7月29日(木) 二日間出張で、研修センターにこもっていた。世の中こんなに暑いのに、私はクーラーづけで寒いくらいの思いをして過ごした。おかげで体内の水分が残ったままになり、体重が増えまくる。 昨日は英語の研修。今日は自分の興味のあるテーマから二つ選んでの研修だった。午後の講座で「教職員のメンタルヘルス」というのを受講したら。すごく良い話だったけど、絵を二つ画かされたのにはまいった。画く絵からその人の心の状態が分かるのだそうで、絵がうまいとか下手とかは関係ないんだけど、どうやらスタッフの方は、私の描画能力にとても興味があるようなのだ。まぁ、無理もないとは思うけどね、ほとんど見えてない者が絵を画けるなんて信じられないのだろうから。 どうやら、私の画く絵から、心のトラブルというような問題は見られなかったらしいが、暇に任せて木の葉に葉脈なんかを描き込んでいたら「几帳面な性格ですね?」なんて言われた。よくそんな印象を持たれるんだけど、私んちに一度でも来たことがあれば、それがうそだってことはすぐにばれてしまう。結局私の絵は、講師の先生が「ぜひください」とおっしゃるので、恥ずかしいけど差し上げてしまった。 7月27日(火) やっぱりパソコンはいかれているとしか思えない。日に日に動作がおかしくなっていく。これじゃぁほとんど使い物にならない。 幸いデータの移動はできるようなので、大事なものはメモリスティックに保存して、古いパソコンで使うことにした。問題はこのHPをどうやって更新するかだなぁ。しかたがないので名案が浮かぶまで、書きたいことを書き溜めておこう。 7月24日(土) またまた母が「そっちへ行くから」と電話をしてきたが、まるで頼りない声だったので、とても黙って待ってはいられないと思って、私のほうから実家を訪ねることにした。 ほぼ半年ぶりに帰った感じ。猛暑の中延々と続く坂道を上ったら気分が悪くなった。 家はひっそりとして、なんだか周りの世界から取り残された場所みたいだ。クーラーのきいた部屋で、父はでっかい音でテレビをかけているし、母はテレビの音なんかまるで気にもならないらしく、父の足元に長々と寝ている。 母の気持ちをなだめるために帰ってみたけど、結局のところほとんど話しもできないまま。両親に会うたび気が滅入る。ウィークデーの間、あえて考えないようにしている私はずるいかも知れないけど、そうでもしてないとこっちがまいってしまいそう。 7月23日(金) 授業が今日で終わり、明日から夏休み。私のところは2学期制で、おそらく県内でも、休みに入るのが一番遅かっただろう。 生徒にとっては、待ちに待った夏休み、しかも学期途中なので通知表も無くるんるんだろうが、私としては、これから30数日さびしい毎日だ。 ところで、授業が休みになると、教員も皆出勤せず家でのんびりしていると思っている人がけっこう多い。「夏休みはいつから?」と聞くのでてっきり学校の生徒のことだと思って返事をすると、 「いいねぇ、先生は夏休みがあるから。」 などと言う。いい機会なので、ここで誤解を解いておこう。 公立学校の教員は、立場としては一般の公務員と同じ。土日と三日間の夏季休暇があるけど、それ以外はない。他の日に休んでいる人がいるとしたら、それは自分の有給休暇を利用しての休みだ。 かつて、まだ学校完全週5日制が実施されていないころ、他の公務員と条件をそろえるために、土曜日出勤した分の休みを、夏休み中などにまとめて取れるシステムがあった。あと、自宅で仕事をして報告書を書けば、勤務場所を離れての研修として認められることがあった。これが「先生は夏休みがある」という誤解を日本中に広めた原因だろう。とにかく、今はこのようなことも全くないのだ。 では生徒のいない学校でいったい何をしてるの?という疑問が生まれるようだが、教員の仕事は授業だけではない。一つの授業をするにも準備が必要だし、より良い指導ができるようになるために研修もする。教材作ったり、会議をしたり、中には補習や部活で生徒が出てきてそちらの面倒見なきゃならない人もいるし、けっこう時間足りなくなるくらい忙しいのだ。 7月21日(水) 一度不眠におちいると、とても手に負えない。2時でも3時でも平気で起きている。いろいろと、リラックスする方法とか、眠くなるためのイメージトレーニング(?)など教えてくれる人もいて、試してみるけど私にはまるで効果がない。これでも昔に比べたらましになったほうで、透析始める前のすごく調子が悪かったころは、一睡もしないままに朝を迎えることがときどきあった。だから、おそらくは病気から来るものなんだろうとあきらめている。でも寝ないで仕事なんかしたらまいってしまうので、しかたなく病院でもらってきた薬を飲んで、2時間でも3時間でも眠る。 薬を飲む決断が遅れると、とんでもないことになる。それを昨夜やらかしてしまった。1時を過ぎても眠くならないので、薬を半分飲んだ。実際寝付くのに、さらに1時間以上かかった。 こういう日は、ありったけの目覚まし時計をセットして、タイマーでラジオも大音量で鳴り出すようにしておく。寝過ごしたらたいへんだからね ところが恐るべし!今朝私が目覚めたとき、とっくに出勤時間が過ぎていたのだ!出勤時間どころじゃない、そろそろ授業が始まろうかという時間だ。頭の中が真っ白。震える指で学校の電話番号をプッシュする。しどろもどろに事情を伝える。とがめる声一つ無く 「そうですか。じゃぁ気をつけて今から来てください。」 と校長先生。なんと寛大な言葉だろう!学校に着くと同僚たちが口々に 「大丈夫?具合悪いんじゃない?」 と気遣ってくれる。なんて優しい仲間なんだろう! それにしても情けない話だ。目覚まし時計は皆で鳴り響いてたのに、完全に無視されていたらしい。大音量のラジオは、私が夢の中で止めてしまったようだ。こんなトラブル防ぐには、結局朝まで起きているしかないのかも。 7月20日(火) この暑さ。ついにパソコンがおかしくなってしまった。 突然画面いっぱいに意味不明な記号と文字が現れたかと思うと、音声ソフトが震える声で何やらつぶやき、それからキーボードの右半分が入力を受け付けなくなってしまった。 子供たちに渡す宿題の原稿も、HPのデータも、何から何までパソコンの中。修理に出そうにも、キー入力ができないのでバックアップも取れない。 お店へ持っていく前に、学校内のパソコンに詳しい先生に見てもらおうと、2階のパソコン室で仕事中の先生のところへ持っていった。 ドアを開けるとひんやりとクーラーがきいている。。先生はしばらくキーをたたいていたが、私のほうに向き直って 「どこかおかしいですか?」 と言う。こんなにおかしいのになぁ、気づかないなんて、そのほうが変だよと不思議に思いながら、私がキーをたたいてみると、なんと、何事もなかったみたいにすいすい動いた。 「えっ、何これ?先生、何かしたでしょう?魔法の指だぁ!」 「何もしてないよ〜。おかしいねぇ。」 ほんとに、職員室では2時間もご機嫌斜めだったのに。職員室はクーラーなしでひどくむんむんしてたから、パソコンも夏ばてしてしまったのかな。何はともあれ、無事復活したのでほっと一安心。またおかしくならないうちに、せっせとHPのデータを他のところへ保存する私だった。 7月17日(土) 昨夜透析中にいきなり実家から電話がかかってきた。 結局何の用事だったのかよく分からないまま… 母の具合が悪そうだ。心の調子を崩した人に「がんばれ」とか「早くしなさい」とかの類の言葉をかけるのは逆効果と言われるが、傍で見ている父は、なかなか黙ってはいられないらしい。電話のおかげで、それまで安定していた私の体調もすっかり乱れてしまい、ひどくしんどい時間を過ごしてしまった。 今日は母が一人で私のところへやってきた。やはりとても調子が悪いらしい。母の心はいったいどこにあるのか?対話もほとんど成り立たず、悲しい。とても一人で帰すのが心配で、母の乗るバスの停留所まで送っていった。 頭が良くて、なんでもできて、とにかく完璧主義だった母。若いころからずっと、病気の家族の世話をするためと、目の悪い私を支えるためにだけ力を注いで、疲れきって心のバランスを崩してしまった、可愛そうな母。私の一番の理解者だったのに…。父と私が重い病気を負っただけではまだ足りないというのか?なぜ私の家族だけ、こんなにも健康に恵まれないのか?さすがに気分が落ち込んでしまった。 夜、姉のお店へ行き、夜中までしゃべりまくって過ごした。ストレス解消。明日もがんばろう! 7月16日(金) このごろは暑いので、あまり長時間外を歩くのはノエルに可愛そうだ。 職場から病院へ行くのに、本当を言うと、バスを乗り換えるよりは歩いたほうが速いくらいなんだけど、とりあえず乗り換えることにして、大通りを渡って反対側のバス停へ向かっていたところ、突然 「先生」 と呼び止める人がいる。街の真ん中で「先生」と呼ばれるのは、いつになっても慣れなくてあせってしまう。あせりつつも立ち止まったけど、その人が誰であるか分かると、更に何倍も驚いた。 なんと、それは昨年まで私の職場に英語の授業のアシスタントとして来てくれていたイギリス人のヘンリーさんだった。 1年前、仕事の任期が終わったからと言って帰国したはずの彼が、なぜ今ごろ宮崎のメインストリートを歩いてるわけ? 「1週間だけ宮崎に来ました」 と、ヘンリーはすばらしい日本語で言った。 日本が好きで、宮崎が好きで、将来また来たい、日本で仕事がしたいと言っていたけど、彼はその希望に向かって着実に歩んでいるのかも知れない。そして、機会あるごとに宮崎を訪れているのかも。 「学校の皆は元気ですか?○○ちゃんは?」 と、生徒の名前までよく覚えている。ほんの2,3分だったけど、嬉しい再開だった。しかも彼との話の間、私はただの一言も英語を使わなかった。 7月15日(木) 宮崎は田舎の県だけど、盲導犬への理解や受け入れは進んでいるところだと思っていた。 7年間ユーザーやってれば、入店拒否の1度や2度は経験したことがあるけれど、どんなに説明してもお願いしてもだめだったというようなことはほとんどないし、この2年くらい、拒否されること自体がなくなった。 ところが、入店とか宿泊などよりもっと重要な、命を守るというような次元で問題があることが、昨日分かったのだ。 宮崎では、使用者が急病になったとき、あるいは急病人の付き添いのとき、救急車に乗る際盲導犬を同伴できないと言うのだから。 この問題は、あるユーザーさんが、犬の急病の際に、人間の救急車を使わせてもらえないのだろうかとおっしゃったことから始まった。 さすがにそれは難しいだろうと私は思っていたのだけど(でも実際に救急車で動物病院へ運ばれた盲導犬も、他県にはいるらしい)、ユーザーに同伴することは当然認められると思っていた。 だが想像に反して、「犬の病気には対応できない。ユーザーの盲導犬同伴も、衛生的に問題があるのでだめ」という。 ではもし私が歩行中に怪我か急病で倒れたらどうなるんだろう?ノエルだけそこに残して救急車に乗れと言うのか?それができなければ重傷の身でノエルと病院まで何とかして行けというのか? あまりにとんでもない話に、全国のユーザーさんへ尋ねてみると、何人もの人が「犬といっしょに救急車に乗ったことがありますよ」 と言う。 病院にだって、院内のたいていの場所には盲導犬と行ける時代。土足で乗車できる救急車の床に盲導犬が座ったとして、どんな衛生上の問題があるというのか?…なんとかして、この事態を変えなければ、私たちは安心して暮らしていけないではないか! 7月11日(日) 選挙の投票に行ったら、会場になってる小学校の正門で見知らぬおばさんと一緒になった。 いきなりたあいない世間話を始めたおばさんに、適当に言葉を合わせながら歩いて行くと、やがて投票場になってる体育館の付近に出た。 「私は選挙に来たんだけど、あなたは?」 他に何の用があるって言うのよ?と思いつつ 「私もです。」 と答えると、おばさんは本気でびっくりした風に、 「あら、ほんと?あなたも選挙権あるの?」 と言う。まさか障害者には選挙権がないとでも思ってるんだろうかと、こちらのほうが驚いて、 「ありますよ。」 と言うと、ますます驚きの反応が返ってきた。 「ほんとですか!もう二十歳過ぎてらっしゃるの?」 な、な、なんだって?!確かに私って幼く見られがちなんだけど、これはあんまりだ。ちなみに私は昭和40年代半ばの生まれなのです。 数年前、何かの本で「腎臓病患者は実際より老けている人が多い」という、ありがたくもない統計を見たことがある。だから私は、ぜったい老けた雰囲気にならないぞって頑張ってきた。もしそれができなくなったら、それはつまり病気に屈したことなんだと自分に言い聞かせて。でもねぇ…未成年に見られたとは、あんまりだな。 7月10日(土) 1時間足らずの間に、困った人二人会ってしまった。犬嫌いな人に遭遇するのはちょっと困るけど、犬好きが過ぎる人に遭遇するのはもっと困るかも知れない。 スーパーで買い物をして、レジに並んでいると、ノエルが床にべったりお腹から顎までくっつけて寝そべってしまった。 これを見た後ろのおばさんが 「暑いんだわ、この犬。こんなにべったり寝ちゃって。お水飲ませてあげなさいよ。」 と言う。 ノエルは買い物に行くとしょっちゅうこのポーズをする。床の冷たさを楽しんでいることには違いないけど、決してのびきってるわけじゃないし、私が水を飲ませていないわけでもない。 そのことをおばさんに説明したが、彼女はまるで信じていないようだった。 「がんばってるんだから、ミネラルウォーターを買ってあげなさいよ、かわいそうに。」 と、いつまでも言っている。だんだん不愉快になってきた私は、買い物の支払いを済ませると、さっさとその場を後にした。 スーパーを出てバス停へ。涼しければ歩いて帰るんだけど、やはりここはバスに乗ったほうが良さそうだから。 ノエルがせっかくベンチを教えてくれたので、座って待つことにした。 「おりこうな犬だねぇ」 さっそく犬好きなおばあさんが近づいてきた。 「何か食べ物を持ってくれば良かったけどねぇ、何もないわ。」 内心ほっとする。食べ物なんて差し出されるのは迷惑だからね。 ところが次の瞬間、彼女は1枚のお札を私のほうへ差し出して、 「そんなの困ります。けっこうですから。」 受け取るのを拒否すると、彼女は泣き出しそうな必至の声で 「あたしの気持ちなんだから、とってちょうだい!」 本当にまいった。振り払って、丁度目の前に走りこんできたバスに飛び乗る。 座席に落ち着いてから、ちょっと後悔した。 確かにあのおばあさんの盲導犬についての認識は正しいとは言えない。だけど、あれほどの必至な申し出を、あんなにつっぱねて逃げ出したのは良くなかったかも知れない。バス停のすぐ近くには、盲導犬育成のための募金箱を置いているデパートがある。うちの子にくださる代わりに、その箱へ入れてくれませんかと一言言ってあげたなら、彼女を悲しませずにすんだだろうに。 7月8日(木) 九州地区の盲学校の学生たちのグランドソフトボール(視覚障害者の野球)大会が福岡で開かれるということで、我が校のチームも昨日出かけていった。生徒15名、引率職員5名。 ところが、宮崎はこんなにいい天気なのに、福岡はかなり強い雨が降っているらしく、野球の試合が明日に延期になったので、今日も福岡に泊まって帰るとの連絡。 明日も雨だったら今回の大会はなくなるような話もしていた。 せっかく練習してきたんだもの、それじゃあんまりだよね。 どうか明日は福岡は晴れになりますように!天気予報の降水確率はけっこう高そうなんだけど。 7月3日(土) ノエルの健康チェックに行った。まったくトラブルのない犬なら3ヶ月に一度くらいでいいんだろうけど、もう2年くらい、ノエルは毎月出かけている。病院嫌いなのに、可愛そうなことだ。 どういうわけか、このごろノエルが急激に太ってしまった。しかも、この1ヶ月気をつけてたのに、まるで効果無く、5月の初めに比べると1kgの増加!これではあまりに心配だ。 おまけにアルカリ尿の症状も改善せず。pH7.5で、結石予備軍だ。pHコントロール用のフードの量も増やして、飲み水さえ私の分とは違うものにしてがんばってるのに、なぜなんだ? ノエちゃん、お願いだから、まだまだず〜っと、元気で私の傍にいて! いつものコントロール用フードと、獣医さんお勧めのフードのサンプルをいただいて帰る。外は30数度の炎天下。 「待っててくれたら車で送ってあげるよ。」 と、優しい先生。いつも本当に良くしてくださる。昨年ノエルがお尻にできた腫瘍の検査をしたときも、病院の仕事を半日休んで大学まで連れていってくださった。 ノエルにとって、病院の中では怖い怖い先生も、外に出たら大好きな優しい人に変身するらしい。尻尾をふりふり車に乗り込む。 本当に助かりました。 日記のトップへ トップページへ |