艨艟トップへ
 戦艦「大和」〜その実像

 連合艦隊の艦艇を語る上で、やはりこの艦は外せない。 何故ならば多くの艦艇の中で、最も誤解されている艦であるからだ。 もとより実物を見たことはないが、少しでもその実像に迫れればと思い、 最初に取り上げることとした。
 
1)大和は有名であったか
 
 戦艦「大和」は、現在では最も名前の知られた戦艦であり、 他の艦の名前は知らなくても大和は知っている、という人は多い。 だが戦時中は現在とは全く異なり、その名前を知っている国民はごく一部に限られていた。 その理由は大和が徹底的に秘匿されて建造されたからである。 大和の就役は開戦直後であり、 戦争が始まれば国民に披露する余裕などあろうはずもない。
 戦前の連合艦隊の代表的戦艦は「長門」であり、「陸奥」であった。 長門は世界初の16吋砲搭載艦であり、最も長期間に亘って連合艦隊旗艦を務めた艦である。 陸奥はワシントン軍縮会議で廃艦の危機にさらされたが、かろうじて切り抜けることが出来た。 後続艦の「土佐」「加賀」が廃艦となったこともあり(加賀は空母として就役)、 長門・陸奥の両艦は連合艦隊最強の戦艦であり、国民に親しまれていたのである。
 
2)大和は巨大であったか
 
 大和を表現するのに、しばしば「巨大」な戦艦という言葉が用いられる。 では実際に大和は巨大であったかといえば、答は否であり、 大和の特徴は極めて小さく作られた戦艦であると言うことが出来るのである。
 巨大という表現を使う人の殆どは、「排水量」の意味を知らないのではないだろうか。 排水量とは艦の「大きさ」を表すものではなく、その「重さ」を表すものなのである。 確かに大和の排水量は他の艦を圧倒しているが、 それは大和が重い艦であったということなのである。 確かに同じような仕様で作られた艦であれば、 排水量が大きければ艦型も大きくなると言って差し支えない。 しかし仕様が異なれば排水量と艦型の大きさとの相関関係は薄くなる。 1万屯の潜水艦を見て、巨大だと感じる人間はいるだろうか。
 大和の場合、幅は極めて大きいが、逆にプロフィールは極めて小さい。 戦時中のジェーン海軍年鑑によれば、基準排水量は46000屯と記載されているが、 これはプロフィールから推測した結果かと思われる。 小さなプロフィールは被弾面積を減少させることにもなり、 造船技術者は小さな艦型となるよう常に努力しているが、 必要な兵装・防御を施せば排水量の増加を防ぐことは難しい。 7万屯余の排水量は極めて小さな値なのであるが、この件に関しては後述する。
 
3)機関について
 
 当初の計画でディーゼル機関との併用が計画されていたことは良く知られているが、 タービンのみとしたのは当然の結果である。 主機出力は15万馬力であり、巡洋艦「最上」とほぼ同じであるが、 その性格は大きく異なっているといってよい。 戦艦(=主力艦)の機関で最も重要視されるのは信頼性であり、 低圧蒸気の採用で重量が増したとしても(無条件で増やしてもよいというのではない)、 信頼性を高めなければならない。 高速を要求される駆逐艦の主機の場合は全く対照的であり、 いかにして軽量化を図るかが最大の課題なのである。 主力艦の場合、機関故障による戦線離脱は戦局の帰趨を変える場合もありうるので、 航空機のエンジンよりも高い信頼性がなければならない。 当時のディーゼル機関では、主力艦に必要な信頼性には程遠いものがあったのだ。
 
4)兵装について
 
 18吋主砲が、当時最大の威力を持った砲であることは間違いない。 技術的にも色々な困難を乗り越えて作られた優秀な砲ではあったが、 大きな欠点も持っていた。
 艦艇の初期設計の段階では、 搭載する兵器・機関・艤装品等の寸法・重量を把握して予定排水量を決定する。 大和の場合も同様に進められていたが、完成した主砲の重量は予定重量を著しく超えていた。 機関の場合も超過していたのであるが、船底に配置される機関とは異なり、 最上甲板に配置される主砲の場合には重心の上昇を招き、 最悪の場合には転覆の危険性も発生するのである。 極めて幅の広い大和であっても、重心の上昇次第で転覆の可能性はありうるのだ。 一番砲塔付近が低くなった独特の船型は、 主砲塔の重量超過から復原性を確保するための工夫なのである。 このような造船官の努力もあって、主砲の重量超過にもかかわらず、 大和は排水量を小さく抑えることが出来た。 その戦闘力からみれば、8万屯以上になっても当然の艦なのである。
 副砲は大和の最大の弱点であり、無い方が良いものである。 姉妹艦「武蔵」の戦闘に見られるとおり、大和の防御力は極めて優れたものであった。 しかし副砲は巡洋艦のものを搭載しているので、戦艦として十分な装甲を施すことは出来ない。 装甲によって重量が増加すれば、砲としての機能を発揮できなくなってしまうからだ。 ドレッドノート以前に戻ったような副砲の採用は、秋月型駆逐艦の魚雷搭載と共に、 用兵者の優柔不断さを示しているともいえよう。
 
5)戦闘能力
 
 戦艦としての戦力には抜きん出たものがあり、単艦で対抗しうる戦艦は存在しない。 米国のアイオワ級が引き合いに出されることがあるが、 巡洋戦艦的な性格を併せ持つアイオワ級では正面から渡り合うことは出来ない。
 アイオワの16吋50口径砲は同程度の射程を有するが、 弾丸重量の差はそのまま貫徹力の差となって現れる。 一般的に戦艦は自分の主砲に対する防御力を有しているが、 それより大きな砲に対する防御力を持つことはない。 アイオワの細長い船型は防御区画の増大を招き、 大和の集中防御に比べると装甲の厚さはかなり劣るものと推察される。 計画のみに終わったモンタナの場合でも、 3連装4基の砲塔配置ではやはり防御区画は長大なものとなり、 18吋砲弾に対する防御力は施せないものと思われる。
 「土佐」の実艦射撃から開発された九一式徹甲弾は日本独自のものであり, 水中弾に対する防御を施したのは日本艦だけである。 船を沈めるためには水線下に穴をあけることが効果的であり、 水中防御を施していない米艦の分は更に悪くなる。
 
 戦闘様式の変化により、大和・武蔵はその能力を発揮する機会を失った。 しかし戦艦としてみた場合には興味の尽きない艦であり、 技術的にも一つの頂点を極めた艦であるといえよう。 また機会があったら別の視点から見て紹介したい。

 艨艟トップへ