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 身体基準

 もう20年近く前になるかと思うが、 米軍で肥満を理由に兵士を除籍出来るかどうかで問題になったことがある。 最終的には任務の遂行に支障があると言う理由で軍の勝訴となったが、 このような問題が発生するのは兵士の身体基準が明確にされていないことも一因であると言えよう。
 自衛隊関係でも採用基準としては身長に対してのみ下限を設け、 胸囲・体重については「身長と均衡を保っていること」と言う表現にとどまり、 何れも上限については明記されていない場合が多い。 そんな中で航空学生に関しては身長の上限を定めているが、 これはコックピットの容積から逆算したものではないかと思われる。 更に意外に感じたのは防衛医科大生の身体基準で、 身長に関しては下限のみ設けて上限は定めていないが、 胸囲に関しては身長に応じて下限のみ合格基準を定め、 体重の場合には下限と上限を定めている。 この基準では身長の最大値を191p以上として体重の範囲を示しているので、 それより大きな人間の場合には体重超過も考えられるが、 その可能性は無視し得るほど低いものと考えて良いだろう。 それにしても体重の範囲を明文化しているのが戦闘部隊の募集要領ではなく、 防衛医科大と言うのにも興味が持たれる。
 
 ところで新兵の採用に際して身体基準を設けるようになったのは何時からであろうか。 恐らく戦国時代のように何時戦闘が始まるか分からない時代には、 少しでも多くの兵員を確保するために体格を問題視していたとは思われない。 機械化された近代戦とは異なって体力重視の戦闘に終始しているように思われがちであるが、 頻繁な実戦を踏まえての兵力構成に全力を注いでいたはずであるから、 むしろ現在よりも適材適所の編成がなされていたのではないかと思われる。 近代戦よりも生死が身近に感じられる戦場で戦っているのだから、 体力以上に精神力が重視されていた可能性も十分にあり得るだろう。
 豊臣家が滅亡して徳川の支配する江戸時代になると、 身分制度が確立したこともあって兵員が募集されるようなことは無かったはずである。 江戸初期には幕府制度に対する反乱も発生しているが、 反乱に加わる者に最も必要なのは体力ではなくて思想であり、 指導者としては一人でも多くの兵力を必要としたであろうから、 当然募集に当たって身体基準が設けられたとは考えられない。
 徳川幕府に代わって成立した明治政府によって日本でも徴兵制が布かれるようになったが、 恐らくこの段階で身体基準が制定されたのではないかと思われる。 兵士であるから体力が重要であるとは言うものの、 やはり基準を制定するに当たっては身長が重視されたのではないだろうか。 体力測定では意識的に成績を悪いものにして徴兵を逃れることも可能であるが、 身長の場合にはごまかしようが無いのだから。 基準は下限のみを制定したものと思われるが、 現在でも上限は設けられていないのだから、 体力重視の当時において上限が設けられたとは思われない。 日常生活でも機械化の進んだ現代社会では運動不足に陥りがちであり、 身長と体力とが絶対的に比例するとは限らないが、 当時においては両者の相関性はかなり高かったものと思われる。
 軍隊の任務は直接的な戦闘だけでなく、 観閲式や儀杖兵に見られるような示威行動も任務の一つであると言うことが出来る。 旧軍においても近衛兵は身長の基準が他の兵士よりも厳しかったそうであるが、 これはやはり身長を均一化した大柄な兵士の方が見栄えがすると言う理由からであろう。 したがって戦闘を考慮しての基準とは全くの別物と言うべきであり、 一般兵士の基準と同一視することは出来ない。
 
 旧海軍においては戦艦や巡洋艦で口径14cmの砲を採用しているが、 これは欧米人に比べて砲弾の運搬に要する体力の劣る日本人の現実を考慮し、 欧米の6吋砲と同等の発射速度を確保するためと言われている。 即ち砲弾一発当たりの破壊力は劣っても、 発射弾数を同等にして命中弾の数を確保しようと言う考え方であり、 恐らく日清・日露の海戦を踏まえて決定されたものと思われる。 ただしこの考えはあくまでも非装甲艦を対象としたものであるが、 この点に関しては主題と外れるのでここでは触れないことにする。
 砲弾の運搬のような肉体労働では体が大きい方が有利になるが、 機械化が進むに連れて筋力に基く体力の重要性は減少しつつあると言ってよい。 むしろ機械の操作に差異が無ければ小さい方が有利な場合が増えつつあるが、 戦車の操縦手等はその好例であると言うことが出来よう。 旧ソ連陸軍の戦車兵は身長が155p以下に限定されていたとも言われているが、 その信憑性は別にして車高を低くするためには有効な選定であると言えよう。 装填手の場合にはやはり肉体労働となってしまうが、 自動装填にすれば大柄な兵員は必要とならないので、 身長の下限よりも上限を設けた方が有益と言うことになる。
 戦車は人間が搭乗する兵器の中では最も狭隘なものの一つであるが、 飛行性能の向上を図るために常に軽量化に注意が払われている航空機の場合はどうであろうか。 冒頭でも述べているように、航空学生の採用に当たっては身長の範囲は定められているものの、 体重に関しては具体的な記述は無い。 その理由として考えられるのは、 身長の場合には採用後に増減することは無いものと思って良いが、 体重と言うものは大きく変動することもあり得る、と言うことであろうか。 しかし極端に体重が増えてしまった場合、 搭乗員の体重による飛行性能への影響はどの程度のものであろうか。
 現在の軍用機はプロペラ機時代に比べれば重量が大きくなっているので、 搭乗員の占める重量は相対的に小さくなっていると言うことも出来るが、 体重が重いことによって性能が向上することはあり得ない。 極度に軽量化を図った機体として零式艦戦を例に取れば、 初期の機体で全備重量は2400kg程度である。 体重差が50kgある2人の搭乗員が乗り組んだ場合を考えてみると、 その体重差は全備重量の2%強に過ぎないので大した影響は無いと思われるかもしれない。 しかし設計担当者はグラム単位で軽量化を図っているとも言われている。 2%50kgの重量増は決して侮れるものではない。
 実際問題として、 この体重差による速力・航続力等の低下を計算することは可能かと思われるが、 恐らく実機を使って検討したことは無いものと思われる。 勿論健康を害してまで減量する必要性は全くないが、 重要なのは無節操な肥満は何ら益することが無いと言うことである。 尤も肥満の悪影響は自らがエンジンともなっている歩兵の場合の方が、 より深刻な問題であるかもしれないが・・・
 なおこの体重差を防弾鋼板に換算してみれば、 厚さ10mm、80p角の鋼板に相当することになる。 被弾時の脆弱性が指摘される日本機であるが、 体重の軽い搭乗員の場合には防弾鋼板を装備しても十分に性能を発揮できたことになる。 機械を介しての戦闘に際しては、 操作が可能であれば体が小さいことが有利になることはあっても、 不利になるような状況は全くと言って良いほど無いものと思われる。
 多数の兵員が乗り組んでいる艦艇の場合には、 排水量2,000屯乗員250名としても人員の総重量は排水量の1%未満であり、 仮に乗員の1割が50kg以上の肥満であったとしても重量増加は0.1%に満たないので、 艦艇の運動性への影響は無視し得ると思って良いだろう。 更に最近の艦艇では自動化が進んで乗員数も減りつつあるので、 乗員の体重による影響は航空機の場合よりも遥に少ないと言うことが出来る。 ただし潜水艦の場合には体重の増加は酸素の消費量とも密接な関係があるので、 やはり小柄な人間の方が有利であると言えるかもしれない。
 現在の民間航空機においては体重の違いによる料金の差異は無いが、 宇宙空間にまで行動が広がった場合にはどうなるであろうか。 地上からロケットを打ち上げる場合には質量(体重)が大きな問題となるから、 子供・大人と言った料金体系は不適切であると言うことが出来よう。 更に体重の増加は潜水艦と同様酸素消費量の増加に繋がるので、 同じ人数であっても運搬に要する費用は大きく異なることになる。
 宇宙軍とも呼ぶべき組織が編成されて小型の軍用機が製造された場合、 搭乗員の体重の影響は現在の航空機以上に大きなものになると予想される。 即ち質量の増加は確実に加速度の低下を伴うので、 身体基準は下限よりも上限が問題とされることになるであろう。 宇宙軍ならば観閲行進をすることも無いであろうから・・・
 
 現在の軍隊では如何なる国においても、身体障害者が採用されることは無いものと思われる。 しかしながら機械化の進んだ現在に軍隊にあっては、 職種によっては体に障害があっても何ら差し支えない場合も多々ある。 にも拘らず身体障害者が採用されない理由は、 画一的な教育訓練及び勤務形態にあると言えるのではないだろうか。 即ち将校であれ下士官兵であれそれぞれ同じ養成過程を経なければならないので、 たとえある分野で特異な才能を持っていたとしても、 定められた養成過程を卒業できなければ採用されないことになるのである。 平時においてはそれも止むを得ないことかもしれないが、 戦時には特異な才能を生かせるような組織に転換できるよう、 平時から制度を整えておく必要があるではないだろうか。
 中国の戦国時代、斉のソンピンは優れた兵法家として知られているが、 同門であったホウケンの謀略によって足を失っている。 歩くことが出来なければ現在の軍隊においては絶対に採用されることはないし、 既に在籍していたとしても除隊せざるを得ないことであろう。 当時は肉体そのものが大きな武器となっていたにも拘らず、 足が不自由なソンピンが重要な地位につくことが出来たのは特筆すべきことであろう。 勿論ソンピンが採用されたのは類稀な戦略眼を持っていたことにもよるが、 戦乱の世なので建前よりも実益を重視していたことが最大の理由であると言えよう。 なお日本においては足の不自由になった立花道雪が、 輿に乗って前線で指揮を取ったと言われている。
 機械化に加えて電子化が更に進むであろう将来の軍隊においては、 肉体的に障害があっても十分に任務を果たすことの出来る職種は増えるであろう。 実際問題としては特殊な能力があるかどうかを見極めるのは難しいことであるが、 いつまでも旧態依然としたシステムのままでいることは最善であるとは思われない。 装備に関しては近代化の著しい軍隊であるが、 人事に関してはむしろ旧式化していると言っても差し支えないだろう。
 戦争が大規模化・長期化すれば兵員の補充は徴兵に頼らざるを得ないが、 この場合にも画一的な制度の下では効果的な戦力の増強は望めない。 兵士はしばしば将棋の駒に喩えられることがあるが、 実際には将棋の駒と言うよりは碁石のような使われ方をしている。 即ち将棋の駒の場合にはそれぞれに個性があり、 その個性を有効に生かして使わなければ勝利はおぼつかない。 しかし碁石の場合は全ての石が同じ性能であり、 招集された兵も全て同じ一兵士としてしか扱われないのが常のようである。 兵力に勝っている国はそれでも良いかもしれないが、 兵力の劣る国は個性を生かして効果的に戦力の増強を図る必要があるだろう。
 
 最後は身体基準とは若干外れてしまったが、 要はこれからの採用基準の範囲は下限よりも上限に重点を置くべきだと言うことである。 そしてその基準は採用時のみならず、在隊時にも同様に適用すべきであろう。 特に体重の上限は明確に定めておけば、 冒頭に述べたような問題の発生は防ぐことが出来る。 ただし体重は必ずしも肥満と比例しているとは限らないので、 単に体重値だけを定めるでは無く、体脂肪率も考慮した方が適切であろう。 現在は簡単に体脂肪率を計測できる機器が普及しているのだから。

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