朝10時過ぎ、東京に着くとそこから総武線に乗り換え、途中の千葉で今度は総武本線に乗り換え。
大阪からなら・・・考えたくない(笑)、東京を起点とすれば1時間半程も電車に揺られて、成田のちょっと手前にある佐倉で降ります。
ここには「あおい御用達」と言って良い程私のはまりこんだ博物館「国立歴史民族博物館」があります。
この博物館は本当に規模が大きく、そうね、時間の制約など無ければまる2日以上は遊んでいられるんじゃないかしら。
私にとってはそれほどにお気に入りの場所ですが、そう言えばこの佐倉という街も案外歴史の古い街なんですよね。
それで今回は、ごく一部ですが佐倉をちょこっと歩いてきました。
JR佐倉駅の階段を下りて出口に立つと、まだ昼前だというのに花火の音がします。
バスターミナルのあちこちには「佐倉の秋祭り」と書いた看板や上りも並べられ、日付を見たら、ああらん!これって今日じゃん!
駅前の広場から周りを見渡すと高い建物がないせいか、ちょっと薄ぼんやりと曇っているはずなのに街全体が明るく、そしてやたらに広く見えます。
そしてその向こうに緑の濃い台地が横たわるように眺められ、それが旧城下町の鹿島台。
広場を出発して所々に彫像で飾られた広い通りを鹿島台に向かって北上すると、四つ角の先に細い坂道が延びています。
この坂道はかつてシドニーオリンピックで金メダルを獲得した、「キューちゃん」こと、高橋尚子選手が強化合宿の時に走ったのではないかと言われている薬師坂。
しかし、この坂、結構きついわ!
でも、この急な坂が高橋選手を金メダルへと導いたのかも・・・
ってか、駅から見た佐倉の町は何となく真っ平らって感じがしてたのですが、旧市街へ入っていくと坂道だらけ!
ここに住んでいると、足腰はかなり丈夫になれそうな気がします。
坂を上りきったところで左に折れると鏑木小路町と言うところに出ます。
道の両側に生け垣が続く武家屋敷通りと呼ばれるところがあり、今現在でも三棟の武家屋敷が当時の姿そのままに残されています。
旧河原家、旧但馬家、旧武居家と三軒並んだ武家屋敷は、建物そのものはもちろん庭もよく手入れされ、この日はボランティアの方々によって竈で薪までも焚かれており、屋根に使われている茅を保存するために細かいところまで努力されているようでした。
この三軒の武家屋敷が建ち並んでいる鏑木小路と言うところは、当時の中級藩士が多く住まいし、旧但馬家に代表されるような中屋敷と言われる規模の家が建ち並んでいたそうです。
旧但馬家の両側にある、大屋敷と言われる規模の旧河原家と、小屋敷と言われる規模の旧武居家は別の場所から移築復元された屋敷です。
小屋敷、中屋敷、そして大屋敷が三軒並べて保存されているお陰で、私にとってはその規模の比較が容易に出来、とても面白かったです。
江戸時代の武家屋敷はほとんどが藩の所有になっていて、藩士はその職務内容や俸禄によって決められた規模の住宅を貸し与えられていました。
つまり、職員住宅もしくは社宅と言ったところでしょうか。
佐倉では、武家屋敷は道路に接する部分を正面にして門を設け、土塁と生垣を築いた中に屋敷を建てていました。
屋敷の裏側には菜園などを設け、屋敷同士の境目には境界木を植えて、斜面になっている背後には土留めのために竹藪にしてある所もありました。
屋敷の仕様は、その屋敷に住む者の身分などによってかなり細かい規定があり、敷地の広さや間取りはもちろんの事、玄関の幅から、畳表の素材、畳の縁などに至るまでその屋敷に住む人によって差別化されていました。
屋敷の裏に回ると井戸が有り、家族が消費するにはちょうど良いくらいの畑があります。
そのそばには風呂用の湯を沸かす釜があるんですが、これって風呂に直結している「焚き口」などは無いわけで、いちいち湯殿に湯を運び込まなければならないような造りになってるんですよね。
何しろ江戸時代のことだから元から水道の設備なんかあるはずもなく、風呂にはいるだけでもかなりの手間と労力が要るわけで、ましてやこの武家屋敷の造りは全部そんな造りになってます。
聞くところに拠ると、屋敷内ではできるだけ火気のある場所は独立させて、火事の原因にならないように工夫した結果だというのですが・・・・・・・・
フーム (- .-)ヾ ポリポリ 昔の人の生活って結構大変だったのね。
武家屋敷を後にすると、この地域の鎮守である「麻賀多神社」(まかたじんじゃ)へ向かいました。
かれこれ今から千年程前に書かれた「延喜式」にも記載されている古い神社で、「稚産霊命」(わかむすびのみこと)が奉られています。
この神様は、読んで字の如く「若者を無事に育て上げる」神様として、この地方一帯では「まかたさま」と呼ばれて親しまれています。
そしてこの日はちょうどお祭りに当たっていて、武家屋敷にいるときから笛や太鼓の音があちこちから聞こえていて、さぞ賑やかなんだろうと期待に胸を膨らませていたのですが・・・・・・
当の神社に着くと、何だかガラーーーン!
人の姿も、まばらにしか見えない。
でも、どこかで花火があげられているのか、時折空の片隅でポンポンという音はする。
お城へ行く途中で御神輿を担いだ一団とすれ違いましたが、何かやたら元気がない。
祭り半纏を着ていなかったらまるで葬式の野辺送りと間違えそうなくらい(苦笑)
祭りの本番って、やっぱり夜なんでしょうかねぇ。
境内も、これこの通り。
何となく、シーンとしています。
人々が集まってくるまでの今のうちにって事でしょうか、宮司さんが神殿の所を掃除しておられるのが何とも印象的でした。
「麻賀多神社」の前の道を西に行くと、佐倉東高校の前に出ます。
ここの角が昔は佐倉城の追手門のあった場所に当たります。
そのまま行くと、そこは既にお城の中。
しかし今となっては、この辺りではその面影はないですねぇ。
地図を見ると、佐倉城址まではまだあと10分は歩かなければ行けないわけで、当時のお城の規模が何となく偲ばれます。
佐倉城は、徳川家康の懐刀とも言われていた土井利勝の手で築城されました。
鹿島台の西端に位置し、北側には印旛沼、西側と南側には崖になっていて、その下には鹿島川と高崎川が流れ、自然にできた地形を生かした要害堅固な城だったそうです。
日本国中に沢山の城がありましたが、この城はその中でも珍しく、石垣という物が一切ありません。
この下の写真ではちょっと分かりにくいかも知れませんが、城の中には空堀があちこちに築かれ、そして、土塁もたくさん設けられていて、敵方の攻撃を受けても人馬がスムーズに入れないよう工夫をされていました。
その縄張りの見事さは、かの家康でさえ「天下の名城たらん」と誉め讃え、のちに三代将軍・家光より江戸城内にあった三層櫓を下賜された程であったと言われています。
今の城跡は公園として整備されていて、当時の建物は全く残されていません。
殊に本丸跡は、とても広々した芝生の原っぱになっていて、この日も多くの市民が休日を楽しむ姿が見られました。
この敷地内に、私のお気に入りの博物館「国立歴史民族博物館」があります。
その博物館は国内最大級の規模があり、原始時代から始まり近代までの我が国の歴史風俗などを模型や復元、または、実物を使って分かりやすく紹介しています。
中には図書室が完備されていて、展示物だけでは知り得ない専門的な知識も得ることができ、ショップやレストランも設けられています。
土井利勝は城と共に城下町も完成させると下総古河に転封されました。
その後は、次々と城主が代わりましたが、歴代の城主は幕府の老中などの要職につく譜代大名ばかりがこの城の主になったそうです。
最後の藩主は堀田正倫(まさとも)でしたが、その一代前の正睦(まさよし)は、幕末期の日本開国の立て役者だと伝えられています。
藩校では蘭学や英語を学ばせ、そして西洋医学を奨励。
当時は、「西の長崎、東の佐倉」とも言われる程に洋学を積極的に取り入れた藩主として知られています。
この城址公園のベンチでお昼ご飯を食べたあとは、しばし場内を散策しておりました。
城内の所々には、趣ありげな小径があり、一人ノンビリ歩くのも良し、カップルで歩けばなお良し
ねっ!
デートコースには最適な小径でございましょ?→
当然の事ながら、この日も私は単独歩行。
全然オモロナイやん o( _ _ )o ショボーン
さて、そうこうするうちに風が妙にザワザワとし始め、空の雲も急に厚くなってくる。
城を後にして、その次はミスター・G=長島さんの出身校、「佐倉高校」まで足を伸ばそうと思っていたんですが・・・・
佐倉高校は、たんに長島茂雄さんの出身校と言うだけではなく、佐倉藩の旧藩校としても歴史深い学校なんです。
今にも降り出しそうな天気になってきたため、とうとうそこまでは行けませんでしたが、明治期に建造された木造の洋風建築の校舎は外から見るだけでもエキゾチックで美しい建物だと言うことです。
((T.T)行きたかったぁ)
城の大手門跡から外に出てしばらく行くと、また祭囃子が聞こえてきました。
テケテンテケテンと言う小太鼓の音に混じって、ピーピーヒョロヒョロという横笛の音。
祭囃子って、随分地方色があるんですねぇ!!
大阪の祭囃子は余り笛は使わず、どちらかというと鐘と大太鼓の音が主になります。
ジキジンジキジンというけたたましい鐘の音に、お腹の底まで響くような大太鼓の音。
空きっ腹でダンジリのそばなど通りかかろうものなら、かなり応えます(笑)
天候を気にしながら駅まで取って返す途中で、ダンジリを引く一団に遭遇。
佐倉特有のかけ声なのでしょうか、「エッサ、エッサ、エッサッサァ」という声が辺りに響いて、さすがに賑やか!
やはり、祭りはこうでなくっちゃ!!
そして、朝に通りかかった「麻賀多神社」のそばまでくると、まさに御神輿が神社の境内に運び込まれるところでした。
おーっ!!いよいよお祭りの本番なのね!
そろそろ夕方にも近くなり、担ぎ手にも御神酒が回ってきているのでしょうか?
朝の葬式行列もどきとはうってかわって、元気いっぱい!
泣き出しそうになっている空模様を忘れて、思わず見入ってしまうあおいでございました。
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