艨艟トップへ
 キングストン弁

 キングストン弁−しばしば聞かれる名称であるが、 一体キングストン弁とはどのような物なのであろうか。 恐らく多くの人の頭の中にあるのは、 「キングストン弁=自沈用の弁」と言う図式では無いだろうか。

 自沈用の弁?そんな物があるのかい?? このような疑問を持った者も少なくないはずである。 そして先に結論を言うならば、
 <そのような弁は存在しない>
と言うことが出来る。
 「しかし、キングストン弁を開いて自沈した、と言う話を聞いた事があるぞ」
と反論する人も多いことと思う。 そこでキングストン弁とは一体何なのか、 自沈用の弁と言う物が実際に存在するのか、検討を進める事とする。

 艦艇においては用いられることはないが、 商船等においては船底弁のことをキングストン弁と呼んでいる船も存在するようである。 船底弁とは一方が海水に接している弁であり、 開放すれば内側の管内または船内に海水を注入することが出来る。
 船底弁から海水を取り入れる諸管装置としては消火海水管及び各種冷却管が主な物であり、 蒸気艦の主復水器は最大の船底弁を有する。 何れの船底弁も船内では諸管に通じているので、開放しても船内に海水が入ることは無い。 と言うよりも、これらの船底弁は航海中はもとより、停泊中でも殆どの場合開放されている。 既に開いている弁に対して「弁を開け」と言う号令は無意味であるし、 それによって船内に海水が入ってくることは無い。 これらの船底弁が自沈とは無縁の物であることは、改めて言うまでもないことだろう。
 次に直接船内に海水を注入する諸管装置であるが、 主な物としては弾薬庫注水管及び横傾斜復原用の注水管があるが、 何れも大型艦用であり、駆逐艦級で用いられることは無い。 ご存知の通り、艦艇は数多くの水密区画から成り立っている。 弾薬庫への注水管は区画毎に独立しており、兼用されることは無い。 機関部区画及びその外側の防水区画への注水管も、恐らく独立しているものと思われる。 諸管系統図が無いので断言は出来ないが、非常時に使用するので単純で確実なものが好ましく、 水密隔壁を貫いての複雑な配管は避けているものと考えられる。
 これらの区画へ注水する場合には、 「○○室(庫)、注水弁開け」と言うような号令がかかるかと思う。 操作する弁を指示しなければ現場では作業できないので、 仮に船底弁をキングストン弁と呼んだとしても、 単に「キングストン弁開け」と言う号令は無いのである。 全ての注水弁を一斉に開きたいのならば、 「全艦注水弁開け」と言う号令があるかもしれない。 ではそのようにして全ての注水弁を開いた場合、その艦は沈むのだろうか? 戦艦を例にとるならば、それだけでは沈まない。 簡単な配置図(昔なら艤装図か)があれば浸水量は計算できるので、 予備浮力と比べてみたら良いだろう。 浸水率は多めに見て85%程度として計算すれば良い。
 実戦例として、損害を受けて航行不能となった大型艦は何例もある。 そして曳航が不可能な場合には、高価な味方の魚雷を使って処分している。 この場合には既に相当な損害を受けているのだから、 全ての注水弁を開けば沈没する可能性はあり得る。 にも拘らず敢て高価な魚雷によって処分しているのは、1つには時間的な問題もあるが、 やはり最大の理由は確実なことであろう。 もしも無傷の状態でも沈没に至るような自沈用船底弁があるならば、 損傷艦を処分するのに魚雷を使う必要は全くないのである。

 なお米国にはキングストンと言う名前の弁製造会社があるので、 こちらの製品をキングストン弁と呼ぶ場合もあるかもしれない。 勿論この会社は船底弁以外にも各種の弁を作っているが、 当然それらの弁もキングストン弁と呼ばれることであろう。 そしてそれが自沈とは無関係の弁であることは、 これまた言うまでも無いことであろう。
 ついでにもう一つ説明しておくが、船底弁と言うのは弁の種類ではなく、 その装備位置から呼ばれる名称であり、 弁の種類としては仕切弁・玉形弁・アングル弁が多用されている。

 艦艇にはキングストン弁なる物は存在せず、仮に船底弁をキングストン弁と呼んだとしても、 それが自沈とは無関係な物であることは理解できたかと思う。 では何故に「キングストン弁=自沈用の弁」と言う図式が出来てしまったのだろうか。 恐らく戦記小説か映画が噂の元では無いかと思われるが、 自沈が切腹のイメージと重なって広まったのではあるまいか。 しかし最初に自沈とキングストン弁を結びつけたのは誰かと問われても、 明確に答えられる人はいないのではないかと思われる。

 これはキングストン弁開放による自沈ではないが、 ノビコフ・プリボイ著「バルチック艦隊の潰滅(原題:ツシマ)」の中に興味深い一節があるので、 参考までに紹介しておく。

  バーブシキンは、その逞しい手を、キングストンの杷手にかけ、
  ランチの底を抜いて沈没させるぞ、と脅かした。

 状況はロシアのバーブシキンと言う水兵が、 シンガポール沖でネボガトフ提督の第三艦隊に接触する時の話である。 ランチにはバーブシキンの他にフランス人とインド人が乗っており、 2人が艇長であるバーブシキンの意思に反して戻ろうと言い出したので、 それに対するバーブシキンの行動を記したものである。
 ここでは単にキングストンと記してあるだけで、それが弁であるかどうかは分からない。 しかしそれが船体構造物ではなく、艤装品であることは容易に想像できるし、 船底に接続している物であることも間違いは無い。 杷手とあるので弁の可能性もあるが、仮に弁だとしても回しただけでは沈没はしないだろう。 そこで力任せにキングストンを引っこ抜き、船底を壊して浸水させると脅かしたのだろう。
 作者のプリボイは戦艦「オリヨール」に乗り込んで戦闘に参加しており、 同書の信頼性は他の多くの戦記小説よりも遥に高いと言って良いだろう。 ただしこの場面には存在していないので、取材により書かれたことになる。 バーブシキンの行動が事実かどうかは別として、その当時から「キングストン」が存在し、 それが沈没にも関係する物であることは間違いないであろう。
 「ツシマ」が出版されたのは1933年であるが、 その後の戦記小説に与えた影響は極めて大きいと言って良いだろう。 本書の影響で「キングストン」が「キングストン弁」となり、 「ランチを沈没させる」がいつの間にか「自沈させる」となっても、 特に不思議なことでは無いだろう。
 勿論これは推測の域を出ないものであるが、 キングストン弁と自沈の関係を明確に説明できる人がいるならば、 是非とも教えて頂きたいと思っている。

《バルチック艦隊の潰滅》に基く考察

 プリボイ著の「バルチック艦隊の潰滅」においては、 5月27日の戦闘終了後のロシア艦の行動の中で、 「キングストン」と言葉がしばしば登場している。 しかし何れの表現も単に「キングストン」であり、 「弁」であることを示す記述は全く見られない。 なお「オリョール」以外の記述はプリボイが捕虜生活の間に集めたものであるが、 手始めに「キングストン」に関連する箇所を列挙しておく。

・戦艦「オリヨール」(残存・拿捕)
  1.ここでも『ニコライ』同様、本艦を爆沈したがいいとか、あるいは
   キングストンを開いて沈没させたらどうかとか、言うものがあった。
  2.〜乗組員もろとも本艦を爆破しようッていう馬鹿が出ないでもない。
  3.本艦は爆沈するか、キングストンを抜いて沈没するかどっちかだ、〜
・戦艦「ニコライ一世」(残存・拿捕)
  1.「もし戦うことができないとすれば、キングストンを開けて艦を沈むべきです」
    「本艦を爆破して乗組員だけ救うということにしては」
  2.「俺ア機関室へこれから行って、自分でキングストンを開いてやる。
     この艦は直ぐ海底へぶくぶくだ」(注:これはバーブシキンの発言)
・戦艦「ナヒモフ」
   艦長は直に命令を下した。
  「キングストンを開け!本艦爆破準備!各員救命具を身につけ!」
   ・・・
  〜中甲板以下は開け放たれたキングストンや汽罐の圧瓣や栓口などから迸り出る水が、
  泡を立てながら狂奔していたので、もはや人影も無かった。
   ・・・
  〜爆沈させるために装置してある導火線をはずしてしまったので、〜
・巡洋艦「ドミイトリイ・ドンスコイ」
  〜『ドミトリイ・ドンスコイ』は海上一浬半ほど曳航されてから、あらかじめ
  キングストンが抜いてあったので、ぶくぶく沈んでしまった。
・巡洋艦「ウラジーミル・モノマフ」
  〜艦長ポポフ大佐は、ウラジウォストークへ逸走するように『グロムキイ』に命じ、
  自艦のキングストンを開いた。(注:1時間程で沈没と判断し、既に退艦を始めている)
   ・・・
  〜日本兵が操縦しようと乗り込んできたが、そのまま引き上げるよりほかなかった。
  みるみる水の中へ沈んでしまったからだ。
・駆逐艦「ベドーウイ」
   イリュトウィチ機関士は、冷却機の孔の楔栓を抜く準備を機関部員に命じてから、
  幕僚長のところに現れ、
  「本艦を沈没させることをお許し願います。十分もたてば海底に達します」
   (注:本艦にはロジェストウェンスキー乗艦、自沈せずに拿捕)
・駆逐艦「グロムキイ」
  1.〜血塗れになって力つきた『グロムキイ』は、ついにキングストンを開いた。
  2.〜叩きのめされ血みどろになった『グロムキイ』は、キングストンを抜いたのである。
   (訳者註:自分の手で艦を沈める場合、キングストンを抜いて、海水を侵入させる)
・駆逐艦「ブレスチャーシチイ」
  〜タービンの孔を塞いでいるキングストンと、舷窓を開いた。
・駆逐艦「ブイストルイ」
  〜逃げ場をうしない、海岸めがけて突進して、みずから爆破した。
  乗組員は全部つつがなく上陸することが出来たが、〜
・駆逐艦「ブイヌイ」
  爆破に失敗した後、「ドンスコイ」の砲撃により沈没。

 以上の記述から「キングストン」の実態に迫って行きたいと思うが、 最初に注目すべきは全て「キングストン」と言う表現であり、 「弁」と言う表現は使っていないことである。 訳者の経歴には「ロシア語科卒。陸海軍通訳官」と言う項目があるので、 ある程度の軍事知識は持っていたものと考えられる。 にもかかわらず日本語での表記をしていないのは、 適切な訳語が見つからなかったと言うことであろうか。

 次に注目したいのは、「抜く」及び「開く」と言う2つの表現を使っていることである。 なお「グロムキイ」では両方の表現を用いているが、これは記述箇所が別なので、 プリボイが異なる人間から取材した結果と思われる。
 「抜く」から連想されるのは、カッター等における底栓である。 底栓の目的は収納状態において艇内の残留水を落とすことであるから、 水上において底栓を抜けば艇内に水が入ってくることになる。 しかし入渠時以外は水に浮かんでいる艦船においては排水設備があるので、 底栓というものは必要ないのである。
 「開く」と言った場合には弁が連想されるが、弾薬庫への注水弁や傾斜復原用の注水弁を除き、 船内に海水が侵入するような諸管系統は存在しない。 なお「オリョール」では傾斜の復原に石炭を移動させており、 戦艦「オスラービヤ」は浸水後早い時期に転覆しているので、 傾斜復原用の注水設備は無かった可能性もある。 何れにしても弁を開いて注水したとすれば、専用の系統が存在したと言うことになる。 それが自沈用である可能性については後述する。

 上記のように、キングストンを開く(抜く)と言う表現は随所に見られるが、 具体的にどこでどのような操作を行ったかについては記述が無い。
 「ベドーウイ」では「キングストン」ではなく、「冷却機の楔栓」と言う表現をしている。 原書ではどのような言葉を用いているのか分からないが、 ここで言う冷却機は冷凍装置の熱交換器ではなく、復水器ではないかと思われる。 楔栓と言うのがどのようなものかは不明であるが、復水器そのものには不必要なものである。 自沈用として復水器に設けるのも不自然であり、駆逐艦でもそれだけでは沈没することは無い。
 「ブレスチャーシチイ」では「タービンの孔を塞いでいるキングストン」となっているが、 この表現からはキングストンは「弁」ではなく、「栓」である可能性の方が強い。 同艦の主機に関する資料は持ち合わせていないが、 就役年から推定してレシプロ機関と思われるので、「タービンの孔」の意味は不明である。 仮にタービン機関であったとしても、主機から海水が侵入することは無い。 となればここで言うタービンとは消火海水ポンプであるとも推定できるが、 ポンプの栓では浸水量は微々たるものであり、消火栓を開放した方が手っ取り早い。

 「キングストン」の装備箇所に関しては、「ニコライ一世」「ナヒモフ」「ベドーウイ」の 記述から、機関室及び汽罐(ボイラ)室であると見て間違いないだろう。 ただし他の区画には「キングストン」が無いのであれば、それだけで沈没させることはできない。
 「ブイヌイ」の場合には「キングストン」には全く触れておらず、最初は自爆を試みており、 自爆に失敗してから「ドンスコイ」の砲撃により沈めている。 同じ駆逐艦でありながら「キングストン」を装備した艦と、 装備していない艦があると言うのも不自然な話である。 もし「ブイヌイ」にも「キングストン」が装備されていたのであれば、誰も知らないはずは無い。 上級士官は帆船時代からの勤務なので近代艦に関する知識は不足していたようであるが、 機関部及び汽罐部の人員は多数残っていたのだから。
 「ブイストルイ」は自爆により沈没しているし、「ブイヌイ」も最初は自爆を試みている。 これは多少の浸水があったくらいでは沈まないことを承知していたからではあるまいか。 他の艦でも被害を受けている殆どの艦は、「モノマフ」同様沈没が近いことを悟っていたようである。 すなわち「キングストン」により浸水量を増やさなくても、 多少時間が延びるくらいで何れも沈没したであろう状況下にあったのである。 より短時間で沈めたいのならば、自爆を選ぶのは極当然のことであると言えるだろう。

 艦船に関する十分な知識が無い人間の場合、艦内に海水が侵入してくるのを見たならば、 その船がたちまち沈んでしまうと考えても何ら不思議なことは無い。 前述したように、当時は上級士官にあっても近代艦への理解は不十分なのであるから、 一般の兵員が応急に関する知識を持ち合わせていたとは考えにくい。 自沈用の弁を開き、浸水が始まったと言う情報が流れれば、 その噂がたちまち艦内に広まったとしても不思議ではない。 言うなれば「キングストン神話」とでも言うべきもので、 生き残った兵員の間に広まった神話から、 「キングストンを開いて沈没した」と言う話が真実として伝えられた可能性は十分ありうる。
 「ニコライ一世」乗艦のバーブシキンは、当初は旅順艦隊の巡洋艦「バヤン」の水兵であり、 勇敢でありながら頭脳も明晰であったと記述されている。 しかしあくまでも甲板関係の人間なので、応急関係の知識までは知りえなかったものと思われる。 従って機関室で浸水がおきれば、そのまま船が沈むと考えていたとしても当然のことであろう。
 なお一部には造船に関する知識を持った技師が乗っていたようであるが、 自沈の際に彼らがどのように行動したかに関する記述は無い。
 訳者は「グロムキイ」に関する記述の中で、自沈に関する注書きを添えている。 「キングストン」に関する記述はそれ以前からあるのだが、 注書きでわざわざ説明しているのはこの箇所だけである。 翻訳作業も長期間に亘って行われたものと考えられるので、 何かの機会に海軍の人間から「キングストン」に関する情報を入手し、 該当箇所を執筆中に注書きとして付け加えたものと思われる。 しかし具体的な方法に関しては全く記述が無いので、 教えた人間も漠然とした概念しかなかったのではあるまいか。

 以上まとまりの無い文章であるが、「キングストン」に関する記述は多数あるものの、 具体的に「キングストン」と「自沈」とを結びつける決定的な記述には乏しい、 と言うのが私の結論である。 プリボイの著書は一般の戦記小説より信頼性は高いと思われるのだが、 それでも「キングストン」に関する記述では具体性に欠け、 プリボイ自身も乗艦していた「オリョール」で「キングストン」を見たという記述はない。 なお「オリョール」におけるプリボイの配置は主計兵であり、 第二艦隊の出港間近になってから「オリョール」に乗艦している。
 「キングストン弁=自沈」の構図は、その後多くの本で書かれているようである。 しかし「バルチック艦隊の潰滅」以降に書かれた戦記小説や記事は、 多かれ少なかれ同書の影響を受けているものと思っている。 「キングストン」の実態が解明されないまま一人歩きを始め、 「自沈用の弁」のイメージが定着してしまったことは十分に考えられる。

 最後にプリボイの著書から離れ、「自沈用の弁」に対する考察を付け加えておく。
 特型駆逐艦や条約型巡洋艦程極端でないにしても、 造船設計者はあらゆる面で軽量化に努め、無駄な重量を排除している。 そんな状況下において、重量・容積を浪費し、経費と工数を増加させ、 それでいて防御上大きな負担となるような装置を設ける技術者がいるだろうか。 このことは用兵者にとっても同様であり、「自沈弁」を装備する余裕があるのであれば、 その余裕を攻撃力又は防御力の向上に回すよう要求するであろう。

注:艦名については同書に従って表示しています。

 艨艟トップへ