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木曾街道 梅雨の晴れ間に「馬籠から妻籠へ」2    


峠の茶店で一休みをすると、今度は「妻籠」を目指して出発。
国道からそれた山道を今度はどんどん下っていくと、坂は馬籠から峠に来た来た時より随分緩やかな下り道。
だから歩くスピードも段違いで、程なく「立場茶屋」に行き着きます。

「立場茶屋」は、馬籠と妻籠のちょうど中間地点にあり、古くから旅をする人がこの地で休憩をした所として知られています。

昔はこの辺りには7軒ほどの茶店が建ち並び、随分栄えた所だったそうですが、今残されている茶店は一軒のみ。
それも、家屋の南側は取り壊されて、北側だけがかろうじて当時の姿をとどめて残されています。

今はこの辺りはハイカーのための休憩所になっており、ベンチの整えられたあずまやと共に、清潔な公衆トイレも完備しています。
余談ですが、そのトイレ。
外見だけを見るとちょっと使い辛そうな感じだったんですが、中に入ってビックリ!
本当にきれいに掃除が行き届いており、全然臭わないの!
ひなびた観光地にしては、本当に珍しく思いました。

「立場茶屋」跡から少し下がった所に「一石栃白木改番所跡」があります。
いうなれば関所跡のような所ですが、ここは人の通行を監視する関所ではなく、ヒノキ、サワラなどの「木曾五木」をはじめとする、無断伐採を禁じられていた木材の出入りを監視していた所です。

この辺りはほとんど米が採れず、当時この辺りを治めていた尾張藩の収入は山から切り出されてきた木材だけに頼っていたため、「木一本首一つ」と言われるほどに、森林資源の持ち出しに対して厳しい罰則を設けていたそうです。

もともとは、妻籠の下り谷にあったものですが「蛇抜け」と言われる山崩れのため、この一石栃に移されて明治の大政奉還まで続いたそうです。

現在は、当時の木の棚をそのままの姿に復元し、当時のことを詳しく書いた説明書きの看板が立てられています。

「白木改番所」跡から尚も妻籠を目指して歩くのですが、この辺りから街道の景色が一変してきます。
馬籠から馬籠峠までは後ろを振り返ると美濃の山々が見渡せて、道は険しくてもかなり明るい感じがし、峠から「白木改番所」までも案外明るい道ばかりを歩いていたのですが、この先は本当に森の中の道という感がしてきます。

街道沿いには大木も所々に残されており、その中には「神居木」(かもいぎ)と言われて、切ると祟られると言い伝えられている木があります。

「神居木」というのは、木の下枝が幹の両方からカーブを描いて上に伸びている針葉樹のことで、その枝には天狗や山の神が腰を掛けて休むと信じられていました。
今でも、山で木を切る作業に就いている人達は、このような形の針葉樹を「神居木」と呼んで傷つけたり伐採するのを大変嫌がるのだそうです。
ちなみにこの写真の木は樹齢約300年のサワラの木です。
樹高は約44メートル、幹の周りは5.5メートル。
神が宿ると言われてもおかしくないほどの堂々とした大木でした。

ダラダラと続いていた緩やかな下り坂にそろそろ飽きが来た頃、道祖神と並んだ庚申塚に行き当たります。
その庚申塚辺りで森が切れ、ボツボツと人家がまた目に付くようになります。
ちょっと茶っぽい地道はいつの間にかアスファルトの道路になり、人家の前を通り過ぎると開け放した縁側のガラス戸の内側からテレビの音が聞こえてきたりして、その人間くささが懐かしい物に感じたりもします。

この辺りは「大妻籠」と呼ばれもう少し北まで歩くと古い民家が軒を並べ、大きな袖卯建てのある民家が良い風情を醸し出しています。
その中でも「藤原家住宅」は、17世紀頃に立てられた有数の歴史ある建物として、県宝として定められているそうです。

しかしこの日はもうお腹ペコペコ!
峠の茶店で食べた「お焼き」は全て消化吸収されちゃって、頭の中は「妻籠」で食べる信州そば一色になってましたな(苦笑)

でも、ここまで来ると妻籠も近い。

建ち並んだ民家の前を行き過ぎると、広い国道を横切ることになります。
旧飯田街道、現在の国道256号線。

国道を渡るとそこには馬籠にあったのよりももう一回り大きな駐車場があり、そこがすなわち「妻籠の宿」の入り口です。
しかしまあ、簡単に想像は付いては居ましたが、見事に観光地化されてること!
建ち並んでいる家はほとんどが土産物屋かまたは蕎麦屋、そして旅館、民宿。

でも、それらが見事な調和を保ったままなのがすごい。

     

これらが妻籠の宿の家並みです。
緩やかな坂道に沿ってずっとこんな家並みが続いてるわけで、けたたましい声で話をしながら行き交う観光客がいなければ、もっと良い風情を感じられたかも。

しかし、妻籠の蕎麦はうまかったです!


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