法律学と政治学の確立と展望


2003年度 日本政治学会 共通論題T報告
東京大学  森田 朗

1.はじめに

 私に与えられたテーマは「法律学と政治学の確立と展望」であるが、「展望」はともかく「確立」の意味するところは必ずしも明確ではない。そこで、この報告では、共通論題Tのテーマ「政治学と法律学の競合と共生」という視点から、これからの法律学と政治学の望ましい連携ないし共生の「確立」について考察することにしたい。

 以下では、まず第1に、政治と法の一般的な関係とその変化について概観し、次いで第2に、現代では政治の主要な役割が政策形成であり、したがって、それを制度として定着させるためには、法律とすること、すなわち「立法」の技術が重要になってくること、そして第3に、政策形成と立法の担い手である政治家と官僚制、およびそれを支える学問であるところの政治学および法律学のあり方と関係について述べ、最後に第4として、これから重要になることが間違いない政策形成と立法の専門家とその育成のあり方について述べることにしたい。


2.政治と法

 いつの世にあっても安定した統治を実現するためには、いうまでもなく社会において人々の行動を規律するルール、すなわち広義の「法」のあり方が重要である。多くの場合、そのような法は、制定する立法者の正統性に基づいて、正統なものとして受容され守られ、それゆえに社会における秩序が形成される。しかし、独裁的な君主が立法者であるような体制では、法は君主の恣意に基づいて作られ、そこでは今日の法治国家では当然に認められている人権も法の普遍的な原則も尊重されない。アメリカの社会学者であるセルズニックとノネは、このような権力者の支配装置としての法を「抑圧的法」と呼んでいる。(P.セルズニック/P.ノネ『法と社会の変動理論』六本佳平訳、岩波書店、1981年)

 こうした法のあり方は、しかし市民革命を経て変わってくる。国民の権利を制限し義務を課す場合には、国民の代表からなる議会の制定する法に基づかなくてはならないという原則が確立されたからである。ここから、議会のみが法に正統性を付与することができるという議会制民主主義の原理が形成されてくる。現在の日本国憲法第41条の「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」という文言は、正にこのことを表わしている。

 ところで、社会の発展とともに、そして法が立法者の恣意から普遍的な原則に基づいて議会で制定されるようになるにつれて、法自体、そして法体系の構造・内容が複雑なものになる。法に共通した原則が確立されるようになり、法体系の整合性が重要になってくるのである。その結果、法律学、とりわけ制定法を適用するための解釈理論が発展してくる。法体系における法の形式性が、法の内容の合理性とともに重視されるようになり、法の世界は、次第に予見可能性は高まるものの、正義と手続を過度に重んじ、現実政治のダイナミクスから乖離した、厳格で硬直的な世界を形成するようになってくる。セルズニックとノネは、こうした自己完結的な世界を形成した法のあり方を「自律的法」と呼んでいるが、その理想的な姿は、社会現象をすべてその体系のなかに取り込んで、適用者の恣意と解釈の余地を極少化した完璧な「機械的手続」の世界である。(cf.C.フッド『行政活動の理論』第2章、森田朗訳、岩波書店、2000年)

 こうした法体系が精緻に構築されるとともに、それを対象とする学問が法学として成長し、また業として法を扱う専門職が誕生してくると、政治から独立した法の世界は、政治社会を構成する人々の期待や要望から離れた形で展開されるようになる。これに対して、本来の法の役割を確認し、形式ではなく、社会における実質的な正義を実現するための道具として法を位置付けることが必要であると述べ、セルズニックとノネが提案するのが「応答的法」である。応答的法が支配する世界では、法は社会の目的を実現するための道具ないし手段として認識され、目的との関係で合理的な運用をすることが推奨される。

 この「応答的法」の考え方は、たしかに政治と乖離した法を、再び、社会における人々の期待を実現するための道具として位置付け、政治のダイナミクスを法の世界に取り入れようとするものだが、現実には、ますます複雑になり、ますます精緻化する法の世界を、そのように変えることは決して容易なことではない。


3.政治・政策・法

 法の世界を応答的にするためには、まず第1に、政治システムが人々の要求や期待を実現可能な政策としてまとめ、第2に、それを法という形式で表現し、制度化することが必要である。そして、さらに制度の運用結果についての評価を、再び政治システムにフィードバックすることによって、初めて実質的な意味において応答的になるといえよう。

 第1段階の政治による国民の要望の政策へ転換に関して、D.イーストンのモデルを用いるならば、人々の要求と政権への支持が政治システムに入力され、政治システムの中で転換されて、政策として出力されることになる。しかし、現実には、要求と支持が単純に結合し転換されて政策になるわけではない。複数の政党が競い合う政治体制の下では、政党の最大の目的は政権の獲得であり、それには多数の有権者の支持を要する。そのために多数の国民の期待する政策案を、たとえばマニフェストとして発表し、支持の調達に努めるにしても、多数の支持を集め権力を獲得するためには、ときに矛盾する政策や政策理念に反する戦略も採用せざるをえない。(cf.森田朗「システムとしての政治行政組織」『社会システムと自己組織性』岩波書店、1994年)

 いずれにせよ、国民の要求や期待に応えるべく政策が形成されるが、単に要望への対応を列挙しただけではもちろん政策ではない。ここでいう政策とは、国民の要望に応えて、現実に社会における問題を解決するための政府活動のシナリオであり、それは必要な資源とその資源を用いて社会システムを制御するための精密で体系的なプログラムでなければならない。そして、多くの場合、このプログラムを法という形式で制定することによって、初めて国民の要望に応えて社会のあり方を変える、あるいは変化を抑制することができるのである。

 現代の高度に発展した行政国家で必要とされるのは、単に国民の要望を汲み上げて、それに応えるために国家の目標を設定し、漠然と方向性を示すことではない。漠然とした要望、期待を実現可能な具体性をもった政策プログラムとして作成し、さらにそれを実際に適用可能な法として制定し制度化することが必要なのである。

 政策とは、今述べたように、一定の社会的目的を達成するために、社会システムを構成する諸要素に作用し、それを制御するプログラムであるとすると、それには、必要とされる資源、行動の主体と客体、行動の手続等々が要素として組み込まれている。しかしそれだけでは文字通りプログラムにすぎないのであって、それにしたがって、資源を投入し、関係者に一定の行動を義務付け、目的を達成していくためには、今述べたように、政策を一定の手続を経て作られる一定の形式をもったルール、すなわち「法」に転換しなければならない。

 ところで、2.の「自律的法」で述べたように、法には、法という形式に伴う共通の原則が形成されており、法という形式で制定する場合には、この原則に従わなくてはならない。こうした原則を、政策を法という形式で表現するための「文法」と呼ぶならば、この文法には、法という形式である以上、すべての法に共通の文法と、ある特定の国の法体系に固有のものがある。
 共通の文法として挙げられる要素とは、第1に、働きかけの対象である国民の行動や決定に作用するものであることである。単なる、宣言や事実を記述したものは、ここでいう意味での本来の法ではない。第2に、ここでいう法は、命令、禁止、許容を伝え、それらが提供される条件を示した明確な言明であることである。第3に、法は、一般性ないし普遍性を有していることである。再現性のないケースのみに適用されたり、特定個人に適用されるものは該当しない。そして、第4に、このような法は、その目的に応じて、設計され、変更されうるものであることである。もちろん、法的安定性は重要であるが、現実と乖離した「不磨の大典」であってはならない。(C.フッド、前掲)

 これらは、法一般に当てはまる文法であるが、前述のように、実際に法として制定するためには、さらに、それぞれの国に固有の文法に従って法が記述されなくてはならない。たとえば、わが国の行政法の場合、国民は裁判所において裁判を受ける権利を憲法上保障されているが(憲法32条)、実際には、行政事件訴訟法等で定める基本的な訴訟制度の枠組に基づいて、行政機関を訴えることのできる資格である原告適格の範囲も、出訴期間も、また訴訟において請求できる対象も制限されている。

 現在、行政事件訴訟法の見直しも進められているが、これまでは、こうした制限された訴訟の形態が維持されてきた。その理由は、多数の関係者に影響を与える行政活動について、できるかぎり紛争の範囲を限定することによって、行政の安定性と秩序の維持を図ろうとしているためであるが、反面において、行政活動によってその利害に影響を受ける人々の裁判を受ける権利が実質的に制限されていることも否定できない。
 わが国の現行の制度についての論評はともかく、法を作る場合には、このような形式の文法に従い、他の法令や法体系全体との整合性を損なわないように、法を作成しなければならないのであり、立法者には、社会における課題や国民の要望を的確に把握し、解決の方向を発見するだけではなく、このような文法に従って制度設計を行うことのできる高度の能力が必要とされる。

4.政治学と法律学

 現代の法治国家においては、政治が法を作るが、政治の行動は法によって縛られる。その点が、政治の恣意が支配しうる「抑圧的法」の世界との違いである。 さらにいえば、政治が法を作るときの、作り方自体が法によって縛られている。正式の手続を経て作られた法のみが正統性を有する世界にあっては、いかにそれが実質的に合理的で妥当なものであり、より包括的な法の目的や趣旨に沿うものであっても、個別具体的な実定法の条文に違反する行為は正統性をもちえない。憲法上、唯一国会で指名されるポストである内閣総理大臣(憲法67条)も、自分が任命する大臣からなる内閣の閣議にかけて決定した方針に基づかなければ、自分が任免権を有する大臣に対して指揮監督を行うことができないのである。(内閣法6条)

 このように述べてくればいうまでもなく、こうした立法に関わる文法の知識を独占している現代国家における官僚ないし官僚制の役割の大きさが理解できる。ウェーバーのいう「執務知識」に言及するまでもなく、こうした法に関する執務知識を半ば独占している官僚制は、その内部で「自律的法」の世界を形成しているといってよい。こうした世界においては、外部に対しては緻密な理論の壁で自分たちの自律的世界を防衛するが、内部における立法のあり方は、それに対応した厳格さを有しているとはかぎらない。少なくとも公法の世界においては、文法それ自体の管理者である官僚は、立法を操作する余地を充分に有している。

 ところで、このような自律的法の世界を理論的に支えているのが、法律学、とりわけ公法学に属する憲法学および行政法学である。他方、応答的法をめざす場合、社会における要望や期待を政治過程に入力し、政策に転換する過程は政治学の考察の対象に属する。それぞれのこれまでの性格およびあるべき関係について次に述べることにしたい。

 戦後日本の学界においては、多くの研究者が同じ法学部に所属していながら、少なくとも政治学と法律学の相互の学問的交流は少なかったいわざるをえない。とくに政治現象と法現象が重なる領域において、政治学も法律学も充分な関心をもたず、統治構造に関する法理論に大きな空白が生じていることは残念である。このことは、90年代後半の一連の行政改革において、とくに行政改革会議を中心とした改革において、法律学、政治学が大きな貢献をなしえず、その研究を充分に具体的な改革に反映できなかったことに示されている。(中央省庁改革関連法を行政法学、行政学の観点から考察した本格的研究としては、磯部力、稲葉馨、今村都南雄、小早川光郎、三辺夏雄、藤田宙靖、森田朗「中央省庁等改革関連法律の理論的検討」『自治研究』76巻9号〜12号、2000年を参照)

 戦後の政治学は、アメリカ政治学の影響を受け、その関心は、法制度や統治構造ではなく、むしろ法制度を与件とした動態的な政治行動の分析に向かったといえよう。結果として、政治行動についての分析は進んだものの、制度の構築や制度そのものの分析は稀薄になった。近年、「新制度論」において、再び制度への関心が高まってきてはいるが、そこで念頭に置かれている制度は、上述した政策として示された粗いプログラムの枠組に近く、精緻な法制度の立法論、解釈論とのつながりはない。

 他方、法律学の方は、最も政治学との関連性があると思われる憲法学、公法学にしても、実定法を与件とした解釈論が中心であり、立法論は、官僚制の秘技としてその「自律的法」の世界に委ねられていたといえるのではないか。実定法の条文を神格化し、立法者の意思を探り、解釈技術の洗練によって、現実への適合を図ることが法律学の任務とされてきたと思われる。いいかえれば、法の条文と現実との乖離を前提として、それを結びつける解釈技術の開発こそが学としての使命として認識されてきたといえよう。

 少なくともこれまでは、合理的で効率的な社会を形成するために、社会制御の道具として法を捉え、その道具としての精度を向上させるという観点からの研究は少なかった。要するに、「政治−政策−立法−法執行」という流れの中で、「立法」以前のリングが、法律学の中で欠落していたのである。

 法律学について批判をする能力は、門外漢である私にはないが、戦後のわが国社会の基盤をなしてきた多くの基幹的制度が根本から見直しと改革を求められている現状において、政策を現実に実施可能な形に作り上げ、それを確実に実施するためには、立法のための文法について「学」としてその情報なりノウハウの客観化と理論化を図るべきであろう。同様のことは、政治学についてもいえる。あるいは経済学や他の社会科学についてもいえよう。「政治−政策−立法−法執行」の流れの全体を射程に入れることによって、それぞれの学問分野の「確立」が可能になると思われる。


5.政策形成と立法の能力

 ところで、政治学も法律学も、実社会に関わるディシプリンである以上、「学」としての世界にとどまるだけではなく、実社会における実践的側面ももっている。「学」として発展していくためにも、実務とのフィードバックは不可欠である。さらにいえば、その「学」を身につけた人材を社会の政策形成と立法の現場に供給することも、その「学」の重要な使命ということができよう。

 2004年度より発足する法科大学院は、このような「学」を実現しようとする一つの形にほかならない。そこでは、法を扱う専門職の養成が期待されており、これからの時代に備えて、実践的な法解釈技術を身につけた専門家を育てることをめざしている。

 しかし、法科大学院のめざす法運用、法解釈のエキスパートだけでは、これからの社会に必要とされる法は作れない。それには、これまで述べてきたような法律学と連携した政治学の知識が必要であろう。言い方を変えれば、政策を形成し、それを法案という形で具体化し、さらに、政治過程である立法過程をクリアして政府活動の根拠となりうるような法として作り上げる能力が必要である。

 より具体的にいえば、それは社会で発生する問題の性質を分析し、国民のニーズに応えて解決策たる政策の選択肢を考案し、それを政府機関の活動の根拠となりうるような法として制定する能力であり、それには、各省や利益団体、住民運動と交渉し、説得を行い、実際に政治過程で合意を調達する能力も含まれている。そのような能力をもった人材を行政組織のみならず、広く政策形成を担う部署に供給することが、これからの時代には必要であろう。

 こうした政策形成・立法に関する高い能力をもった専門家を養成する機関として、これから公共政策大学院ないし行政大学院が果たしうる役割は大きいことを最後に付け加えておきたい。

                                −以上−


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