戦艦「陸奥」は謎の爆沈を遂げた不運な艦と言うイメージが強いかもしれないが、
ワシントン軍縮会議において難癖を付けてくる米英の追及をかわし、
誕生以来国民に親しまれた幸運な艦であったことも事実である。
海に浮かびながらも標的として沈められる運命にあった「土佐」、
地震によって海に浮かぶことも出来ずに解体されてしまった「天城」、
これらに比べれば陸奥は幸運な艦であったと言っても、
あながち過言であるとは言えないであろう。
陸奥の沈没に関する資料は皆無に等しい。
良く言えば海軍の防諜行為が効を奏したとも言えるが、
その実態は都合の悪いことは隠し通せ、
と言う海軍(組織と言うべきか)の体質から来ていると言うべきであろう。
本来ならば客観的に原因を調査・分析し、将来への指針として残すべきなのであるが、
そのような長期的視野には欠けていたと言わざるをえない。
公的な資料ではないが、吉村昭著新潮社刊「陸奥爆沈」は良く聞き取り調査を行っており、
公式資料がない状況下では、かなり信頼性は高いものと思われる。
しかし原因調査及び沈没後の潜水調査に関する記述が殆どで、
技術少佐だった福井静夫氏の協力を得てはいるものの、
転覆・沈没に至る原因に関しては触れられていない。
数年前に発行された「高松宮日記」(中央公論社)第六巻には、
第一艦隊からの事故速報が記述されているが、
沈没に関係する要点を列挙すれば次のようになる。
第一報:後部砲塔付近ニテ爆発切断、瞬時転覆沈没ス。
第二報:・・・爆発音連続二回ヲキキ、三、四砲塔附近ト思ハルル位置ニ大白煙・・・
・・・沈没前後、之ト同時ニ船体二ツニ折レ、前部ハ転覆・・・
第四報:潜水調査(10日1140)
前半部(艦首ヨリ飛行甲板中部附近迄確認)ハ右舷約100°ノ傾斜着底、
第五報:前部ハ十八番「バルヂ」後方ヨリ五「カッター・ダビット」後方ニカケ斜ニ裂ケ
全甲板飛散、直ニ機械室ニ達ス。
後部後甲板車地前方ヨリ裂ケ、四番砲塔ハ艦首方向ニ転覆シアリ。
・・・船体前部ハ忽チ右ニ横ニ倒フレ艦底ヲ上ニ出シテ暫ク浮イテヰタ。
・・・煙ガ出テ飛行甲板ガ後部カラメクレ上ツテ来テ火焔ガ高ク昇ツタ・・・
吉村氏の著書でも爆発の推定原因、沈没後の潜水調査に関しては詳しく調べられているが、
爆発から沈没に至るまでの経緯については全く触れられていない。
この件に関しては「高松宮日記」も同様であり、爆発によって後部主砲塔附近の船体切断後、
何故転覆したかについては不明のままである。
一般の人は火薬庫が爆発したら船は忽ち沈んでしまうと思うかもしれないが、
軍艦と言うものはそう簡単には沈まないように出来ている。
ともかく資料が無いので断定的なことは言えないのだが、
前記の僅かな情報を元にして転覆に至る経緯を推定してみたい。
軍艦の艦内が多数の水密区画に分割され、
多少の浸水では沈まないことは既にご存知のことと思う。
船首尾を失ったくらいでは残った主船体は沈むことも無く、
むしろ切断してしまった方が浮力を確保できる場合の方が多いと言っても良いだろう。
浸水により浮力を失った部分は、
残った船体部によりその重量を支えなければならないため、
浮力を保つ上で大きな負担となってしまうのである。
水密隔壁によって浸水の拡大を防ぐことが出来るならば、
かえって切断してしまった方が負担が少なくなるのである。
第二次大戦における損傷艦を例に取れば、
艦首や艦尾を失っても帰還した例は数多く見られる。
そしてこれは戦艦のような大型艦だけでなく、
駆逐艦のような小艦においても見られる現象である。
艦の一部を失う損傷は戦闘以外でも見られ、
第四艦隊事件のような荒天下でも無事に帰還出来る場合もある。
船体の中央部附近で切断した場合は、
浮力は前後部とも確保できるので直ちに沈んでしまうことは無いが、
前部は転覆し、後部は無事に生還できる場合が多いようである。
これは艦艇では前部の船型の方が痩せているので水線幅が小さく、
十分な復原性を確保出来ないためである。
さて、いよいよ「陸奥」に関してであるが、船体の切断個所は第三砲塔附近、
艦首から凡そ160m(全長の70%)程の位置である。
事故当時の「陸奥」は満載に近い状態であったようだが、
船体切断後の前部の予備浮力は上甲板までで計算しても、
1万トン程度はあるものと思われる。
副砲の防水状況が分からないので上甲板までとしたのだが、
実際には最上甲板まで有効に働く個所もあるので、
これよりも数千トン多いものと考えられる。
爆発による浸水量は、第三砲塔周辺の区画及び機械室全部に浸水したとしても、
凡そ5千トン程度のものと推測される。
更に前方の第三〜第六缶室に浸水したとしても2千トン強の増加に過ぎず、
1次被害による浸水によって「陸奥」が沈むことは無い。
転覆によって被害を受けていない区画でも浸水が進み、
最終的に全没してしまったと考えるのが妥当であろう。
なお後部に関しては切断部附近は砲塔重量によって着底し、
艦尾部分は浮力を保てるので長い間沈まなかったものと考えられる。
事故速報では「瞬時に転覆」となっているが、この原因は何であろうか。
当日は小雨は降っていたが内火艇が運用できる海面状況なので、
当然風の影響は無視して差し支えないであろう。
となれば浸水による転覆が疑われるのだが、
果たしてそのような浸水が起こり得るであろうか。
改装後の満載時GM値は「長門」で2.43mとなっているが、
「陸奥」の場合にもほぼ同じと思って良いだろう。
非対称浸水で右舷機械室に満水、
更に中央機械室に急速に浸水して右側のみ満水になったとしても、
浸水による転覆モーメントは1万トン・mを幾分か上回る程度のものであり、
それによる船体傾斜は6度程度に過ぎない。
大雑把な計算で浸水による自由水効果等は考慮していないのだが、
火薬庫の爆発によって浸水・転覆するとは到底考えられない。
浸水・荒天以外に船が転覆する要因としては何が考えられるだろうか。
事故速報の「瞬時に転覆」で考えられるのは、何か強力な外力が働いたことである。
その外力として考えられるのは、爆発による圧力以外はあり得ない。
事故後の潜水調査によれば「陸奥」は「くの字」型に曲がった状態で、
切断個所の右舷外板は繋がっている所もあったそうである。
このことから爆発の中心は船体中心より左寄りであると推測され、
水中への圧力は左舷側の方が大きかったものと思われる。
なお第五報にある「全甲板飛散」は右舷と思われるが、
爆発は2度起こっているので、右寄りでの爆発もあったものと考えられる。
爆発による圧力は弱い方に逃げると言われており、
水中よりは空中へ逃げるのが普通である。
しかし「陸奥」の火薬庫の場合、上部も周囲も装甲で覆われており、
構造物として一番弱いのは船底部である。
従って爆風によって砲塔が飛ばされる以前に船底外板が破壊され、
多大の圧力が水中に伝わることは十分に考えられる。
事故現場の水深は50m前後であり、満載時の「陸奥」の喫水は10mほどである。
船底外板を破った圧力波は海底で反射し、
下から「陸奥」を突き上げるように作用して転覆させたものと考えられる。
左舷外板の損傷が大きいにもかかわらず右側に転覆した原因も、
左舷の外板が大きく破られた結果、
圧力波も左側から作用したものと考えれば納得できる。
また、死傷者は首や頭、足首の負傷が多かったようだが、
このことも下方から強力な力が作用したことをうかがわせている。
海底から反射した圧力波で「陸奥」が転覆したのであれば、
水深がもっと深ければ転覆を免れた可能性は十分にあり得る。
安全であるはずの泊地が、逆に仇になってしまったとすれば、
やはり「陸奥」は不運な艦であったのかもしれないと言う気もする。