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 特 車

 特車−この言葉を知っている人間はどれ位いるだろうか?

 東宝映画「モスラ」のビデオを見ていたら、 「特車大隊〜配備完了」というような台詞が出てきた。 察しの良い人ならお分かりと思うが、特車とは戦車のことである。
 朝鮮戦争の勃発と共に誕生した警察予備隊及び海上警備隊は、 保安隊あるいは警備隊を経て自衛隊と言う呼称に落ち着いた。 警察予備隊発足当初から戦車が配備されていたかどうかは知らないが、 自衛隊と名前が変わった頃には配備されていたと思う。 自衛隊は軍隊ではない、故に攻撃的な戦車なんて持ってはいけない、 という理由からと思われるが、戦車は特車と呼ばれるようになった。 特車が「特別な車」なのか「特殊な車」なのかは知らないが、 「タンク」という呼び方にはやはり抵抗があったのだろう。
 名称によって敵の目を欺く手法は珍しいものではなく、 「タンク」という名前が戦車の開発を秘匿するためのものであることは良く知られている。 ドイツでは第1次大戦が終了して戦車の保有が禁じられていた時期に、 トラクターの名称で戦車の開発を進めている。 日本では戦艦「大和」の46p主砲を「94式40糎砲」と呼称し、 完璧に米英軍の目を欺いている。 しかし公然と知られている「戦車」を装備して、 それを「特車」と命名したのは誰を欺こうとしたものであろうか。

 第1次大戦が終了し、日本陸軍も試験的に戦車を輸入している。 加登川幸太郎著白金書房刊の「帝国陸軍機甲部隊」によれば、 大正9年に「陸軍技術本部兵器研究方針」が制定され、 その中で戦車に関しては『タンク』という項目で 『まずフランス・ルノー型の小型タンクを研究せんとす』と記述されているそうである。 軍人将棋の駒は「戦車」ではなく「タンク」であるし、 初期の製品は表に「タンク・ヒコーキ入り」と書かれているから、 当初は「タンク」と呼ばれていたとみて間違いないだろう。
 大正14年には久留米で第1戦車隊が誕生しているので、 この間に「タンク」から「戦車」へと名称が変わったことになるが、 このあたりの経緯に関しては記述が無い。 名付け親に関する記述も無いが、単純に「装甲車」とせず「戦車」としたセンスは評価出来る。 なお日本陸軍には「九二式重装甲車」という兵器があったが、 名前から受ける印象とは異なって、これは軽戦車に分類されるものである。
 戦車と装甲車の違いは、と聞かれても明確に答えられる人はいないであろう。 現在では全周射撃可能の旋回砲塔を持ち、 相応の(これも曖昧な表現だが)装甲を施した戦闘車両を戦車と呼ぶ、と解釈してよいかと思う。 この解釈ではスウェーデンのS戦車は戦車とは呼べないことになるが、 S戦車のような形式の戦車はその後出現していない。 技術の進歩によって戦車がどのように変化していくか、想像してみるのも面白い。
 かつては軽戦車・中戦車等と分類して呼ばれていたが、 現在ではMBTという名称で統一されているようである。 MBTはMain Battle Tank の略称であるが、良く考えるとおかしな名称である。 何故ならばBattle しないTank は無いのだから。

 自衛隊において何時から「戦車」の名称が復活したのかは知らないが、1961年に 制式化された「61式中戦車」は「中特車」とは呼ばれていないから、 「特車」と呼ばれていた期間は案外短いようである。 その一方では普通科・特科・施設科等は未だに歩兵・砲兵・工兵と呼ばれていないが、 これは何故であろうか。
 海上自衛隊の場合にも、相変わらず「駆逐艦」を「護衛艦」と呼んでいる。 ジェーン海軍年鑑でも「Destroyer」であり、「Goeikan」ではない。 これとは逆に揚陸艦の場合には旧海軍を見習ってか、「輸送艦」と改名してしまった。 旧海軍の場合、二等輸送艦は砂浜への接岸揚陸が可能であるが、 一等輸送艦の場合には直接的な揚陸は出来ない。 「揚陸艦」では侵略的なイメージがあるので、輸送艦とでも改名したのであろうか。

 他国に戦力を派遣しても「自衛」隊なのだから、 兵種や艦船の呼び名なんて取るに足らないものなのかもしれない。 しかしこれでは「退却」を「転進」と主張した旧軍を批判することは、 到底出来ようはずもない。 政治家及びそれを取り巻く権力者は、何時の時代でも自分に都合の良い言葉を作り出すものである。 政治献金・使途不明金etc・・・これらに比べれば、「 特車」なんて可愛いものだったのかもしれない・・・

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