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 救命浮器

 一般の商船等においては、船舶安全法に定められた救命設備を設けなければならない。 軍艦の場合は同法規の適用外であるが、やはり何らかの救命設備は必要である。
 艦艇においては交通用も兼ねた内火艇を初めとして、 カッター・救命浮器・救命浮環・救命胴衣が用いられてきたが、 膨脹式救命筏の登場に伴い、大きく変化しているようである。 最近ではカッターも搭載されなくなり、救命浮器も姿を消して久しいが、 果たしてこの傾向は戦闘行為を目的とした艦艇において適当なものであるのか、 救命浮器を中心に検討を進めて行くこととする。
 
 手始めに搭載されている救命器具の変遷を、 個人用である救命浮環と救命胴衣を除外して見ていくことにしよう。 初期の長船首楼型の時代には、内火艇・カッター・救命浮器の組合せであった。
 膨脹式救命筏は34年度計画の「いすず」に搭載されている写真も見られるが、 これは後日装備されたもののようであり、 最初の搭載艦は35年度計画の「あまつかぜ」かもしれない。 37年度計画の「やまぐも」型、38年度計画の「たかつき」型も同様であり、 個人用以外で4種類の救命器具が搭載されている。
 42年度計画の「ちくご」型では救命浮器が廃止されて膨脹式救命筏に置き換えられ、 更に43年度計画の「はるな」ではカッターも下ろされてしまった。 その後は内火艇と膨脹式救命筏の組合せで、現在にまで至っている。
 
 現在では僅かに残る「やまぐも」型の2艦も、救命浮器は搭載していないようである。 救命浮器は長方形のドーナツのような形をした物であるが、 写真では知っていても実物を見たことのない人も多いかと思われる。
 救命浮器はコルクやバルサのように軽い木材を芯材として作られており、 漂流者は周囲の救命索につかまって浮力を確保するものである。 言ってみれば救命浮環の親玉のような物であるが、 飲料水や食料・信号灯等も格納されているものと思われる。
 救命浮器を駆逐した膨脹式救命筏は炭酸ガスにより展脹する物で、 筏内部に乗ることが出来るので漂流者は海水に浸かっている必要がない。 小型の筏を除いて屋根も設けられているので漂流者の保護状態も良く、 当然食料等も完備している。 格納した状態では救命浮器よりも小型となるので、 費用的には救命浮器を上回るものの急速に普及した。
 戦闘行動を対象としない一般船舶の救命器具としては、 膨脹式救命筏は明らかに救命浮器に優っている。 しかし戦闘による損傷をも考慮しなければならない艦艇においても、 同様のことが言えるのであろうか。
 膨脹式救命筏は気室が幾つかに分かれているので、 多少の損傷を受けてもそれなりの浮力は保つことが出来る。 しかし格納状態で被弾した場合には多数の気室が損傷を受ける可能性が高く、 その場合には全く使用不能な状態となってしまう。 更に材質的に熱に弱い欠点を持っており、展脹不能となる可能性、 あるいはガス漏れで使用不能となる可能性も無視することはできない。
 救命浮器の場合には本体が浮力材で構成されているので、 どのように破壊されたとしてもそれぞれが浮力を保つことができる。 コルクもバルサも可燃材料ではあるが、直ちに燃え尽きてしまうことはない。 この、どのような被害を受けても浮力を保つことが出来るのが、 戦闘艦に搭載した場合の、救命浮器の大きな利点なのである。
 水上艦の場合、単艦で戦闘に臨むことは少ない。 たとえ乗り組んでいた艦が沈んだとしても、 僚艦による救助が期待できるので長期間漂流することはない。 勿論全面的な敗戦で味方艦艇が戦場を離れてしまった場合には、 残念ながら救助は期待出来ないことになってしまうが。 しかしそのような状況では仮に膨脹式救命筏であったとしても、 あのように目立つものを敵が放って置くとは考えられないから、 帰還できる可能性が増すことは無いだろう。 戦闘による沈没を考えた場合には、 むしろ救命浮器の方が優っていると考えるべきであると思われる。
 なお単艦で長期行動を行う特務艦艇の場合には、 戦闘による沈没よりも一般的な海難を重視すべきであり、 膨脹式救命筏の搭載は妥当なものである。
 
 カッターが廃止されて内火艇のみになってしまったことも、 救命器具として考えた場合には問題がある。 救命浮器の場合と同様、平時においては内火艇を多く持った方が便利である。 しかし戦闘を考慮した場合にはやはり状況が異なってくる。
 カッターの船体は木製(最近はFRP製もあるが)なので、 被弾して破壊された場合でも浮力材として漂流者を補助することが出来る。 内火艇の場合でも浮力材等を用いて浸水には対処しているが、 損傷を受けた場合にも機関重量に優るだけの浮力を確保できるのだろうか。 特に問題となるのは発泡材等の浮力体が熱に弱いことであり、 木製のカッターに比べて抗堪性が劣ることは明らかであろう。 なお平時においても、艇内容積の大きなカッターの方が、 実質的に収容人員が大きい利点もある。
 救命胴衣も現在は膨脹式が用いられているが、 かつてはカポックを浮力材とした製品が多用されていた。 カポック式は救命浮器の場合と同様損傷に強いので、 暴露部で戦闘に従事する兵員が装備していたようである。 欠点は装着時・格納時共に嵩張ることであり、 艦内での使用には適していないと言うことが出来よう。
 最近の艦艇は電子化・自動化に伴い、戦闘時には暴露部の配員は皆無である。 従って膨脹式を用いることに異論はないのだが、 カポック式にも棄て難い利点があることを強調しておきたい。 即ちカポック式は損傷に強く、膨脹させる必要もないので、 事故等によって負傷して海中に転落した場合にも、 有効に機能を発揮することが出来るのである。 ハイラインや荒天時の運用作業においては危険を伴うので、 膨脹式よりもカポック式を用いるべきだと思うのだが・・・
 
 艦艇と言うものは、実戦から遠ざかると訓練が主体となり、 その訓練においてより良い成果を得られるように発展していく。 訓練においては被弾・損傷することはないから、 どうしても攻撃力の増強に力が注がれ、防御性は忘れ去られていく。
 一見時代錯誤とも思われがちな救命浮器であるが、 戦闘艦艇においては最も基本的な救命器具ではないだろうか。 勿論膨脹式救命筏は優れた製品であり、艦艇においても重要な装備品となっている。 今後も主要装備品として搭載するのは当然であるとしても、 その欠点を補うためにも救命浮器を併用すべきだと考えるのである。
 装備品の種類が増えると言うことは、本来好ましいことではない。 だがそれは似たような性能の装備品の場合のことであり、 互いに欠点を補い、相乗効果でより効果的に使用できるものであるならば、 種類が増えても何ら問題は無いのである。

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