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 上毛かるた

 「上毛かるた」は、私の地元である群馬県の歴史や名所・名産を詠んだカルタで、 子供の頃は百人一首等と共に遊んだものである。 説明書によれば昭和22年12月に初版発行となっているから、 まだ戦後の混乱期が続いていた時代に作成されたもののようである。 その後数回にわたって改訂されているが、最近の急速な社会情勢の変化を考慮すれば、 根本的に改訂されなければならない札もあるようだ。
 私たちは子供の頃から特に意識することも無く上毛かるたで遊んできたので、 このような郷土カルタがあるのは当然のことと思っていた。 現在のようにテレビゲーム等は無かった時代なので、色々な題材がカルタの対象となっていた。 そんな中でも子供に人気があったのは、やはり漫画やテレビの主人公であった。 現在でも保有していれば結構高値がつくのかもしれないが、 残念ながら手許には一つも残っていない。
 社会人となり、旅が好きなので各都道府県共一度は訪れたことがあるが、 上毛かるたのような郷土カルタを目にすることは無かった。 時には意識的に書店や土産物店を訪れたのだが、どうしても見つからなかったのである。 カルタの場合、需要が多いのは年末年始や新入学期かと思われ、 それ以外の季節には店頭に並ぶことが少ないのかもしれない。 それにしても全然見つからないのは、私にとって意外な結果であった。
 カルタなんてその気になれば簡単に作れるのに、何故無いのだろうか?
 「なんて」という言葉に抵抗がある人もいるかもしれないが、 読み札を考えるのもそんなに難しいことではないと思う。 勿論商業ベースに乗せて製品化するとなると色々な問題も発生するが、 児童・生徒を対象とした郷土カルタなら長期間の需要が見込めるので、 製品化も容易ではないかと思われるのだが。
 私はカルタの収集家でも研究者でもないが、 手許には「信濃かるた」と「一茶かるた」とがある。 前者は上毛かるた同様、長野県の郷土カルタであるが、その由来に関する記述は無い。 一茶かるたは名前の通り小林一茶の俳句からなるもので、 「ゐ、ゑ」を含む48句が選ばれている。 絵札は選者の手による切り絵で作成され、 素朴な一茶の生活がにじみ出てくるようで興味深い。
 上毛かるたは英語バージョンも作られ、CD化されている。 ただし私の手許にあるのはCDだけで、読み札や絵札の現物はまだ見たことが無い。 英語なので絵札に「いろは」の文字があっても無意味だが、 英訳文の頭文字を記入するのも無意味かと思われる。 我々が絵札を取る場合、最初のうちはやはり「いろは」の文字に頼ることになるが、 何度かゲームするうちに絵を見て札を取るようになる。 絵を覚えてしまった方が早く取れるからだ。 英語バージョンの場合でも、絵札は現状のままで差し支えないだろう。
 
 上毛かるたは誕生から50数年の時を経たが、 実情にそぐわないと思われる札もあるので、その幾つかを紹介したい。
 
ら)雷と空風 義理人情
 昔から上州名物とされてきたものだが、今でも元気なのは空風だけである。 雷は私が子供の頃に比べ、著しく減少した。 群馬の雷は熱雷であり、水蒸気を多量に含んだ上昇気流が積乱雲となり、 夕立となって雷鳴を轟かす。 積乱雲が発生するためには大量の水蒸気が必要だが、その最大の供給源は水田であり、 河川や樹木がそれに次ぐものと思われる。 昨今は減反化等により水田は急速に減少し、小河川は蓋をされて道路の一部と化し、 桑畑も住宅や駐車場へと姿を変えた。 水蒸気が発生し得る地表が激減したので、 どんなに上昇気流が発生しても積乱雲とはなりえないのである。 夕立は天然のクーラーとなって寝苦しい夜を爽やかな夜にしてくれたが、 今はクーラーから発生する熱風が気温の上昇に手を貸している。
 義理人情に関しては、コメントする気にもなれない状況である。
 
り)理想の電化に電源群馬
 水力発電が主力であった時代には、 県内各地のダムは京浜地区への電力供給に大きく寄与していた。 火力や原子力の整備で発電方式は多様化されたが、 ダムは首都圏の水源としても大きな役割を果たしている。 しかしダムにも寿命があることを知っている人はどれくらいいるだろうか。 仮に構築物の寿命が永久であったとしても、 ダム湖に蓄積した土砂や各種堆積物は湖底を上げ、貯水量を減らしていく。 ダムの寿命が尽きた時、その後始末はどうするのであろうか。 ダムの建造時には、廃棄のことなんて全く考えに入っていなかったと思われる。
 自然というものは、ゆっくりではあっても確実に時を刻んでいく。 原発の運休で夏場の電力不足が懸念されているが、多くの人間は水不足の場合と同様、 自分の生活に影響が出た時しかダムのことを思い出すことはないのであろう。 東京のために多数のダムを建設してきたが、果たしてそれは『理想』であったのだろうか。
 
や)耶馬溪しのぐ吾妻峡
 景勝地吾妻渓谷は、八場(やんば)ダムの建設によってその姿を変えようとしている。 八場ダムは長年にわたって建設の可否が議論されてきたが、 その目的は『理想』の電化のためではなく、農業用水でも飲料水でもない。 結局は必要性が不明のまま、 役所の面子で建設が強行されるようになったと言うことが出来よう。
 ダムの位置は渓谷の上流部であり、遊歩道のある渓谷の大部分はダムの直下となるようである。 完全に水没してしまうわけではないが、 景勝地としての景観を保てるかどうかは不明である。 新しい道路が上を通り、水の流れも変わるので、渓谷も様変わりしてしまう可能性がある。 ダムが完成して10数年が経過した時、果たしてこの札は生き残っているだろうか。
 
ま)繭と生糸は日本一
 かつては殆どの農家で蚕を飼い、繭を生産していた。 しかし安い外国製品の輸入と、手間のかかる重労働が嫌われてか、 最近では桑畑さえ滅多に見られない状況となっている。 蚕のことは御蚕様(おこさま)と呼んで大事に扱っていたが、 貧しい生活を強いられた農家においては、貴重な現金収入源であったためであろう。 現在の生産量がどの程度かは知らないが、日本全体で生産量が減っているだろうから、 この札自体は今でも真実を表しているのかもしれない。
 
な)中仙道しのぶ安中杉並木
 江戸時代に植えられた杉並木であるから、樹齢は長くても400年、 まだまだ枯れてしまう年数ではない。 しかし街道を通る自動車の増加に伴い、近年は急速に変化しているようである。 中仙道は国道18号線として使われてきたが、 18号も新道が作られるようになって交通量は減ったようである。 しかし直接的な排気ガスの影響が減少しても、 今度は酸性雨として姿を変えて杉の木に襲い掛かる。 枝の先端から枯れてくる木も見られるが、これらは酸性雨の影響の方が強いのだろう。 道が変わり、杉並木が消えれば中仙道の面影も消え去る。
 杉といえば近年花粉症が騒がれているが、 昔は杉並木の中を歩いても花粉症なんて縁が無かったようである。 最近の研究では花粉症も花粉自体が悪いのではなく、 排気ガスとの相互作用によって発生する説が有力である。 昔は自動車の排気ガスなんて無かったのだから、 花粉症が発生しなかったのも当然のことだろう。 しかし杉並木を植えた人たちも、数百年を経て花粉症なるものが出現するなんて、 想像もしていなかったであろう。
 
る)ループで名高い清水トンネル
 カルタを作るうえで悩むのは、この「る」の札ではないかと思う。 幸い上毛かるたの場合にはループ式の清水トンネルが存在していた。 現在では上越線も複線となっており、ループ式は上り線だけである。 ループトンネルの目的は線路を高い位置に上げ、本トンネルの長さを短くすることにある。 下り線の建設時には掘削技術の発達により、ループに頼ることなく一直線に掘られている。 ただしその結果駅は地底深くとなり、 土合駅では地上に出るまで500段近い階段を上らなければならない。 田舎の駅ゆえに、東京の地下鉄駅のようなエスカレーターは無い。
 新幹線の建設で信越線は碓氷峠で切断され、名物の機関車連結も姿を消した。 列車の本数は減ったものの上越線はまだ生き残っているが、 もし廃止されたらこの札はどうなるのだろうか。 ループトンネルのあった清水トンネル、とでもなるのかな?
 
つ)つる舞う形の群馬県
 この札は、単純に群馬県の形を現したものである。 南東の太田・館林が鶴の首と頭であり、北東と南西へ翼を広げている。 鶴は自然の豊かな群馬県に相応しいものであったが、 最近ふと大きな疑問が湧いてきた。
 鶴は本当に舞っているのだろうか?
 群馬の地図を広げてみると、中央から南西にかけての平野部だけでなく、 山間部の到る所まで道路網が張り巡らされていることが分かる。 かつては自然の豊かな山岳部でさえ、広大な舗装道路によって寸断されている。 それは網の目のように、というよりも、 まるで蜘蛛の巣のように、という表現の方が適切であろう。 群馬県という鶴は、その巨大な蜘蛛 の糸で捕らえられ、もがき苦しんでいるのではないだろうか。 鶴だけではない。著しく減少した雷にしても、 蜘蛛の巣の妨害で活動できなくなったのかもしれない。
 環境保護という言葉が使われるようになって久しいが、 人間が環境を保護するのではない。 人間だけでなく、あらゆる動植物が自然によって保護されているのである。 人間は食物連鎖の頂点に立っているが、そのピラミッドの底辺の下には植物があり、 地球という自然があって初めて成り立っているのである。
 
 つるが再び舞い上がる日は、果たして訪れるのであろうか。

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