升田幸三実力制第四代名人−私はこの呼称が嫌いである。
そして最も嫌っていたのは−升田幸三自身だったのではあるまいか。
私にとっての升田幸三は、あくまでも升田『九段』である。
勿論『マスダキュウダン』ではなく、『マスダクダン』である。
現在の将棋界では昇段規定が変り、九段の称号を持つ棋士は珍しくも無い。
しかし昇段規定の厳しかった頃には九段は希であり、
長期に亘って塚田正夫・升田幸三の2名しか存在しなかった。
その当時は九段位を得るための条件は厳しく、
名人位を2期(連続ではなく、通算で良かったと思う)確保する必要があった。
そして大山康晴十五世名人が名人位を独占し続けたために、
九段を名乗ることの出来る棋士が現れなかったのである。
なお現在の竜王戦の前身として九段戦・十段戦が存在した時期があり、
タイトル保有者はそれぞれ九段・十段の称号を名乗ることが出来た。
しかしこれはあくまでもタイトルの名称に過ぎず、
段位とは無関係のものである。
九段への昇段規定が変ったのが何時だったか正確には覚えていないが、
若い人の中には当時の状況を知らない人も多いかと思うので、
私の邪推による部分もあるが簡単に経緯を紹介しておく。
将棋界では九段は2名だけであり、実質的に八段が最高位の時代であっても、
囲碁界においては九段がわんさと存在していた。
囲碁の九段への昇段規定がどのようになっているのかは知らないが、
初段でプロとして認められることも加えて、
将棋界よりも甘い規定であったことは間違いないだろう。
このような事情を良く知っている者ならば、
将棋の八段と囲碁の九段が同等であることも容易に理解できる。
しかし殆どの一般人にとって九段が上位に見えるのは当然のことであり、
様々な状況下で差別されていたようである。
将棋界にとっては自らの厳しい規定で自らを苦しめている状態であり、
囲碁界と対等の立場に立つためには規定を甘くするしか方法は無い。
その結果考えられたのが、名人戦以外の棋戦のタイトル保有、
八段昇段後の勝数によると言う、現在の昇段規定である。
恐らく現在でも九段の数は囲碁界の方が圧倒的に多いと思われるが、
将棋界でもトップ棋士の多くは九段を名乗ることが出来るようになり、
対外的にも対等の立場で接することが出来るようになった。
なお余談ではあるが、アマチュアの段位が甘くなったのも同時期だったかと思う。
かつては県代表で四段、アマ名人が六段で最高位であった。
アマ初段の免状も甘くなっているようで、
当時の初段は現在の二段半くらいに相当するものと思って良いだろう。
こちらは普及の促進にも役立っているのだろうが、
免状料が将棋連盟により多く入ると言う実利も見逃すことは出来ない。
将棋界にとっては、この改革は成功であったということが出来よう。
しかし升田幸三にとっては、どうしても許すことの出来ない行為であったに違いない。
厳しい規定の下で得た九段位と、比較的容易に得ることの出来る九段位とが、
区別されることも無く混在することになるからだ。
俺の九段は大量生産の九段とは違うんだ、
このように思ったとしても何ら不思議らことではない。
いや、当然のことと言うべきであろうか。
新しい制度の九段と区別しようと思えば、十段の称号を名乗ることが考えられる。
しかしその当時は十段戦が存在していたと記憶しているが、
そのタイトル保有者は○○十段と呼称されることになる。
即ちタイトルとしての十段と、段位としての十段とが共存することになってしまう。
あるいは十段戦と言うタイトル戦が無かったとしたら、
十段と言う段位が制定された可能性も皆無では無かっただろう。
ここで少し話題を変えて、色々な世界における段位と言うものを調べてみよう。
誰でも知っているのは武道関係の段位であり、
囲碁将棋に類する勝負事の世界、連珠・オセロ・麻雀等においても段位が存在する。
珠算に段位があることも知っている人は少なく無いと思うが、
変ったところでは剣玉や金魚すくいにも段位が存在するそうである。
その殆どの世界において実質的に最高の段位は六〜八段であり、
九段・十段と言うのは名誉段位と言うべきものである。
こうして他の世界と比べてみれば、
八段が最高位だった将棋界の段位制度は極普通のものであり、
九段がゴロゴロしていた囲碁界の方が、
むしろ異常な世界であったと言っても過言では無いだろう。
将棋界では囲碁界に倣って九段への昇段が容易になるよう制度を変更したが、
他の世界ではそのような動きは無かったようだある。
その理由として考えられるのは、連珠を除けば何れも囲碁とは無縁の世界であり、
両者の段位が比較されることが無いためであろう。
しかし将棋の場合には囲碁と対になって語られることも多く、
どうしても段位を比較されてしまうことになる。
幾ら両者の制度の違いをを説明したところで、
前述したように一般の人にはなかなか理解されないのが実情だったのである。
新制度で誕生した九段と、
旧制度下での九段との間に一線を画するにはどうしたら良いだろうか。
九の上は十なので十段と出来れば簡単なのだが、
タイトルとしての十段があるのでそうも行かない。
一時期『元名人』と表記されたことがあったと記憶しているが、
勿論升田九段の納得できる称号ではない。
まるで過去の人でもあるかのような印象を受けるので、
私も早急に廃止して欲しいと思ったものである。
その後現れた『実力制第四代名人』と言う称号を誰が思いついたのかは知らないが、
どう見ても苦し紛れの発想であるとしか思えない。
確かに間違いではないのだが、余りにも説明的でしっくりとしない。
升田九段としても満足した訳ではないと思うが、
他に適切な表現が見当たらず、渋々承諾したのではないだろうか。
名人2期で勝ち得た九段と、新制度で昇段した九段とを区別する方法はあるだろうか。
私は『九段=クダン』と『9段=キュウダン』の使い分けはどうかと思っている。
勿論新制度によって9段となった場合でも、
その後名人を2期確保すれば九段を名乗ることが出来る。
八段までの段位はずっと漢数字で表示し、
9段になっていきなりアラビア数字が登場することは感心できないが、
あくまでも九段で区別しようと言うのなら止むを得まい。
まさか九段甲・九段乙と区別する訳にも行かないだろう。
升田九段も塚田九段も亡くなり、もう区別する必要も無いのかもしれない。
しかし升田九段のことを記事にしようと思えば、
何らかの形で新制度の9段とは区別したくなるのは当然のことである。
記録と言うものは、ともすれば数字が一人歩きをし勝ちである。
長期に亘って同じ条件で記録が残されることは極めて希なことである。
このことは将棋やスポーツの世界だけでなく、
あらゆる世界において共通する事項であると言って良いかと思われる。
表面に現れた数字だけを単純に比較するのではなく、
数字に隠された背景にも注目する姿勢は不可欠なものであろう。