海外調査の報告 −スペイン・イタリアの広域自治体への分権−

                          2004年3月 地方分権改革推進会議メールマガジン掲載

 2月18日から29日まで、広域自治体への分権のあり方について、近年、州への大規模な分権が行われたスペインとイタリアに調査に行ってきました。スペインは、先日、大規模なテロ事件があったマドリッド、イタリアはローマとミラノを訪れ、それぞれ国の関係機関と州と市から分権の実態や課題について話を聞きました。 スペインでは、フランコ体制の終焉後1978年に制定された憲法に基づいて、自立性の高い地域から自治州が作られ、次第に多くの自治州へ権限と財源が移譲されました。イタリアでは、1998年から国から州、県、そしてコムーネと呼ばれる基礎自治体へと分権が行われており、2001年の憲法改正によってその動きが加速されています。 現在わが国で検討されている「道州制」を考える上で、参考になることが多数ありましたが、ここでは、これまであまり知られていない両国の地方制度の特徴について述べることにします。

 その第1は、自治体の規模です。スペインは全人口が約4000万人、17自治州あり、1州の平均人口は234万人、イタリアは人口約5700万人で20州、1州の平均は287万人です。日本の都道府県の平均人口が271万人ですから、両国の州は、ほぼ日本の都道府県と同規模ということができます。
 他方、基礎自治体については、スペインのムニシピオも、イタリアのコムーネも数は大体8100、平均人口はそれぞれ4850人、7000人で、その8割近くが人口5000人以下です。こちらの方は、日本の平均の3.7万人と比べてはるかに小さく、むしろ日本の町内会、自治会の規模といえるでしょう。日本では、それでも市町村の規模が小さいと考えられ、合併が推進されていますが、両国ではほとんど合併は行われていません。小規模自治体の事務の多くは連合組織によって担われているとのことでしたが、日本では、基礎自治体の合併を推進しているといったら、「どうしたらそれが可能か」とむしろ関心を示されました。

 第2は、州へ移譲された事務の内容です。大規模な権限移譲が行われたといわれていますが、それ以前の集権的制度のときと比べてのことであって、日本の都道府県と比べて特段多くの事務権限が移譲されているわけではありません。日本では、市町村の事務である義務教育は、スペインでは、言語の異なるバスクやカタルーニャ州の存在もあり、自治州の事務ですが、イタリアでは国の事務です。警察は、両国とも、一部の例外を除いて国の事務です。このように、日本の都道府県の方が多くの事務を担っているといえますが、国と自治体との役割分担のあり方はかなり異なります。

 第3が、憲法上の自治権のあり方です。両国とも、国、州それぞれの排他的な事務と共管事務が、憲法に明確に規定されています。州の自治権に属する事務に関しては、州に立法権を付与されており、その事務に関しては、国は法律を制定することができません。もちろん現実には、どちらの立法権に属するのか明らかではなく紛争が生じることがあります。そのような場合には、両国とも、憲法で設置されている憲法裁判所に判断を求めることができます。真の意味で国と地方を対等の地位に置くためには、このような立法権の分割と、第三者的な立場から紛争を裁く憲法裁判所の存在が必要でしょう。

 第4が、財政制度です。両国とも州への権限移譲とともに、その実施に必要な税財源が移譲され、それが憲法で保障されています。しかし、両国とも地域間の格差は大きく、税源の移譲はその格差を拡大します。したがって、財政調整制度が必要であり、イタリアでは、財政連邦主義の名の下に、そのための均衡化基金の導入も憲法で規定されています。しかし、そのような制度はまだ作られておらず、担当者の見解では、その導入は、「フィアット売ってフェラーリを買うようなもの」とか。問題状況は、日本とあまり異ならず、貧しい自治体に付与されている現在EUの構造基金が、財政調整の役割を果たしているようです。なお、それとは別に、EUの安定成長協定が、国地方を問わず、強い財政規律をもたらしていることも付記しておきたいと思います。

 今回の調査を通して感じたことは、分権を行った国といっても、それぞれの歴史や文化、地域性は多様です。両国とも制度は一様ではなく、一部には異なる制度を適用する一国多制度を採用しています。分権推進に当たっても、一気に制度改革を行うのではなく、完全な自治州の創設という明確な目標を設定し、自治州となるための条件を満たすべく、国と州の間でねばり強く交渉を行い、条件の整ったところから分権を行っていったスペインの分権のあり方から参考になります。わが国で今後「道州制」に向かっていくにしても、各地域の実情を勘案し、じっくりと条件の成熟を待ちつつ、息の長い改革を進めていくべきです。「制度の美学」には適うにしても、拙速で画一的な改革を行い「角を矯(た)めて牛を殺す」事態は避けるべきであると思います。

−以上−

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