廊下の窓から、晴れ渡った青空が見える。今日もいい天気だ。
こんな日は、近くの丘にでも出向いてピクニックしたくなるもので、おそらく、試験のない生徒たちは、似たようなことをしているだろうが……ルルカの心の中はティナのことでいっぱい。そんな気分はスッポリと抜け落ちていた。
毎月、一斉試験日になると、ティナに付き添っている。もちろん、自分も試験がある日は別だが……今日はまた特別な意味の日だった。
ルルカの横には、緊張を体中から溢れ出しているティナがいる。
いつもだったら、
「今回も不合格となる方に一票ですわ」
とかなんとか茶化すところだが……
「ティナさん、ファイトですわよ」
この試験の為に一生懸命になっていたティナを目の当たりにしたのだから、いかにルルカといえど、今回ばかりは自重していた。
ただ、合格して欲しいという気持ちはもちろんだが、合格しないで欲しいという気持ちがあるのも事実。ここでティナが合格すると、せっかくティナに追い付いたのに、また別のクラスになってしまうから。ルルカにとっても、複雑な心境を持たせる試験なのだ。
試験会場となっている教室から、喜びに溢れた生徒が出てくるのが目に映る。
「さ、ティナさん」
ティナを促し、いよいよ試験の開始となった。
一度、ゆっくりと頷いて教室に入っていくティナ。
そんなティナを、ルルカは子を送り出す親の心境で見送った。
「大丈夫でしょうか……」
最寄の壁に体を預け、ティナを案じてみる。
思えば、ルルカが学園に入学した当時、ティナは既にピックコレクターになっていた。そのころは、ロット、ミスティにも肩を並べるほど優秀だったはず。ルルカ自身は、そのころのティナをあまり良く知らないが、当時を良く知る者はそう言っている。
「4年というのは、ほんとうに長い時間ですわね……」
ほぅ、となぜかため息がもれた。
ティナの試験は、短くても30分はかかるだろうか。それまで、ただ待っているのも能がない。持ってきた参考書のページを開く。こうなったら、ティナが合格した上で、自分もまた追い付いてみせようと考えたようだ。
「えーと……材料の保管は、その性質により、適正な方法を以って保管しなくてはならない。レッド・ピーは湿気に弱いため、なるべく乾燥した場所で……」
「あ、ルルカさん。ちょうどよかった」
まだ読み始めたばかりだというのに、名を呼ばれ中断する。見ると、小走りに近づいてくる隣室のファラがいた。
「あら、ファラさん。どうしたんです?」
「ルルカさん宛てに手紙が届いてたから、部屋まで届ける途中だったの。はい、コレ」
そういえば、今日はファラの部屋が配達登板だった。ということは、明日は自分たちの部屋か。しかし、ルルカはそれ以上に気になることがあった。
「手紙?」
その単語に、微妙にイヤな予感が走ったのだ。
手渡された手紙を見ると、差し出し人の名は予感通りだった。
「お父様……」
「それじゃ、私、他にも配達があるから」
ファラは、パタパタと急がしそうに去っていく。
ルルカはどうしようかと迷ったが、部屋に戻って読むことにした。読むだけなら、ティナの試験が終わるまでには戻ってこれるだろう。
手紙を参考書にはさみこみ、ルルカは部屋に向かった。
部屋に戻ると、独特の香りが出迎えてくれる。それは、いつもホッとさせてくれるものだ。普段、ティナとルルカだけの生活空間。慣れ親しんだ香りは、心に安らぎを与えるものなのだろう。
閉じたドアに背をかけ、封を切る。
丁寧に折りたたまれた上品な色使いの便箋を取り出し、書かれた文字を追った。
『ルルカ。しばらく顔を見せないが、元気でやっているかな? 突然お前が魔法の勉強をすると言って家を出てから、もう4年にもなる。お前のことだ。そろそろ、なんらかの資格を取った頃だと思うが……』
「あらあら、私はまだ何の資格も取っていませんわ。親バカですわね」
誰に言うでもなく、独りでつぶやいく。
『この間、サールンの近くでルルカらしい人物を見たと、使用人の一人が言っていたが……それが本当なら、家に寄っていけばよかっただろう。最後にお前が帰ってきたのは1年も前。メリアも心配しているぞ』
メリアというのは、ルルカの母親の名前だ。ルルカも少し懐かしそうに目を細める。
『そうだ。その話をロナルド君に話したら、自分が会いに行ってみると言っていたよ。馬車で向かうだろうから、月初め……そうだな。試験のある日だったと思うが、その日には到着……』
「冗談じゃありませんわ!」
そこまで読んだルルカは、ハッキリ動揺した。
読み終わっていない手紙をポケットに押し込み、ドアノブに手をかける。なんとしても、彼を学園に到達させまいと、一気に階段を駆け下り……ようとして、急ブレーキ。
「……………………」
何を考えているのか、数秒ほどそのまま固まっているルルカを、訝しげに生徒たちが眺めている。
「やっぱり、このままじゃダメですわね」
再び猛ダッシュで部屋までとってかえすと、引出しから消臭スプレーを取りだし、全身くまなくあびせた。そして……
普段使っている香水の、さらに奥に隠れているビンを取り出す。
これの存在など、すっかり忘れかけていた。
「……1年ぶりですけど……まだ使えますわよね」
フタを開き、香りを確かめてみる。どこか懐かしい香りが部屋の中に解き放たれる。
衰えぬ香りを確かめたルルカは、フタを閉じ、シュッと数回体に吹きかけた。
春の陽気とはいえ、少し暑いと感じるほどよく晴れていた。
校門を出たルルカは、ブルギールの街に向かって、足早に歩いていく。ともかく、少しでも早く学園から離れたいのだ。
だが、間の悪さというのは、こういう時にこそ起こるのかもしれない。
「あれ〜? 何やってるんですか、ルルカさん?」
ちょうど、街へと続く橋の近くまで来た時だ。
「え? あ、メイプルちゃん!」
うかつだった。メイプルが買い出しにでていることは知っていたのに……来るであろうロナルドの馬車だけに気をとられ、メイプルに気付かなかったとは……
どうやら、アクスを荷物持ちに連れていったようだ。大きな荷物を持って、フラフラと歩いてくる少年の姿も見える。
「お姉さまに付き添ってるんじゃなかったんですか?」
「そのつもりだったんですけど……ちょっと用ができたんですわ。おほほほほ」
自分でも、動揺していることがよく解った。タラリ、と頬に伝う汗の感触。
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜?」
「な、なんですの、その目は……」
メイプルも、どこか態度が怪しいと気付いたのだろう。グルーっとルルカを観察しながら、一回り、ルルカの全身を吟味していたが……
「わかったわ! ルルカさん、昔の男に会うのね!」
ドキーーーーッ!
正直、メイプルの野生のカンに脱帽だった。ルルカは気持ちの整理ができず、自分でも驚くぐらい平静を欠く。
「な、なぜ、そうなるんですの! 私はただ……ティナさんにお祝いの品でも贈ろうかと思いまして、買いにいくところですわ」
なんとか反論するも、次のメイプルの一言に、ものすごく後悔することとなった。
「香水がいつもと違う」
……………………。
どうしよう。
「ただの、気分転換ですわ!」
「どうして、そんなにムキになるんですか〜?」
メイプルは、突っ込むのがなんとも楽しそうだ。いつもルルカにやられているから、ここぞとばかりにお返ししようと思っているのだろうか。
(私としたことが……このままじゃ、ネタにされてしまいますわ)
「別に、ムキになんてなっていませんわ」
メイプルに言われたことで、急に言葉のトーンを下げるルルカ。しかしこれも、非常に不自然な現象なのは間違いない。まだ、ルルカは本来の落ち付きを取り戻していないようだ。さらなる突っ込みがきてもおかしくなかったのだが……
街のほうからやってきた馬車の音に振り向き、慌てて橋の横に避難する。
上品な装飾がほどこされた大きな車体が、こちらに向かってきていた。それを見た瞬間、ルルカは落胆した。
(あぁ、間に合わなかったですわ……)
「止まって!」
車体の中から、聞き覚えのある声が聞こえ、馬車は急停車。まぁ、こうなることはわかっていた。微妙に引きつった顔で、馬車から降りてくる少年を出迎えるルルカ。
「やぁ、ルルカ。4年ぶり。迎えにきてくれたのかい? 感激だなぁ……はっはっは」
馬車から降りてきたのは、16歳ほどの少年。白を基調に、青と金色がほどよく飾り、上品な衣装での登場だ。そして、当然のごとくルルカの手をとる。
「さぁ、それじゃあ行こうか、ルルカ」
嫌そうな顔をするルルカだが、諦めたような表情を見せると、その少年――ロナルドと一緒に馬車に乗り込む。ドアが閉じられ、馬車は向かう方向を180度回転させていく。
窓から、ポカーンとこちらを眺めているメイプルに、
「このことは、くれぐれも内密にお願いしますわ」
誰に、とは言わなかったが、ティナに言わないようにと釘をさしていることは、メイプルにもわかることだろう。
馬にしたたかなムチが入り、馬車は走ってきた道をブルギールへと戻っていく。
ルルカは、隣に座る幼馴染みの顔に、チラリと目だけをを向けてみた。
しかし、彼はすでにこちらに顔を向けていて、慌てて視線を逆方向に流す。
「そんなに恥ずかしがることないじゃないか、ルルカ。君がそんな態度を取るなんて、何か心境の変化でもあったのかい? 例えば、僕に会いたくてしかたがなかったとか……はっはっは」
いきなり、勝手な想像を振りまくロナルド。
(あいかわらずですわ、このヘナチョコ)
イライラしながらも、変わり映えのない態度に、ルルカは完全にあきれかえっていた。「ルルカは自分のことが好きだ」という思い込みも、神経を逆なでする高笑いも。なにもかも、以前と全くかわっていない。
「ここに来る途中で、いいお店を見つけたんだ。積もる話はそこでしようか。はっはっは」
ともかく、適当にあしらって、さっさと帰ってもらおう。
深く長ーいため息を、ロナルドの閑話を聞き流しながら、ゆっくり吐き出した。
ブルギールのメインストリート。
みやげもの屋、果実酒専門店、宿泊施設に飲食店。観光客に的をしぼったお店が、ずらり建ち並ぶ。
とはいえ、地元の人間が利用しないわけではない。ルルカも、利用したことがある店は結構あるのだ。ルルカが地元人と言えるかは別だが。
そんな人の多いメインストリートを馬車で移動することは、正直、迷惑なもの。が、ロナルドの馬車は、そんな迷惑をおしのけて、目的の喫茶店の前に停車するのだった。
白を基調に、水色のラインをうまく使った清潔感のあるお店。オープンテラスもあって、若い女性に人気がありそうだ。夏であれば、涼しげなイメージから客足が獲得できそうだが、冬にはどんなものだろうか。
……というか、実はルルカも知っている店だった。
「ほら、どうだい? まさに、僕たち2人を祝福しているようなこのデザイン。素晴らしいじゃないか! はっはっは!」
「あー、そうですわねー」
いちいち突っ込んでいたら身が持たない。
何せこのロナルド、ルルカがフライングキックかまそうが、首狩りを決めようが、締め技で落とそうが、めげることなく、この調子でルルカにアタックを続けてくるのだ。やっても無駄な労力なら、しないほうがいい。ルルカはそうして、逆に無視するようにしていたのだが……
その変化が、このロナルドには「はじらい」と取られたからたまらない。
ロナルドとルルカは、サールンの武術教室で一緒に武術を習っていた仲。だが、彼に嫌気のさしたルルカが、まったく別方面の「魔法」に転向して逃げ出した。全寮制のフェアリー学園はうってつけで、さすがにロナルドも大人しくしていたというのに……
今日……そう、よりによって今日、こんな形で会うことになろうとは。
「魔法はどうだい、ルルカ」
注文した料理を食べる最中も、食後のコーヒーを飲みつつも、ロナルドは話を途切らせない。
「やはり、青よりピンクですわね」
「は??」
ルルカは、ロナルドの青い髪を見てそう答えた。
ロナルドは何のことだかわからないだろうが、それでいい。どうせ説明する気はないのだから。
「……まぁいいか、はっはっは。それより、ルルカ、勝負しないか?」
意味がわからない話は、さっさと自分のわかる話に持っていく。あくまでも自分中心で話をしたがるのだ、このロナルドという男は。
「なんですの、突然」
「僕が勝ったら、正式に婚約すると約束しただろう? はっはっは。今日は自信あるのさ」
そういえば、そんなこともあった気がする。
まだサールンにいた頃、あまりにしつこいので、ルルカは勝負を申し出たのだが……実力差から考えて、ルルカが負けることなどありえなかった。負けても負けてもロナルドは挑んできたが、そのうち諦めるだろう……そう思っていたのだが……どうやら、まだまだその気配はない。
「凝りませんわね。いつも、私に指一本ふれることもできないですのに」
「あれから4年。僕だって遊んでいたわけじゃない。でも、ルルカは魔法の修行で、体術はブランクがあるじゃないか。充分、勝機はあるよ。はっはっは」
「……聞き捨てなりませんわね……」
少し、こめかみがピクピクした。
「あなた程度、多少のブランクがあろうと、私の相手ではありませんわ。それに……」
ポケットに忍ばせたマジカルオーブを、何気なく掴み取ると、
「『灼熱の紅き輝き、我が手指に宿れ』」
少し威圧的に感じるよう、わざとユックリ静かに呪文を唱える。
自分で作ったマジカルオーブだ。こんな場面でもいいから、少しでも使っておきたいと思った。ルルカの人差し指に、赤い輝きがゆらめく。
「この通り、魔法の分、以前より強くなれましたわ」
ロナルドの様子を見てみると、少しおじけづいた感があった。どうやら、この脅しは結構きいたようだ。
「と、ともかく。僕は何度でも君に挑戦するよ」
さて、2人がやってきたのは、街の脇にある草原。やはり街中では戦えないし、このブルギールに道場はない。あるとすれば、学園の魔法訓練所だが……学園に来てほしくないルルカは教えなかった。
あれから2人はお互いに言葉は交わしていない。ロナルドは真剣勝負の前のため、ルルカは最初から自分から話す気はない。当然、ロナルドが黙れば会話はなくなるというものだ。
数メートルの距離をおき向き合う2人。
誰かが合図をするわけでもない。2人も合図などしない。戦いは、2人の間でいつの間にか始まる。
ロナルドが走る。
ルルカは、迎え撃つべく構えを取った。
ロナルドの足が大地を蹴り、空に舞う。いきなり飛び蹴りだ。
ルルカは、スッと右の方に数歩移動した。
ズザォドゴァメキョ!
ロナルドは、そのまま体勢を立て直すことなく、頭から地面に墜落してしまった。
「以前と何もかわっていませんわね……」
何度同じ場面があったことか……過去のリプレイを見ているかのような光景に、ルルカは完全にあきれ果てた。失敗の教訓がまったく生かされていない。
しばしの間。
ムクッと起きあがるロナルド。額から赤いものが流れ出ていた。
「はっはっは……さすがルルカ。腕を上げたじゃないか」
「私は何もしていませんわ」
ただロナルドが自滅しただけで、いきなり勝負は終わってしまった。せっかく、こんな場所まで来たというのに、全く意味がなかった。
ともかく、勝負はルルカの勝ちとなったのだ。ロナルドを追い返す絶好のチャンス到来だ。
「そんな程度じゃ、私に勝つには千年はかかりますわね、ロナルド。千年鍛えて出なおしてくることですわ」
さらりとムチャなことを言う。
「そんなに年月が経ったら、僕らは生きていないじゃないか。はっはっは」
こちらも、冗談なのか本気なのかわからない笑いで返す。なんだか良く分からないやりとりだ。
ロナルドは、パタパタと服についた土ボコリを払う。
「しかたない。もう一度、師匠に鍛えてもらおう」
「師匠? 誰ですの?」
いつのまにそんな相手がいたのか。聞いたことがなかったルルカは、少し警戒する。その師匠とやらがもし、スゴイ人物だったとしたら……いかにロナルドといえど、大化けするかもしれない。
「この間、サールンにやってきた占い師さ。見てもらったら、僕がなかなか勝てないのは、家の間取りが悪いからだって言われてね。さっそく工事したのさ。はっはっは」
(それは、絶対にサギですわ)
「それでもルルカには勝てない……まだ何か至らないものがあるに違いないのさ。帰ったら、さっそく見てもらわなくては。はっはっは。それじゃルルカ、次こそ婚約を勝ちとってみせるよ」
はっはっは、と笑いつつ、草原を走っていってしまった。おそらく、このままサールンに戻るのだろう。
「………………とりあえず、学園に到達するのは阻止できましたわね」
もし、ロナルドの学園侵入を許していたらと思うと……きっとロナルドは、あることないこと先生生徒に話し続け、ルルカの学園生活が崩壊する危機だったに違いない。
そろそろ太陽も西に傾いてきている。
ロナルドも追い返したことだし、そろそろ学園に帰らなくては。ティナの結果も気になるし、メイプルが企画したパーティーにも遅れてしまう。
「ロナルド……また来ますわね、あの様子では」
学園に足を向け、ルルカはつぶやく。
戻ったら、まずは香水を替えるつもりだ。実は、今つけているのは、誰であろうロナルドがルルカにプレゼントした香水なのだ。そして、普段ルルカが使っている香水は、ルルカに合う香りをティナが選んでくれたもの。当然、ルルカはティナの選んだ香水を使っていたが、今回は特別だった。
ロナルドは、この香水をずっとルルカが使っているものと思っている。別の香水をつけて会おうものなら、他に男ができたのかとか、いろいろと面倒なことになってしまう。ロナルドは、こういうことには意外と鋭いのだ。
「この香水は、ロナルドと私の……」
少し、ルルカは笑った。
「ギリの象徴ですわ」
意地悪い笑みを浮かべたルルカは、やっぱりルルカだった。
魔法使い見習い・ピックコレクターの少女。
ロナルドをイジメるのも、なかなか楽しいと思う1日だった……
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