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Grande incontro nel piccolo atelier(とある友情物語)

  TOUS LES MATINS DU MONDE
      (トゥ・レ・マテン・ドゥ・モン)







       Piazza Sant`Agostino,10 53037
         San Gimignano(Siena)
        Tel:+39(0)577−907006

        E-mail: gioiasulas@libero.it (Gioia Sulas)
            Loc,Cellole,64 (Casa)

        E-mail: ryoko0125@hotmail.com(Ryoko)
       (注:リョウコさんへのメールはローマ字にてお願いします)


 GIOIA SULAS & RYOKO(ジョイア・スラス&リョウコ)
              
           ジョイアさんの作品

            リョウコさんの作品

                       とある友情物語

 ここ、芸術の街”サン・ジミニャーノ”は片隅の小さなパラダイス、”サンタゴスティーノ広場”の一角で、あるひとつの友情が生まれていた。

 北イタリアはトリエステに生まれ、フィレンツエにて陶器を学び、ミラノなどで主に制作活動していた 「ジョイア・スラス」さんがここトスカーナに落ち着いたのはこの十年来。2児の母として多忙を極めながらも、郊外での「陶芸教室」など、様々な形でその意欲的な活動を展開しているアーティストである彼女だが、ここ、「伝統的製法」の深く根付いた中部イタリアの陶芸の世界において、彼女の作品はまさにオリエンタルなもの。
 ひとりのアーティストとしての若き日、型にハマッタ横一列の作風がどうしても好きに慣れなかった彼女が出逢ったものは、とある一冊の日本の陶芸の本。白色を基本にマル型一辺倒で、その大きさにも限られたバリエーションしか持たぬ西洋陶芸と違い、無数に変化していく淡い色合いの流れるような変化のその様や、形、深さ、大きさなどなど、彼女の目には、あらゆる意味に於いて「自由奔放」なスタイルに溢れる「真の芸術」に映ったと言う。
 「作品は売れなければいけない」
 日本においての爆発的なイタリア・ブーム同様、ここイタリアにてもちょっとした日本ブームが沸き起こっているとは言え、まだまだその深く偉大な伝統の前に、なかなかその買い手が伸びない状況の中、彼女がこの街”サン・ジミニャーノ”を選んだ理由は、その観光客の多さであったのだろう。だがしかし、それが、「自分の作品のルーツである日本に行ってみたい」と常に叶わぬ夢を見続けていた彼女に、次なる「出逢い」を呼び起こした結果にも繋がるのである。
 2000年秋のこと、ひとりの日本人女性が彼女の店を訪れる。その名前を「リョウコ」といい、シエナにて語学勉強をしているとのこと。聞けば、自分のの作品が彼女の思う理想的なものであるから、学ばせて欲しいと言う。そんな唐突な願いに彼女は戸惑った。まず第一に、自分が行きたいくらいに憧れている日本からの「研修要請」であること、そして嬉しい気持ちいっぱいながらも、「人の面倒をみる」という、忙しい生活の重荷にもなりかねない要請を聞き入れて良いかどうかを。
 リョウコさんには、日本である程度の陶芸経験があった。だがしかし、歴史的な封建主義の賜物、「意味なく長い修行以前のお手伝い」に物事の正当性を見出せず、辛い思いをしたことも多いという。そんな中で、ふとした語学への興味からこのイタリアへ渡り、フィレンツエ、シエナと片っ端から「自分の求め続けていた何か」を探し歩き、そして、ここ”サン・ジミニャーノ”でそれに出逢ったのである。だが、ジョイアさんは学校を経営しているわけではない。宿など全ての生活手段を提供してくれる「施設」があるわけではないし、第一そんなことで迷惑を掛けてはいけない、「学びたい」のは自分自身なのだから・・・そんな、一途なリョウコさんの姿がジョイアさんに与えたものは、熱意、強い意志、献身的な努力・・・そしてある種の感動めいたもの。
 こうしてふたりの生活が始まった。当初は、お互いがお互いを模索し合っていたのであろう。決して、愉しい事ばかりが続いたわけではない。「芸術創作」というもの、本来ひとりのアーティストの手と”センス”から生まれるもので、そこへ新たな手が加わってくると、たとえそれが「心を許した長年の友」であっても、まず良い結果は現れるものではない。ここでも、そんな数々の経緯の相違はあったと言う。だが、そんなひとりのアーティストとしての自分の主義に徹底していたジョイアさんが、「リョウコさんの作風」に見出していたものは、「研ぎ澄まされたセンス」。準備の手伝いなども担当させながらも、どんどんひとりで造らせてみては、彼女の作品をお店の一部に並べ始めた矢先、フィレンツエで行われたとある展覧会で、ジョイアさんの作品は勿論、リョウコさんの作品も大変な評価を受ける。大抵、アーティストというものは自分以外の評価に対して、羨望的な態度を示すものだが、ジョイアさんはその時の気持ちを隠さず表してくれた。

 「ただただ、嬉しかった。まるで、自分の子供の出来事であるかのように」

 リョウコさんは言う。

 「ジョイアさんが私に与えてくれたものは、何か掛け替えのない大切な物。どう、感謝して良いか分からない。」

 ジョイアさんも続ける。

 「いま、彼女とこうしていれて本当に愉しく、そして嬉しい。このままいつまでもこうあれば良いのだけれども・・・。」

 ジョイアさんは当然知っている。いつか・・・、しかもそんなに遠くない将来、彼女がここを去っていってしまうことを・・・。

 今日、当たり前のように騒がれている「文化交流」とはなんであろう。経済効果を生み出す「スターの輸出入」ですか?それとも、「研修」の名を名乗る「労働力の補充」でしょうか?

 「文化」とは人間の生き様により生まれるひとつの行為です。そして「人間の生き様」というものは、決して個人の力量の成し得る産物ではなく、周囲を取り囲む様々な人々達との、出逢い、口論、衝突、許容、抱擁、そして・・・愛・・・それぞれどの要素でも欠けたら成り立たぬ人間模様、つまりドラマです。

 
ドラマとは、人のいるところ世界中どこにでも起き得るものです。でも不思議ですね。人はその人生の中でそれに気が付かないでやり過ごしてしまうことが往々にあるものです。恐らくそれは、問題や困難を目前にした時、無意識にしろ意識的にしろ、それを予期して避けてしまうから、そしてそれはきっと、他人、又は自分に対して"正直"でいることを忘れてしまっているからなのでしょう。

 眩しい光が辺り一面を煌々と照らす、7月の美しき丘”サン・ジミニャーノ”の片隅に出逢った、とある二人の素晴らしき勇気ある”正直”な女性達の友情物語でした。

                                                2001年7月3日 土居 昇用