごいのを思い出して、結局はUターン。

さっき早足で来た道を今度はゆっくり歩いて戻っていくと、綺麗に保存された町並みの中に面白いものを発見したりします。

例えば、郵便ポスト。

街頭にあるのはたいてい四角い形をした機能優先の味も素っ気もない(郵便屋さんゴメンナサイ)シロモノですが、この町にはわざと昔の鋳物製のものが使われています。

自動販売機も板目模様のクロスが貼られていて、それだけ浮いてしまうって事がない。
ただし、目立たないだけに探そうとすると大変だったりするのですが(苦笑)

でも、こんな形で町並みが保存されるのはビジターにとっては素晴らしい事なのですが、実際にその中で住んでいらっしゃる人にとっては並大抵ではない苦労が付きまとうのではないかと思ってしまいます。

これは、消防団の屯所
目立たなくて良いですけど、目立たないだけに観光シーズンになると不法駐車の車が木製シャッターの目の前に駐車しそうな・・・・・
大きな事故のない事を祈ります ゜(-m-)パンパン

そして、もう一つはこの建物。

玄関脇に設けられている黒板にはその週に合った聖書の言葉が綺麗な字で書かれてありました。

キリスト教の教会もここではこんな姿なんですねぇ。

日曜日の朝になるとオルガンの音に混じって賛美歌を歌う声がこの田舎家から聞こえてくるのかと思うと、なんとなく不思議な感じがします。

これって、黒板と「○○キリスト教会」という看板が掛かっていないと、まるで隠れキリシタンの集会所みたい。

でも、実際にこの小さな宿場は、かつて、隠れキリシタンの里でもあったんです。

この町の中程に「大宝寺」という寺があります。

この寺は正式には「広伝山大宝寺」といい、臨済宗に属する禅寺です。
天正十年(1582年)に、当時の領主、奈良井治部少輔義高公が開山大安和尚のために建てた寺だそうです。

天正十年、木曽義昌が武田勝頼の軍と鳥居峠で戦ったとき、義高公はおおいに武勲をあげた武将でした。
寺宝として自隠禅師が開眼した子育地蔵尊・墨跡や山岡鉄舟筆の扁額があります。

その由緒ある寺の庭の一角に、「マリア地蔵」と呼ばれている首のない仏像が祀られています。
頭や膝の所、抱かれている子供の頭部まで破壊されてしまって気の毒な姿になってしまっていますが、石像の後ろには光背を支えた跡が残っているそうで、当時の仏像の形にカモフラージュして作られているのであったなら、当然、台座もあったはず。
そう考えると、とても大きな像だったのではないかと思います。
まだ江戸時代のキリシタン禁制の頃に役人に見つかり破壊されてしまったのですが、胸の所にははっきりと十字架の形が残っていて、当時の隠れキリシタン発覚時の悲惨な状態が偲ばれます。

「木曾の奈良井か薮原流か、麦もとらずに米をたく」

「木曾は無嵩」と言われ、米がほとんど獲れない山間なのですが、この辺りだけは経済的にとても恵まれ、こんな風に白米を食べているこの奈良井の人々を羨んだ俗謡が歌われるほどに、とても栄えた宿場でした。

そして、江戸時代にここを行き来する旅人だけでなく、幸田露伴、泉鏡花、正岡子規など、近代の文人達が愛した地域でもありました。

この町の中程に、その文人達が逗留したという、「徳利屋」という旅籠屋が残っていて、内部を郷土資料館として公開しながら、今でも食事処、民宿としての商いを続けておられます。
ただ、残念な事にこの日は土曜日でもあったのに、オフ・シーズンと言う事で休業中でした。
ここの「五平餅」は、とても美味しいという評判だったんですけどねぇ。
本当に、残念!

長い軒先、千本格子、蔀戸のある家、そしてくぐり戸のある家。
何だか時間がとてもゆっくり通り過ぎているこの町は、何度往復しても飽きない風情を醸し出していました。

この町に沿って流れる奈良井川(木曽川)に、近年になって復元されたという木曾の大橋があるというのでさっそく見てきました。

橋の横には、
「この橋は、滑りやすいため、足元に注意してお渡りください。」
との看板が・・・・・

しかし・・・・・・・・
ちょっとねぇ






  こんなになってちゃ、渡れませんわ (o_ _)o

これが「木曾の大橋」の全体像。
樹齢三百年は経っているというヒノキをふんだんに使って作られた、とても贅沢で姿の美しい橋です。
夜になるとライトアップもされるそうなので、一度この町にも一泊してみたいと思いました。

さて、奈良井の宿はほぼ見終わった。
本当のところはまだまだ見て回りたかった所だらけなのですが、オフ・シーズンゆえに数カ所ある資料館などは全て休館中。

あと、「大宝寺」、「鎮神社」以外にも由緒のある寺社はあるのですが、足元が悪すぎて入っていけない。
単なるぬかるみになっているだけなら靴が汚れる程度で大したことはないのですが、それが凍っているとなると、やっぱり危険です。

この季節に観光客が寄りつかないと言うわけがまったくよく分かりました。
でも、あと二ヵ所、ここだけは見逃したくないところがあります。

奈良井の宿を駅までずっと戻ってきて、そして駅を通り過ぎたところに、この町のもう一つの鎮守、「八幡宮」があります。

その正面の鳥居を入って、江戸時代から続く中山道を少し行くと、大小様々な石仏がぎっしりと並べられている一角があります。

地元ではこの地の事を「二百地蔵」と呼んでいますが、明治期になって周辺にある地蔵がこの場所に集めて祀られているのだそうです。




そして、これは中山道の往時の姿を今に伝える杉並木です。
本当は、この道ももっと先まで行きたかった。

でも、所々に散っている杉の葉っぱの下はカチカチに凍っていて、登っていくのはまだ良かったけど、段を降りる時は、それは怖かったんですよ。

マジ、大げさでなく、ちゃんとした、アイゼンを装着できるような登山靴を履いてくるべきだと思いました。
この階段をおっかなびっくり、へっぴり腰で降りていったら、やっと奈良井の駅。
駅まで100メートル程しかなかったのに、とっても遠く感じました。

駅について、次の列車は?

ゲゲーッ!!( ̄□ ̄;)!!

来る時に確認した時刻は、名古屋方面行きだったんだ!!

時計を見るとちょうど14時。

塩尻の方へ行く列車というと・・・・・・・・・15時51分発ぅ?

はう〜ぅ (o_ _)o パタッ

約2時間程、温室のような待合室でしっかりとお昼寝をさせて貰いました(苦笑)




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