2007年6月











2007. 6. 29. Fri
あの日のこと
最近ホームページのアクセスが増えている。 
何をしたわけでもなく、ノートはこのとおり、つまらないごねごねばかり書いているというのに、いったい誰が親切にも立ち寄ってくださっているのか…と思っていたら、どうやら病院関係者の皆様が見てくださっているらしいことが分かった(それだけにしてはすごい伸びであるが)。 
まぁ、どなたに見ていただいても良いわけだが、病院の方々には、見ていただいてもあまり嬉しいことはないだろう。 
うれしくないどころか、私に対して、「あいつはどこまで恩知らずなやつなんだ!」と怒り倍増というところだろうか。 
もともと歩み寄れなかった関係なのだから、しかたがないかも知れない。 
でもせっかく見てくださっているのだったら、少しばかり、私が実際には言葉にできなかった思いも書いてみようかな。 
今日一気には書けないので、少しずつ、よろしくです。 
 
 まずは手近なところから、先日の「問題行動」のいきさつを。 
 
 あの日私は何だかとても調子が悪く、頭は痛いし体は痒い。さらに、透析をしている針の調子もおかしいといった感じで、ひどくしんどかった。 
 痒み止めの薬を飲んでいたため頭がぼわ〜として、眠りたいけど、きつくて眠り込むこともできなかった。 
 かといって、本を読んだりテレビを見たりなども、さっぱり集中できない。 
 
 入室したときには、部屋にクーラーが入れてあったと思う。 
 だが、どなたかが寒かったのだろう。ふと気がつくとエアコンは止まっていた。 
 体が温まり、痒みが強くなる。 
 血圧を測りにきたスタッフに、暑くて痒いと言った。 
 どうしてほしいというのではなく、うったえ、聞いてもらうことでストレスを外に逃がしてるような感じ。 
 2度目にそのスタッフが回ってきたときには、上掛けをほとんどかけないで、熱を発している透析の機械からできるだけ体を離して横になっていた。 
「 「暑い?」 
と、彼女が聞いてきたので、暑いと答えたが、そのときも何かしてほしいとは言わなかった。 
 クーラーをつけてほしいとはとても言えない。理由があって止めたのだろうし、先生もおっしゃるとおり「ここはみんなの部屋」なのだから、私だけのわがままを通すわけにはいかないのだ。 
 我慢だ。ひたすら我慢。あと2時間… 
 さらに1時間。暑い、痒いと独り言を言いながら、いらいらする気持ちを押さえ込もうと必死。 
 話しかけられれば不機嫌なことを言いそうで、ぐっと我慢する。泣きたい…我慢する。 
 ベッドに体をつけていることさえ耐え難く、ついに起き上がった。 
 スタッフがやってきて 
 「どうしたの?」 
と言った。ここで私の忍耐のリミットが切れてしまった。 
 「暑いって言ってるじゃない。」 
彼女を攻めるとか、彼女に八つ当たりするとか、そんなつもりはまったくなかった。 
 暑い暑いと言い続けたから、分かってくれてると思ったのに、どうしたの?という質問をされたことで、何かがはじけてしまっただけだ。 
 私がそれだけの忍耐力しか持ち合わせていなかっただけ。 
 たまたま声をかけたばかりに私から不機嫌な言葉を投げつけられたスタッフは本当に気の毒である。ごめんなさい。心から、すみませんでした。 
 やはり私は自分勝手で我がままで、忍耐力がなくて、どうしようもないのだろうか。 
 来る日も来る日もこんないらいらを繰り返し、たまに爆発してしまう。 
 スタッフの対応や、ドクターが私にしてくださった医療的努力に不満があるわけでもなく、むしろ感謝しているのだ。 
 しかし何をどう言っても、私のようにうまく言葉にできないものは、結局反感をかうだけなのだ。 
 歩み寄ろうと努力したり、私が黙っていれば何とかなると考えたりしてみたけれど、どれもうまくいきそうにない。 
 だから、もう留まることはできないと思いました。 
 

2007. 6. 28. Thu
自己分析
天気予報がはずれまくり。朝から30度を超え、暑い暑い! 
バス停から学校までの道、右斜め後ろから太陽が照りつけ、足が焦げそう! 
既に道路は熱くなっているのだろう。ノエルがは〜は〜と呼吸を荒くしていた。 
夏中こんな暑さが続くのだろうか?大丈夫かな? 
たった少し日に当たっただけなのに、全身がひりひりとしてしまった。 
もともとクーラーに当たったりして乾燥してたし、痒みが残るかなぁ?心肺だ。 
 
昨日のお散歩ノートで、みんなに誤解を与え、心肺をかけてしまったかも。 
つくづく、言葉の力が怖いこのごろ。 
いったい私が今していることって何なんだろう? 
何がどうしてそうなるのか、自分でもよく分からなくなってきた。 
ある人は、私が言いたいことを直に言い過ぎるから、トラブルに陥ってしまうのだと言った。 
でもそれだけは違うと断言できる。 
私は心の声をストレートに外に出せない性格である。 
言いかけては、周囲の言葉に圧倒されて黙り込む。 
黙っているうちにもやもやが貯まる。 
辛いことだってなかなか言えずに自分の中に押さえこむ。 
私が言葉として口にするときは、たいていかなり追い詰められた心理状態に達してからだ。 
そのギャップを周囲には理解してもらえないから、何気なく聞き流されたり、軽く返事をされたりするだけで終わってしまう。 
いよいよ苦しさのはけ口を失って、感情的にブチッといってしまったり、涙が止まらなくなったりする。 
私としては、たんに苦しさを外に逃したいだけ。誰かにあたっているとか、怒っているとか、そういうのではないのである。 
こんなおかしな自分、どうにかして克服したいのに、それができない。 
まぁ、大の大人がいくらこんな言い訳をしたところで、どうしようもないことなんですが… 
どうしてこういう人間になってしまったか、思い当たる過去はいくつかある。でもまぁ、境遇のせいにするのはみっともないですね。 
何とかしなければ自分も辛いし、この先誤解だらけで人生を送っていかなくちゃならない。 
困りますねぇ。 
悶々とした毎日の中、このごろはこんなことを考えています。 

2007. 6. 27. Wed
全て、何のため?
T町の中学校から「盲導犬のお話をしにきてほしい」と依頼の電話があった。久しぶりの公演依頼である。 
私ごときが、交通費を出してもらってはるばる宮崎市から出かけるほどの良い話ができるかは疑問ではある。 
微力であっても、子供たちに、盲導犬への正しい理解をしてもらいたいから、時間と体力の許す限り、こういう話は受けることにしている。 
これまで私の話を聞き、ノエルの活動する姿を見てくれた人が、いったいどれだけの数になるだろう。おそらく2000人ではすまないと思う。 
しかし、ふと自分の現実を振り向いてみたとき、いったい私のしていることは何なのだろうかとむなしく思えることがある。 
私は、行動の自由を得るために、ノエルを迎えたのではなかったか? 
たとえノエルがときどき失敗して道の真ん中を歩いたり、車の来ている道路を渡ろうとしたりなどのハプニングがあったとしても、私が一人で歩くのとは比べ物にならない快適な歩行ができる。 
私はノエルの力を借りて、それまでは自力でやるのが不可能に思えた様々のことにチャレンジするようになった。 
人が称賛する私の行動力も、前向きな態度も、全てはノエルの力の上になし得たことである。 
ところが、世の中の見方はどうだろう? 
ノエルと出会って10年になる。「身体障害者補助犬を社会の中に受け入れなさい」と法律だけはできた。 
しかし、日本人の感覚は10年前からほとんど変わっていないように思える。 
入店、入場拒否は今もあちこちで聞かれ、法律は名ばかり。 
いくら法律があっても、「犬」に対する意識が変わらないのだから飛躍的な変化を期待できるはずがない。 
知人と食事や旅行に行こうとすれば「受け入れてもらえるかしらねぇ?聞いてみなくっちゃ」という話になることはしょっちゅう。 
盲導犬はただの犬ではなく、視覚障害者の「目」である。 
ペットではなく、使用者の体の一部である 
という認識を広めようとしても、使用者本人の言葉には限界がある。 
「受け入れてくれますか?」ではなく、当然受け入れられるべき存在なのですと、私をフォローしてくれる仲間はほとんどいない。 
子供たちにノエルとの生活を話し、盲導犬の社会的な役割を理解してもらう。 
なるほど20年ほど経てば、彼らが成長し、社会が変わるのかも知れない。 
でも、私は、現在の、この大人社会の中で孤独と戦わなくてはならないのだ。 
自由になりたかったのに、ノエルがいて、極端に自由を束縛されている現実。 
頑張る人のパートナーは受け入れられ、私みたいなだめ人間のパートナーは受け入れてもらえない。 
ノエルはかわいそうな盲導犬だなぁ。私のパートナーになったばかりに、窮屈な思いばかりさせられてきたのだ。 
そしてこれからも。 
私たちは、どこへ向かうのだろう? 

2007. 6. 18. Mon
うれしくて悲しい
病院で、またまた調子が悪くなった。 
どうもやっぱ月曜日のせいか、何だかしんどい。 
3時間目あたりから、眼圧が上がって、目と頭がすごく痛くなった。 
でも、絶対冷静を失わないのだ。平然とやり過ごしてみせる。 
とはいうものの、やはり表情には出るのだろう。 
血圧を測りにきた看護師さんが 
「大丈夫?きつそうだけど」 
と言ったので、正直に調子が悪いと告げた。 
体を起こし気味にしてもらってさらに1時間。 
またまた回ってきた彼女が 
「辛いねぇ」 
と言いながら、背中おさすってくれた。 
泣きたくなった。しんどくて辛いからじゃなくて、彼女の優しさに触れたから。 
心に寄り添ってくれる一言。この一言をドクターが言ってくれたなら。言わなくてもいい、態度で示してくれたなら… 
そして、やたらに目が痛くなったり、体がかゆくなったりする症状さえなければ、私は今も平和にここで過ごせていただろう。 
憎むべきいやなことばっかりだったら、出ていくことに何の未練もないけれど、辛い日々の中に、心から労わり支えてくれる人がいるのだ。 
もう引き返せないから、優しい人たちの心は大切に受け止めていくしかない。 
優しい人たちがいてくれて、うれしいな。でもなんか悲しいな。 



2007. 6. 14. Thu
今の気持ち
あれから三日。何だか日に日にしんどい気分が増していく。 
お腹が痛い。血圧が高い。不調…でも、調子が悪いなんて病院で言ったりはしない。 
原因は明らかなのだから、時が与えられるまで、ひたすら耐える。 
昨日は病院に着くなり先生の部屋へ呼ばれ 
「月曜日の君の態度を、僕は許すことができない」 
と言われた。 
それに続く諸々の言葉を、私は完全沈黙で受けた。 
もう何も言わない。言えば言うだけ怒りの炎を強めるだけだし、決して歩み寄ることなどできないのだ。 
ここに残りたいなら今までのことを正式に謝罪しなさい。二度と迷惑をかけないと公式に誓いなさい。それができないなら出ていってほしいという最後の言葉にのみ 
「はい、そうします」と一言。 
しかし、それだからといって今すぐ飛び出すわけにいかない悲しい立場。 
許せない患者である私に、ドクターは治療の準備を施し、無言で立ち去った。 
いつまでこれが続くだろう。気にしないよと自分に言い聞かせて、スタッフや他の患者との会話も最小限にして、もくもくと過ごした。 
孤独!親切な態度の裏に隠された冷ややかな視線。 
いったいこの苦しみは何なのか? 
詳しく書けば、書ききれないほどの過去の出来事が思い出される。 
それらの一つ一つを挙げて攻められる。 
あんなことも、こんなこともしてあげたのに、君は感謝もせず、わがまま放題をやっていると。 
頭の良い人の言葉は、だんだん私を追い詰めていく。 
もしかしたら自分が間違っているのだろうか?やはり非常識なことを考えているのだろうか? 
心の中をかき回され、それこそ叫びだしたい気分。 
私は決して自分のことを、人の優しさが分からず、感謝もしないような人間だとは思っていない。 
ただただ、ときどき医療スタッフにも心の声を聞いてほしかっただけなのだ。一人で体調の悪さと心の重荷お我慢するだけの忍耐力がなかった、ただそれだけのこと。 
二度と迷惑をかけませんなんて、とても誓えない。自信がないもの。 
でも、「出ていきます」と言い放ったものの、私お受け入れてくれる先生がいるんだろうか? 
不安、やりきれなさ、いろんな感情が、朝も、昼も、夜も私の頭から離れない。 
私を支えてくれるのは、ここに来て、ノートを読んで励ましてくれた人たちの言葉。 
たくさんのコメントがもらえて、本当にうれしいです。 
たあいもないことを書いて笑ってもらえる生活が、早く戻ってきてくれたらと願うばかりです。 
 
 

2007. 6. 11. Mon
もうだめかも!
体調が悪くて、病院で不機嫌な態度を取ったので、ドクターに叱られた。 
「いいかげんにしないと、堪忍袋の尾が切れますよ!」 
って、既に切れていそうな勢い。 
後で冷静になると少々大人気ない態度であったかと思うのだけど、具合が悪いときはどうにもストップが効かない。 
いい大人が。社会人で、しかも人を指導する職業にある身で、集団生活のマナーをちっとも弁えてないし、スタッフに対する感謝のかけらもないねと、さんざんに言われた。 
ドクターは現場を見ていたわけではない。 
スタッフも誤解している。誤解したまま伝えたので、それは誤解ですと言っているけど、聞き入れてもらえない。 
「他の患者さんは辛くても君みたいに冷静さを無くしたりしないよ。君の態度はいったい何だい?」 
確かにそうだ。でも、言わせてもらえば、辛いことを辛いと言えないムードを病院が作っているんじゃないか。 
他の患者が辛いと声を上げてくれても、たまに泣いたり叫んだりしてくれても、私はいっこうにかまわない。 
それを共感できるだけの思いは、私の中にあるから。 
そういった一連の気持ち、今日は全部言ってしまった。 
前(2年前)にもこういうことを言われたことがあるけど、あのときは不本意ながら、病院を替わる当てがなかったので、黙って耐えた。でももういい。少々遠くなるけど、病院を替わることを考えよう。 
ドクターは本気で怒っている。 
でも、私は間違ったことを言ってるつもりはないのだ。 
患者が辛いと声を上げることは許されないのに、スタッフどうしが固まって声高らかにおしゃべりしてるのは許される。 
おかしなことは、挙げればきりがない。 
確かに多くのことをしてもらって、ずいぶん世話になったと自覚している。 
健康もそれなりに支えられてきたし、特に親切にしてくれたスタッフにはありがたいと思う。 
しかし、世話になる立場だからといって、患者はもくもくと我慢し、言いたいことを言わずにいなければならないのか? 
1年間に156回治療を受けて、そのうちのただ1度くらい、我慢が限界を超えてパニック気味になった…それが、それほど許すべからざることなのか? 
精神的に強靭な人しか、あの病院には行ってはいけないし、ましてや医者に意見を言うなどとうていありえないことなのだろう。 
もういいよ。しんど過ぎる。 
ここまで言いたいこと言っちゃったし、もう今のところにはいられない。 
こんなことに振り回されながら生きていかなきゃならないことがつくづくいやになった。 
喜べない自分。許せない自分。感謝できない自分。ああ、最低だ。 
 

2007. 6. 10. Sun
まいったまいった2連発
これから書くのは、けっこうばっちい話しです。 
お食事中の方、きたない話題の苦手な方は読まないでください。 
 
昨夜電子レンジを使おうとガラスのドアを開けたら、レンジの中が何だかとても臭い。 
何か腐ってるみたいな、ばい菌の塊みたいないやな臭いだ。 
何だろうなぁ?ターンテーブルに食品を放置してある気配はない。 
が、ターンテーブルをはずしてみたら、何かが吹き零れた形跡発見(うへぇっ!)。ここ数日間のレンジ使用暦を思い返してみて、思い当たった。 
そういえば以前にもこんなことがあったっけ。 
細長いプラスチックの容器にスパゲティと水をを入れてしばらくレンジで加熱すると、ちゃんとスパゲティが茹でられるという、便利なグッズがある。 
ちゃんと使えれば非常に助かるのだが、これが私のレンジにはやや大きすぎるのだ。 
もう少しターンテーブルの直径が大きいか、ターンテーブルのまったく無いタイプのレンジならよいのだろうけど、我が家のでは、ケースがレンジの庫内いっぱいになり、きちんと回らない。 
回るには回っても、ターンテーブルの縁に乗り上げたりして、中の茹で汁が零れるらしい。 
以前同じハプニングがあったのに、すっかり忘れていた。 
さすがに3度も失敗はしないつもりだが、それにしてもこれが使えないとは惜しい。 
もし次にレンジを買い換えるときには、もうちょっと中の広いやつにしたいものだね。 
 
結局「うへぇ!くっさ〜!」とわめきながら、どうにかこうにかレンジの中を掃除した。 
でも、なかなか臭いはとれない。 
オレンジクリーンで拭いてみても、キッチン用消臭スプレーをかけてみても、どうにもならない。 
時間が解決してくれるのを待つしかなさそう。 
衛生的には問題ないレベルまで行けたと思うけど、ちょっとこれで調理する気になれないな。 
 
一夜明けて本日朝の話し。 
ノエルは、昨年と同じ左前足に痒いものができ、おまけにお腹にもポチポチができたりして、やたらと舐めるので、ステイのときはエリザベスカラーをつけましょうということで、昨日からつけている。 
首の周りをラッパ形に取り巻いて、患部に口が届かないようにするこのカラー。夏だとかなり暑そうでかわいそう。 
早くはずしてあげられるといいなぁ。 
今日は教会に行く日だったので、1時間あまりの礼拝の間、またまたカラーを装着していた。 
と、いきなりノエルが「ゲホッ!」と言い出した。 
カラーのせいではないと思うのだけど。おそらく自分のリードの上で寝返りをしたため、リードにつながっている首輪が絞まってむせたものか。ひょっとするとお腹の調子が悪く消化不良かも知れないが、そのへんがちょっと気になってはいる。 
とにかく、かなりの量のドッグフードを戻してしまった。 
普通なら戻せばそのまま吐き出して床を汚すだけなのだが(それだけでも掃除はけっこうたいへん)、今日は悪いことに、カラーをしていた。 
しかもなぜかゲホゲホいいながら、ノエルは天井を向いている。 
なので、戻したものは全てカラーの中に貯まり、ノエルの顎から首にかけての毛がどべどべになってしまった。 
トイレでカラーをはずし、ノエルの首をトイレットペーパーを濡らして拭く。 
他の人たちが床を拭いてくれたり、えらい騒ぎ。 
家に帰ってからも、なんだか臭いがするので、シャンプーで拭いたり、犬用の除菌スプレーで拭いたり、なんだか1日この後始末で終わってしまった。 
いやはやばっちい週末でありました。 
ノエルは何事もなかったように元気。良かった。 


2007. 6. 9. Sat
大ショック
このごろPCの調子おかしい。 
たんにコードの接触が悪いだけかも知れないが、いきなり電源が落ちる。 
さっき、このノートを書いてたとき、またまたブチッ! 
ずいぶん長い文章を書いて、あと2・3行でUPできるというときに。 
ちょっと深い内容だったんだけど、さすがに再度書く気力なし。 
また今度ということで、とりあえず今日はこれだけ。 
ああ、そろそろこのPCやばいかも。 

2007. 6. 8. Fri
乗り越し
久々にやってしまった。 
病院に行くとき、あと一つで降りるバス停なのに、一瞬意識が飛んだ。別に気を失ったわけじゃぁありません。ようするに、寝ちゃったわけ。 
はっと気がついたら「○○でお降りございませんか〜?」と運転手が言っていた。あわててピンポーンと鳴らそうとしたけど、「お折ございませんか」と言っている時点で既に通り過ぎようとしていたようで、間をおかずして「次は△△でございます」とアナウンスが流れた。 
今度こそと、あわててボタンを圧した(あわててもどうせ止まるところは同じなのに)。 
透析のとき、アレルギーを起こして痒くなるから、学校を出る30分くらい前に抗アレルギーの薬を飲む。するとバスに乗ってるうちにだんだん効いてきて、バスの揺れとも相まってやたらと眠くなるのだ。 
それでも、4時半までに治療を開始しなければとの意識が働いて、まず乗り越すことはなかったのだけど、今日はなんだか異様に疲れていた。午前中いろいろ用事があって、あちこち歩き回っていたせいかも知れない。 
はっとしてあわてて降りたわりには、降りてからもまだ意識がほわんほわんしていた。 
しかも暑い! 
病院までの道のりが長い。現在歩いている道を知るまでは、毎回このルートを通って通院してたんだけど、久しぶりに歩いてみると、やたらに長く感じる。 
ノエルも、暑いのでいやいやながらといった様子で、そのうちに、例のピョンコピョンコ歩きを始めた。 
いくら拒否反応を示されても、さすがにタクシーとか乗る距離ではないし、ノエちゃんにはほんと申し訳ないけど、歩いてもらうしかない。 
若干速足で歩き、結局いつもとあまり変わらない時間に病院到着。 
私が準備を整えて治療に入るころには、ノエルは既にベッドの下で夢の中。地響きがしそうな大いびきをかいて爆睡していた。 
ご苦労さんでした。ごめんよほんと! 


2007. 6. 7. Thu
救急方研修会
いつものハードな木曜日。授業5時間かぁ…と思いつつ学校へ行き、行事予定を見ると、救急方研修会が放課後にあることになってた。すっかり忘れてたな! 
授業の後毎日行われる生徒たちの部活も本日は中止で、全員下校。その後全職員体育館に集まって、実技を入れながらの研修である。 
毎年行われているのだけど、最近はAEDが不及してきたり、心肺蘇生のやり方も年々少しずつ見直し・変更が行われるようで、今年は特に去年までとは違っていた。 
参加者を5班に分けて、ダミーを使っての実技。 
去年までは、心臓マッサージを15回やって、人工呼吸を2回やるというのが1サイクルだったと思うけど、今度は30対2というパターンになっている。 
心臓マッサージも、呼び名が「胸骨圧迫」と変更されたみたい。 
お人形に「もしも〜し!」と声をかけ、意識がないので119通報してくださいと周りの人に頼む。 
AEDを持ってきてもらうように頼んでおいて、その間に間断なく胸骨圧迫を行う。 
人工呼吸はけっこう得意だけど、患者の胸を30回もぎゅっぎゅっと押し続けるのは、かなりしんどい。そのうちこっちが貧血でへたりそう。 
しかも体育館の暑いこと暑いこと! 
まぁ、こういうのを毎年研修できるのはラッキーではある。 
実用するような事態が起きないのが一番だけどね。 
 



2007. 6. 3. Sun
ノエちゃんが鳴いた訳
雨の中、歩いて教会へ行った。 
教会の礼拝の流れは、たいていは最初に讃美の歌をいくつか歌った後、そこに集まった人たちが握手を交わして「おはようございます」と挨拶する時間がある。 
ノエルはこの時間をとても楽しみにしているのだ。 
新しくみえた人が来ているときなどは、いつもに増して張り切って、真っ先にその方のところへ行って歓迎の挨拶をする(犬が苦手な方だとちょっと迷惑だろうけど)。 
それだから教会では、ノエルは「盲導犬」ではなく「伝道犬」と呼ばれていたりする。 
今日も教会に到着したときから、ご挨拶がしたくてしたくてうずうずしていたノエル。 
何度かフライングして立ち上がり叱られる。 
讃美の時間が終わり、さぁご挨拶だ!と思ったノエさんだったが、あいにく今日は第1日曜で、讃美とご挨拶の間に「主の晩餐式」というプログラムがある。 
その内容についてはまた別の機会にということでここでは省略するけど、この儀式が、けっこう時間かかるんだなぁ。 
で、まだご挨拶の時間じゃないと分かってがっかり、ため息つきながらダウンしていたノエルだったが、2分、3分と過ぎるうちに我慢の限界に近くなってきたのだろう。 
人のざわめきや、BGMに隠れて、そっと鼻を鳴らす。「ピィー、ピィー」 
そのうちだんだん大胆になり「フウーン」と一声。 
盲導犬としてはあまりよろしくない態度なので、静かにしなさいと注意したら、一度は黙ったが、またしばらくすると「ピィー、pィー。フォーン」 
と言いながら、盛んに尻尾を降る。その尻尾が近くの壁に当たりバッタンバッタン音を立てる。 
みんなが何事かと注目している。 
10分ほどして儀式が終わり、ついに挨拶の時間がやってきたとき、ノエルは最高の喜びを全身にあふれさせながら、挨拶に駆け出していった。 
会堂に集う全員にご挨拶をし、頭をなでてもらうと、さも満足気に戻ってきて、以後ピィとも言わずおとなしくしているのだった。 
なぜにここまであの時間が好きなのか。 
叱られても鳴くのをやめられないほどにノエルを夢中にさせるのは何なのか。 
まったく不思議だ。 
本当に立派な伝道犬だねぇ。 
 


2007. 6. 1. Fri
入梅
ついに6月。速い! 
朝からどんよりの曇り空。 
どうにか帰る時間まで雨降らずに持ちこたえた。 
夕方のニュースで、南九州は今日入梅したと言っていた。 
そういえば入梅って、こんなにピシッと発表されるんだっけ? 
一時期、梅雨に入るのは、前線が徐々に動いてきて、気がつけばいつの間にか梅雨らしい天気になってるのだから、「この日が入梅です」と宣言することはできないのだと言ってたことがあった。 
そして、2・3日ぐずついた天気が続いた後で「既に入梅しています」と発表されてたような。 
いつの間にかまたもとのやり方に戻したのだろうか。よく分からない。 
何にせよ、今週末はずっと雨みたいで。洗濯物も貯まっているのに、困るなぁ。 







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