【川崎宿】 広重の浮世絵では、海に面した街道沿いに茶屋がならんでいる様子が描かれていますが、当時の海岸線は明治以降に埋め立てられた。 横浜開港のおり、宿場内の成仏寺や慶安寺などの寺院が、各国の領事館として利用されました。
ひなびた宿場で、六郷川の渡し舟の 向こうに富士が浮かぶ。
舟上には、川崎大師参りの姿も。
【原】富士山の裾野 原宿は沼津宿と吉原宿の間に設けられた東海道の中では小さな宿場です。 【蒲原】江戸日本橋から15番目の宿。蒲原宿は富士川と駿河湾による水害と闘ってきました。蒲原はガマ(蒲)という植物がたくさん生えていたからついた地名だそうです。
【江尻】静岡鉄道狐ヶ崎駅近くの「上原鎮守十七夜宮」 「住む人々の万難を除去し、家庭の幸福を守護するとして村人の信仰を集めてきた」鎮守 次郎長の墓がある「梅蔭禅寺」 三保半島は巴川の河口に突き出た砂嘴(さし)南北約6キロ・メートルの砂浜「三保の松原」があります。 【府中】府中宿は現在の静岡です。駿河の国府が置かれ、徳川家康がこの地を治め駿府城を築きました。
21.丸子 名物茶店 23.藤枝 人馬継立 24.島田 大井川駿岸 22.岡部 宇津之山 【藤枝】田中城(歴代城主が幕府の要職に登用されたため別名を出世城と呼ばれた)の城下町として栄た。 「月見里神社」があります。「山が無いから月がよく見える」という意味で、 「月見里」と書いて「ヤマナシ」と読むそうです。
30.浜松 冬枯ノ図 31.舞阪 今切真景 32.荒井 渡舟ノ図
【浜松】【浜松城】別名:引馬(曳馬)城徳川家康(29歳)が1570年 入城 駿府城に入るまでの17年間をこの地で過ごし、姉川、長篠、長久手、三方ヶ原などの難戦を乗り越え徳川300年の歴史の基礎を築きました。
【舞阪】舞阪側から浜名湖を見ると富士山は見えないのです。山については諸説あり、想像図とも、北側の庄内半島を誇張して描いたともいわれています。
【荒井】関所と渡船権をもつ新居宿は宿場としての機能は小規模で旅篭の数も東海道五十三次中四十八番目と言われています 【吉田】吉田宿は新幹線の止まる現在の豊橋市です。 宿場は豊川が流れ吉田城を有する城下町で東海道の中でも大きな宿場の一つで「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が・・」と唄われ飯盛女の多かったことでも知られていました。