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わさびと道祖神の里「安曇野」


♪8時ちょうどのっ 「あずさ2号」で 私は 私は あなたからっ、旅立ちぃますぅ〜♪
なんて歌は、もう出来ない。

なぜなら、

8時ちょうどにあるのは「スーパーあずさ3号」
これだと字余りになって、歌いにくいだろうねぇ(笑)
大阪在住の私がわざわざその「字余り『あずさ』」に乗って出かけたのには、チョイとワケがあるんです。

大阪からなら、本当は名古屋経由で出かける方が遙かに安くつく。
それをしなかったのは・・・・
「裏富士」を見たかったから(苦笑)

冬の朝に中央線に乗ると「裏富士」を見られる確率が高い。
そう聞きかじって思わず東京のホテルを予約し、新幹線のチケットも買い込んでしまったけど、それから数日間はずっと天候不順。
新宿からなら目的地の穂高までは全く乗り換え無しだから、行くのにはラクチン。
そう言う口実を考えていても、ヤッパ、こうも天候不順が続くと何ともやりきれなくなります。
いつもなら荷物の準備も早い内からソワソワと始めるのに、今回に限っては、出発当日になって初めて荷造りをする始末。

でも、日頃の精進が良かったのか(笑)
それとも単なる偶然なのか。
土曜日は朝から快晴!

旅費の節約には焼け石に水とは知りながら、前日に作ったおにぎりを朝のお弁当としてリュックに詰めて、いざ出発。

列車が山梨県内に入ってしばらくすると、山々の間から見慣れた山頂が顔を覗かせた。
真っ白に雪化粧をし、少し逆光気味の、間違いなく富士山!
頂付近が逆光ゆえに白く輝き、それはそれは見事でした。
ただ、その逆光が仇になって、写真に納められなかったのが何とも悔しかったですけどね。
富士山を眺めながらゆっくりと朝食を済ませると、たちまち睡魔がやってくる。
しばらくの間、カタン、コトンという単調な音の中でウトウトしていると、列車は上諏訪を出るところでした。

穂高で下車して駅を出ると、もうそこは道祖神のふるさと。
駅の横手に仲良く手を繋いだ道祖神がありました。

この道祖神って、だいたい3っつのパターンがありますね。
一つはこんな風に手を繋いで立っているパターン。
女神が男神にひょうたんの酒を注いでいるパターン。
それから、二人で赤ちゃんを抱いているパターン。

どれを取ってみても、神様と言うよりもっと身近な存在のように感じられ、見ていて微笑ましくなる物ばかり。
一節によると、道祖神は元々は漢の国から渡ってきた、交通安全を司る神だと言われています。
また一節によると、日本書紀や古事記に書かれた伝承の一つで、「塞の神」と「岐神」の姿だとも言われています。

イザナギがイザナミの死を悲しみ、黄泉の国へ会いに行き、変わり果てたイザナミの体を見てしまいます。
その変わり様に逃げ出したイザナギは黄泉の国の身の毛もよだつような様相をした女神達追いかけられ、黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げ帰って大岩で道を塞ぎ、持っていた杖を立てて「ここを過ぎる事勿れ」と宣しました。

この時の磐石が「塞の神」の始まりと言われている、千人所引の盤石(ちびきのいわ)です。
また、その時持っていた杖をつき、「これより先に入る事まかり成らぬ」と宣したのが「岐神」(ふなとのかみ)です。

「岐神」は、別の地方では「金精様」(こんせいさま)と呼ばれており、男性のシンボルの形で奉られていることが多いです。
つまり、子孫繁栄の神として崇められている存在なんですね。

所々にある道祖神を眺めながら5分ほど歩くと「穂高神社」の前に出ます。

「穂高神社」は神社の向こうにそびえ立つ穂高岳を含む北アルプス連山、そしてこの穂高町全体の鎮守としてこの地域一帯で大事にされています。

穂高町というのは広い長野県でも富山、岐阜よりの山岳地帯に隣接するところで、今から100年も前なら、生まれてから一生海を見ずに終わる人がいても珍しくないところなのですが・・・・

主神として祀られている穂高見命は、海神族の親神です。

その証拠として境内には船にちなんだモニュメントがあり、確かに海と海運の神様と言うことが如実に表されています。
それにしてもこの山国になぜ?
なんて、ドロナワ式にチョイと調べてみましたら・・・・・・

穂高見命の後裔である安曇野氏一族は、元々は北九州に住んでいて海運業などを営み、高い文化と大きな勢力を持っていた一族の末裔だったと言うことです。

それがなぜこの山国にやってきたのかは謎ですが、後漢書東夷伝、魏志倭人伝、古事記、そして日本書紀、これらの史書の書かれた時代に心が飛んでいく心地がします。

ちょうど今は、七五三から一週遅れでお詣りする親子連れが境内をにぎわしていました。

うちのガキンチョ共もかつてはこのようにカワイイ時代があったわけで・・・・
私も年を取るはずだわ(ため息)

右の写真の女の子はちょうど3歳くらいでしょうかね。
カメラを向けると紅葉のような手でピースサイン。(キャッ!カワユイ!!)

ちょこっと心和むひとときでした。

    

「穂高神社」を後にして、向かったところは「東光寺」

穂高では有名な曹洞宗の名刹と知られている由緒あるお寺です。

ここの山門の前には、大きな下駄が二足並べられています。

この下駄は「吉祥仁王様の下駄」と呼ばれていて、とても大きな鉄製の下駄です。
この朱塗りの下駄を履くと願い事が叶うと言い伝えられていますが、なかなかちょっとやそっとで履ける代物じゃない。

まぁ、とにかくデカイんです。

その大きさの比較対照になるかと、そばを人が通りかかるのを、しばらくカメラを抱えて待ってましたが、こんな時に限って人通りって無いですわ(苦笑)

このお寺には、眼病に霊験あらたかだと言われている薬師如来、それから商売繁盛の神様である大黒天が祀られています。

本堂裏では戒壇巡りもあり、真っ暗な中を歩いて極楽浄土を願うと、死後にそれが叶えられると言うことです。

しばしお寺の周囲をウロウロしていると、ちょうど門前まで戻ってきた頃、旅行者なのか、それともご近所の人なのか・・・・

心の中で「動かないでよ」、そう念じながら写真をパチリ。

ねっ、この下駄、とても大きいでしょ?

さて、どうやって履きます?

この東光寺のすぐ東側には、「等々力家」があります。
等々力家は昔は庄屋を務めていた家柄で、松本藩主が猟をするためにここを訪れた際には、藩主が休息する本陣として使われていました。

今でも、当時の姿そのままの立派な長屋門が残されていて、中に入ると御殿様座敷や、須弥山式石組みの庭園なども当時のまま保存されています。

中に入っていくと受付の所には、いかにも等々力家の末裔ともおぼしきおばあちゃんがお留守番。

屋内での写真撮影の許可をお願いすると快く了承してくださいました。

そこで大分あちこち見せて貰いましたが、ホント!マジ広い!
昔の庄屋さんってそれなりに大変だったのでしょうが、豪奢な庭園や重厚な造りの蔵などを目の当たりにするにつけ、当時の権威という物をまざまざと感じてしまいました。

しかし・・・・私なんて思いっきりモノグサだから、真っ先に掃除の心配をしてしまいました。
ってか、当時は掃除担当の人も雇っていたんでしょうけどねぇ(笑)

等々力家の中庭

等々力家のおばあさんに一言挨拶をすると、大王わさび農場を目指しました。
しかし、ここからはずっと吹きっ晒しの農道ばかりが続き、風が強いような日はちょっと辛いかも。
でも、周りを眺め渡すと、いかにもここは「安曇野」


町はずれにポツンとたたずむ大きな柿の木。
この辺りの柿はほとんどが渋柿なんだそうです。


等々力橋から見下ろした「万水川」
澄みきった水がとても美しく、カヌーの練習をしている一団の姿も見られました。
しかし、寒そう!


農道から見えた北アルプスの峰・・・・のつもりですが
残念なことに雲がかかってました。

安曇野の穂高川流域には大小のわさび畑が数多く広がり、わさびの生産高は全国一位を誇っています。

その中でも大王わさび農場はこの辺りでも特に大規模なわさび農場で、15ヘクタールもの広さは全国一位。
緑一色のわさび田の上には木橋が架け渡してあって、自由に散策ができるような施設が整えられています。
駐車場には大型観光バスが何台も停まっていて、沢山の観光客で溢れているような印象を受けましたが、実際に中に入ってみるとそれほどでもない。

土産物屋は若干ごった返しているような感がありましたが、農園が広いせいで人の姿はまばらに見えました。

ここで見かけた、ちょっと面白い物。

わさび入りアイスクリームと、わさびビール。

真っ昼間なわけで、さすがにビールはちょっと飲む気にはなりませんでしたが、わさびアイスクリームか味わってみたかったです。
しかし、この日の最高気温は約10度。
もう少し暖かければトライしてみたんですけどねぇ.。o○

余りに体が冷たくなって食堂へ駆け込むと、熱々のお蕎麦を食べてきました。
さすがにここは信州!
お蕎麦は美味しかったぁ!!

隣のテーブルに座った家族連れのお父さんらしき人が、例のわさびビールを注文してました。
蕎麦を食べ終わってすぐに立つつもりだったけど、ちょっくら方針変更(苦笑)
ビールの運ばれてくるのを密かに待っていると、程なく例のブツが・・・

ひーっ!
まっ緑!!
いゃあ!!そのビールを飲んだ人に感想を聞きたかったですわぁ!

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