トナカイの角



 早いもので今年ももう10月になり、あっという間にクリスマスが来てしまいそうだ。 昨年のクリスマスには、患者さんへのサービスとして看護婦さんがサンタクロース、 僕はトナカイの服をきて「メリークリスマス」と言いながら病院中を回った。今年も また僕はトナカイであろうか。トナカイの服はユーモラスで面白いのだが、僕が不満 なのは鹿やトナカイの象徴である、あの立派な角が無いことだ。
 ところで皆さん何故トナカイはあんな立派な角を持っていると思われるでしょうか。 ほとんどの人は「喧嘩をする時、相手を突き刺す武器として角がある」と答えるんじゃ ないかと思う。ところがこれは本当であろうか?トナカイの角は複雑に枝分かれして いて、どうも敵を突き刺すという目的にはかなっていないように思える。第一あんな 複雑な形をした角で敵を突き刺したら、相手に刺さった自分の角が抜けなくなってし まう。もしも相手を突き刺して殺してしまおうとするならば、猪の牙のように一本の 槍のような格好の物が理想的となる。
 トナカイは確か草食動物であったから、自分の食料調達の為に猟をする必要は無い、 つまり他の動物を自分の食料として殺すために角は生えていない。では何のために角 があるかというと、生殖期に雌をめぐって雄同士が争う時に角が必要なのである。雄 同士が角を絡ませて喧嘩をしている映像をテレビや写真で見たことがあると思う。こ こで大切なことは「角を絡からませている」ことで、決して相手を「角で刺していな い」ことである。角が複雑な格好をしているのは、角同士が絡み合うことによって相 手を傷つけないようになっているのである。トナカイの角は攻撃する武器でありなが ら、なんと相手に優しく創られているのであろうか。動物は仲間同士で喧嘩をしても、 相手を殺さないようにつくられている。それに比べて、人間は何と残酷な動物なのだ ろうか。人間の造った武器はどれを見ても、相手の命を奪い去るものであってトナカ イの角のような優しさは全く感じられない。

 角は相手を攻撃する武器であるが、動物はなにも攻撃する武器のみではなく、降参す る武器も持っている。たとえば犬は喧嘩に負けると、降参の印として仰向けになって、 自分の一番弱い場所つまり腹をむき出しにする。そうすると勝った片方の犬は攻撃意 欲を失って、もうそれ以上攻撃ができなくなってしまう。この腹を出す行為などは、 僕に言わせれば降参の方法というよりはむしろ降参をする武器である、なぜなら一瞬 にして相手の闘争意欲を消してしまうからだ。
 戦争で負けて、降参の印として白い旗を振ってもあまり相手の攻撃意欲を消し去る効 果にはなっていない、むしろ相手に勝利の満足感を与え攻撃意欲を益々かきたてたり する。ところで人間は降参するものすごい武器を持っている、それは僕の得意な笑っ てごまかすというやつだ。映画フーテンの寅で、おじちゃん、桜などの連合軍と寅が 喧嘩をする、たいてい最後は旗色の悪くなった寅がドジをやって皆を笑わせ、「本当 に馬鹿だよあいつは」で終わってしまう。自分がドジをやって皆を笑わせ、おじちゃ ん達の攻撃意欲を無くしているのである、だからフーテンの寅は憎めない。こんなシー ンも笑いが降参の武器であることを物語っている。但し大切な事は相手を笑わせると いうことであって、喧嘩の最中に下手なタイミングで自分が笑ってしまうと相手の逆 情を誘うことがあるので十分用心をする必要があるのは周知の如くである。
 ほかに相手の攻撃意欲を失わせる、武器は無いものかと探してみた。聖書の中に「人 もし汝なんじの右の頬をうたば、左をもむけよ」という有名な文節がある。これは、 「右の頬を打たれたら、左の頬も打たせてあげなさい」とマゾヒスティックな事をいっ ているのではない。「右の頬を打たれた時、つかさず、左の頬をさし出せば、相手の 攻撃意欲は一瞬にして無くなるので、もうそれ以上叩かれることは有りませんよ」と 言っているのである。仏教ではさしあたり「南無阿弥陀仏」なんかが降参の言葉とな るようだ。意味は「阿弥陀仏に全てお任せします」ということで、阿弥陀仏に対して 降参の意思を示している。

 世の中の全ての現象や物質は一対で成り立っている、光と闇、陽子と電子、男と女、 などであるが、攻撃と降参も一対で表裏一体をなす。ところが人間社会では、相手を 攻撃する武器は石器時代の槍から、20世紀に開発された大量殺人兵器の原子爆弾に いたるまで何百万も造り出されたが、降参する武器はほとんどつくられなかった。要 するに攻撃と降参は一対のバランスを失ってしまった。相手を攻撃することばかり考 え、降参する方法を考えださなかった人間にはとんでもないツケが回ってくることに なる。
 今現在、世界各地で行われている戦争は、第三者の日本人からみればどちらが勝つか だいたい分かりきっている。ところがそれにもかかわらず、たとえばイラクがなぜ湾 岸戦争に突入してしまったのだろうか。それは降参の仕方を知らなかったからだ。ちょ っと時代をさかのぼって、日本が第二次世界大戦でなぜあれほど悲惨な状況になるま で、戦争を終結できなかったのだろうか。それは降参の仕方を知らなかったからだ。 中東戦争、ボスニア・ヘルツエゴビナの戦争もおそらく悲惨な結果にしか終わらない だろう。それは相手を攻撃することばかり考えていて、降参する方法をしらない民族 達の闘争の悲劇なのである。
 トナカイの角は自然によって創られ、攻撃する武器と相手を守る両面を持ち合わせて いる。自然によって創られた動物は攻撃する武器すらも相手を守るようにできている、 また戦いに破れた時に降参する方法を身に備えているし、降参したら相手をもうそれ 以上殺傷しないような本能を持っている。それは自分の属する種を保存するためには 必要な自然の力がそうしているのである。それに比べて、人間のつくり出した不自然 な武器は相手を傷つける能力しか備えていない。また人間はやたら相手を攻撃する方 法のみを開発し、降参をする方法や相手を許す方法を全く開発しなかった。
 20世紀には武器の開発はもう行き着く所まで行き着いたと思われる、そして来るべ き21世紀には、敵を守る武器や、降参する方法を我々人類は考え出さねばならない。 さもないと人類は自己崩壊を起こし滅亡してしまう危機に陥ることになるだろうから。