進化する日本人



 僕はスポーツにはあまり関心が無いのだが、オリンピックともなれば多少はテレ ビで観戦し日本選手を応援する。アトランタ・オリンピックを見ながら「日本選 手も随分変わったな。」と思った。何が変わったと感じたかというと「東京オリ ンピックのころに比べて選手のスタイルが随分良くなったな」と思ったのであ る。
 たとえば東京オリンピックの頃の女子の体操選手などは、足は短く寸胴で、 演技が始まる前からもう予選落ち間違いなしという体型をしいて、すこぶる評判 が悪かった。ところがアトランタ・オリンピックでは、足はすらりと長くなりス タイルの面から見れば欧米選手に近くなってきたような印象を感じる。  別にオリ
ンピック選手に限らずとも、町を歩いていれば1964年の東京オリンピックの頃に 比べれば男も女も随分スタイルが良くなってきたと感じるのは決して僕だけでは 無いだろう。この約30年間で日本人のスタイルが良くなったと言うことは、日本 人が進化したと考えて良いのだろう。

 進化という言葉を聞くと、僕はすぐに、突然変異と自然淘汰で組み立てられたダ ーウインの進化論を頭に浮かべる。生物はある時に突然変異をして優良な個体を 作る、その中で自然環境に適したものが子孫を繁栄し、不良な個体を駆逐して優 良なもののみが自然淘汰により残るとするものである。
 たとえば、「何億年か昔 には、蛙の指の間には水掻(みずかき)が無かったとしよう。彼等は水掻が無い のであまり上手に泳げなかった。ところが或る時に遺伝子の偶然ないたずらで突 然変異がおこり水掻を持った蛙が一匹生まれる。やがて、水掻を持った蛙は、水 掻を持った子供を産み子孫を増やしていく。そして或時今度は大洪水がおこる、 この時水掻を持たない泳ぎのへたな蛙は溺れて死んでしまうが、水掻を持った泳 ぎの上手な蛙は生き残る。
 これを何回か繰り返しているうちに水掻を持たない蛙 は絶滅し、環境に適合した水掻を持った蛙のみが生き残る、これを自然淘汰とい う。その結果、最終的に水掻を持った蛙のみとなり現在に至る。」というのが僕 の作り話しであるが、これが突然変異と自然淘汰を理論の格子としたダーウイン 流の進化論の解釈である。今でも信じられているダーウインの進化論は、僕には どうも中世の天動説の如くに何か大きな勘違いをした理論であるように思えてな らない。
 第一に突然変異で優良な個体が産まれるか?という疑問である。突然変異とは遺 伝子のいたずらでおこる。しかし、遺伝子の突然変異に起因する遺伝子病は全て 病気であって、環境に適した優良なものは何一つないのである。たとえば、突然 変異がおこり100mを5秒で走れる人や知能指数300の人が誕生するかというと、そ んなことは絶対に無いのである。
 そこで僕は「進化の過程に突然変異が必要である」ことに疑問を抱くのである。 大体同じ星の下に生まれて、かたや単なる偶然で突然変異により優秀な個体であ り、かたや不良な個体であるような、そんな不公平なことを自然界が行うはずが ないのである。
 オリンピックに出れる選手は皆突然変異によって生まれてきた優 良な個体かというと、それは間違えていて、生まれた時にはオリンピック選手も 普通の人もたいして変わりが無かったはずである。努力によって優秀なオリンピ ック選手に成長したのであって、突然変異でオリンピック選手ができたのではな いのである。
 自然は同じ種の中の動物は常に平等であることを約束している。そ して、生きてい行く為には、競争に勝つためには努力が必要であることを課てい る。棚からボタ餅方式の突然変異によってある個体だけが、努力もせずに繁栄 し、恩恵をこうむることは無いのである。

 ダーウインの進化論に出てくる自然淘 汰という言葉は、自然界の中の厳しい掟のようにも受けとれるが、反面優秀な個 体は努力もせずにヌクヌクと繁栄することである。そんな自然淘汰を繰り返して 進化してきた生物は、遺伝的に優秀かもしれないが、努力をすることを忘れた自 堕落な個体ばかりとなる。突然変異という何十億分の一かの宝くじを当てたよう な奴ばかりで社会が成立するわけがない。
 突然変異と、環境への適応による自然淘汰が繰り返されて生物の進化がなされる ならば、なぜ恐竜は滅びてしまったのだろうか。恐竜が滅びた理由は、地球の気 候の変化とか、餌の不足とか色々な説があり議論されているようだ。しかし、も しも進化論にしたがうならば、気温が変化すれば気温の変化に対応できる恐竜が 突然変異によって現われ、餌が少なくなったならば、餌が少なくても生きていけ る小型の恐竜が突然変異によって現われ、自然淘汰によって現在もこれらの進化 した恐竜が生きているはずである。
 ところが恐竜のみならず、現在でも多くの動 物は突然変異と自然淘汰の恩恵を得ることなく絶滅している。これらの事実を踏 まえると、やはり、突然変異と自然淘汰に支えられた進化論には無理があるよう な気がしてならない。

 日本人のスタイルの話にもどそう、たとえば足が長くなるというのは早く走れる とか、より高く飛べるようになるとか、人間に恩恵をもたらしてくれるから進化 である。進化論に従い、足が長くなることは突然変異であるとする。そして足が 長いことが優勢遺伝であると仮定して、足の長い子供を2人生む、そしてネズミ 算式に足の長い個体が多くなっていく。
 そうすると日本人の人口の三分の一が足 が長くなるのに25代の交配を繰り返せねばならず、20才で子供を生むとして も500年の歳月を必要とする。ところが東京オリンピックからは32年しかた っていないので、日本人は平均しても1ー2代しか世代が進んでいないことにな る。つまり、進化論的な考えをするならば、日本人全体が平均してこの32年間 に足が長くなることには無理が生じる。ということは、日本人はこの32年の間 に皆少しずつ足が長くなり、足並みを揃えながら進化したのだろう。
 前にも書いたが、自然は常に個体の発生に対して平等である、進化も同様で、皆 同じ時期に同じように少しずつ進化しているにちがいない。突然変異により、一 個体だけが優秀であり繁栄していく、そんな不公平は自然も神様も絶対にしない と僕は信じている。アトランタオリンピックの日本選手を見ながら、ダーウイン の進化論は中世の天動説の如く誤った理論であると益々確信した。それでは、地 動説の如く正しい進化論は一体何時いかなる形で我々の前に登場するのであろう か。

追記)平成8年10月25日、「ローマ法皇がダーウインの進化論を肯定した」 とのニュースが報道された。僕に言わせれば全く馬鹿げている判断である。