「じゃ、オイ ちゃん、ちょっと行って来るから」



 フーテンの寅こと渥美清が肺癌で亡くなられた、享年68歳だった。僕もフーテ ンの寅の大ファンで、学生時代からフーテンの寅を見に映画館によく通った。日 本人は大体がフーテンの寅のファンであろう、アメリカに永住している友達に送 って一番喜ばれるのがフーテンの寅のビデオである。海外に旅行して日本に帰る とき日本航空に乗ると、ほとんど必ずといってよいほどフーテンの寅を機内上映 していて、夢中になって見る。そんな時、自分は日本人だなーと思うわけであ る。
 15年程前僕は船医となってタンカーに乗りペリー沖を航海していた。暇な 夜は全員食堂に集まり酒を飲んでは演芸会をやった。フーテンの寅の物まねはほ ぼ毎晩行われ、昨夜と同じ演技をしているのに皆同じ所で腹を抱えて笑った。 「これは、昨夜と同じ出し物で面白くない」などとヤボな事を言わないのが海の 男たちの鉄則であった。何回、同じもの見ても、初めて見たように笑って楽しん だ太平洋上での変な演芸会が思い出される。

 さて、フーテンの寅は1969年に第一昨目が完成されたそうである、計算する と渥美清は41歳の時から28年間、フーテンの寅を演じ続けたことになる。ス ターとなる前の若い頃はストリップ劇場や、的屋の見習いなど多彩な人生経験を して、役者になるための修行を積んでいたそうだ。そういう意味では渥美清は遅 咲きの俳優だったのだろう。
 僕は今43歳だが、悔やんでも悔やみ切れないことは、若い頃さしたる苦労も勉 強もせずにヌクヌクと生きてしまったことだ。人生を折り返した40歳頃から、 もっと勉強しておけば良かったと思うようになった。そこで、今残り少なくなっ てしまった時間を、可能な限りを使って勉強をしている。僕のいう勉強とは医学 ではなくて、天文、物理、歴史、語学等の所謂雑学であり、最近もっとも興味を 引かれているのは、動物の行動社会学である。これらの一見医学とは縁遠い知識 を吸収することにより、医者としての自分のレベルを上げようと努力しているの である。僕が雑学を吸収しているのは、ちょうど渥美清が若い頃、的屋の見習い をして役者の修行をしたところに何か通じる物があると思う。渥美清は20代3 0代に色々な修行をして41歳で初めて、役者として花開いたわけだから。40 代で修行を始めた僕が医者として、まともになれるのは50歳過ぎであろうか、 そう考えるとまたしても若い頃サボっていたことが悔やまれる。

 ここ20年間、渥美清はフーテンの寅以外の映画には出演していない。あれやこ れや気が多く浮気症の僕は、自分とは正反対に一つのことをひた向きに行った人 が大好きで、また尊敬する。一つのことをやり遂げた人間は、引き際が綺麗な物 である。渥美清は家族以外の誰にも病気であることは知らせず、安らかに一生を 閉じたそうである。まるで、映画のワンシーンで「じゃ、オイちゃん、ちょっと 行って来るから」と言って寅屋の店先を飛び出し、天国まで行ってしまったよう な感じが僕にはする。渥美清は自分の役である『寅さん』を死ぬ時まで演じ切っ た大役者だったのだろう。   合掌
              平成8年8月8日