砲弾の再使用
小説『三国志演義』によれば、諸葛孔明は赤壁の前哨戦において、
藁人形を利用して魏軍から十万本の矢をせしめたと言う。
藁人形に刺さった矢は損傷が少ないので、再使用できるものが多かったのだ。
諸葛孔明に倣ったのかどうかはしらないが、日本では千早城の攻防戦において、
楠正成がやはり藁人形を使って敵の矢をせしめたと言われている。
羅貫中の『三国志演義』が生まれたのはもっと後の時代であるが、
三国時代の情報はそれ以前から伝わっていたことと思われるので、
正成が孔明の戦術を踏襲した可能性は十分にありうる。
戦国時代も時代が進んで鉄砲が多用されるようになってくると、
弾丸の材料である鉛の需要も急速に増えたのではないかと思われる。
鉛の供給がどのようになされていたのかはしらないが、
支配する領土の位置によっては、入手に苦労した武将もいたのではないだろうか。
火縄銃の弾丸は球形の鉛玉であるが、
低速とは言え何かに当たれば相当に変形したであろうから、
そのままでは弾丸として再使用することは出来ない。
口径もまちまちであったようだから、その点でも再使用は困難である。
しかし溶かして型に流し込めば新しい弾丸が作れるので、
鉄砲足軽は結構戦地で弾丸を鋳込んでいたようである。
折れた矢は再使用することは出来ないから、
再使用に関しては矢よりも便利なものであったかもしれない。
口径が大きくなって大砲となっても弾丸はやはり球形実質弾であり、
材質としては鋳鉄が一番多かったようである。
大砲の攻撃目標は鉄砲のように人間そのものではなく、
城壁や建物などの破壊が主だったことと思われる。
その場合には軟らかい鉛の弾よりも、硬い鉄製の弾の方が適している。
鉄砲のように戦場で弾丸を鋳込む必要もないので、
融点の高い鉄を用いても製造上の障害とはならない。
鋳鉄製の実質弾の場合、余程の硬目標に激突しない限り、
原形は保たれるものと思われる。
あるいは一部が欠けたとしても、直径以上の隆起部が無ければ使用は可能であり、
敵が撃ち込んだ弾を撃ち返すことは十分にあり得たものと考えられる。
勿論反撃する側の大砲が適した口径である必要性は存在するが・・・
銃砲が発達し、弾速の早いライフル銃の時代になると、
敵の弾を集めて再生することは不可能となった。
弾丸には銅による被覆が施され、薬莢・雷管と一体化されているので、
現地でおいそれと作ることは出来ない。
手先の器用な人間が工夫すれば全く不可能では無いだろうが、
近代戦では弾薬の消費量が格段に増えているので、
手作業で弾薬を再生したとしても、その効果は微々たるものである。
では大砲の場合はどうであろうか。
大砲も腔線が彫られて弾道が安定し、弾頭から確実に着弾するようになると、
内部に火薬を詰めた榴弾
が主流となってきた。
当然炸裂してしまった敵弾を撃ち返すことは出来ないが、
それが不発弾の場合にはどうだろうか?
初期の手榴弾は爆発までの時間が比較的長かったので、
相手に投げ返してやっつけたと言う話は良く聞く。
敵の弾を使って敵をやっつけるのだからこれ程気分の良いことは無いだろうが、
砲弾でもそんな漫画のような話があったのだろうか?
事実は小説よりも奇なりと言うが、実はそんな漫画のような話があったのである。
以下に紹介するのは、朝日新聞社発行の「日露大戦秘話」における、
奈良大将(当時攻城砲兵司令部員、少佐)の発言の抜粋である。
28p榴弾砲は旧式にもかかわらず威力は大きかったが、
不発弾が多くて5発に1発は不発だったらしい。
ある時破裂した敵弾の弾底の破片を見ると、「大阪」と言う文字があったので驚いた。
大阪砲兵工廠製の砲弾がロシア軍の手に渡るはずは無く、
あるいはこちらの不発弾を撃ち返したのでは、と言う疑いも持ったが、
旅順の開城まで確認することは出来なかった。
旅順に入城してからロシア側の話を聞いて見ると、
やはり日本軍の撃った28p榴弾砲の不発弾を掘り出して手入れをし、
ロシア軍の28p砲で撃ち返したと言う。
口径が同じだったことに加え、両軍の砲では腔線の方向が反対だったので、
弾帯も取り替えずにそのまま撃つことが出来た。
ただし射程は若干短くなったと言う。
旅順に持ち込んだ28p砲は元来が海岸砲であり、
敵艦の甲板射撃を主たる目的としているので、
陸上の陣地を砲撃して不発弾が多発しても無理からぬことである。
それと同時に信管に対する技術も未熟だったので、
兵器当局の製作上も欠点があったことと思う。
信管に関しては、ロシア側の証言ではそのままで良かった、と言う発言と、
向うで信管を直した、と言う矛盾した発言をしているので、
実際にどうだったかは不明である。
現在では信管も進歩しているので、このようなことはあり得ないだろう。
第二次大戦の凄まじい砲撃戦から見れば、
日露戦争の砲撃戦は古き良き(日本側にとっては悪しき?)
時代の名残が残っていたのかもしれない。
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