魔法の使い方〜ガーダ導師・その後〜
正直なところ、私は私に託された命の扱いに困っていた。

 ゴッドガーデンにて共に学び笑い会った友を失った。
 彼の心から生まれたマインドオーブを受け魔法使いへとなった、あの時……私の心は、悲壮に沈んでいた。当然だ。共に魔法使いになろうと誓い合い、この場へやってきたのだから。
 このような結果、誰が予想できただろうか。
 私の友は、自ら命を絶ち、私に魔法使いへの道を譲ったのだ。私の心のきっかけとなることを、彼は受け入れた。
 そんな時だ、あの女性に出会ったのは。
 こんな場所で生きた人間が暮らしていたとは驚きだ。
 彼女は、自分の身の上を説明し、眠っている赤子――ティナを私に手渡した。このゴッドガーデンから連れ出して欲しいと、1つのマインドオーブとともに……
 最初は、断るつもりだった。だが、彼女の強い意思は私の心までも動かすものだった。
 確かに、マインドオーブがあるなら連れ出すことは可能だった。しかし……その後、どうすれば……
 心は私のもとにあるとはいえ、友の死に涙をこらえる間もなく、新たな問題に出くわした。
 答えの見つからぬまま、私はゴッドガーデンを後にする。もちろん、ティナも一緒だ。
 慣れぬ赤子の世話に戸惑いつつも、私は母校・フェアリー学園へと戻った。
 恩師であるウイント導師に伺いをたてると、自分が預かると言う。養子として彼女がティナを育てることになったことで、私も肩の荷がおりる思いだった。
 ただ、私もティナを連れてきた責任感からか、しばらくこの学園で教鞭をとりつつ、成長を見守ることにした。ティナが一人前になるまで……そのはずだった。

 ティナが5歳になったある日。ウイント導師は、ティナが自分の子ではないことを、まだ幼い耳に言い聞かせたらしい。
 私は、その話を聞いて心配になった。導師なりのお考えがあったのだろうが、幼いティナには、まだ重すぎる話ではなかったのか……。
 その予感は当たっていた。ティナは、夕暮れの魔法庭園の中で泣いていた。西日が少女の頬につたう雫を、赤く輝かせている光景は、今もなお私の心に刻まれている。
 私が近づくと、ティナは顔を……いや、体ごと後ろを向き、服の袖で雫をふき取る動作を見せる。幼いながらに、気を遣っているのだろうか。
 私は何も声をかけられなかった。このような場合、どんなことを言えばいいのかわからない。私の苦手な空気だ。
 幾度となく鼻をすする音が聞こえる。
 先に声を発したのは、ティナであった。
「私の家……ここじゃないの? 私……ここにいちゃダメ……?」
 小さな小さな声。風の音にもかき消えるほどの小さな声。私は、なんとか聞きとれた。少女の、苦しい胸の内を。
 ウイント導師は、ティナのことが好きだ。だから、ティナと一緒に暮らしているんだよ。
 そのような内容のことを話したはずだ。正確には覚えていない。
 ただ、少女は振り返り、笑顔を向けてくれた。

 それでも、ティナには不安があったのかもしれない。いつの日か、導師の家から追い出されるのではないかと……。本当は、それが理由だったのかもしれないと、私はいまでも思っている。
 いつしかティナは、魔法使いを目指し学園に籍を置くこととなる。ティナからの申し出だったそうだ。
 魔法使いを目指していれば、ずっとここにいられる……そう思ったのではないだろうか。
 しかし、理由を尋ねてみると、いつでも答えは同じ。
「あたしを育ててくれたウイントさんに、恩返しがしたいの」
 あれ以来、導師を『お母さん』とは呼ばなくなっていた。
 そして私は……導師の補佐をするため、学園のナンバー2としてティナを見守ることにした。
 私も、そして導師も、ティナがマジカルオーブを作るのが壁になると確信していた。ピックコレクターの資格を得るにとどまれば問題はないだろうが、ティナはそうしないということも。
 つい、少女に対し、厳しく対応してしまう。そう……壁の大きさを理解しているがための所業であろう。
 そして……
 今、その少女は壁を越えようとしている……

「ガーダ導師?」
 優しい声に、我に返る。
「どうしたのかしら?」
「いえ……少し昔を思い出していました」
 ここは、フェアリー学園の理事長室。デスクに座るウイント導師の部屋だ。
 すっかり、ここがガーダ導師の定位置となってしまった。自分の部屋は別にあるが、資料の閲覧などをする以外には、ほとんど利用していないのが現状。ウイント導師のサポートをしているのだから、それもしかたのないことだが。
 ガーダ導師の様子を見て、ウイント導師はその内容を予想してみる。
「ティナのことですね」
 学園内では、極力ティナを特別扱いしないようにしていたが、彼女の前では無意味。ガーダ導師は、ゆっくりと頷き、その予想があたっていることを示す。
「今までは、ティナが不憫にも思えました。あなたに気に入られようと、必死で魔法の学習を続けてきた。そして、ぶつかった大きな壁……私は、このままティナが壊れてしまうのが心配でした」
 彼女から目をそらし、どこを見るともなく視線を漂わせる。
「いざとなれば、再び私がティナを引き取り、普通の少女として育てようと考えたこともありまた。それだけ、この壁は大きなもの。しかし……」
 腕組みしていた両手をほどく。
「今、あの子は、その壁を越えようとしています」
 もう一度ウイント導師へ視線を戻したガーダ導師は、彼女の瞳をしっかりと見据え、進言する。
「ですから、今度は誉めてあげてください。ティナの努力を……」
 彼女は相変わらず微笑み、もう一人の導師の言葉をジックリと聞いている。彼女にもわかっている。ティナがどれほど努力してきたか、そして……目の前の導師が、どれだけ少女を心配しているのか。
 テーブルの上で組んでいた指を、ななにげなくほどく。
「ティナは、ちょうど今ごろ、試験を受けている頃でしょうね」
「あの子は、あなたを助けたいからと説明しているが、そうではありません。本当は、あなたに嫌われたくないから……あなたにも、それは解っているはずです」
「ええ、よく解っていますよ」
 微笑を笑顔に変えた。
「ティナ。あの子はほんとうに頑張りました。おそらく、今日の試験にも合格できることでしょう。私も、彼女の努力を誉めてあげるつもりでしたよ」
 なにも真面目に進言する必要もなかった。ガーダ導師は、気まずそうに咳払いを行う。
 一方のウイント導師は逆に真面目な表情。彼女のこのような顔はなかなか見ることができない。ガーダ導師の背筋に緊張が走る。
「それで、あなたはどうするのです?」
「私……ですか?」
 考えていない質問を受け、目を伏せる。
 そう。ガーダ導師はティナを見守るためにこの学園に留まってきた。本来ならば独立するなり、自分の夢の道を進むべき実力者。それが、ティナという1人の少女への想いが邪魔していたのだ。
 もし、今日の試験に合格したならば……少女はもう一人前と言って悪かろうはずがない。彼の夢に枷をつないでいた鎖は、これで消えることとなる。
「この17年間、あなたは本当によくやってくれました。感謝していますよ。でも、あなたには、あなたの夢があるのではないですか?」
「しかし、今さら……」
 今さらこの学園を出て行くのは、なぜか糸をひかれる思いだ。それに、ティナが試験に合格したといっても、まだまだ彼女の不安定な性格には心配が残る。魔法使いたるもの、もっと冷静でなくてはならならい。
「あなたが考えていること……およそ理解できます。でも、ティナのことなら心配はいりませんよ」
 確信を持ったように言う。
「あの子には、たくさんの友がいます。同じ道を共に歩み、喜びも悲しみも分け合った仲間ですよ。あの子たちなら、きっと、いろいろな事を乗り越えていくことでしょう」
 友……
 ガーダ導師は、懐に忍ばせた心の結晶を感じた。
 同じ時間を過ごしてきた友……その存在が、どれだけの力になるのか、それは彼にもわかるものだった。だが……
「しかし、ティナの周囲には、とても常識とは言い難い異風の者がいるではありませんか。あれでは、ティナの成長の妨げとなり得ません。現に、数年前まで真面目だったティナもこのありさま。しっかりと精神の教育をする役目は必要です」
「ルルカとメイプルのことですね」
 ウイント導師も、この2人が常人とは違った思考の持ち主であることは理解しているようだ。ガーダ導師がいったい誰のことを言っているのか、すぐに答えが出た。いや、そもそも、ガーダ導師がこのような内容を言うだろうと、予め予想していたのか。
 ふっ、と彼女の口元に笑みがこぼれた。
「勤勉を求めるだけが教育ではありませんよ」
「それは…………」
 コンコン……
 問いかけようとしたガーダ導師の言葉をぬって、ノックの音が響く。
「どうぞ」
 柔らかな声にあわせ、ガーダ導師は彼女に向けていた体を、扉に向け直す。
 開かれた扉から入ってきたのは、今まで話題に登っていたティナだった。
 この少女が試験日にここへ来たということは……少女にとって嬉しい知らせがあるということなのだろう。どこか緊張した面持ちの中に、喜びも見てとれる。
「試験は終ったのかな?」
「は、はい」
 ガーダ導師に声をかけられ、緊張がさらに増したみたいだったが、ティナは報告をはじめた。4年前まで、試験後に必ず行なっていた報告を。
「マジカルリサーチになれました。4年もかかっちゃったけど、でも、やっとマジカルオーブも創れるようになったし、これからもっともっと頑張ります」
 改めて決意を固めるように語彙を強めていく。
「そして、いつか絶対にウイントさんの助けになれる魔法使いになりますから」
「それは……」
 髭をなぞっていたガーダ導師。ウイント導師より早く、彼は気になる発言に声をあげていた。
「私の今の立場を狙っている……ということかな?」
「え?」
 戸惑ったティナの顔。
 ティナにしてみれば、ガーダ導師を越えるとか、地位を奪うとか、そのような考えで言ったことではないだろう。予想外の返しに、ティナは身を縮ませる。
 ガーダ導師にも、そんなことは解っていた。この少女は、純粋にウイント導師の元にいたいと願っているだけだと……
「未来のことはともかく、ティナ、まずはマジカルリサーチでしっかり勉強してくださいね」
 とりあえず、ウイント導師の発言で、場の空気は和んだ。
「は、はい……」
 そう返事をするものの、ティナはまだ何かを期待しているような目でウイント導師を眺めている。
 しかし、ウイント導師はじらすかのように引き出しに手をかけた。
「あなたの両親も、きっと喜んでいることでしょう」
 テーブルの上に並べられた2つのマインドオーブ。ティナの両親の心がこもったもの。
 ゴッドガーデンから戻って依頼の対面だ。1ヶ月ぶりとはいえ、ティナもなんだか懐かしそうに手をかざしている。
 おそらく、少女には何も聞こえていまい。しかし、そのぬくもりを確かめるかのように、そっと瞳を閉じる。
「ティナ……」
 優しい声に呼ばれ、ティナは目を開く。
 ウイント導師は、あいかわらずの笑顔で……
「よく頑張りましたね」
 少し驚いて、口が半開きになった。間抜けな顔、といえる顔をさらすぐらい、ティナは驚いたようだ。
 しばし沈黙が続く。
「マインドオーブがティナの手に帰る時を楽しみにしていますよ」
「は……はい!」
 そして、ティナは満面の笑みと自信を携え、理事長室を後にした。
 そんなティナを見送り、ウイント導師は再び隣に立つ導師に声をかける。
「季節が移り変わるように、人の心も変わるものです」
 ガーダ導師も、彼女に向き直る。
「確かに、ティナが魔法使いの道を選んだ理由は、ここにいたいという気持ちからでしょう。私の助けになりたいというのは、ただの名目でした。でも、その名目のほうが、今のティナにとっての夢なのですよ」
 なるほど……
 言葉には出さなかったが、ガーダ導師は納得した。ティナを見ていて、そう思わせるフシはいくつかあった。
 だが、ガーダ導師が聞きたいのは、そんなことではない。
「それで、導師はティナがあのままで良いと、そうおっしゃるのですね?」
「えぇ」
 即答されてしまった。
「今のティナは、本当に生き生きしています。多少の問題など、気にする事ではないでしょう」
 多少……その言葉が本当に適当なのだろうか?
 ガーダ導師は、なんとも納得のいかない表情で、彼女を見つめている。
「あなたも、ずっとティナを見てきたのですから、きっとわかるはずですよ。今のティナと、昔のティナ……二人を比べてごらんなさい。きっと、何かが見えてくるはずですよ」
 お得意の謎かけをされてしまった。こうなっては、何を尋ねても答えを引き出すことはできないだろう。
「そうですか……わかりました」
 わかりましたとは、理解したわけではない。自分で答えを探すと決めたあらわれだ。
「その答えが導き出せた時、あなたの道にかかる霧も晴れることでしょう」
 まるで未来を透視したかのように……さすがにそれはできないだろうが、ウイント導師は確信を持ったように言った。

 太陽が西の山に吸いこまれそうになる頃、導師のもとに今日行なわれた試験の結果が届いた。
 ガーダ導師は珍しく自室で、それに簡単に目を通す。バッジを見れば各々のランクはわかるのだから、詳しく読み取ってもあまり意味がないのだ。
 唯一、ティナの名だけはしっかり確認した程度だろうか。
 この少女が魔法使いへの道の峠をこえるとは……17年前には考えられなかった。努力が実ったということなのだろうか。
「その努力が、消えなければいいが……」
 やはり、今のティナを見ていると、不満が彼の脳裏をよぎる。
 ウイント導師はあのように言っていたが、果たしてティナは本当にこのままでいいのだろうか。
 ともかく、ここで考えていても仕方がない。今日は学園での用事は全て終わったのだから、いつまでも部屋にいては、照明の無駄遣いだ。そろそろ帰るとしよう。
 部屋を出たガーダ導師。手には小さなアタッシュケース。必要な資料はすべてこの中にいれてある。
 いつものように学園の正門に向かうべく、近くの階段を降り廊下を歩いてゆく。
 この時間となると、生徒たちのほとんどは自分の部屋のある4階以上にいることが多く、1階はシンと静まり返っているものだ。ただ、今日は少し違った。
 空気を裂くような悲鳴が、すぐ近くの教室から聞こえている。
 照明に照らされている実習教室の中から、美味しそうな香りと騒がしい声が、空気を伝わってきた。
「そういえば……教室を借りたいと言っていたな」
 その声の主がティナたちであると理解したガーダ導師は、気付かれないようにそっと覗いてみる。
 教室の中では、種々の料理を並べたテーブルの周りで、ティナがルルカとメイプルを追いかけていた。ティナの手には炎が見える。どうやら魔法を使ったようだ。
(こんなことで魔法を使うとは……)
 ガーダ導師はその行為に眉をよせる。
 やがてティナはロットに後ろから羽交い締めにされ、なだめられる。
 ロットに文句を言おうと振りかえり、密着した状態に意識が向くと、とたんに真っ赤になるティナ。ロットも慌ててティナを開放した。
 ここぞとばかりにはやし立てるルルカ&メイプル。
 それに対し、ティナは怒っているものの、先ほどまでとは違う。嬉しいような恥ずかしいような、いろんな感情がミックスされていた。
 そんなティナを見ていて、ガーダ導師は自分の友を思い出す。
 今は、この懐にいる友……本気の感情をぶつけ合える数少ない人間だった。
 彼がいたからこそ、今の自分があるものと思っている。本当に感謝すべき相手だ。
 悲しみも、喜びも、彼の前では存分に発散したものだ。
 そんな場面が、今のティナにダブって見える。
「……………………」
 ティナは……昔のティナは、何がなんでも魔法使いになるんだと、いつも追い詰められたように真剣だった。試験も、絶対に失敗するわけにいかないと、必死だった。自分が導師の本当の子ではないという不安から生まれた焦り。
 その裏には、小さな亀裂が致命的になる危険もあったのだ。失敗した時、ティナの心が崩れてしまう危険が……優秀だが、どこか危なっかしい少女だった。
 そんなティナが変わったのは、いつごろだろう?
 少なくとも、ルルカが入学する以前から……そう。ロットとの関係がうまくいき始めてからではなかったか。
 そうなのかもしれない。
 ティナは、本気で信頼できる友を手に入れたのだ。
 一人で背負い込んでいた感情も、友の存在によって、整理をつけることができたのではないか?
 今のティナからは、以前のような不安を感じることがない。危なっかしいのは、別の意味であるのだが……それは、心に余裕が持てている証拠なのかもしれない。
「ん? お前もそう思うのか、バレン」
 懐から聞こえた声に、思わずその名を口にしていた。
「……そうだな。もう、私の役目は終わっているのかもしれない」
 あとは、ティナが信頼する友たちに任せよう。
 ガーダ導師は、皆に気付かれないよう裏口から学園を後にする。
 夕暮れの空を見上げると、小さな星たちが輝きはじめていた。
 いつもと同じ光景。
 だが、ガーダ導師の心は、いつもより晴れ晴れしていた。


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