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登呂から、名古屋へ


3月4日、天気予報は見事に当たって、朝から雨!
私、どちらかというと「晴れ女」なんですけどねぇ、何故だろう。

いつもより、1時間以上も寝坊をして、7時に起床、熱いお風呂に入って完璧に目を覚ましてから、テレビを付けると、前線がこの地方に近づいているなどと言う嫌なことを言っていました。
とりあえず、朝食を摂ってチェックアウトを済まし、駅に向かって歩き始めると、雨足がどんどん強くなってくる、そのうちに風さえ強くなってきました。

静岡駅からバスに乗り、目指すは「登呂遺跡」。
実はこの日、「登呂遺跡」に於いて、新しい発見があったので、臨時に現地説明会がある予定になっていたんです。
と言っても、雨天時は中止という情報も貰っていたわけですが、どのみちここに来る予定にしていたことだし、まっ、いいかぁ。
しかし、「登呂遺跡」に着くと、もう、まさに土砂降り!!

  

来たからには、せめて写真だけでも撮っていこうと、カメラを取り出しても、とにかく風もすごい、雨ももっとすごくなってくる。
遊歩道にされているところなんか、水が溢れだして、とてもじゃないけど歩けない。

昨夜、「マグロのカマ焼き」なんか食べた祟りなんでしょうかねぇ、マグロは無理でも、マグロのお子さん方なら充分泳げるような状態。
そのうちに、靴の中まで水が侵入してくる。
これは、「黒はんぺん」の祟りかぁ?
靴の中、イワシの赤ちゃんなら生息できそうになっちゃったぁ。

次のバスまではまだ充分すぎるほど時間があるので、とにかくどこかへ避難しようと、「博物館」の中に飛び込みました。
「登呂遺跡」、本当はここへ訪れるのはこれが初めてではなく、二度目なんです。
初めて来たときは、まだ中学生でした。
修学旅行の行程に入っていたわけなんですが、その頃はまだ博物館はできておらず、何を見たかも余りちゃんと覚えていない。
考古には、しっかり興味を持ち始めてはいたんですけどね、何しろキャピキャピの女学生時代。
遺跡を一生懸命見るより、友達とおしゃべりするのに夢中だったわけです。
あの頃の私って、かわいかったぁ・・・・・・・・・

博物館の中で、改めて「登呂遺跡」の紹介文を読んでみたりしていましたが。
ここは元々軍需工場を作る予定地だったのですね、ちょっと驚いた。

ここが発見されたのは、昭和18年、軍需工場を造るための土地の調査をしている最中だったそうです。
私が驚いたと思ったのは、昭和18年と言えばもう、まさに太平洋戦争の真っ最中。
日本中が「狂気の時代」に陥っていた頃、ここを工場にしないで、このまま遺跡として残されたということ。
これって、すごいことだと思いました。
そして、登呂遺跡が発見されたことで、日本の歴史が記されはじめる以前から、国内で米作りが為されていたことも、初めて発見されたわけです。

博物館の一階は、ちょっとした体験コーナーのようになっていて、弥生人に扮した研究員の方々がウロウロしておられましたけど、どちらかというと御子様向けの催しで、見学者は私だけ。
何となくこちらまで照れくさくなって、一階はざっと見回しただけにし、すぐに二階の展示室に向かいました。
一通り展示物を見終わった頃、ちょうどバスの発車時間近くになり、外へ出ようとしたら、これはこれは、かなりの勇気が必要な状態でした。

しばし玄関先でウロウロし、大きく深呼吸して、エーイ、ままよ!!!

猛烈な豪雨の中、そしてまた、時折襲ってくる突風に煽られながらも、遺跡の中を走り抜け、バスに乗り込んだときには、全身、見事にぬれねずみ。
ずっしり重くなったジャケットからは、水がポタポタ垂れてくる。
「お客さん、危ないですから座って下さい。」と、運転手さんから促されても、座れない。
そんな事したら、シートがビチャビチャになっちゃう。
再度注意されて、仕方なく運転席のそばまで行き、ジャケットの裾を絞って見せた。
こういう場合、「論より証拠」、私が何時までも立ったままでいる理由、すぐに納得してくれました。
発車時刻になって、私を含め4,5人の乗客を乗せたバスは、立ったままの私を気づかって下さったのか、ゆっくりと動き出した。
外では、木立が強い風に大きく揺れていました。

駅に着くと、とにかくトイレに走って行って、ジャケットの水分を絞りきり、みどりの窓口へ。
なぜだか、駅ビルの中が人で溢れかえっている。
訳はすぐに分かりました。
この日、ちょうど駅ビル併設のショッピングセンターがリニューアルオープンし、私が訪れたときはテープカットをしようとしている最中でした。
こんな沢山の人出では、とてもじゃないけど、お土産なんかゆっくり買えるような状況ではない。
まっ、家族は私が物見遊山に出かけたわけではないこと、初めから承知していますからね、ホームで適当なものでも買って、ごまかすことにしよう。

ホームに上がると、さっきまでの土砂降りはいつの間にかかなり和らぎ、風も弱まっていましたが、急に冷え込んできたように思いました。
下着まで濡れてしまうといったところまでは行かなかったものの、ジーンズの膝上から下はもちろんジットリと濡れ、吹きさらしのホームで列車を待つ間に、体がどんどん冷えてくるのが自覚できる。
そろそろ体が勝手に震えはじめた頃、やっと「こだま」がすべり込んできた。
ああ、助かった。

今度は遠慮せずに空いたシートに着くと、ジャケットを脱いで窓の横の洋服かけに、そして、ちょっとかっこわるいけど、靴を脱いだ。
せっかくのバックスキンの靴、中はビシャビシャ!
もう一足余分に持ってきていた靴下に履き替えて、ついでに、昨日はいていた靴下で、靴の中の水分を吸い取らせるとかなり快適になり、やっと人心地ついたように思いました。
列車が静岡の駅を滑り出てしばらくすると、昨日見た大井川の鉄橋を渡りだした。
大井川、昨日の光景とはうって変わって、かなり水位が増している。
今の時代に生きていてよかった。
そうでなければ「川止め」に遭って、帰れないところでした。

「こだま」の中で、しばらくボーッとして時間を潰していましたが、ふと外を見ると、何となく明るくなっているような気がする。
豊川を過ぎた頃には、雨は完全に止んでいるように見えました。
エーッ!なんで!

12時ちょっと過ぎに名古屋に着くと、そのまま名鉄に乗り換え、「熱田神宮」に向かいました。
名鉄「神宮前」で降りて、「熱田神宮」の東門をくぐると、・・・・・・・・・

広い!でっかい!迷子になりそう!

「熱田神宮」を生まれて初めて訪れた、第一印象が、これ(笑)

この鳥居をくぐってゆくと、右手に本殿へと続く参道があります。
参道の途中には、「空海」が植えたと言われている大きな「楠」、まさしく樹齢千年以上のもので、そばまで行くとかなりの迫力のようなものを感じます。
まるで、「となりのトトロ」に登場した「トトロの楠」のようでした。

その楠の下で、チャボがエサをついばんでウロウロ。
「名古屋コーチン」でなくて良かった。
「名古屋コーチン」、昔世話をさせられたことがありますが、もう、気性が激しいというかなんというか、良く追いかけられました。
学校の教室で飼われていたのですけどね、立派に番犬代わりを果たしておりました。

本殿に向かうと・・・・・・・・・・・・、そうなんだ!!
この日はただの日曜日ではなくて、「大安吉日」。
花嫁さん達が、あっちでウロウロ、こっちでウロウロ。
花嫁さん達だけではなく、花婿さん達も、一緒にくっついて、ウロウロ、そわそわ、そんなカップルがいっぱいおられました。
そして、お宮参りの赤ちゃんを連れた家族の姿も、あちこちに。
どおりで駐車場が込み合っていたはず、沢山のご家族にとって、とってもおめでたい日だったんですね。

ネット仲間から、この「熱田神宮」の仲に、楊貴妃の墓があるという言い伝えが存在することを教わり、あちこち探し回っておりましたが、ちょっと分かりませんでした。
その代わり、織田信長が築かせたという土塀を見つけました。
「信長塀」と呼ばれ、よく見るとかなり凝った造りになっています。

この広い境内の中をウロウロ巡り歩き、やっとたどり着いた西門から外へ出て、目指すは、「宮の渡し」

ここは、昔「伊勢神宮」の参詣を済ませて、「熱田神宮」へ向かう人々が利用した渡し船のあったところですが、「七里の渡し」にあった常夜灯が、ここに移築復元されています。

「七里の渡し」というのは、伊勢から桑名を通り、「熱田神宮」まで海路で後七里というところにあった、長良川にある渡し船の拠点なのですが、どうしてそこの常夜灯が、「宮の渡し」に復元されたのか、私にはちょっとわかりませんでした。
それにしても、改めて空を見ると、いつの間にか何とも良いお天気。
朝の、大豪雨は、アレは、いったい何だったの?
思わずヤケ食いでもしちゃろ!!!って思った私。
実際にして来ちゃいましたが(笑)

腹ごなしを兼ねてこの堀川沿いを北へしばらく行くと、「白鳥古墳」があります。

この古墳の中に眠っておられるのは、「日本武尊」だという言い伝えがあります。
鈴鹿で亡くなった「日本武尊」が白鳥になり、降り立ったところがこの古墳のある場所だとされているのですが、本当かどうか。
元々は、5世紀頃に作られた前方後円墳だったそうですが、今は、前も後ろもかなり削られてしまっていて、大きく形が変わってしまっています。

この「白鳥古墳」のある場所から、堀川沿いに更に北へ向かうと、「日本武尊」のお后、「宮簀媛」(ミヤスエヒメノミコト)を葬ってあると言われる、「断夫山古墳」が、隣り合って建造されています。

ふーん、亡くなった後でも、ご夫婦仲が良いのねぇ。

と、ふと気が付いた。


3月4日


この日、旦那殿の誕生日ではなかったか?

アタフタ・・・・・・・・・・


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