ゆく川の流れは、もとの水?



 平成8年の10月は珍しく京都に二回も行ってしまった。そのうち一回は三条京阪の 近くのビジネスホテルに泊り、朝早く鴨川の岸辺を散歩した。僕の頭は単純にできて いるのでワンパターンの方丈記の一節「ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水 にあらず。」を思い浮かべながら鴨川の流れを見ていた。
確かにこの一節も真理なのではあるが、本当に「もとの水にあらず」は正しいのであ ろうかと考えてみた。川に流れる水は、大ざっぱに考えて最後は海に流れ込む。そこ で蒸発して上空に持ち上げられ雲となる。そして何処かで雨となって地上に降る、山 の中に降った場合はまた川に注ぎ込まれる。だから水は川、海、空を循環しているも ので、鴨川の水をコップに一杯取ればその中に僕と何処かで出会った水が少しはある はずである。

 地球全体の水の量を計算することは難しいが、世界の水がほとんど海にあるとするな らば、地球の直径は12800Km、海の平均水深3700m、地球の表面積の4分の3を海が占め るとして、単純な計算式から海の水の総量は1.4X10の24乗mlとなる。
 ところで、僕らが水洗トイレで一回に流す水の量を仮に10リットルだとするとこれ は1万mlとなり、この中には水の分子が5.6X10の27乗個含まれていることになる。も しも、今僕がトイレで一回水を流し、その水が世界の海に均等に混ざるとすれば、僕 がコップをもって海の水を100mlすくうと、その中には何と僕がトイレで流した水の 中の約40万個の水分子が含まれていることになる。
 そう考えてみると、今お茶を飲んでいる水、顔を洗っている水、トイレで流している 水、そして僕がボーとしながら眺めている鴨川の流れの水は、決して一回こっきりし か自分の前に現われている水ではないことに気がつく。
 水は無尽蔵にありいつも綺麗な水ばかり接している思っている方々それは誤解です。 水はある決められた量しかなく、それを循環しながら我々動物は使っているのです。 綺麗だと思って飲んでいる水の中には、ちょっと前にあなたがトイレで流した水や、 ヘドロのような汚水の中にあった水分子が沢山含まれているのです。
 水のみならずこの地球にある物質はすべて有限で循環しながら我々は使用しています。 だから水はなるべく節約し、綺麗に使用しなくてはならないのです、間違えても公害 などで非可逆的な水の汚染をしてはいけないことになります。
 トイレに入ると、必ず水を二回流すお嬢さん、それをすると我々トイレで一回しか水 を流さないおじさん達と比べると、コップ一杯の水を飲む時に自分の口の中には約二 倍の自分のトイレで流した水の分子がはいって来ますよ。なんて言うとヘリクツといっ て嫌われるだろうか。