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 六一式戦車

 何年か前に作成した六一式戦車を動かしてみた。 田宮模型の1/35シリーズ、リモートコントロール・モデルである。 長年動かしていないのでリモコンスイッチの接触が悪かったようだが、 何回か操作しているうちに少しずつ動くようになってきた。
 このプラモの原型が発売されたのは何時頃だろうか。 基本的には同じ製品だが、動かさずに飾っておくだけのタイプ、 直接操作でモーターは1つだけの前後進タイプ、 そしてモーター2個搭載のリモコンタイプとがあった。 どのタイプも作ったことがあり、走行も良好であった。 今保有しているのは何台目の六一式戦車になるだろうか。
 田宮の1/35シリーズでは色々な戦車や装甲車を作ったが、 何故か六一式戦車に一番の愛着を持っている。 模型としての出来栄えも良かったし、 走行が良かったことが主たる要因であろうか。 唯一つ残念だったのは、アンテナや機銃が壊れ易いことであったが、 走行モデルとしては止むを得ないことであろう。 この点においては、九七式中戦車改は壊れるような部品もなく、 かなり乱暴に走らせていた思い出がある。

 六一式戦車は言うまでもなく、戦後初の国産戦車である。 制式化された時点において、 必ずしも世界的にみて最新鋭戦車であるとは言い難い点もあったが、 戦後の長い空白期間を考えれば、 良くまとめられた戦車であると言って良いだろう。
 「六一式」とは西暦1961年に制式化されことを意味しているが、 それまで自衛隊においては戦車を特車と呼んでいた。 翌年早々、即ち61年度内に特車大隊は戦車大隊と改称されているようであるが、 「六一式特車」と言う言葉は聞いたことがないので、 本車の制式化に合わせて名称を変更したのかもしれない。
 現在では軽戦車・中戦車と言った呼び方は廃れてしまったが、 本車の場合、最初は六一式「中戦車」と呼ばれていたと記憶している。 重量的には中戦車に区分されるべであるし、 米国からの供与(と思うが)車両にしても、 M24軽戦車・M4中戦車と呼ばれていたと思うのだが・・・ なお自衛隊装備年鑑1970年版では何れも単に戦車と言う表現になっているから、 60年代に重量による区分が無くなったものと思われる。
 六一式戦車の試作車はSTAと呼ばれていたが、 STとは何の略であったのだろうか? 開発を始めたのは55年であるから、 前述したように当時の戦車は特車と呼ばれていた。 となると、STとは「Shingata Tokusha」の頭文字を取ったのであろうか。 そうであれば命名者に拍手喝采であるが、 日本では特車と言っても、英語で言えばやはり「TANK」となってしまう。 ここは素直に見ることにして、 「StandardTank」から命名したものと判断しておこう。 次の七四式戦車ではSTBとなっているから、 最後の1文字は開発順序と言うことになる。 旧軍のイロハからABCに変った訳だが、 これも時代の流れと言うことであろうか。
 戦車に限ったことではないが、 新しい装備品は格付けの高い部隊から配備されるので、 地元の部隊では六一式戦車の姿を見る機会は無かった。 車両で展示・公開されるのはM24とM15対空自走砲が一番多かったが、 子供には戦車よりもM15の方が人気があったようである。 と言うのも戦車の場合は単に上に乗ったり、内部に入ったりするだけなのだが、 M15では手動で砲架を旋回させ、銃砲の俯仰が出来たからである。 同じ対空自走砲であっても、 M16の場合は手動では操作出来なかったので、人気は今一であった。

 1971年7月、自衛隊技術貸費学生の研修で北海道を訪れた私は、 間近に六一式戦車に触れることが出来た。 既に次期主力戦車の開発も進んでおり、 遠からず第一線から後退するであろう六一式戦車ではあったが、 実際に現場で運用している隊員の貴重な話を聞くことが出来た。 なお私は海上要員として採用されていたのだが、 貸費学生の研修は全員が陸海空全ての部隊を回ることになっていた。
 陸上部隊の研修が行われたのは、 北恵庭にあった当時の第一戦車団(群?)だったと記憶している。 装甲車両の体験乗車は六一式戦車ではなく六〇式装甲車だったが、 人数の関係もあるので止むを得ないことだったのだろう。
 隊員の話の中で一番印象に残ったのは、 六一式戦車は決して悪い戦車ではないのだが、 走行中の「シャラシャラ」という音が気になる、と言う話だった。 これが何の音かと言うと、キャタピラの連結ピンを止めているナットがあり、 そのナットの回り止めとして割りピンが使われていたらしい。 そして「シャラシャラ」と言うような音は、 その割りピンが動いて発生する音だと言う話であった。
 戦車の発生する音と言えば、先ずはエンジンの音、 そしてキャタピラが回転する音が思い浮かんでくる。 それらの音に比べれば、小さな割ピンから発生する音なんて、 全く無視しうる音にしか思えなかった。 確かに割りピンの数は相当なものになるだろうし、 最初はしっかりと止めておいたとしても、 走行しているうちにガタが出てきて音を発生することは考えられる。 しかし発生する音の大きさに関しては、 どう考えてみても気になる程の音になるとは思えなかった。
 しかし話をしてくれた隊員の説明では、遠くにいてもその音を聞いただけで、 六一式戦車が走っていることが直ぐに分かってしまったと言う。 音と言うものは遠くまで減衰しないで伝わっていくものと、 近くではうるさくても遠くまでは届かない音とがある。 割りピンの音は近くでは他の音にまぎれてしまったとしても、 遠くまで伝わり易い性質を持っていたのかもしれない。 なお次の七四式戦車ではキャタピラの連結はダブルピンとなっており、 割りピンは使われていないものと思われる。
 もう一つ興味があったのは、雨の日の走行である。 六一式戦車は潜水しての渡河を考えていなかったためか、 ハッチの防水は不十分だったようである。 雨が強くなると結構車内に漏水してくると言う話であったが、 これは当時の私としては全く意外な話であった。 しかし歩兵の場合には良くてもポンチョ程度の装備であろうから、 それに比べればやはり戦車兵の方が恵まれていたのかもしれない。

 六一式戦車の砲は国産ではあるが、 米国の影響を大きく受けていると思われるので、 砲の設計思想も米国的ではないかと思われる。 米国の場合には材料も吟味して高性能・長寿命の砲を作ろうとするが、 欧州各国ではそれほど経済的な余裕が無いので、 費用対効果と言うものを重視しているようである。 砲身寿命が短くても安価な砲を大量に作っておき、 迅速に換装が行えるような体制を整えておくのである。 七四式戦車の場合にはその欧州の砲を採用しているが、 これは適切な選択であったと言って良いだろう。 しかし六一式戦車の時には国産への拘りが強かったものと思われるし、 旧軍の思想から言っても砲の性能を上げる方向に行きがちであり、 砲の国産化は自然の流れであったと言うことが出来よう。
 戦後の戦車も三代目となったが、生産数はやはり少ない。 少ないから高くなる。高いから数は少なくなる。 量と質の問題は戦車に限らず常に付きまとうものであるが、 その兼ね合いは慎重に検討されなければならない。

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