昨年は敦賀に吹雪の中行ったものでした。今年も、2月25日が近づいて来ました。
新聞のTV欄に「桜田淳子」の名前を初めて見つけたのは、1973年3月22日(木)の「歌え!ヤンヤン!」でした。郷ひろみ、麻丘めぐみ、西城秀樹、青い三角定規、森昌子、南沙織、フォーリーブスが最初の共演者でした。
初々しい頃、こうした芸能界の先輩方とどのようなときめきを感じながら、懸命に歌っていたのでしょう。楽屋では先輩からどんなアドバイスを受けたり、悩み事などを相談してのでしょう。
同じレコード会社の麻丘めぐみさんでしょうか。そうした役割を担っていたのは、と思ってしまいます。
ヒデキには憧れの気持ちで聴いていたのでしょうか?
先日亡くなられたター坊とも会話はあったのでしょうか?
「危機一髪の女」で共演した公ちゃん、トシ坊とは会話はこの日弾んだのでしょうか?
通称クーコこと西口久美子(青い三角定規・22日BIG ECHOのGSイベントに出演)とは、楽屋で何を話していたんでしょうか?
この頃、未だ秋田訛りは健在だったのでしょうか?
この日、TV局の食堂では何を食べていたんでしょう?
文字だらけのデータと言っても、このように想像の翼を広げれば無限に広がっていきます。
[2009年2月19日 1時21分41秒]