2007年12月

























2007. 12. 19. Wed

ついにお別れ

完全にダウン。ほとんど何も食べられない。気分最悪。 

10時50分、いよいよ父との告別式。 

お通夜のとき涙が出たから、今日はいったいどれだけ泣いちゃうことやらと思ったけど、意外と平気だった。 

お葬式っていつも、家族が書いた本人のプロフィールをもとにして、司会者が、在りし日の故人のことを語る場面がある。 

これがとても会衆の涙を誘うわけなんだけど、父の場合、どうも演出行き過ぎの感があって(苦笑)。心の中で「お父さんは、そんな柔和な紳士じゃないって〜!」とか突っ込み入れてた。もっとごっつくて頑固で、激しくて猪突猛進なんだってば。 

「すじがね入りの頑固者の一面もありましたが…」(いやいや、すじがね入りの頑固者こそがお父さんの実態なんですわ) 

遺族代表挨拶を私がした。ゆっくりと、父がこの10年病気を抱えながら頑張ったことを話、皆様へのお礼を伝えた。 

 

お花、折り紙、姪が書いたメッセージ、写真などを父の傍に入れ、お別れのお酒お飲ませてあげて、最後に冷たい顔に触れた。もう二度と触れることはない。 

「バイバイ。天国でまた会うけど、何十年かは会わんよ。」 

 

父は運ばれていく。 

葬祭センターには、他にも葬儀を終えた遺体が運び込まれているらしく、お経の声が聞こえる。毎日毎日、こうしてたくさんの人が亡くなっているんだなぁ。 

私がボタンに指を置き、妹も、甥や姪もその上に重ねて、「バイバイ」と言ってそれを押した。 

その後のことを記すのはもうやめよう。あまりにしんどい。 

もう、この地上のどこにも、父はいない。それだけが確かなことだ。 

病院へ行き、心を空っぽにして少し眠った。頭が痛くなったのであまり休めなかった。 

久しぶりの我が家。 

16日から今日まで、ノエルもかなりのストレスを感じていたみたい。 

葬儀場にいる間ほとんど食事もしなかったし、何だかそわそわして、ときどき鳴きだしたり、とても様子がおかしかった。 

家に戻ったとたんいつものノエちゃんになったのでほっと一安心。 

 



2007. 12. 18. Tue

きついなぁ

朝から打ち合わせがあったり、母がいきなり自宅に帰ってしまったり、何やかやとあわただしい。 

できるだけ時間のあるうちは体を休めておこうと思うけど、何だかぜんぜん調子が良くない。 

お線香の臭いのせいか、万年車酔いしたみたいな気分の悪さ。血圧計持ってきてないから分からないけど、だいぶ上がっていそうな感じ。 

葬儀場の2階にラウンジがあって、コーヒーやお茶を自由に飲めるようになってた。 

飲み物はともかくとして、心地良いソファーに座って、エンヤのBGMを聞きながらのんびりする時間は、上の部屋にいるよりはだいぶリラックスできる。 

食欲がないのでお昼も食べず、ぐったりして「う〜、へばっちゃう〜!」と言ったら、母が 

「へばっちゃうって?あんたは長く生きんといかん。死んだらだめよ。」 

なんて言い出した。 

うん。そうやね。そんな親不孝なことはしませんって。ああ、だけどこの雰囲気、まじで窒息しそうや。 

 

3時から、父を棺に納める儀式があった。 

着物を着せられ、旅人になって、父は箱に入ってしまった。 

 

お通夜には、予想したよりも、ずっとたくさんの人が来てくださった。 

特に私の学校からは、来てくださった先生の他、お花や電報、また受付を手伝ってくださる方もあり、本当に感謝。 

この他、父の古い友人、元同僚、教会の人たち、妹の友達などなど。懐かしい人の姿も。 

お通夜の席、父が亡くなって初めて涙が出た。 

前に出てお焼香をした。 

クリスチャンである私がこのことを行うとき、いつもいくらかの躊躇いを覚える。 

偶像礼拝じゃないのかしら? 

ふと生前の父の声を思い出した。 

「あんたはあんたの信じることをすればいい。お焼香の前であんたの神様に祈ってもいい。」 

家族・親戚の中で、そんな風に寛大であったのは父だけだったような気がする。 

そして今は父も、私と同じ方に信頼して旅立った。 

私は家の宗教のマナーにのっとって導差をし、心の中で「お父さん、ありがとね。」と言った。 

心で父と対話する。生まれて今までで、父を一番身近に感じた。 

 



2007. 12. 17. Mon

父逝く

少しでも寝ておかないと、とは思うものの、いつ電話が鳴り出すかと思うと、はらはらしてほとんど眠れなかった。 

ようやく明け方になってうとうと。 

結局病院から次に電話が入ったのは、朝になってからだった。 

午前6時15分、父永眠。 

電話を切ったとたん、向こうの部屋ですごい音!!室内用洗濯物干しがバターンと倒れている。 

まさかとは思うものの、何だかお父さんが旅立つ途中に立ち寄っていったみたいなすごいタイミングだったので思わずゾクッとなった。 

 

父を送り出してしまうまでは家に戻れないだろう。着替え、喪服、ノエルのフードなどを旅行バッグに詰め込み、病院へ向かった。 

途中で学校へ連絡。お悔やみの言葉と共に「何かお手伝いすることがあったら言ってくださいね」との親切なお言葉、とても感謝! 

 

病院に付いて父と対面。まだ体が温かく、亡くなっているとは思えないみたいな感じ。でも酸素も点滴もはずされてるし、酸素のチューブをくわえていた口がきちんと閉じるように、顔に包帯を巻かれてあった。 

しばらくして、看護師さんが来てくれて、私と母と一緒に父の体を拭いた。 

看護師さんはタオルを丁度心地良い温度のお湯でしぼり、優しく拭いてくれる。 

「ごめんね、ここ拭くよ〜。こっち向いてねぇ。」 

などと労わるように声をかけている。既に死亡して物体になってるのに。彼女の優しさ、患者とその家族を労わる思いがじ〜んと心に伝わってきた。 

 

その後父は病室から直接葬儀会場へ運ばれた。 

父の信じたものが何であれ、我が家のお葬式はいつも仏式なのである。 

今朝まで酸素と点滴につながれていた一人の患者は、今はもう、お線香を立て、お供えのおかゆを枕元に置かれ、ドライアイスを入れられて横たわっている。 

 

夜は身内だけの仮通夜。その前に透析に行くことにした。 

こういう中での透析は非常に辛い。 

精神的にも肉体的にも苦痛が大きい。 

長い4時間。 

そして病院の帰り、夕食を買うためにスーパーに立ち寄ると、そこには昨日までと変わらない、クリスマス前のにぎやかさがあった。 

何だかひどくさびしい。 

 



2007. 12. 16. Sun

突然の知らせ

午後、いきなり父が危篤らしいと連絡が入った。 

1週間ほど前から入院していたらしいのだけど、私には全く知らされていなかった。 

昨日になって母から、入院してるんだけど、ひとまず落ち着いたから、どこか別の病院に移らないといけないんだよねぇなんて電話があったばかりだったのだ。 

ひとまず落ち着いたはずが、なんで危篤なわけ? 

よく分からないので、とりあえず病院へ行ってみることに。教会の先生ご夫婦が車で乗せていってくださった。 

ベッドに寝ている父は酸素を補給されて自分で呼吸していたが、呼びかけても反応はなかった。 

しかし耳は最後まで聞こえていますということなので、みんなで呼んでみた。かすかに手の反応が、あるような、ないような。 

「イエス様が迎えにきてくれるけど、もうちょっと頑張ろうねぇ」 

先生が大きな声で言った。手の反応があった。 

思えば10年前、父は大きな病気をして、足を失った。そのとき、「イエス様一緒におってくださ〜い!痛みを半分一緒に背負ってくださ〜い!」と叫んでいたっけ。 

それまで「あんたが何を信じようと自由。お父さんも何を信じようと自由。」と言ってきた父のそんな態度にとても驚いたものだった。 

その後私と父とはいろいろあって、顔を合わせれば喧嘩ばかり。それでも先月最後に会ったときは不思議にお互いとげとげせずに過ごせていた。あれが言葉を交わした最後になったのを思い起こせば、やはりあれも神様もご配慮だったのかな? 

「イエス様を信じてるやろう?」 

父は確かに先生の手を握り返していた。地上での命の最後の力を振り絞って。 

先生が父にバプテスマ(洗礼)を施すために水を汲んできた(入れ物がないからノエルのワンツー用のビニールで)。 

父の前に天国の扉が開かれる。私の心も解放されて、平和が満ちていく感じがした。 

その後父の呼吸が次第に遠くなった。酸素は吸っていても、体内から二酸化炭素を吐き出す気脳は既に失われ、ちょうど麻酔をかけられたような状帯になっていて、本人は全く苦しくはないのだと説明があった。 

父の傍で泊まる母を残して、ひとまず帰宅。もう次に父を見るときには、その命は天へ引き上げられているだろう。おやすみ、お父さん。 



2007. 12. 7. Fri

怖いものだらけ

朝のバス、調子悪かったのかな?新しい車両なのに、ギアーがガガガガ! 

ノエはあの音が大嫌い。 

せっかく暖房ぽかぽかでまどろみ気分だったのが、一変に恐怖に固まった。 

座席下から通路にもがき出て、ブルブル震えてた。 

あまり長く続くと鳴き出したりするんだよね。なんでそこまでいやなんだぁ? 

 

5時間目、いきなり非常ベルが鳴り響く。 

最近ベルが新しくなったらしく、それはそれはけたたましかった。 

昼寝中のノエちゃんは飛び上がり、再びブルブル。かわいそうやねえ! 

避難訓練が始まった。 

逃げる訓練の後、4人が消火体験をした。 

目の前で、ボッ!と燃え上がる炎。後ずさるノエ。 

体験者が消火器を操作すると、大量の薬がすごい勢いで噴射される。 

その瞬間、ノエルは目をパチクリ、耳を膨らませて釘付け状態。 

体緊張してる、大丈夫かな? 

全員の体験が終わり、火も無事に消えて解散となった。 

さぁ帰るよとハーネスを握ったのに、ノエルが立たない。いや立てない! 

腰抜けとる!(笑) 

尻尾を丸めて座り込んだまま。 

ようやく1分ほどして、どうにか立ち上がり、あとは振り返りもせずに、スタコラサッサと校舎へ逃げ込んだ。 

今日はずいぶん怖い目に遭ったもんだ。 

 

病院へ行って気がついた。洋服持ってきてない! 

ノエルが動き回るわけじゃないけど、やはり洋服ないと申し訳ないと思う。あれだけの衛生管理の必要な場所に入れてもらってるのだから。 

このごろ寒いので、透析質のスタッフが、ノエルのために毛布を1枚用意してくれた(どこまで親切な病院なんだろう)。 

私が洋服忘れたことを詫びると、「いいよ、いいよ、たまにはそんなこともある。洋服ないと寒いから、毛布体全部包んでねんねしなさいね」 

と、ノエルの全身を覆ってくれた。 

怖いものだらけの1日だったけど、ふわふわの暖かさに包まれて、4時間熟睡のノエさんでありました。 

 



2007. 12. 6. Thu

それは拾えないよ

授業をしていて、教卓のペン立てをひっくり返してしまった。 

中身が床に散乱^^; 

ころころ、ころころ、果てしなく転がるペンや鉛筆たち。 

とりあえず分かる範囲で拾った。生徒も手伝ってくれた。 

その後、日溜まりでお休み中のノエちゃんに、悪いんだけどまだ何か落ちてないかしらと、フェッチ(拾って)要請を出してみた。 

のっそり立ち上がったノエちゃん、ぐるりとそのへんを見回し、くんくん嗅ぎ回り、シャーペンを一つ見つけた。 

最近は歯が弱ってるせいか分からないけど、フェッチと言ってもあまりくわえたがらない。その代わり鼻先を向けて示してくれる。 

シャーペンを拾って、まだ何かある?と聞いたら、またまた同じ動作をして、次に見つけたのはストローの袋だった(なんでこんなものが?)。 

さらに探させると、しばらくぐるぐる嗅ぎ回っていたが、そのうち、生徒の机の下へ花をつっこんでストップ。 

その辺りを見てみたけど、何もない。 

ということは、ノエちゃんが示しているのって、ひょっとして生徒の足かスリッパってわけか?(おいおい、それは拾えないよー) 

思わず大笑い、生徒も「こら〜!」と言いながら笑いだした。 

可愛い!可愛くてたまらない。 

可愛いからたまらない! 

笑いながら涙が出そうになる。 

今まで「可愛いねぇ」で済ませていたノエルのしぐさが、たまらなくいとおしい。 

 



2007. 12. 3. Mon

すごい人たち

ときどき、どうして全くの他人に向かってこういう態度を取るんだろうと思う人に出会う。 

今日の人はその中でもかなりどぎつい。 

バスに乗って、ノエが見つけてくれた一人掛けに腰を下ろし、ノエを横に伏せさせたら、いきなり前の席のおばさんに 

「その犬噛みつかんやろうね!あたしゃ犬はすかんとよ!」 

って、まるで怒られたみたいに言葉を投げつけられた。 

ノエはなーんにもしてないのにだ。 

このまえもいきなり「そこ、どきなさいよ!」ってどやされたし。 

自分だって感情が先走って少々言葉が過ぎることがあるんだけど、それにしても、いきなりあんな風に知らない人をどなりつけたりするってちょっと分からない。 

無作法といえば、よくあるケースはこれ。相手は無作法とは思ってないのかも知れないが、この状況に直面すると苛立ちを抑えるのに苦労する。 

それはたとえば電車の席で隣になったとか、横断歩道で横に立ったとか、たまたま会っただけで、名前も何も聞いてないのに、いきなり 

「いつから目が不自由なの?」なんて聞かれたりすること。 

あるいは見知らぬ人から「うちの妹の旦那のお父さんの弟も目が悪くてねぇ」なんて話しをされたりね。いったい誰の話しとるんかいな? 

その人にとっては、こういう人もいて、あなただけじゃないんやから頑張りなさいとか、気持ちを共有してくれるかも知れないとかってことなのかも知れないけど、こちらは何度も何度もそういう場面に出くわすのだからたまらない。 

しかしこんなことは日静茶飯なので、「ああ、またか〜」って頭の中でうんざりするだけ。ところが今日の空いては、なんと小学生だったのだ。 

犬嫌いおばさんと乗り合わせたバスを降りて、バス停の先の横断歩道に立ったとき、逆方向から歩いてきた小学生二人組み。 

その一人が私を見つけて 

「ねぇ、あれ目が見えん人やない?」 

と言った。子供はだいたいあからさまなことを言うから、これだけなら珍しくない。が、その子達は私の前で立ち止まり 

「すみませ〜ん」と声をかけてきたではないか。 

最近は学校で福祉の学習してたりするから、何か聞きたいことでもあるのかと思って振り向くと、彼らはじ〜っと私を正面から見つめている。そして一言 

「ああほんとだぁ、目が悪い人だぁ」 

まるで博物館の展示物か何かを観察して「ほんとだぁ」って言ってるみたいな調子でね。 

「何なの・「と聞いたら、なんでもありませんって、その場を離れようとしたので 

「用もないのに大きな声で人のこと言って見物するんじゃないよ。」って叱ってやった。 

はーいと言って逃げるように離れていったけど、歩き去りながら言ってる言葉を聞いて唖然! 

「聞かれちゃったね。目が悪いから耳がいいんだ!」だと。 

もう、言葉もないですな。ちなみにその小学生、私が5年前まで総合の時間の講師として話にいってた学校の子だったから、よけいショックだったよ。 

私の思いは伝え続けられてはいなかったんだ。所詮あのとき限りの「盲導犬かわいいね」の授業でしかなかったんだ! 

無作法な大人がいっぱいいれば、無作法な子供がどんどん育っていくのもしょうがないんだろうか。 



2007. 12. 1. Sat

しっかりしてくれ〜!

郵便局が民営かされたので、ポストに入る不在通知も新しくなったみたい。 

前から、点字不在通知を利用登録してるにも関わらずなかなか入れてくれないので随分いらいらさせられたけど、とりあえず新しい形になってからは順調…と思いきや、先週の水曜日に届いた不在表 

「裏面の番号に電話してください」とあるが、肝心の番号は、裏を見ても書いてない。 

しかたないから、木曜の仕事の後直接郵便局へ出向くと 

「あら〜、ちょうどさっきもう一度持って配達に出たんですよねぇ、今から帰られたら間に合うと思いますよ!」 

ひぇ!へとへとの体を引きずってわざわざ来たのにー。 

念のためと、普通の文字の不在表みたいなのを渡されたので、それを持って「次までに点字不在表裏面にも、ちゃんと電話番号入れてくださいね」とお願いして、ひとまず急いで帰宅した。 

ところが何ということ!帰ってポストを見ると、またまた点字の不在表!間に合わなかったのだ。 

しかも、またしても電話番号がない!私もお願いはしたのに、念のため聞いてくることはしなかった(おばか!) 

 

というわけで、本日再び郵便局へ(ふ〜〜)。 

点字のカードは返却するようになってるので窓口へ出し、一緒にこのまえ渡された普通の不在表も見せたが 

「このお荷物はもう配達されてますよ」なんて言うではないか! 

そんなはずはないから探してみてと頼んだら、奥へ入っていって、延々30分以上も待たされた。 

いいかげん忍耐が切れますねぇ。 

途中で「申し訳ないけどもう少し待って」とか、何か声かけてくれてもよさそうなものを。 

窓口には別な人が二人出てきて、またまた最初から事の経緯をしゃべらされるし、私もそろそろ我慢の限界に達しかけた頃、別のお客の相手をしていた女性の係員が 

「M様ですよね?」 

「は?違いますよ。私は○○です。」 

と答えたら、突然その人はペコペコ頭下げて謝り始めた。 

なんと、木曜の夕方渡されたあの普通文字の不在表が、私宛ではない別人のものだったのだ。 

その人は既に荷物を受け取っていたからいいようなものの、もしその人のがあったなら、そのまま受け取って帰るところだった。 

肝心の私の荷物はといえば、窓口のすぐ後ろに、ちゃんと置かれてあったのだ。 

いったいどこをどう間違えて、Mさんとやらの不在表を渡してくれたんだろう? 

しっかりしてくれ〜!! 







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