このページの背景は薄いブルーにアジサイの花が描かれています。
2004年6月

 6月30日(水)
 毎度頭にきた話が続いてすみません。
 バスに乗っていると、たくさんの高校生が途中から乗り込んできた。
 座席の下のノエルを見つけると、目で合図をしたり、手まねきして近くに呼び寄せようとしたり、まったくとんでもない。
 まぁ、そういうことをしてはいけないって、知らない子もいるだろうから、それだけなら良いとする。
 ところが、その手招きした子の友達が「触っちゃいけないんだよ」と教えると、大きな声で
 「なんで?噛むの?」
と言う。友達があわてて
 「しぃっ。なんでか知らん」と答えると、
 「自分が知らんこと人に言うなよ〜」と、さらにノエルの目の前で騒ぎ続ける。
 そのうち、その子の持っていたもの(何だったのかよく分からないけど、プラスチック製の堅いものだった)が手から滑って私のほうへ飛んできた。
 飛んできたそれは、私の左腕にピシッと当たった。ハーネスを握る手、透析の針を刺すほうの手。そう、私の命を支える左手にだ。あまりにびっくりしたので、思わず
 「何やってるの?!」とその子に向かって言った。
 彼女は黙って自分の手から飛んでいったものを拾い上げ、知らん顔をしている。
 「謝るくらいしたら?それから、犬はそっとしておいてくれない?」
 思わず声がとんがってしまった私もいけないけれど、彼女は無言で後ろのほうの席へ行ってしまった。
 いったいどうなってるんだ?たった一言ごめんなさいと言ってくれればいいものを!


 6月29日)火)
 下見無しで初めての道を歩くのは、やはり聞いた情報と実際とがうまく一致しないことがある。
 ちょっとした用事があったので、電話で聞いていた道順を頼りにノエルと歩いていた。
 聞いていたとおりに、それらしい道が現れたので、「角から3軒目」と言っていたのを思い出して、このへんかなと思うところでビルの2階へ通じる階段を探す。
 看板が読めればどうってことはないんだけど、こういうのは、さすがに盲導犬がいてもなかなか難しい。
 建物の入り口らしいところへ近づいて、階段があるか探していたら、いきなり怒られた。
 「ここは道じゃないよ!」
 こりゃどうも失礼しましたとあわてて道路に戻ったけど、なんか「そこまで言わなくてもいいのに」と、少々腹が立った。
 文字ではうまく伝わらないけど、すごく不愉快そうな、怒鳴り声に近かったんだもの。

 6月27日(日)
 とある雑学系の本を読んでいたら、とんだ間違い記事を発見。「盲導犬には信号の青、赤の区別ができない」とある。犬は色盲と言われているから、これは正しい。次がいけない。「彼ら(盲導犬)は車や人の流れで横断していいタイミングを判断して渡っている。」だって。車や人の流れから判断しているのは私たちユーザーだ。本当に「盲導」の言葉どおり、目が見えない者は完全にお犬様任せで歩いていると思っている人が多い。この本の著者も、そんな人たちの一人なのだろう。私の出身協会では、盲導犬と言わず「アイメイト」と呼んでいるけれど、何かこう、一般に広く通用する、良い呼び名はできないものだろうか。
 夕方、ごみ置き場に可燃ごみを置きにいった。ごみ置き場の横は駐車場で、そこへ入る車はリモコンで入り口のチェーンをはずして通行するようになっている。普段誰かの車でそこを通るとき、ノエルは足元にいるから、実際にチェーンが上がるところは見たことがなかったと思う。ごみを所定の場所に置いて帰ろうとしたとき、1台の車がやってきて、リモコンでチェーンを上げて駐車場に入った。チャリチャリと音がして、す〜っと動いたチェーンに、ノエルはひどく驚いたみたい。一旦尻尾を巻いて後ずさり。それからそっと近づいて、あたりをくんくんしていた。そして、とても不思議そうに顔を私に向けてくる。その動作が、なんだか無性に可愛いと思ってしまった。

 6月24日(木)
 ようやく中間テストが終わって、午後から盲学校の校舎を使って、盲学校とS中学の交流活動。生徒たちの企画で、盲学校オリエンテーリングを楽しんだ。
 両校の生徒26人を5グループに分ける。チェックポイントは三つ。
 その1、体験コーナー。弱視の擬似体験だ。視やの狭い状態や、視界が白濁した状態にするように作られた眼鏡をかけて字を読み書きしてもらう。
 その2、クイズコーナー。盲学校に関するいろいろな3択問題を10問解いてもらう。長年本校にいる私でも、「この学校の面積は?」なんて問題は解けやしない。
 その3、宝探し。資料室のあちこちに、点字の道具、弱視レンズ、視覚障害者用の歩行用具やスポーツ用具などを隠しておいて、5分でいくつ見つけられるかをチェック。でも、紛らわしいものも一緒に隠してあるからたいへん。「白杖を探せ」と言われて、見つけたぞと喜び勇んで係りに見せたら実はそれ虫取り網の柄だったとかね。
 スタートとゴールになってる体育館では、本校にしかないいろいろなグッズを展示して、待ち時間などに見てもらった。中学生たち、興味深々で、しゃべるパソコンやら点字タイプライターやら、生活便利グッズやらを触っていた。
 準備の時間も限られていて、生徒たちは毎日ああでもない、こうでもないと話し合いでたいへんだったけど、思い出に残る良い活動になったんじゃないかな。来てくれた生徒たちの心に、きっと新鮮な記憶として残るだろう。

 6月21日(月)
 またまたタクシーの話。
 月曜日は、たいてい病院からタクシーで帰るので、いつものように看護師さんに電話で呼んでもらった。彼女が私の名前を告げていたので、病院の駐車場に入ってきたタクシーの運転手さんは
 「○○さんですか?」 と私の名字を言った。そうですと言って乗り込むと、運転手さんはタクシーを発車させながら言った。
 「○○さんって、昔私が保険の仕事してたときにお客さんでいたんですよねぇ。□□団地にね」  「それ、きっと私の実家です。」  「そうね?そこの家にねぇ、AMIちゃんって子がいたんだよね。」  「わぁ!それ私ですよ!」  と言うと運転手さんは急にすごく懐かしそうな口調になった。
 私はもちろん、当時のことはまったく憶えていない。
 「AMIちゃん、すごくおじちゃんに懐いてくれてねぇ…。おちゃめで、おじちゃんもいつもAMIちゃんに会うのを楽しみにしてたんだよ。」
 確かに、小さいころの私って、やたらに人なつこかった。家にやってくる人には、誰彼かまわずべたべたまとわりついた。今にして思うと、病院生活が長く、幼稚園にも行けなかったので友達もいなくて、人との触れ合いを求めていたのかも知れない。それにしても、おじさんが話してくれた思い出がいかにも私らしかった。家の中から何かのちらしを持ってきて、それで折り紙を二つ作ってあげたと言うんだもの。
 「船と、もう一つ何だったかなぁ?船は今でも日記帳にはさんで持ってるよ。もう一つは、元気を無くしてる友達を励ますためにあげちゃったんだけどね。」
 今でも、なにげない気持ちで、自分の作ったものを人に差し上げることがときどきある。そのほとんどは、私の記憶からとっくに消えているのに、こうして私の思い出と共に大切に持っていてくれる人がいることを知って、心がじ〜んとなった。

 6月20日(日)
 昨日とうって替わって、今日の私はめちゃ元気。いやなことはさっさと忘れるにかぎるね。
 視覚障害者を対象にした編み物教室があることを、このHPの読者さんが教えてくれたので、さっそく行ってみた。
 昔の友達やら、これまた就職間もないころの生徒やらも来ていて、楽しい雰囲気。
 病気が悪くなってから初めての編み物。5,6年ぶりに編み針を持った。わくわくする!
 薄紫色のコットンの糸でサマーセーターを編むことにする。
 この夏のうちに着られるように、早く編みあげたいなぁ。きれいな薄紫のセーターを着ている自分を想像すると、うきうきしてしまう。好きなことがやれるって、ほんとにいいな。

 6月19日(土)
 2ヶ月ほど前から姉の家で、水道に機械を取り付けて還元水を作るという装置を使っていて、私もそれで作った水を分けてもらっている。
 確かに体調が良くなるなぁという実感はある。透析導入以来私を悩ませ続けた耳鳴りは軽減したし、このごろは痒みも半分くらいになった気がする。身体もかる〜い感じがして、できればあの装置、私の家にもつけたいなぁと思うようになった。
 姉から、その機械のメーカーの人が来るからおいでよと言ってきたので、とりあえず出かけてみた。
 とても熱心に勧めてくれたんだけど、少々疲れてしまった。
 というのも、その人の言うことがあまりにも私にとってはとほうもないから…  病気になってから今までには、私もずいぶん辛い思いをしたし、今の境遇を受け入れるのにもかなり時間がかかった。もしも「眼か腎臓のどちらかを治してあげる」って言われたら、きっと腎臓を治してもらうと思う。
 だけど、いくら驚異の水を飲んだからといって「腎臓が治ります」って断定されるのは、はっきり言って迷惑かな。
 「信じて続けなさい。透析受けなくてよくなるから。」って、その人は言った。水には内臓機能を高めるちからがあるからって。
 でも、透析患者の腎臓は「働きが落ちてる」なんてレベルじゃない。はっきり言って「死んだ人が生き返りますよ」って言われてるのと同じことだ。もちろん全否定するつもりはない。どこかにそんな奇跡が存在するかも知れないし、その奇跡にあずかれるのが自分なら、もう、それはすごい幸せだろうと思う。でも、今の私に、そんな奇跡を目標にしろって言われても無理。
 1年休まず仕事に行くとか、透析時間を30分短縮できるとかいうレベルの目標なら、私にだってしっかり握り続けていられると思う。でもその人は
 「そんなんじゃなくて、もっと大きく希望を持ちましょうよ。」 と言う。水の力そのものを否定なんてしてないし、それなりに期待もしているのに、元気ピンピンしているその人に、限界すれすれでどうにか乗り切っている私の気持ち、どうしても伝えられなくて、なんだか滅入ってしまった。

 6月16日(水)
 携帯電話に謎のメールが来た。
 差出人が非通知になってて返信もできない。
 だからと言って、変な内容というのではない。いや、かなり嬉しい内容と言える。
 「あなたの本は本当に素晴らしいよ」と書いてあった。
 本というのは、おそらく昨年出した『青空へ続く道(ノエルのダイアリー)』のことだろう。
 人違いってことも考えられなくはないけど、こんなに内容がマッチしちゃうってことはないよねぇ?  ちなみに携帯のアドレスなんて、あまりたくさんの人には教えてないんだけどなぁ。とっても気になる。もし今その方がこの日記を読んでくださっているなら、どうぞお名前教えてください。

6月14日(月)
 タクシーに乗った。前にも一度会ったことのある運転手さんで、私の行き先まで分かっていた。
 このタクシー会社は、乗る度にシールをくれて、10個集めると、1区間ただになる。
 シールを8個貼ってあるカードを出すと、はいはいと受け取って、新しい1枚をくっつけてくれたけど、
 「あらら、まだもう1箇所あったとに、一番最後のとこに貼ってしもうた。ま、いいが。抜かしたとこにも貼っっとくからね。今度使いないよ(使いなさい)。」  って。優しい運転手さんやなぁ。ありがとう。

6月11日(金)
 朝、外に出ると、豪雨で打ちのめされそうだった。雨の音は激しいし、あの薄暗さでは、私の目には何も認識できなくなるから、こういうときは本当にノエルがいてくれることが心強い。きっと私一人で白杖片手に出勤では、徒歩3分のバス停にさえたどり着けないかな。
 ノエルも私も、全身レインコートでガードしてたはずなのに、学校に着いたときはぐっしょり。ノエルは吸水タオルで拭いてやった。自分はわりと乾きやすい服を選んで着たつもりだったけど、濡れたスカートのまま布張りの椅子に座るのは超気持ち悪い。ロッカーにあったジャージを思い出して着替える。あいにく上はなかったので、そのまま。つるつる生地のブラウスにジャージの下という変てこな格好で校内を歩き回った。
 午後、うそみたいに天気が良くなった。せっかくなので5時まで仕事することに。やはり病院は明日行こう。放課後、情報教育の研修に参加。ホームページリーダーの使い方ということで、皆にこのHPを見てもらった。職場では初公開。
 週の中で、フルタイム働く日が1日多かっただけなんだけど、なんかすごく充実していたみたい。つくづく、時間に余裕のある生活してみたいと思う。

 6月10日(木)
 台風4号が接近。明日は出張の予定だったのに、既に中止が決定してしまったらしい。
 教員としての研修の一つとして、ぜひ参加したかったんだけど、こんなときに限って台風なんて来ちゃうんだな。
 金曜日は通院日で、普通は夕方4時過ぎから行っているけど、とてもその時間に帰ってこられないから、予め土曜日の朝に変更届けを出していたというのに。これからまた変更してもとに戻すべきか、そのまま土曜日に通院すべきか、悩んでる私。
 研修のノルマも達成できないし、この埋め合わせをどうするか?それも問題だ。う〜ん、実に迷惑な台風!

 6月8日(火)
 少し不調。昨日は姪が学校に車で迎えにきてくれたので、透析4時間半やっても9時過ぎには帰宅できたから、本当はこのHPに手を加えておきたかったんだけど、なんだかすごくばてばてになっちゃって、ちょっとメールなど書いてすぐに寝てしまった。
 透析やりだして4年過ぎた。最初の2年はひどく辛かった。最近は、体力的には平気だけど、透析の度に何かに身体が反応するらしく、やたらと痒い。そのことを除けばすごく元気、だけど昨夜は久々にダウンした。頭が痛い。眼疾の関係で、眼圧が上がるので眼が痛くなる。平面では寝られず、上半身を起こし気味にして休む。痛いと痒いのダブル攻撃は、さすがに勘弁してほしい。
 午前中は授業がれんちゃんで入ってたので、なんとか気力で乗り切った。午後になって、ようやく元気が回復。痒いのだけは治らないけど、まぁとりあえず1日働けたのでOKとしましょう。
 ノエルにブラシをかけたら、またまたごっそり抜けた。よくこんだけ毎日毎日抜けるよねぇ。おトイレの始末をするのに使うくらいのサイズのビニール袋にいっぱい。ノエルの毛は巻き毛がかってるからか、抜けた毛を集めて手の中でころころすると、まぁるいボール状になる。まったくの直毛のラブちゃんの毛もこんな風になるんだろうか?ふと気になりました。誰か教えて。

 6月6日(日)
 宮崎県盲導犬友の会の総会に出席。使用者の参加は7名と、ちょっと寂しい。
 宮崎の犬たちは、なんだか皆そろって高齢化していて、あちこちでリタイアの話が出ているみたい。ノエルにもいずれやってくるその日を考えると、本当に時間が止まればいいのにと思ってしまう。
 歳をとってリタイアするのは自然の成り行きだからしかたがないけど、昨年9歳で亡くなったストケシアに続いて、現在4歳のアースが、病気が重く、リタイアを考えざるを得ない状態になっていると聞いて、すごくショックだった。無邪気に尻尾をふりふりじゃれてくるアースの頭を撫でたら、せつないものがこみ上げてきた。

 6月5日(土)
 点字郵便不在通知未配達事件のその後
 この日記を読んだ読者さんが、郵政監察局とやらに苦情の電話をしてくださったそうで、当日の夜、集配課長さん自ら、我が家へおわびにやってきた。どうやら、今までの10回くらいの配達漏れのうち、科長さんが把握していたのは僅か3回程度だったらしい。
 窓口や電話で苦情を言っても、なかなか上へは届かないもので、これは盲導犬の入店拒否などの場合にも言える。
 ともかく、これからは良くなると信じたい。ご協力ありがとうございました。

 6月3日(木)
 ある人が、1週間前に郵便で私へ荷物を送ったと言うので、まだ届かないなんておかしいと思って、郵便局へ電話をしたら、ちゃんと荷物が局で留め置きになっていた。
 「不在表は入れてくださってたのですか?」
 と聞くと、「留め置きになってるんだから、そうでしょうねぇ」  という返事。
 またか!また点じ不在表を入れ忘れてるんだ。
 点じ不在通知は、10年以上も前に導入された郵便局の制度だけど、郵便局の職員さん自身が未だに知らなかったりする。私も3年前から利用しているけど、しっかり不在表が入っていたのは3回位。あとの10回位は忘れられている。
 「きちんと入れてくださいよ」と電話や窓口で言っても、  「点字不在表?そんなのありません」などと返ってくる。
 結局よくよく調べてくれて、私が確かに登録してることも分かってくれるのだけど、「これからはきちんとやりますので」という言葉とは裏腹に、次回もまた点字不在表は入れられず。
 不在表に気づかずにいれば、やがて荷物は差出人へ返送されるし、一人暮らしの視覚障害者には本当に困ったことだ。郵便局への苦情は最寄の郵便局へご連絡くださいとか書いてあったけど、最寄の郵便局がちゃんとしてくれないので話にならない。どうしたらいいかなぁ??読者の皆さん、知恵を貸してください。

 6月1日(火)
 雨上がり、爽やか!こんな日はノエルもご機嫌。
 このHPのことを、二つのMLに紹介したら、たくさんの人から返事や「おめでとう」のDMが着た。すごく嬉しい!ネットってすごいな。
  AMIという名前は、もともと私のニックネームだった「あみちゃん」に「友達」って意味のフランス語を掛けた言葉なんだ。
  ネットを始めたのは、本当にたくさんの出会いを経験したかったから。
  そして、そのきっかけを開いてくれたのもやっぱりノエルだったんだよね。

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