夢を追いかけた男・タッカー
1945年長い大戦を終え、アメリカ政府は巨大な軍需工場を、 既存の大メーカーにではなく、 小さな独立企業(現在のベンチャー企業)に貸し出すことを決めていた。そんな中で、時代をはるかに先取りした自動車を開発しアメリカの巨大自動車メーカーへ挑戦を挑んだ男ががいた。
その男の名は、プレイストン・トーマス・タッカーである。
彼は、シカゴにかってはB29型爆撃機を生産していた、世界最大の自動車工場を借り受けた。
そこで、開発、生産される予定だった車は、タッカー・トルペードと呼ばれた。この車は、モダンな流線型のボディーにアメリカで初のリア・エンジンが搭載されていた。 このエンジンには、当初は巨大な9650ccの水平対向6気筒で、 吸排気弁の作動はプッシュロッドではなく、 流体ポンプを用いた可変タイミング方式が予定されていた。 しかし、それはあまりうまく作動しなかったため、 エアクルード・モーター社のヘリコプター用水平対向6気筒エンジンを水冷式に改めた上で使用することにした。 その他、これもアメリカ初の4輪独立懸架、 さらに、安全性にも早くから配慮し、 フロントの強化ガラスは衝撃を受けると前方に飛び出す仕組みになっていたり、 前席は衝突時の安全を守るため、 クラッシュ・コンパートメントに収められており、 さらにダッシュボードには緩衝パッドが設けられていた。 ちなみに、当初の案ではシートベルトを前席に採用する予定だった。この時点で この車がいかに時代を先取りしていたかが理解できるだろう。しかし、当時のこの会社の出資者の間では、シートベルトを取り付けるというのは、まさに事故を予期しているかのようなイメージを与えるという理由で採用を却下されてしまった。
しかし、この車の出現を脅威に感じたビックスリーは、政治力を利用してタッカー社に色々な方面から会社の経営を妨害しはじめたとされている。しかし、さまざまな妨害をうけながらも、難産のあげく1台の試作車が完成し、多くの人たちの間にお披露目された。この美しいデザインの車は人々に大きな反響をあたえ、販売店からは「是非代理店になりたい」などの多くの問い合わせが殺到した。
それを快く思わなかった、ビックスリーはでっち上げともいえる方法で、彼を詐欺罪の容疑で告訴した。しかし、タッカーはこの無実を証明するために政府からの条件であった年産51台の車を生産し、無罪を勝ち取った。しかし、すでに政府からの融資は打ち切られており、会社は倒産に追い込まれることになった。
もちろん、ビックスリーがタッカー社を闇に葬ろうとした証拠はないが、51台だけ生産された車は、今もマニアの間でそのうちの46台が動態保存されており、この車がいかに時代をリードしていたかが、立証されている。
このエピソードは、1988年にフランシス・F・コッポラとジョージ・ルーカスにより映画化されており、ラストシーンで連邦裁判所の前に登場する何十台ものタッカー・トルペードたちは、マニアたちによって保存されている本物のタッカー・トルペードを使って撮影されたものである。