ごあいさつ | |||||||||||
このコーナーは牧場主アムランが長年様々な資料を読み研究推理している古代エジプトについての資料コーナーです。素人研究なので至らないことがあるかもしれませんが、参考文献などを明記して順次整理してまいりたいと思います。 Egyptというと現代ではイスラム国家のイメージが大きいと思いますが、世界の4大文明の発祥の地の一つでもあります。 ここでは古代Egypt文明についての研究資料をまとめていきます。 |
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古代エジプト文明レビュー
主な時代区分 ・初期王朝時代 (第1,2王朝) 上エジプト出身のメネス(ナルメル)により統一 ・古王国時代 (第3〜6王朝) ピラミッドの建設の時代 ・第一中間期 (第7〜10王朝) 群雄割拠による国内の混乱 ・中王国時代 (第11,12王朝) メントウヘテプ2世による統一 ・第二中間期 (第13〜17王朝) 再び国土分裂、ヒクソスによる下エジプト占拠 ・新王国時代 (第18〜20王朝) アハメスによる統一 王家の谷造営 兄妹結婚の奨励 ・第三中間期 (第21〜25王朝) 各地域に複数の王朝が並立した時代 ・末期王朝時代 (第25〜30王朝) アッシリアによる征服、2度に渡るペルシャ支配時代 ・プトレマイオス王朝 アレクサンダーによる征服、ローマの属州となった時代 |
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エジプト文明豆知識 | |||||||||||
古代エジプトの暦は、紀元前BC2772以降の一年が265日で、それ以前は月に基づいた暦であった。エジプト歴で12000年前ということは、一万年は265×1万で2650000日であり365日で割ると約7260年前となる。 | |||||||||||
古代エジプト用語集 順次掲載してまいります | |||||||||||||||||||
王家の谷 | ルクソールのナイル川西側地帯にある。新王国時代(約490年間)のファラオ達の地下岩窟墓が集中する谷。東の谷と西の谷にわかれており、主要な墓は東の谷に集中している。王家の谷にある墓は現在63あり、KV1〜63までの記号がつけられて管理されている。KVはKingsValley(王の谷)の略。新王国時代のファラオは50人以上いると言われているが、ミイラ自体は26体しか発見されていない。
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上エジプト | ナイル川上流地域をさす。 | ||||||||||||||||||
下エジプト | ナイル川河口の三角州(デルタ)地帯をさす。 | ||||||||||||||||||
カルトゥーシュ | ヒエログリフで表記された王名を囲む楕円形の枠のことをさす。第4王朝の初代のスネフェル王の頃から使用されるようになった。 | ||||||||||||||||||
カノプス容器 | 通常4個で一組のミイラ製造の際に除去した内臓を収める壺。肝臓・肺・胃・腸の4つにわけられた。ふたはホルス神の4人の息子の頭部の形で装飾され、さらにこの4つの壺を守る女神としてイシス女神・セルケト女神・ネイト女神・ネフティス女神が存在する。第4王朝初期のものが最も古い例である。 | ||||||||||||||||||
パピルス(紙) | パピルスはナイル川流域に自生する下エジプトを象徴する植物である。パピルスの茎を薄く剥いで細長い細片にした物を互いに直角になるように2層に重ねて密着圧迫して乾燥させて磨いたものがパピルス紙である。長いものでは40メートルに達するものも発見されている。 | ||||||||||||||||||
ピラミッド | エジプト語では「メル」と称する。エジプト語でピラミッドの高さ自体を意味する「ペル・ム・ウス」に由来するとも言われている。 王の墓や神殿や天文台など、建造目的に様々な説がある。奴隷によって作られたという説が有力であったが、国家事業として労働の対価(パン・ビール)を与えられた労働者が建設したことが確認されている。 エジプト全土に108存在し、最大クラスの著名なものがギザの三大ピラミッドである。 |
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ピラミッド(階段) | サッカラにある、第3王朝のジェセル王が建造した階段状のピラミッド。高さ60メートル、底辺の長さは140×128メートルある。最初は一段だったが六段に増築された。周囲を東西277メートル、南北545メートルの周壁に囲まれ。付属する葬祭殿もあわせたピラミッド・コンプレックス(ピラミッド複合体)としての建築計画もみごとなもので、古代エジプトの土木技術水準の高さがよくわかる遺跡である。世界最古の美しい青いタイルが張られた部屋があることでも著名。 | ||||||||||||||||||
ピラミッド(三大) | ギザにあるクフ王の第一ピラミッド(高さ146.6メートル現在は138.75メートル 底辺230メートル 角度51度52分)、カフラー王の第二ピラミッド(高さ143.5メートル 底辺215.25メートル)、メンカウラー王の第三ピラミッド(高さ66.5メートル 底辺103.4メートル)の総称。 | ||||||||||||||||||
ファラオ | 古王国時代から用いられていた「偉大な家」を意味する「ペル・アア」というエジプト語に由来する。元々は宮殿を意味する言葉で王自身を示す言葉ではなかったが、新王国後期から王自身を示す言葉として使用されるようになった。旧約聖書ではパロと表記されている言葉がファラオのことである。。 | ||||||||||||||||||
ヒエログリフ資料 |
広く知られているエジプトの象形文字は主にヒエログリフと呼ばれるが、三種類の書体があり、それぞれの呼び名がある。 |
・ヒエログ゛リフ(聖刻文字) 神聖文字とも呼ばれ、物の形を表現した非常に視覚的な文字である。第1王朝の初期までに成立し、次第に完成されたものである。初期王朝時代からローマ帝国支配時代の紀元後300年頃まで約3200年以上使われ続けた。主に神殿や記念碑などの碑文として装飾的なレリーフとして使用されている。 |
・ヒエラティック(神官文字) ヒエログリフをパピルスにペンで書くために発達した筆記体的な文字。主に文学作品や宗教文書に使用されている。 |
・デモティック(民衆文字) 末期王朝の紀元前600年頃おおよそ第26王朝くらいから使用され始めた書体でかなり簡略化されている。イメージとしてはアラビア文字に近い。主に手紙や文学作品に使用されている。ヒエログリフやヒエラティックに比べて書体的にも文法的にもかなりの変化がある。 |
ヒエログリフレビュー 古代エジプトではヒエログリフを読み書きできる者はごく少数であり、ヒエログリフを専門に扱う書記はエリートであった。そのためヒエログリフはヨーロッパの人間にとっては謎の文字であり。解読のきっかけは1799年にナポレオンがエジプト遠征を行い、ナイル川河口のロゼッタで発見した黒色玄武岩製の碑文にヒエログリフ・デモティック・ギリシア文字の三種類で刻まれていた文章が解読のきっかけとなった。ヒエログリフの解読はフランスのエジプト学者J・F・シャンポリオン(1790〜1832)によって1823年になされている。 |
文字としてのヒエログリフ 通常使用される文字は約700種類あり、母音を表記する文字がないことが特徴である。 一字が一音を表すヒエログリフは24存在する。 表記される場合ヒエログリフは日本語のように横書きと縦書きの2方向で使用され。左からも右からも書かれ、左から書き始めるときは、右から書き始めるときとは全く逆の裏返しの文字で書かれるという恐ろしいくらい自由度が高い文字である。 |
古代エジプト歴代王朝と王名 |
以下の年表資料はエジプトの諸王朝と各王の治世の正確な年代対照については、現在も様々な研究者の間で議論されています。 ここではジョン・ベインズ教授とヤロミール・マレク博士の共著「Atlas of Ancient Egypt」日本名「古代エジプト」吉村作治訳 朝倉書店 1983年刊で提示された年表を参考にし。 王朝の区分についてはマネトーの「エジプト史」に出てくる王朝名を便宜的に使用して総合的にまとめてあります。 王名については一人の王が複数の名称を持つ場合や発音表記に異説がある場合がありますが、おおむね最近のエジプトに関する書籍にでてくる表記を採用しています。 例として、メントウホテプがメンチュヘテプ。トトメスがトゥトモセ。センウセルトがセンウスレト等。王名の後の( )内は異称等。 |
先王朝時代 紀元前4500〜2920年 |
紀元前4500頃 エジプト初の新石器文化ファユームA文化が興る。農耕と牧畜もはじまる。 紀元前4200頃 上エジプトにブラックトップ赤色磨研土器をともなうバダリ文化が興る。 紀元前3700頃 アムラ(ナカダT)文化が興る。 紀元前3300頃 彩文土器をともなうゲルゼ(ナカダU)文化が興る。 |
初期王朝時代 紀元前2920〜2651年 |
第1王朝 紀元前2920〜2770年 各王の統治年代については不詳 メネス(ナルメル/ホル・アハ) ジェル ウァジ ジェト デン 上・下エジプト王の称号が使用されはじめる アジイブ(アネジブ) セメルケト カア |
第2王朝 紀元前2770〜2651年 各王の統治年代については不詳 ヘテプセケムウイ ラーネブ ニネチェル ペルイブセン カセケム カーセケム(ウイ) |
古王国時代 紀元前2650〜2180年 |
第3王朝 紀元前2650〜2575年 紀元前2650〜2630年 ネブカ 紀元前2630〜2611年 ジェセル(ネチェリケト) 階段ピラミッド造営 2620年頃 紀元前2611〜2603年 セケムケト 紀元前2603〜2599年 カーバー 紀元前2599〜2575年 フニ |
第4王朝 紀元前2575〜2465年 紀元前2575〜2551年 スネフェル 王の名前をカルトゥーシュの中に書くようになる 紀元前2551〜2528年 クフ(ケオプス) 大ピラミッド造営 2550年頃 紀元前2528〜2520年 ジェデフラー 紀元前2520〜2494年 カフラー(ケフレン) 紀元前2490〜2472年 メンカウラー(ミュケリヌス) 紀元前2472〜2467年 シェプセスカフ |
第5王朝 紀元前2465〜2323年 紀元前2465〜2458年 ウセルカフ 紀元前2458〜2446年 サフラー 紀元前2446〜2426年 ネフェルイルカラー 紀元前2426〜2419年 シェプセスカラー 紀元前2419〜2416年 ラーネフェレフ 紀元前2416〜2388年 ネウセルラー 紀元前2388〜2356年 ジェドカラー・イセスィ 紀元前2356〜2323年 ウナス |
第6王朝 紀元前2323〜2150年 紀元前2323〜2291年 テティ 紀元前2289〜2255年 ペピ1世 紀元前2255〜2246年 メルエンラー 紀元前2246〜2152年 ペピ2世 |
第一中間期 紀元前2180〜2134年(年代区分の異説あり) |
第7王朝 紀元前2150〜 ? 年 第8王朝 紀元前 ? 〜 ? 年 第9王朝 紀元前 ? 〜 ? 年 (ヘラクレオポリスの貴族王朝) 第10王朝 紀元前 ? 〜2134年(ヘラクレオポリスの貴族王朝) |
中王国時代 紀元前2134〜1783年(年代区分の異説あり) |
第11王朝 紀元前2134〜1991年(テーベの貴族王朝) 紀元前2134〜2118年 インテフ1世 紀元前2118〜2069年 インテフ2世 紀元前2069〜2061年 インテフ3世 紀元前2061〜2010年 メントウホテプ1世 紀元前2010〜1998年 メントウホテプ2世 全国統一 2040から中王国開始説が有望 紀元前1998〜1991年 メントウホテプ3世 紀元前?〜?年 メントウホテプ4世 王名のカルトゥーシュの存在確認されるも治世記録不詳 紀元前?〜?年 メントウホテプ5世 王名が伝承するも治世記録不詳 |
第12王朝 紀元前1991〜1783年 紀元前1991〜1962年 アメンエムハト1世 テーベ出身 紀元前1971〜1926年 センウセルト1世 紀元前1929〜1892年 アメンエムハト2世 紀元前1897〜1878年 センウセルト2世 紀元前1878〜1841年 センウセルト3世 紀元前1844〜1797年 アメンエムハト3世 中王国最盛期 紀元前1799〜1787年 アメンエムハト4世 紀元前1787〜1783年 ソベクネフェル 女王 1790頃中王国終焉説あり |
第二中間期 紀元前1783〜1565年 (年代区分の異説あり) 約200年騒乱 記録不正確80人前後の王と複数王朝が並立したために、年代が複合する |
第13王朝 紀元前1783〜1640年 セベクヘテプ3世 ネフェルヘテプ1世 アメニ・ケマウ 1750頃 ケンジェル 1745頃 第14王朝 紀元前 ? 〜 ? 年 第13王朝と第15王朝と並立同時期説あり 第15王朝 紀元前 1674? 〜1567?年 ヒクソス王朝 キアン アペピ 第16王朝 紀元前 ? 〜 ? 年 第15王朝と共存した小勢力のヒクソスの王朝と言われている 第17王朝 紀元前1650〜1567年 テーベを中心とする王朝 アンテフ7世 セケネンラー2世 紀元前 ? 〜 ? 年 ヒクソスとの戦闘中戦死 カーモス(カモセ) 紀元前?〜1565年 (1555〜1550説あり) |
新王国時代 紀元前1565〜1070年 |
第18王朝 紀元前1565〜1307年 紀元前1565〜1525年 アハメス テーベを都とする王朝を開いたのは1567年頃 紀元前1525〜1504年 アメンヘテプ1世 紀元前1504〜1492年 トトメス1世 紀元前1492〜1479年 トトメス2世 紀元前1473〜1458年 ハトシェプスト女王 トトメス2世王妃 紀元前1479〜1425年 トトメス3世 エジプトのナポレオン 征服王 紀元前1427〜1401年 アメンヘテプ2世 エジプトのヘラクレス 弓の名人 紀元前1401〜1391年 トトメス4世 紀元前1391〜1353年 アメンヘテプ3世 紀元前1353〜1335年 アメンヘテプ4世 (イクナトン/アクエンアテン) 紀元前1335〜1333年 セメンクカレ 紀元前1333〜1323年 ツタンカーメン 紀元前1323〜1319年 アイ 紀元前1319〜1307年 ホレンヘブ 軍人出身 |
第19王朝 紀元前1307〜1196年 紀元前1307〜1306年 ラムセス1世 紀元前1306〜1290年 セティ1世 紀元前1290〜1224年 ラムセス2世 エジプト領が最大になる モーゼの時代 紀元前1224〜1214年 メルネプタハ 出エジプト記の王 紀元前1214〜1204年 セティ2世 紀元前1204〜1198年 シィープタハ 紀元前1198〜1196年 タウスレト |
第20王朝 紀元前1196〜1070年 紀元前1196〜1194年 セトナクテ 紀元前1194〜1163年 ラムセス3世 海の民をナイル川河口で撃退 紀元前1163〜1156年 ラムセス4世 紀元前1156〜1151年 ラムセス5世 紀元前1151〜1143年 ラムセス6世 紀元前1143〜1136年 ラムセス7世 紀元前1136〜1131年 ラムセス8世 紀元前1131〜1112年 ラムセス9世 紀元前1112〜1100年 ラムセス10世 紀元前1100〜1070年 ラムセス11世 |
第三中間期 紀元前1070〜712年 |
並行して複数の王朝が存在した時期のために王名と治世と王朝の時期的区分が非常に曖昧な時期のため、今後の研究成果を期待したい時期。末期王朝とかぶるために複雑な年表表記になっていることをおことわりします。 |
第21王朝 紀元前1070〜945年 紀元前1070〜1044年 スメンデス 紀元前1044〜1040年 アメンエムニスウ 紀元前1040〜 992年 プスセンネス1世 紀元前 993〜 984年 アメンエムオペ 紀元前 984〜 978年 オソルコン1世 紀元前 978〜 959年 スィアムン 紀元前 959〜 945年 プスセンネス2世 |
第22王朝 紀元前945〜712年 紀元前945〜924年 シェションク1世 紀元前924〜909年 オソルコン2世 紀元前909〜 ? 年 タケロト1世 紀元前 ? 〜883年 シェションク2世 紀元前883〜855年 オソルコン3世 紀元前860〜835年 タケロト2世 紀元前835〜783年 シェションク3世 紀元前783〜773年 パミ 紀元前773〜735年 シェションク4世 紀元前735〜712年 オソルコン4世 |
第23王朝 紀元前1070〜712年 テーベ、ヘルモポリス、ヘラクレオポリス、レオントポリス、タニスの地域を本拠とする様々な王朝が並行存在した 第24王朝 紀元前724〜712年 サイス地域の並行存在王朝 |
末期(後期)王朝時代 紀元前712〜332年 |
第25王朝 紀元前770〜657年 ヌビアとテーベ地域を支配した王朝 紀元前770〜750年 カシュタ 紀元前750〜712年 ピイ(ビアンキ) 紀元前712〜698年 シャバカ 全エジプト再統一 紀元前698〜690年 シェバトゥコ 紀元前690〜664年 タハルカ 紀元前664〜657年 タンタマニ |
第26王朝 紀元前664〜525年 紀元前672〜664年 ネカウ(ネコ)1世 紀元前664〜610年 プサムテク(プサメティコス)1世 紀元前610〜595年 ネカウ(ネコ)2世 紀元前595〜589年 プサムテク(プサメティコス)2世 紀元前589〜570年 アプリエス 紀元前570〜526年 アハモセ2世(アマシス) 紀元前526〜525年 プサムテク(プサメティコス)3世 |
第27王朝 紀元前525〜404年 ペルシアによるエジプト支配 紀元前525〜522年 カンビュセス 紀元前521〜486年 ダレイオス1世 紀元前486〜466年 クセルクセス1世 紀元前465〜424年 アルタクセルクセス1世 紀元前424〜404年 ダレイオス2世 |
第28王朝 紀元前404〜399年 紀元前404〜399年 アミルタイオス |
第29王朝 紀元前399〜380年 紀元前399〜393年 ネフェリテス1世 紀元前393〜393年 プサムティス 紀元前393〜380年 ハコル(ハコリス/アコリス) 紀元前380〜380年 ネフェリテス2世 |
第30王朝 紀元前380〜343年 紀元前380〜362年 ネクタネボ1世 紀元前365〜360年 テオス 紀元前360〜343年 ネクタネボ2世 |
第二次ペルシア支配時代 紀元前343〜332年 紀元前343〜338年 アルタクセルクセス3世 紀元前338〜336年 アルセス 紀元前335〜332年 ダレイオス3世 |
ギリシア・ローマ支配時代 紀元前332〜紀元後395年 |
マケドニア王家支配時代 紀元前332〜304年 紀元前332〜323年 アレクサンドロス大王 331アレキサンドリア市建設 紀元前323〜316年 フィリッポス・アリダイオス 紀元前316〜304年 アレクサンドロス4世 |
プトレマイオス王朝時代 紀元前304〜30年 治世の重複や後見や共同統治が多いため年表は複雑となっています。 紀元前304〜284年 プトレマイオス1世・ソテル1世 即位は305年 紀元前285〜246年 プトレマイオス2世・フィラデルフス 紀元前246〜221年 プトレマイオス3世・エウエルゲテス1世 紀元前221〜205年 プトレマイオス4世・フィロパトル 紀元前205〜180年 プトレマイオス5世・エピファネス 紀元前180〜164年 プトレマイオス6世・フィロメトル 紀元前163〜145年 紀元前170〜163年 プトレマイオス8世・エウエルゲテス2世 紀元前145〜116年 紀元前145〜 年 プトレマイオス7世・ネオス・フィロパトル・クレオパトラ3世 紀元前116〜107年 プトレマイオス9世・ソテル2世 紀元前108〜 88年 クレオパトラ3世・プトレマイオス10世・アレクサンドロス2世 紀元前 88〜 81年 プトレマイオス9世・ソテル2世 紀元前 81〜 80年 クレオパトラ・ベレニケ 紀元前 80〜 年 プトレマイオス11世・アレクサンドロス2世 紀元前 80〜 58年 プトレマイオス12世・ネオス・ディオニュソス 紀元前 55〜 51年 紀元前 58〜 55年 ベレニケ4世 紀元前 51〜 30年 クレオパトラ7世 (世界史に有名な女王はこの7世) 紀元前 51〜 47年 プトレマイオス13世 紀元前 47〜 44年 プトレマイオス14世 紀元前 44〜 30年 プトレマイオス15世・カエサリオン |
ローマ帝国支配時代 紀元前30〜紀元後395年 紀元前 30〜紀元後 14年 アウグストゥス 紀元後 14〜紀元後 37年 ティベリウス 紀元後 37〜紀元後 41年 カリグラ 紀元後 41〜紀元後 54年 クラウディウス 紀元後 54〜紀元後 68年 ネロ 紀元後 69〜紀元後 69年 ガルバ 紀元後 69〜紀元後 69年 オトー 紀元後 69〜紀元後 79年 ヴェスパシアヌス 紀元後 79〜紀元後 81年 ティトゥス 紀元後 81〜紀元後 96年 ドミティアヌス 紀元後 96〜紀元後 98年 ネルヴァ ローマ5賢帝 紀元後 98〜紀元後117年 トラヤヌス ローマ5賢帝 紀元後117〜紀元後138年 ハドリアヌス ローマ5賢帝 紀元後138〜紀元後161年 アントニヌス=ピウス ローマ5賢帝 紀元後161〜紀元後180年 マルクス=アウレリウス=アントニヌス ローマ5賢帝 |
※ 紀元後395年はローマ帝国が東西に分裂した年 |
ミニコラム |
エジプトの歴代の王朝とファラオについてはミイラが存在し、また存在しなくても間違いなく在位の確認のできているファラオも相当います。 しかし、王名のみ伝わり、在位が確認できなかったり、在位の確認できているファラオであっても在位期間が必ずしも正しいとは限らないファラオも多く、今なお研究課題が残っています。上記の資料も確定している部分もありますが、今後の研究と新たな発見があれば書き換えられる可能性を秘めています。 謎なのは王朝の区分の基準です。研究資料では、血縁関係によって区分されているという説が有力ですが、一概にそうとは言い切れず。 むしろ、地域の地縁的なつながりで区分されているのではないかという気がいたします。研究者の間でも謎とされていますが、マネトーがどんな資料を使用して王朝を区分したのかが不明にもかかわらず、今日にいたるまで第1王朝から第30王朝の区分が便宜的にとはいえ使用されているのは便利だからなのでしょうね。 |
マネトーについて |
プトレマイオス朝時代の紀元前3世紀(BC301〜BC200)頃の神官であり。ギリシア語で書かれた「エジプト史(BC280頃)」は、ヨセフス、アフリカヌス、エウセピウスなどの後世の歴史学者達の写本によって知られているものである。現在のエジプト学者は便宜的にマネトーの王朝区分を用いています。 |
古代エジプトは様々な神がいる多神教の世界であった。元々はエジプト各地のそれぞれの町を守護する神が信仰されて全土に広まった神が多い。 | |
アテン(アトン)神 | 太陽円盤(太陽光)から下部に向かって伸びた光線を表す直線の先端に手のついた図象で表される。元々は太陽の象徴であったが、新王国時代に入り太陽神として神格化された。特に第18王朝のイクナテン王により唯一神としてアメン神に代わる最高神とされた。 |
アトゥム神 | 宇宙の中で最初に存在した神として、口から大気の神であるシュー神とシュー神の妻であるテフネト女神を吐き出して創造したとされる。 |
アヌビス神 | 死者の世界の神とされ、山犬の頭を持つ。墓地の守護者であり、ミイラ作りの神である。「死者の書」の死者の生前の行為の審判の場面では、死者の心臓を秤にかけて計量する役目を持つ。 |
アビス | 古代エジプトの聖なる牡牛。角の間に太陽を載せた牡牛の図象として表現される。 |
アメン(アモン)神 | 本来テーベの守護神。中王国時代にテーベに都が置かれるようになってから信仰され、太陽神ラーと習合してアメン・ラー神となり国家の最高神として祭られるようになった。神殿としてはテーベのカルナックのアメン大神殿が著名。 |
イシス女神 | 元々のエジプト名はアスト。オシリス神の妻であり、ホルス神の母。頭上に玉座を載せた姿で図象される。死者の内臓を守る4人の女神の1人でもある。 |
ウァジェト(ウト)女神 | 下エジプトの王の権力の守護神。下エジプトの王冠である赤冠を被った、コブラの一種の聖蛇ウラウエスの姿で図象される。 |
オシリス神 | エジプト名ウシル。死者の世界冥界の王。両手には王の権威を象徴する王笏を持つ。イシス女神の夫でありホルス神の父。 |
クヌム神 | 牡羊の頭を持つ。ろくろで人間を創り出した神といわれ、土器作りの神として信仰された。 |
ゲブ神 | 大地の神。シュー神とテフネト女神の子。天の女神ヌゥトの夫で、オシリス神・イシス女神・セト神・ネフティス女神の父。 |
ケプリ神 | スカラベ(聖甲虫)の神。創造神として太陽神ラーと同一視され。頭上にスカラベを載せた姿か太陽円盤の中のスカラベとして図象表現された。 |
コンス神 | 頭上に満月と三日月を載せた姿で図象表現される神。アメン神とムゥト女神の子とされる。 |
シュー神 | 大気の神。テフネト女神の夫で大地の神ゲブと天の女神ヌゥトの父。天の女神ヌゥトを両手で支える図象で表される。 |
セクメト女神 | ライオンの頭をした女性として図象される女神。プタハ神の妻、メンフィスの町で信仰された神。太陽神ラーの敵に対して破滅をもたらす存在とされている。 |
セト神 | 嵐と暴力の神。オシリス神の弟。兄のオシリス神を殺したことで、その子のホルス神と敵対したというオシリス神話に登場する存在。正体不明の動物の頭の姿で図象される。 |
セベク(ソベク)神 | ワニの頭をした神。ファユーム地方や上エジプトのゲベレインやコム・オンボなどの守護神。コム・オンボには神殿が今もあり、ワニのミイラも発見されている。 |
セラピス神 | 新しくプトレマイオス王朝時代に創造された神。オシリス神とギリシア神話のゼウス神の両方の性格をもっている。あごひげと角のある人物として図象される。アレキサンドリアやサッカラにセラピウムというセラピス神を祭った神殿が造営された。 |
セルケト女神 | 頭上に蠍を載せた姿で図象される。死者の内臓を守る4人の女神の1人で、太陽の灼熱を意味する女神である。 |
トゥエリス女神 | カバの頭にワニの尾を持ち、ライオンの足を持つ架空の動物の姿に、手には保護を意味するサアという意味のヒエログリフの文字を持つ。妊婦と出産の保護の女神。 |
トト神 | エジプト名はジェフティ(ティフティ)ヘルモポリスの町の神であり、トキの頭を持つ神。文字の発明者であり、神々の書記とされ、学問と知恵の神として信仰されている。チェッカーと呼ばれるゲームを太陽と行い、5日分の光を手に入れて360日しかなかった一年を365日にしたという伝説がある。 |
ヌゥト女神 | 天の女神。ゲブ神の妻。彼女の体は太陽の運行する道であり、星がちりばめられたところであるとされた。 |
ネイト(ネト)女神 | 下エジプトのサイスの町の守護神。赤冠を被る女性の姿で図象される。死者の内臓を守る4人の女神の1人。戦争の神であり、手には弓矢を持っている。ギリシア人はアテナ女神と同一視した。 |
ネクベト女神 | 上エジプトの王の権力の守護神。上エジプトの王冠である白冠を被るハゲタカとして図象される。下エジプトの王の権力の守護神ウァジェト女神と対になって描かれることが多い。 |
ネフティス女神 | エジプト名はネプト・ヘトでイシス女神の妹。頭上に女神の名を表すヒエログリフを載せた姿で図象される。死者の内臓を守る4人の女神の1人 |
バステト(バスト)女神 | 下エジプトのデルタ地帯のブバスティスに信仰の中心があった猫の頭の女神。セクメト女神と同一視されることもあった。 |
ハトホル女神 | 牝牛あるいは牝牛の角と耳を持った姿で図象される。テーベの西の砂漠の主人として死者の守護神とされた。シナイ鉱山の守護神でもあり。エジプトの神々の母とされ多くの性格をもっていた。名前の意味自体がホルスの家という意味がある。 |
プタハ神 | メンフィスの町の創造神であり守護神。職人の守護神でもある。プタハ神の手に持つ杖は生命と安定と支配の象徴である、アンク・ジェド柱・ウァス杖を組み合わせたものになっている。 |
べス神 | ライオンのような顔をした小人の姿で図象される。毒蛇や蠍などの害悪から人間を守る神とされていた。妊婦の守護神でもあり、石碑や枕などに描かれ護符として用いられた。 |
ホルス神 | ハヤブサの姿で図象される、両眼が太陽と月である天空の神。オシリス神話の中では父オシリス神と母イシス女神の子として叔父であるセト神と対決し勝利した。 |
マアト女神 | ヘリオポリスの町のラー神の娘とされ、頭に羽を載せた姿で図象される。元々は宇宙の秩序という抽象的な概念を表す言葉であり、真理・正義・公正の意味を具体的にあらわす存在である。 |
ミン神 | 上エジプトのコプトスの町の守護神。東部の砂漠の神でもある。アメン神と同じ羽のついた冠を被り、手にはからさおを持っている。ミン神は太古の原始信仰の時代からの神であり豊饒の神とされ、性器が神としては珍しく、勃起した状態で図象される。 |
ムゥト女神 | 元々はハゲタカの女神であり、新王国時代にはハゲタカの冠を被った女性の姿で図象される。アメン神の妻として、しばしばファラオの王妃の化身として用いられた。エジプト語でムゥトとは母を意味する言葉でもある。 |
メンチュ(モントゥ)神 | 上エジプトのヘルモンティス(現在はアルマント)の町の守護神。ホルス神の頭をした姿で図象される。戦いの神でもある。第11王朝のメントウホテプ王の名はメンチュ神に由来する。 |
ラー(レー)神 | ヘリオポリスの町の太陽神。頭上に聖なる蛇のついた太陽円盤を載せたホルス神の頭の姿で図象される。太陽の船に乗り、昼は天空を航行し、夜は地下の世界を航行すると考えられていた。第5王朝の頃から国王の称号に上下エジプト王の名前に加えて太陽神の息子としての称号のサァ・ラー名が加わり国家の神とされるようになった。 |
ラーハラクティ神 | 太陽神ラーとホルス神の性格を併せ持ったハヤブサの姿として図象される。ラー神と同様な姿で描写される。ハラクティとは地平線のホルス神を意味している。 |