幽霊に一票を



 新潟県、巻町が住民投票を行い、同市に計画中の原子力発電所設立反対を可決した。 住民投票の結果が、どれほど法律的有効性を持っているのか知らないが、どうも原発 推進派にとっては旗色が悪そうである。原爆の被爆国である日本は、原子力と聞くと アレルギー反応をおこす人が多いので住民投票を行えば反対派が勝に決まっていそう である。
 巻町で農業を営む人が「賛成でも、反対でもいいんだが、自分の畑から夜に町を見る と、電灯がいやというほど灯っている。原子力発電をしてまであんなに電灯が必要な のかね」と言っていた。言われてみれば確かに日本の夜は明る過ぎる。夜中に新宿の 町などを徘徊すると、過剰な照明にネオンサインがやたらと目につく。何かを綺麗に 見せようと照明をつければつけるほど、不健康な明るさとなり美しさからほど遠くなっ ているように感じられる。若者達は、こんな不健康な明るさに騙されて、何故都会に 憧れるのであろうか。明るくなりすぎた日本の夜が、日本の若者の健全な精神を蝕ん でいるように思えてしかたない。

 明るさに被害をこうむっているのは、若者の心ばかりではないようである。最近の過 剰照明で死活問題となっているのが幽霊である。世の中があまりにも明る過ぎて、幽 霊が出るところがなくなってしまったそうである。ぼくが小学生のころ、わが家は東 京都大田区の蒲田に200坪の敷地に建った平屋に住んでいた。子供にとって恐ろし い事の一つは夜に便所に行くことであった。何せ便所は北側の一番奥にあり、居間に 居る人たちの話し声も聞こえない。電気は40ワット位の薄暗い白色電球しかなく、 おまけに便所の前には竹薮があり、そこにはわが家でペットとして飼われ、息を引き 取たネコ達が埋葬されていた。幽霊が出るには、またとない絶好の環境であった。
 我々兄弟はよく便所に行く時は一緒に行き声を掛け合いながら用をたしたものだった。 ところが、最近トイレの100ワットと言われる如くトイレは明るくなったし、別に トイレでなくても、生活の場の夜の風景は何処をとっても電気のおかげで明るくなっ た。最近、出場所を失った幽霊は、夜暗くなる場所を選んででるそうで、学校に幽霊 がでる話の映画などもその現象の一つだろうか。学校は夜、暗くなるので幽霊には都 合がよい、しかし学校には夜ほとんど人が居ないので観客不足でかわいそうな感じも する。
 では、幽霊が全く真っ暗な所が好きかと言われるとそうでもない、全く真っ暗な所で は我々人間が幽霊を見ることはできない。せっかく出てきたのに、真っ暗な所では人 には見てもらえなく、驚いてもらえない、それでは幽霊は欲求不満になってしまうわ けである。そこで幽霊は光を嫌っているものの、実はその嫌っている光がないと生き ていけないことになる。幽霊と光の関係に似た現象は我々の身の回りに沢山ある。苦 労や、ストレスなどはその代表で、誰しも苦労やストレスは嫌うが、実は人間の生活 には苦労やストレスは絶対必要なものでこれがないと人間は確実に人格を失ってしま う。自分の嫌っている「物や者」をふと違う角度から見てみよう、そんな「物や者」 も実は自分にはかけがえのない大切な「物や者」である事に賢い人は気がつくはずで ある。
 幽霊の嫌う光の素の電気を大量生産する原子発電所を、幽霊達はどう考えているのだ ろうか。もしも投票権をもっていたら彼らは賛否どちらに投票するのであろうか。