スズメの群れ



 僕が現在、勤務している海老名総合病院附属東病院(243床)は本院である海老名 総合病院(381床)と約200メートルしか離れていない。これら2つの病院の間 には田んぼがあって秋になると実った米を餌にするため沢山のスズメが何処からとも なくやってくる。米の収穫もほぼ終わった晩秋の或る日、本院に急用ができたので車 で出かけた。
 東病院を出て50メートルも走ると、田んぼの中から数百羽のスズメの群れが突然飛 び出し僕の車の前方を低空飛行で横ぎった。ブレーキをかけようと思ったが、時すで に遅く僕の車はスズメの群れに突っ込むことになった。左のドアのあたりでゴツンと 音がした、「もしかしたらスズメがぶつかったかな」と思ったが、急いでいたのであ まり気にもとめず本院に向かった。

 本院で用事を15分程で済ませ、車に乗り東病院に引き返した。東病院近くの角を左 折すると先ほどスズメの群れに出くわした場所であった。その路上には20ー30羽 のスズメが居て僕の車が近づくと、皆一斉に飛び立った。ところが1羽だけ車が近づ いても身動き一つしないスズメがいた。一目で死んでいるスズメであることが僕には わかった。「さっきゴツンと音したとき僕の車にぶつかっておそらく即死したのだろ う、可愛そうに」と思った。東病院の駐車場に車をいれてもさっきのスズメの事が気 になった。車がしょっちゅう往来している細い道なので、スズメの死骸はそのままに しておけば、いずれ車に轢かれてぺしゃんこになってしまう。それでは余りに可愛そ うなので、せめて車に引かれない所に死骸を移してあげようと思い、その場に歩いて 引き返した。
 現場は病院から50メートルの所だった、僕が向かう途中にも何台かの車が行きかう のが見えた、「頼むスズメを轢かないでくれ!」と願いつつその場に到着した。とこ ろがその場についてみると、スズメの死骸は何処にも見当たらず、もぬけのからになっ ていた。ここに来る途中、自転車に乗った親子連れとすれちがた、彼女らが「・・・ だったならば血が流れているはずよ・・」と話していたよう気がする。察するところ、 親切な親子連れが通りかかりスズメの死骸を何らかの方法で何処かに片付けてくれた のだろう。いずれにせよ、僕が一番恐れていた、スズメが車に轢かれる残酷な事態は 回避できてたので少し安堵した。

 東病院に帰りながら、ふと奇妙な事に気がついた。さきほど死んだスズメの回りにい た20ー30羽のスズメは一体何をしていたのだろうか。餌の米粒が落ちていたわけ ではないからその場で餌を漁っていた訳ではないだろう。しばらく観察していたが少 なくとも僕が見届けた範囲ではスズメ達は帰ってこなかった。と言うことは、死んで 身動きしなくなったスズメに対して何かしらの行動をとる為にスズメ達が集まって来 たとしか考えられなかった。
 まず死んだスズメを、スズメ達が食べに来たという悪魔的発想であるがこの可能性は まずない。ローレンツの言葉を借りるならば、動物は原則として同種の仲間を殺さな い、ましてや仲間の肉を食べないのである(この意味から、殺人をする人間は動物ら しからぬ動物なのである)。ハイエナがライオンに殺されると、その死骸を他のハイ エナが食べてしまうこともあるそうだが、これは一部の集団をつくる肉食獣に限った ことであて、穀類を主食とするスズメが共食いをするとは決して考えられない。そ こで共食いをするという悪魔的発想は否定されることになる。
 そうすると、20ー30羽のスズメの群れは僕の車にぶつかって身動きしなくなった スズメを心配した仲間が集まって来たとも想像される。だとすると、スズメには「仲 間を心配する」とか「死を悲しむ」とかいう極めて高度な感情を持っていることにな る。そう考えると、僕にとっては大きな驚きである。また、何百羽もいたスズメの中 から何故先ほどの20ー30羽だけが死んだスズメを心配していたのだろうか。彼等 は家族であったのだろうか、それとも仲間であったのだろうか。そういえば、スズメ の社会構造について学んだことはない。ある種の鳥が巣をつくりその中で子供を育て る家族社会を時々テレビのドキュメンタリー番組で観ることはあるが、スズメの社会 構造ははたしてどうであったのだろうか。集まった20ー30羽のスズメが仲間か家 族であったとしたら、こういうグループが幾つか集まって先ほどの数百羽の群れを作っ ていたことになり、スズメも他の多くの動物と同じく、重層社会構造を作っているこ とになる。こう考えて見るとスズメの社会構造について1羽のスズメの死から学ばせ てもらったような気になった。
 また奇妙な事がもう一つ頭の中に浮かんできた。この道はよく車で通り、数羽のスズ メが車の前を横切ることがあるが、今だにスズメが一回も車にぶつかったことはない。 どうして今日は僕の車にぶつかったのだろうか。何時もと明かに違うことは今日はス ズメが群れをなして低空飛行で一直線に飛んでいたことだ。何の意味が有ったのか僕 には知る由もないが、彼等は群れという社会を作り、ある目的に対して同じ方向に同 じスピードで飛んでいたのである。そこに突然僕の車が障害物として入って来たのだ が、1羽だけ僕の車を避けるために違う方向に飛ぶことは許されなかったのだろう。
 社会が何かに向かって行動をしているとき、社会を構成している個体には皆同じ行動 をとることを強制する。何か他人と違った行動をとっていると白い目で見られるとい うことだ。群れ社会が目に見えない力でスズメに真直ぐ飛ぶことを強要していたに違 いない。だからあのスズメは1羽で飛んでいれば簡単に僕の車を避けられたはずなの に、群れを作っていたいたばかりに僕の車に衝突して死んでしまったのだろう。

 群れ社会は、集団をつくる事によって弱い個体を守ってくれるが、時として皆と違う 行動をとる個性を許さない。個性の時代だといってやたら個性が尊重される現代であ るが、個性の無軌道な発散は社会を崩壊する。逆に完全なる全体主義の社会では個性 が崩壊し人間らしからぬ人間をつくりあげる。やたら個性がもてはやされる現代日本 の社会だが、その個性と社会の微妙な釣合は僕の目には危なっかしいものに見えてな らない。
 愛知県犬山モンキーセンター所長の河合雅雄氏の著書を読み社会について考 えさせられた時、自分の身の回りに起こった出来事にふと自分なりに社会や個性につ いて考えてみた。スズメの社会構造や感情、仲間意識、個性などを今日の事件から考 えると、こんな身近にもまた学問をするものがある事に気がついた。