小論文  「天は赤い河のほとり」は「王家の紋章」の二次的著作物か?


<はじめに>

 「王家の紋章」を読んだことのある読者なら、「天は赤い河のほとり」の設定が「王家の紋章」によく似ていることにお気づきでしょう。この点が著作権法上問題になるのか否かは長年の疑問でありましたが、わざわざ調べる気持ちにもならず放置しておりました。

 しかしながら、今回、著作権法の概論を勉強し、大変興味深い裁判例を見つけましたので、以下、その判決文を一部改変して、あんこう椿の個人的見解を述べたいと思います。

 自己の見解を述べるにあたって、「王家の紋章」の作者が、「天は赤い河のほとり」の作者を訴えた形式を採りましたが、これはもちろんあんこう椿が創作した架空の民事裁判です。


<事実の概要>

 原告(以下「x細川」という)は、1975年頃より月刊プリンセスにおいてマンガ「王家の紋章」(以下「王家」という)の連載を開始し、現在も引き続き連載を継続している者である。

 被告(以下「y篠原」という)は、1995年より週刊少女コミックにおいて、マンガ「天は赤い河のほとり」(以下「天河」という)の連載を開始し、2002年1月に連載を終了したものである。

 x細川は、「天河は王家を翻案したものであって二次的著作物であるから、x細川の有する翻案権を侵害するとともに、氏名表示権、同一性保持権を侵害する」として、y篠原の不法行為を理由に、翻案権侵害による損害、著作者人格権の侵害による慰謝料の合計○○万円の損害賠償を求めた。
  
<判旨>

 請求棄却

<理由>
 
1.天河が王家を翻案したものということができるためには、y篠原が、王家に依拠して天河を作出し、かつ、王家の表現形式上の本質的特徴を天河から直接感得することができることが必要である。

2. 上記対比を基に翻案権侵害について判断する。

 (1) 20世紀に生きる少女が、呪いにより古代にタイムスリップして、そこで古代の王(天河においては皇子、後に皇帝)と出会い、結婚に至るというストーリーは、王家より前には存在せず、これはx細川の創作に係るものと認められ、この点で王家と天河は類似するといえる。

 しかし、x細川の創作に係る上記のような話は、それ自体としては、アイデアに過ぎないものといわざるを得ないのであり、その点が似ているからといって、直ちに王家の表現形式上の本質的特徴を天河から直接感得することができることにはならない。

 (2) もっとも、王家と天河を対比した場合、次のとおりストーリーにおいて似ている点があるものと認定することができる。

@ ヒロインは共に10代の少女であり、身体の発達が未成熟で小柄であって、また考えなしに行動して周囲を振り回し、ひいては、恋人(後に「夫」となる。以下、天河ヒロインの恋人役についても同じ)の男性をキリキリ舞いさせる役どころとして設定されている。

A 王家においては古代エジプト、天河においては古代ヒッタイトが舞台であるが、ともに青銅器時代であるので、ヒロインが鉄の製造法を知っていること(天河にあっては、単にヒロインが鉄剣を知っていること)に、恋人役の男性が驚く場面がある。

B 王家においては、ヒロインの有する現代の知識が古代エジプト人を魅了する場面が多々あり(例えば簡易浄水装置を作るなど)、天河においてはヒロインの有する現代の価値観が古代ヒッタイト人を魅了する場面がある。それ故、両ヒロインはともに古代人から「女神」と崇められるようになる。

C ヒロインは子供のような体型を持つ、一見平凡な女の子でありながら、複数の高貴な求愛者が現れ、そのうち、ヒロインの恋人役の男性の、強力なライバルである別の男性に何度も誘拐され、貞操を奪われかける。

D ヒロインの恋人役の男性は、ヒロインがタイプスリップした国では最高位にあり、女性にモテモテで選り取りみどりの身分でありながら、ただひたすらヒロインに一途な想いを捧げている。ヒロインに対する愛情の程度について、王家では「熱愛」、天河では「溺愛」という言葉が使われている。

E どちらのヒロインも、最初の子を陰謀による水難で流産する。

 (3) しかし、以下のとおり、相違点の存在も認定することができる。
 
@ 王家のヒロインは金髪碧眼のコーカソイドであり、何よりもその肌の白さで恋人役の男性を魅了するが、天河のヒロインは黒目黒髪のモンゴロイドであり、肌のなめらかさで恋人役の男性の、ライバルである別の男性を魅了する。

A ヒロインの恋人役の男性は、共ににスラリとした長身で筋肉質の美丈夫であるが、王家においては黒髪長髪で性格は直情型、求愛の方法もつむじ風タイプであるところ、天河においてはうなじに金髪がサラサラとそよぐ程度、性格は葛藤型で、ヒロインへの愛情の熟成もやや緩やかである。

B 王家において敵役である女性は、ヒロインの恋人役の男性の実姉であるが、近親婚の習慣のある古代エジプトにおいて、弟に激しい恋情を抱く女性として配置されているところ、天河において敵役である女性は、実質的にはヒロインの姑の立場にあり、自己の息子を帝位につけたいがために陰謀を重ねるが、彼女が恋したのは性的な機能を切除された男性である。

C また、王家においてはヒロインのライバルの女性は、ヒロインの恋人の男性から嫌われている訳ではなく、どちらかといえば姉と弟としての情愛に引かれている印象があるところ、天河ではヒロイン及びヒロインの恋人役の男性の、共通の敵として設定されている。

D 王家のヒロインは知識、教養に富み、お転婆ではあるが、腕力はなく大立ち回りはできないところ、天河のヒロインは歴史に対する教養はないが、頭の回転は良く、スポーツ万能なじゃじゃ馬であり、馬に乗って戦場を掛け回っている。

E 王家では結婚式が終わるまで、恋人役の男性は延々と待たされ続けるが、天河ではヒロインが現代に還らない決意をした時点で内縁関係に入り、結婚式は約1年後に行われる。

F 王家ではベッドシーンはフェードアウトして「そこはかとない」雰囲気であるのに、天河では王家に比較するとわりとリアルに描かれ、コマ細部には原作者のこだわりが感じられる部分もある。

G 王家では、翌朝の2人はなぜか服を着ているが、天河では2人ともオールヌードである。

H 王家ではヒロインは何度も現代に戻るのに、天河では一度も戻らない。

 (4) 上記(3)で認定した事実によれば、王家と天河では、その主要な人物配置が異なり、そのため、天河は基本的なストーリーにおいて王家には存在しないものが含まれているし、王家のヒロインと天河のヒロインとは、その人物の描き方も相違している。

 また、ストーリーの流れも、具体的な表現を捨象した粗筋を見れば、両ヒロインとも古代にタイムスリップし、そこで出会った古代の王(ないしは皇帝)と婚姻に至るという点で同じであるが、上記粗筋を具体的に表現したものとして王家と天河を比較すれば、大部分では異なっており、初めてのHシーンも、ヒロインが夫(ないし恋人)にお姫さま抱っこをされて寝台に運ばれるという部分には、似ている部分もあるが、そこにおけるセリフやその後の場面から感得される印象は異なっている。

 さらに、上記(2)CDで認定した類似点は、舞台設定こそ種種雑多であるが、一般的にいって少女マンガにおいては古典的・典型的パターンに属するものであり、この要素がなければ我が国の少女一般から熱狂的支持を得られることはないであろうことは容易に推察することができ、必ずしも王家特有の表現とは言い難いものである。
 
3.以上を総合すると、王家の表現形式上の本質的特徴を、天河から直接感得することができるとまでいうことはできず、天河は王家の二次的著作物ではなく、別個の著作物であるというべきであるから、これを作出したy篠原の行為は、x細川の翻案権、氏名表示権、同一性保持権を各侵害する不法行為に該当するということはできない。
 よって、x細川の請求には理由がない。


<付記>

 参考にした裁判例は【東京地裁H10・6・29判決「先生、僕ですよ」事件】
    別冊ジュリストbP57 著作権判例百選 152頁 
 ……参考というより、ほとんどそのままです。判決文は著作権法の保護の対象外ですから(著作権法13条3号、国民に広く利用させるべきとの公益上の理由)、問題なしです。

 なお、この判決は「y篠原がx細川の王家に依拠して天河を作出したかどうか」という要件については判断していません。「依拠」とは、既存の著作物の表現内容を知り、これを利用して自己の作品を作出する、ということです。

 ちなみに、あんこう椿は「王家の紋章」の大ファンでもあります(念のため)。

以 上 

                                2003(H15)8.1





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