別記事「持将棋と千日手」に対して、
このように規則を変えた場合には指し方が変ってしまうのでは?
と言う心配をされる方が多いようである。
この点に関しては私もその可能性は高いのではないかと思っているが、
今回はこの点についての私の考えを紹介していくことにする。
この種の問題の発生は将棋に限ったことではなく、
他のあらゆる競技においても同様であると思われるが、
実際に問題にすべきことは指し方等が変ることではなく、
その結果その競技が魅力を増すかどうかにかかっていると考えるべきであろう。
即ち改変によってつまらない競技になってしまえば改悪であり、
より面白い競技となれば改善であると言って差し支えないものと考える。
規則と戦法の関係を検討する上での好例として、
NFL(米国プロフットボール)の実情を参照してみたい。
NFLでは毎年のように細部規則が改正されているようだが、
コーチ陣はオフェンスであれディフェンスであれ、
その規則の下で最大の戦力を発揮できるようにプレーを組立てなければならない。
仮に昨年優勝した選手がそっくり残っているチームがあったとしても、
新しい規則に対応してプレーしなければ勝利はおぼつかなくなる。
このように頻繁に規則が変更されても観客が集まるのは、
それが試合をより面白いものにする改正だからである。
そしてまた現状に満足することなくこのような努力を続けているからこそ、
NFLはプロスポーツ界で最高の地位を占めているのである。
本題の将棋に話を戻すが、黎明期には各種の将棋が混在していたと言われている。
そして駒の種類が違う将棋の規則はと言えば、
類似点も多かったであろうが規則そのものは異なっていたはずである。
では盤も駒も同じものであれば規則は統一されていたのであろうか。
記録に残された規則は1種類しか見られないはずだから、
その地域においては統一した規則で指されていたと考えることが出来る。
しかし当時の情報の伝播速度は極めて緩慢な状態であったのだから、
地域によっては細部の規則が異なって指されていたとしても不思議ではないだろう。
現在では将棋の規則はアマチュア界を含めて統一されていると言って良いだろうが、
麻雀の場合には同じ用具を使用しているのに規則はバラエティーに富んでいる。
そして競技者はそれぞれの規則に従って最善と思われる戦法(打ち方)で戦うことになる。
いわゆる完先と後付ありとでは打ち方は全く異なってくるし、
ドラ牌がゴロゴロしている規則の下ではまた異なった打ち方をしなければならない。
大きな大会では主催者の提示する規則に従って競技することになるが、
普段はその規則とは異なった規則で打っている参加者の方が多いことだろう。
あるいは規則が気に入らないからと辞退する人間もいるかもしれないが、
殆どの参加者はその規則に合わせた打ち方で競技することになるだろう。
将棋の持将棋規則に比べれば遥に大きな規則の違いであると言えるだろうが、
敗戦の責任を規則に押し付ける者はいないことと思われる。
私の提案する持将棋案によって指し方が変ったとしても、
それがより面白い方向に行くのであれば歓迎すべきことではないだろうか。
現在の点数法がどのような経緯で制定されたのかは知らないが、
実戦における相入玉将棋の終盤戦を見ると、
もはや将棋本来の面影は無いと言っても過言ではないだろう。
即ち相手の玉を詰めると言う将棋本来の目的から外れ、
より多くの駒を取るという指し方に重点がおかれることになる。
このような弊害があるにもかかわらず不完全さも残る現行規則こそ、
何故採用されるに至ったのか知りたいものである。
なお私の案を採用した場合に、
序盤から王将で突撃する戦法が現れることを懸念する意見も聞かれる。
もしそのような単純な戦法が成功するのであれば、
以前とは全く異なった将棋となってしまう可能性もありうる。
しかし同兵力の駒で交互に指していくのであるから、
王将自らを危険地帯に進める指し方がそう簡単に成功するとは思えない。
ここで話を再び将棋の黎明期に戻し、
駒の再使用と言う新しい規則が発生した時のことを考えてみよう。
取った駒を再び使うと言うことはそれまでの将棋の概念を根本から覆すものであるから、
当然その指し方が従来の取捨て式将棋と大きく異なることは十分に予想される。
従来の将棋で満足していた者にとっては、
戦法が大きく変るような規則の改変は不要なものであったことだろう。
そしてもし戦法の変化を嫌って駒の再使用規則を認めなかったならば、
現在の将棋はありえないことになる。
再使用の規則が特定の権力者によって定められたものなのか、
それとも一部の愛好者の間で細々と指し継がれ、
徐々に広まっていったものなのかは知る由も無い。
しかし私の推測するところでは、恐らく後者であったのではないかと思われる。
特定の人間によって定められたものであれば、
制定に関して何らかの記録が残っていると思われるからだ。
駒の再使用が広まったとしても、現在のように一斉に規則が変るはずは無い。
恐らく長期間にわたって取捨てと再使用の規則が混在していたのではないかと思われ、
異なる規則で指している者同士の対局も発生したことであろう。
対局に当たっては何れかが相手の規則に合わせる必要があるのだが、
自分が使っている規則で指した方が有利なのは当然のことである。
そしてこの場合、再使用式で指している人間は取捨て式の将棋も経験しているが、
逆の場合には経験が無いので不利だったことと思われる。
初めは取捨て式で指していた者も、再使用式の将棋の経験を積み重ねるに連れ、
徐々にその優秀性を認めて行ったのではないだろうか。
二歩の禁止が制定されたのは、再使用規則が発生してからずっと後のことであるから、
その間は二歩どころか三歩・四歩も発生していたことと思われる。
具体的に例を示せば、『39歩38金37歩36歩35歩』と言うように歩を縦に並べて壁を作り、
敵の侵入を防ぐことは当然考えられたことであろう。
二歩が禁止されればこのような歩の壁を作ることは出来なくなるから、
当然指し方は大幅に変化せざるを得なくなり、
その度合いは持将棋問題よりも遥に大きなものであったと思われる。
二歩の禁止は、駒の再使用規則の場合よりも迅速に広まったことと思われる。
権力者によって制定されたものであることも一因であるが、
やはり二歩の禁止によってより面白いゲームとなったことが、
普及に拍車をかける結果となったのではないだろうか。
打ち歩詰の禁止は二歩の禁止ほど影響は無かったものと思われるが、
二歩の禁止に付随して広まっていったことであろう。
前述したように麻雀の大会では主催者によって詳細な規則が制定されるし、
囲碁の国際大会でも詳細な規則は主催者によって異なるそうである。
将棋にも各種の棋戦が存在するが、
何れの棋戦も持ち時間や対局の組合せ方法が異なるくらいで、
大きな特徴のある棋戦は存在しない。
持将棋はそう頻繁に発生するものではないから、
私の提案を取り入れても急激にその効果が現れるとは思えない。
しかし長い間には必ずやその優秀性が理解されると信じているので、
試験的にでも採用されることを期待するものである。