ラ・ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノindexへ
  Il Saluto del Presidente del Consorzo della Denominazione San Gimignano
サン・ジミニャーノ名称委員会会長の挨拶

   Il Presidente di Consorzo della Denominazione San Gimignano
                      サン・ジミニャーノ名称委員会会長
                        Vasco Cetti (Poderi del paradiso)
                ヴァスコ・チェッティ氏(ポデーリ・デル・パラディーゾ)


PODERI DEL PARADISO
ポーデリ・デル・パラディーゾ

Loc,Strada,21A 53037 San Gimignano SIENA
Tel/Fax:39(0)577-941500
オーナー:グラツイエッラ・カッペッリ・チェッティ


  我々の歴史の中には、"伝説的英雄"や"偉大なる聖人伝"が登場してきません。代わりに現れるものは、"現実"という長い長い歴史の中に絶えず繰り返され続けてきた"事実たち"が否応に我々に語りつける"真実"且つ"詩的な世界。  

 "ヴェルナッチャ種"とは、その起源が謎めいたものであり、それが故に、我々にとっても何とも魅力的なものでことは承知の"事実"、そしておそらくギリシアから持ち込まれ、我々の大地のみにおいて根付き、他の地方への果敢な苗付けも、これから確実に試されていくだろう品種であることが"真実"と描けるでしょうか。  

 既存する最初の歴史的記述は11世紀中頃にさかのぼり、既にヴェルナッチャ種が高貴な品種とみなされ始めていたことを語り付けてくれています。そして更に多くの歴史的証言がこの記述を裏付けているのは、14,15世紀頃でありました。  

 ですが、17世紀初頭、舞台に変化が現れます。多くのヴェルナッチャ種苗が消え失せ、僅かに残るものは他のワインのボディの付け足しに終わってしまっていました。歴史はほぼ完結したかのように見受けられ、"葡萄苗の耕作者"の家系が絶え失せたかのよう。我らが田園は無残に放置された谷間へとその姿に変貌を遂げます。  

 とは言え、古きヴェルナッチャの核心は、例え僅かながらもその鼓動を鳴らし続けていて、それが"ヴェルナッチャ認定委員会"の生誕を呼び起こしたのでしょう。  

 それは、1972年のことでした。この年、良識を持った農耕業者の一団が、ヴェルナッチャの再認識による多大な経済的効果の到来を予感し、生産者たちによる細やかな規則を定めることにより、やっと、1996年にイタリア最初のワインとして捧げられた"Denominazione d`Origine Controllata(原産地統制名称)"の本質を生み出すための委員会を設立する事を決めたのであります。  

 この委員会が偉大な歴史を取り戻したことに注目を置くことは正しいと言えるでしょう。しかしながら、むしろ大事なことは、既に完成しているワインを祀り上げたのではなく、新たなるスタートに自ら着手し、大望のレベル、そして拠点となる大地を広げるという勇気ある方法で成し遂げたことでしょう。  

 こうして、多くの苦労や負担の後、"La Denominazione d`Origine Controllata e Garantita(原産地統制保証名称)"が訪れ、ヴェルナッチャ委員会からサン・ジミニャーノ名称委員会へ、全ての農産品とその環境整理に価値と未来性へ見出す組織として、その大望を育て上げたのであります。  

 今日となっては誰一人としても、人々が帰り咲き、愛情により耕されているこの丘陵が再び生き返ったことが唯の偶然の産物とは考えないでしょう。もし、人類と自然のハーモニーの再発見に留まらず、豊か且つ幸福に溢れた人類と大地の和解に参列しようものなら、大変な苦労を伴う選択、容易どころか近代的農業の新しいシステムであり、そして彼らはこの"アグリトゥリーズモ"というものを通して、新しく、必要性に満ち、街の経済的繁栄に意味あるハイ・クラス観光的滞在の要求に対する回答を学びさえもしたのであります。  

 我々は田舎屋の日陰にのんびりと座り込んでしまうべき時が来ていないことを自覚しています。それどころか、自らに与えた試練に最大の敬意、そして市場の需要や時代の革新に必要とされる注意を払いながらも、まだまだ成長し続けていかなければならないのです。  

 我々はこの挑戦、いつの日も手強い相手を目の前にするであろうこの挑戦に勝ち続けていきたい。そしてそれに挑み勝ち抜く為の武器として、知能、柔軟性、そして歴史と肩に背負い続けてきた労力の成し得た遺産を用いていくでしょう。  

 我々は自信に溢れていますし、それに誇りを感じてもいます。  

 何故なら、我々は"美しき教会の建築者"であると同時に"葡萄苗の耕作者"の家系でもあるからです。