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 「成り駒の謎」

 「日本将棋の特徴は?」と訊かれれば、誰もが即座に「駒の再使用」をあげるだろう。 これは全くその通りなのであるが、「では、その他には?」と更に訊かれたら何と答えるであろうか。 少し考えてから、駒の形をあげる人もいるだろうし、漢字で書かれていることをあげる人もいるだろう。 しかし私は第2の大きな特徴として、「駒の成り方」を推薦したい。 現在の将棋の駒の成り方は、チェスや中国将棋、 あるいは日本の中将棋等とも大きく異なっているからである。
 
1.外国将棋との比較
 チェスの類及び中国将棋(以下象棋)においては、 成ることが出来るのは最も弱い駒1種類だけであるが、日本将棋(以下単に将棋と称する)では8種類の内、 6種類もの駒が成ることが出来る。チェスの1/6、象棋の1/7に対し、 将棋では6/8と圧倒的に多種の駒が成ることができるのである。 駒の数量でみても、それぞれ50%、31%、85%と、将棋の成り駒は圧倒的に多い。
 チェスのポーンは一番奥まで行った時に初めて成ることが出来るが、 これは象棋や将棋の「敵陣」に入ったら成れると言う感覚とは大きく異なると言えよう。 必然的にポーンの昇格が発生するのは終盤に限られ、序盤からでも成りが発生する将棋の場合よりも、 成る行為の利用は限定されたものになると考えて良いだろう。 中盤戦の時点でポーン・エンディングを想定し、駒の消耗戦を図って指し進めることは十分考えられるが、 これは言うなれば戦略的な成りの利用であり、 戦術的にも成りを多用する将棋とはやはり異なるものと考えて良いだろう。
 チェスの場合にはポーンは任意の駒に成ることが出来るが、 4種の駒が同じ性能の駒に成る将棋とは対照的である。 任意の駒に成れるとは言っても、クイーン以外に成るのは極一部の場合に限られるものと思われる。 むしろ将棋で不成の選択をする機会の方が多いし、特に銀の場合にはその判断が難しい場合が多々ある。 ルックやビショップに成るのはステイルメイトとの関連であり、 ナイトに成るのは詰みを読み切った場合だけであろう。 終盤に発生する成りなので、中盤の難所で不成の選択を迫られる将棋より単純であると言えよう。
 象棋では「兵・卒」が敵陣に入れば自動的に成ることとなり、将棋のように不成と言うものはない。 韓国将棋では最初から同種の駒が「兵・卒」が成った状態で動けるので、駒が成ることはない。 見方を変えれば、象棋の「兵・卒」は成った状態が本来の動きであり、 自陣にいる時には動きに制限を掛けられ、敵陣に入ったら解放されて本来の姿に戻るとも考えられる。 将棋やチェスの成りが0から+αとなるのに対し、−αから0の状態に復帰すると言うことである。 2手で成ることができるのは将棋よりも早いが、正面には同種の駒がいるのでそう簡単には行かない。 やはり将棋に比べると、成り駒の積極的な活用は劣るものと考えられる。
 
2.中将棋との比較
 日本では現行の将棋以外に各種の将棋が作られているが、実用的なのは中将棋のみであると思っている。 中将棋よりも大規模な将棋の駒の構成や動きは、中将棋の拡大延長に過ぎないものと思っても良いだろう。 その将棋固有の際立った特徴というものが見られないからだ。 従ってここでは中将棋のみを比較の対象とし、検討して行くこととする。
 中将棋では桂馬を除いて現行将棋の全ての駒が存在し、成り方も大きく異なっている。 飛車角歩兵は同じであるが、銀香は遥に強力な駒となり、金も飛車に成ることが出来る。 1画しか動けない小駒の多くが、より強力な走り(=大駒又は中駒?)に成ることが出来るのである。 小駒は成っても小駒のままでいる将棋に比べ、中将棋では成りの効果がより大きいのである。 生駒と成り駒とは1対1で対応しており、将棋のように4種の駒が同じ駒に成ることもない。
 何故に将棋では成りの効果が減少したのかと言えば、駒の再使用と密接な関係があるものと思われる。 駒の再使用の特徴は、単に繰り返して使用出来ることだけではない。 任意の地点に駒を出現させることが出来てこそ、再使用の醍醐味も増すと言うものである。 もしも駒を打てる場所を自陣に限定してしまえば、再使用の魅力も半減してしまうだろう。 そして任意の地点に駒を打てると言うことは、成り駒を作り易いことでもある。 小駒が走りに成ることが出来るとすれば、盤上には中将棋のように走りの集団が出来てしまう。 狭い盤内に大駒がひしめく訳だから、かなりの混乱が予想される。 小駒は小駒にしか成れないからこそ、駒の再使用ルールも定着したのではないだろうか。
 
3.金は何故成れないか
 金が成れないのはどうしてなんだろう?こんな疑問を持った人はいるだろうか。 そんなことは当たり前だ、として、深く考えたことのある人は殆どいないだろう。 しかし客観的に眺めてみるならば、これは極めて不可解なことであると言えるのではあるまいか。
 増川宏一著「将棋」によれば、平安期には現行将棋から飛車角を除いた将棋が存在していたようである。 盤の枡目については不明なようであるが、8×8でチェス盤と同じだった可能性もあるらしい。 8路盤なら金将が1枚となるのが自然であり、チェスのクイーンに相当する位置に並べられる。 もしもチェスの影響があるのであれば、歩が金に成るのも、金が成れないのも納得が行く。 桂香について言えば、やはり行き所がなくては困るので、面倒だから歩と同じにしてしまえ、か。 では銀はどうする。銀が金に昇格する理由は見当たらない。ここで困ってしまう。 どうやら参考とはなるものの、決定打とはならないようである。
 では全く逆の発想として、金が成れるとしたらどんな将棋になるだろうか。 金が成るとしても中将棋のように走りに成るのではなく、あくまでも小駒としての成りである。 となれば、金が成った後で変身する駒は酔象しかない。 大駒は現状のままの成り方で、小駒は全て酔象に成ることの出来る将棋。 もし駒再使用の将棋で金が成れるとすれば、このような将棋しか考えられない。 成り駒は強すぎても弱すぎても、ゲームの興味がそがれる。 金が成れる将棋は、現行将棋と比べて面白いものとなり得るだろうか。
 最近のパソコン用将棋ソフトの発達には著しいものがある。 金が成れる将棋用にプログラムを修正し、対戦を行ったらどのような結果になるだろうか。 勿論定跡にも多少の変化は必要だろうし、形勢判断の基準も異なってくるだろう。 人間の対局では多くの番数をこなすことが難しいので、パソコンによるシミュレートは有効なものと考える。 現行将棋に比べて興味を増すものとなり得るかどうか、実現したら面白いのだが・・・
 
 駒を任意の地点に打てる再使用ルール、そして4種の駒が同じ性能の駒となる成りのルール。 この2つの規則は互いに干渉しながら発展したのではないだろうか。 あるいは各種のローカルルールが存在し、淘汰されて現在のルールが残ったのかもしれない。 いずれにしても駒の再使用のみならず、駒の成り方も将棋を面白くしている一因として、 もっと注目しても良いのではないだろうか。

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