1996年は21世紀か?



 最近、よく聞く言葉に「今世紀最後の..」とか、「来るべき21世紀に は..」がある。今現在は西暦1996年だからこんな言葉をあっちこっちで聞 くのも当然のことであろう。我々が使っている西暦は、ご存知の如くイエス・キ リストが誕生した年を西暦0年として勘定しているのは御存知の如くである。
 新約聖書のマタイの福音書第2章によると、イエス・キリストはヨセフとその妻 マリアの子としてエルサレムから少し離れたベツレヘムで生まれた。この時、東 方から3人の学者(マギ)がエルサレムにやってきて、ユダヤの王様ヘロデに 「ユダヤ人の王となる方がお生まれになりました」と告げる。そんなことは知ら なかったヘロデは、マギ達をベツレヘムに向かわせてイエスの誕生を確認させ る。マギ達はベツレヘムの空に輝く星に導かれイエスを探し、とある納屋でイエ スを見つけという有名なストーリーがある。ところがヘロデ王は紀元前4年に死 亡しているので、どう考えてみてもイエス・キリストはその前に生まれているこ とになる。つまりキリストは紀元前7ー5年に生まれているのである。というこ とはキリストの誕生を西暦0年とするならば、今年は1996年ではなく200 1年ー2003年のどれかにあたる。つまり我々はもうすでに21世紀に突入し てしまったことになる。時代を先取りするなら、21世紀になったら何かをやろ うとか考えず、もう21世紀になっているのだから、やろうとしている事をもう 始めてなくてはない。

 誰がキリストの誕生した年として紀元0年を決めたのか知らないが、いいかげん に決めたとしか思えない。ところが12月25日をクリスマスにしたのもいいか げんである。キリスト教がこれほど世界に広く布教されたのも、ローマ帝国のコ ンスタンティヌスが313年にキリスト教を認めたからである。そして354年 にローマの祭の最終日つまり12月25日をキリストの誕生日と勝手に決めって しまった。こんないいかげんに決められたクリスマスを世界の人は何故もあんな に大騒ぎして祝っているのだろうか。
 そうなると、よく暦と星座図をだして、キリストの誕生日にベツレヘムに輝いた 星は実はハレー彗星であるとか金星であるとか議論している人がいるが、これは 全く無駄な議論となってしまう。何故なら、キリストの誕生した日も年も正確に は誰も知らないからである。
 第一から言って、本当にキリストは存在したのだろうか。キリスト自身はキリス ト教徒ではなく、死ぬまでユダヤ教のラビ(司祭)であった。キリスト教はキリ ストが死んでからキリストの弟子たちによってつくられた宗教なのだ。つまりイ エスキリストは終生ユダヤ教徒であり、キリスト教徒であるイエス・キリストな どこの世には存在しなかったのである。キリストは何も著書を残さなかった、聖 書はキリストの弟子たちが勝手に想像の世界で書きつづったもので、キリストは 一字一句書いていないはずである。だからあんな綺麗事を真しやかに聖書にかけ るのである。イエス・キリストはキリスト教徒によってつくられた偶像であるに ちがいないと僕は考えている。そうなると「西暦」も「21世紀」も「クリスマ ス」も僕の心の中では何の意味を持たなくなってしまうのである。