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 持駒誕生〜駒の再使用について

 現行日本将棋の特徴の一つに駒の再使用があり、 これによって将棋がより複雑で面白いものとなっていることについては、 改めて説明することも無いだろう。 この「再使用ルール」の発生に関しては断定できる説は無いようであるが、 『戦−捕虜−寝返り』と言う説が有力なようである。 しかし私の見解は異なっており、このような人為的な発生によるものではなく、 自然発生的なものではないかと思っている。
 
 山本亨介著筑摩書房刊「将棋文化史」(1980年)によれば、 『異民族をまじえぬ日本人の合戦は、・・・』 『勝者は敗者を皆殺しにすることはなく、むしろ、 わが配下に加えて勢力の増強をはかるのを常とした』 と言った表現が見られる。
 また増川宏一著法政大学出版局刊「将棋」(1977年)には、 『駒の再使用のルールについて想起されるのは捕虜の概念である』 『まさに我国の軍こそ敵・味方<まじりあって>敵方の将兵が <味方の士卒に加え>られる状況にあった』 と言う記述が見られる。
 他にも同様の見解を示した文献も見られるようであるが、 恐らく両書の影響が強いのではないかと思われる。 この説は将棋が戦争を模したものであるという前提から発生しているが、 多くの疑問点もまた存在する。 私の見解ではこの説は再使用ルールの発生と言うよりも、 むしろ後から再使用ルールの意味付けをしたものではないかと思われる。 まずはこの説に対する反論を列挙して行きたい。
 
 将棋に類するゲームが戦争を模したものとして発生したことについては異論はないが、 まずは『戦争』と『戦闘』との違いを念頭において頂きたい。 『戦争』とは国家間の争いであり、様々な要素が絡み合っている。 そして『戦闘』は、その一要素に過ぎないと言うことが出来よう。
 チェスにおけるクイーンやビショップは、戦場における直接的な戦闘よりも、 戦意の向上に果たす役割の方が大きいものと考えて良いだろう。 ジャンヌ・ダルクの場合には女王ではないが、 ジャンヌ自身の戦闘能力よりも、戦意向上の効果の方が大きかったのではあるまいか。 城が動くと言うのも戦場においては奇妙な話だが、 戦略的な野戦築城で戦闘を有利に進めたと解釈すれば納得も出来よう。 チェスの場合には『戦闘』ではなく、正しく『戦争』を模したものと言って良いだろう。
 象棋(中国将棋)の場合には、チェスとは逆に『戦闘』の要素の方が強い。 将も帥も一軍の統率者であり、国家元首ではない。 砲架が無ければ砲を撃てないと言うのも、脚を縛られて馬が動けなくなるのも、 城が動くチェスに比べて極めて現実的であり、戦場そのものであると言えよう。 将・帥及び側近が城内から出られず、 敵陣に入れない駒があるのはいささか気になるが・・・
 日本将棋の場合には、駒の名称が抽象的なので何れとも判定し難い。 しかし駒の動きが小さいことから判断すれば、より『戦闘』に近いのではあるまいか。 ただし大将棋その他の巨大将棋に至っては、ただ単に駒の種類を増やしただけであり、 もはや『戦闘』を模したものであるとは到底思えない。 それは純粋にゲーム性を求めただけのものであり、 『戦争』とも『戦闘』とも無関係のものと考えるべきであろう。
 
 日本の合戦における寝返りの代表的なものとして、 関ケ原における小早川秀秋を挙げることが出来よう。 そしてこの例にも見られるように、合戦において捕虜となり、 その結果寝返ったのではなく、政略的に寝返っている者が殆どであると言えよう。 将棋で言えば駒を取ってから自分のものとするのではなく、 盤上に並べた段階で既に自分の駒となっている状態である。
 実際に戦場において味方の将兵を殺傷し、 その後捕虜となってから寝返ったと言う例はどれくらいあるのだろうか。 勇猛さを讃えて味方に引き入れる場合よりも、 危険人物として殺してしまう例の方が遥に多いはずである。 更に言えば捕虜となる例よりも、戦場で討ち死にするか、 逃亡してしまう例もまた多いことであろう。 駒の再使用が捕虜から来ているとはどうしても思えないのである。
 象棋も駒は取り捨てであるが、その中国に目を移してみよう。 三国志演義を読んでいると敵将の捕獲はしばしば目にすることである。 味方に引き入れることを目的とした捕獲作戦と言うのも珍しいことではない。 勿論三国志演義は小説であり、事実のそのまま伝えるものではない。 しかしこのような小説が書かれ、そして時代を超えて人気を博している理由としては、 やはり現実に密着して書かれていると言う背景があるのではないだろうか。 捕虜を味方とすると言う観点から見るならば、 日本将棋よりも象棋の方が駒の再使用を実現し易いはずである。 ただし象棋では将・帥に限らず、両軍で駒の名称が異なっているものが多い。 文字色が異なっていることに加えて、 再使用ルールが実現しなかった一因であるかもしれない。 しかしこの問題はちょっとした工夫で解決できる。 駒の裏側に対応する敵の駒の名前を書いておけば良いのである。 象棋において再使用ルールが発生しなかったのは、 捕虜の問題とは無関係なことを示しているのではあるまいか。
 チェスの場合には『戦闘』より規模の大きな『戦争』を摸していると考えられるので、 駒も一人の武将を表しているのではなく、 地方豪族や部族を表しているものと見ることが出来よう。 戦争によって領土を拡大し、部族を平定したとしても人心を掴むのは容易なことではない。 しかし『戦争』と言う長期的な視点から見るならば、 獲得した領地の住民を味方とすることは不可能ではない。 宗教的な違いは困難な要素であるかもしれないが、 基本的には住民の心を掴むのは善政であり、そのような例は存在する。 チェスで駒の再使用が実現しなかったのは、 単純に駒の色違いが原因では無いだろうか。
 『捕虜−寝返り』説のもう一つの欠点として、 成り駒の取扱いは無視することの出来ない問題であろう。 将棋で駒を再使用する際には、取った段階では成り駒であっても特別扱いはしない。 『歩兵』も『と金』も同じ扱いになってしまうのだが、 これが実際の戦闘後の取り扱いだとしたらどうだろうか。 足軽からある程度の部隊を任される将にまで出世した人間が、 説得されて寝返ったのは良いが、敵軍では再び足軽としてしか扱われない。 これでは寝返って敵に協力する気にもなれないことだろう。 もしも混乱を避けるために全て生駒として扱うと言うのであれば、 これは完全にゲームの世界の話であり、 捕虜云々とは無縁であると言うことが出来よう。
 
 では駒の再使用が人為的なものではなく、 偶発的なものだったとしたらどのようなことが考えられるであろうか。 次に示すものはその一例であり、実際にこのようなことがあったと言う訳ではない。
 
 縁台に腰掛けて八兵衛と熊公が将棋を指している。
八「おめえの番だな。おらあ小便してくらあ」
熊「あいよ。ゆっくり行ってこいや」
八「好きなだけヘボな考えをしていなよ」
 八兵衛は立ち去る時に縁台に脚を引っ掛け、 熊公の香車を落としてしまうが気が付かずに立ち去る。 駒は取り捨てなので当然駒台は無く、熊公の手の中には取った駒がある。
熊「ったく、俺の駒を落としやがって」
 熊公は香車を元に戻そうとするが、盤面を見てつぶやく。
熊「待てよ、奴の角の頭にこの香があったら好都合なんだがなあ」
 熊公は落ちた香車を八兵衛の角の前に置いてみる。
熊「香を置いたってばれちまう。しょうがねえから戻しとくか」
 香を元の位置に戻してまた考え込む。
熊「香だとばれちまうが、銀ならごまかせるかもしれないぞ」
 熊公は八兵衛から取った銀を、角から少し離れた所に置いてみる。
熊「こいつは良い。絶対に優勢になるぞ」
 程なく八兵衛が帰ってくる。
八「やあ、待たせたな。指したかい」
熊「いや、おめえが来るまで待ってたよ」
 熊公はそう言うと、銀を置いた所とは遠い場所で駒を動かす。 勿論八兵衛の注意をそちらに向けて、内緒で置いた銀に気付かせないためである。
八「へえ、こいつは意外な所にきたね。うーん、これならどうだ」
 熊公の企みは成功し、八兵衛は打たれた銀に気付かないまま局面は進んで行き、 やがて熊公の勝勢となる。
八「いやあ、こいつは上手くやられたかな」
 そこへ少し上手のご隠居がやってきて、八兵衛の手の中にある駒を見てつぶやく。
隠「おや八っつぁん、お前さん銀を持ってるのかい」
八「へえ、熊の銀と刺し違えましてね」
隠「そいつはおかしい。熊さんの方には銀が2枚あるよ」
八「ほえっ・・・ほんとだ」
 からくりがばれてしまった熊公、小さくなって弁解する。
熊「こう言っちゃ何ですがご隠居、取った駒が使えたら便利ですねえ」
八「てやんでえ、いんちきしやがったな、熊公め」
隠「まあまあ八っつぁんも落ち着いて。熊さんの言うことも尤もな気がするよ」
 両名よりも棋力のあるご隠居は駒の再使用の優秀性に気付き、 自分でも仲間との対局で試みてみる。 一度でも再使用ルールを経験した者はその魅力に取り付かれ、 段々と各地に広まって行った。
 
 勿論これは架空の話であり、文献等には載っていない。 しかし十分にあり得る話では無いだろうか。 新しく生まれたルールもつまらなければ立ち所に 消えてしまうが、 面白ければ確実に普及することであろう。 そして再使用ルールが面白いものであったからこそ、 その成立過程に関係無く広まったと考えることが出来よう。
 持駒が一部の例外があるものの任意に地点に打てるのは現代の常識であるが、 これも果たして当初からそうだったのであろうか。 あるいは自陣の3段目以内にしか打てないことがあったかもしれないし、 5段目以内と制限された時期があったかもしれない。 更に言えば、中将棋等でも再使用ルールが試みられたこともあったかもしれない。 こうして様々なローカルルールが試みられ、その結果生き残ったのが現行ルールであり、 中将棋では容易に決着がつかないので、再使用は禁止となったのであろう。
 偶然から生まれた発明と言うものは、結構存在するものである。 古くはアルキメデスもそうであったし、 最新の科学技術においても偶然の産物は珍しいものではない。 将棋の再使用ルールが偶発的なものであったとしても、 格別不思議なことではないと言うことができよう。
 
 最後に『捕虜』云々に関連して、升田九段の戦後GHQでの話を紹介しておこう。 これは秋田書店刊『将棋野郎』その他に載っている話である。
 日本将棋の駒の再使用ルールは捕虜虐待のようだ、と質問された升田九段は、 捕虜も以前と同じ階級で使うので虐待ではない、と言うような趣旨で答えている。 一見『捕虜−寝返り』説と同じ様に思われるかもしれないが、 升田九段の発言は再使用ルールの発生とは無関係に、 取り捨てルールのチェスに親しんでいるアメリカ人にも分かり易いよう、 相手が言い出してきた『捕虜』と言う言葉を利用して説明したものであろう。
 あるいはこれまた私の想像ではあるが、 どんな人間でも赤紙一枚で一兵卒としてしか扱わない日本の軍指導部に対する、 升田九段の怒りが隠されていたのかもしれない。 将棋は駒の個性を生かさなければ勝つことは出来ない。 戦争もまた同じであり、桂馬も金銀も歩として扱うような日本軍が勝てるはずは無い、 と言う抗議の気持ちがあったのかもしれない。 これは本題から外れた個人的な見解であるが・・・

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