軍隊が戦争・戦闘を行う上で、命令が重要であることは言うまでも無いであろう。
しかしこの『命令』と言う代物、実は想像以上に曲者なのである。
一体全体『命令』とは如何なるものなのか、深く追求した者はいないのではあるまいか。
私自身も自衛隊に在籍していた頃に、命令に関する法令を勉強したことは無い。
しかしいかなる状況にも対応できる法令と言うものは、
恐らく制定されていないものと思われる。
『命令』と言うものを語る上で最初に問題となるのは、
下級者は上級者の命令に絶対服従か否かであり、
これは責任の範囲とも絡んで極めて複雑な問題であると言うことが出来る。
しかし人間の言葉には曖昧な点が多く、コンピュータ言語のような明確さに欠ける。
それ故に、特に口頭命令の場合には問題が発生することも多い。
もう一つは文書命令と口頭命令の問題であり、
その優先度としては一般的には文書命令が上に来る。
文書命令はその性格上発せられるまでに時間がかかるので、
作戦に関する部隊への命令等に多く用いられる。
これに対して口頭命令は直接戦闘に関わっている場合に多用されるが、
迅速な行動が要求されるのだからこれは当然のことである。
口頭命令で厄介なのは、その内容が残らないと言うことである。
命令の内容に対する解釈が異なることは珍しくもないであろうし、
もっと根本的に「言った・言わない」の問題も発生する。
最近ではイラクの捕虜収容所における虐待問題が挙げられるし、
ベトナム戦争ではソンミ村の虐殺事件が有名である。
このような事件において直接手を下すのは下級兵士であり、
上級者は命令を発するだけである。
ソンミ村の事件で最終的に公表された結論は、
たとえ上級者の命令であっても内容を吟味すべきである、
と言うものであったと記憶している。
勿論これはマスコミを通して得られた情報であり、
実際に米軍の内部で出された結論であると言う保証は無い。
内部資料と公表される資料とが異なることは、
決して珍しいことではないのである。
そしてこれは戦時に限ったことではなく、
平時においても軍や政府に都合の悪い資料が公表されることは無いのである。
もしもこの公表されたものが真実であるとするならば、
前線の兵士は命令を受けた都度その真意を探ってから行動しなければならず、
戦闘を持続することは到底不可能なこととなってしまう。
命令を発した上級者の責任を回避するための結論である可能性が強いが、
このような例がマスコミを通じて公表されることは珍しく、
闇に埋もれてしまうことの方が遥に多いものと思われる。
戦勝国の場合は戦時中の責任を問われることは無いが、
敗戦国の場合には執拗に問われることとなる。
そしてこの場合に大きな問題となるのが、口頭命令の信憑性である。
人間と言うものは軍人に限らず、権力は好むが責任は毛嫌いするものである。
この点に関しては平時においても同様であり、
企業であれば権力を利益と言い換えれば当てはめることが出来る。
戦争期間中には階級を盾にして無謀な命令でも平気で下令していた者が、
終戦で軍隊組織が解体されると同時にそのような命令の存在を否定するようになる。
戦勝国側にすれば個人的な恨みが無い限り、
相手が誰であっても責任者が存在する形になれば良いのであり、
真実の有無は全く関係ないと言うことも出来よう。
終戦後の軍事裁判としては上級者に対する東京裁判が有名であるが、
その実数から言えば戦地で行われた下級者に対する裁判の方が遥に多いのである。
東京裁判のように正式な法廷が設けられることも無く、
殆どがリンチ同様に殺されていったと言う話も聞かれる。
その中には実際死罪に値する人間もいたであろうが、
上級者から責任を押し付けられた者の方が多かったかもしれないのである。
赤紙1枚で召集された兵は戦地で財産を保有することはないし、
第一線で戦っている兵は古参兵であっても同様に持っていないことだろう。
軍事裁判と言っても戦地で行われるものの場合には、
賄賂の有効性はかなり高かったものと予想することが出来る。
不当な戦災を受けたものは実行した当事者を追及し、
命令を発した者に迫る可能性は殆ど無いであろう。
裁判担当者にとっては被告側の命令系統等はどうでも良く、
賄賂を持参した者を優遇するのは当然のことなのかもしれない。
口頭命令に比べれば文書による命令は記録が残る可能性が高いので、
下令する人間もそれなりに慎重になるものと思われる・・・はずなのであるが、
実際にはそうとも限らないのが軍隊と言うものなのである。
文書命令は記録に残る可能性が高いと述べたが、
それはまた真実を隠すことにも利用できると言う一面を持っている。
現在でも書類の差し替えは珍しいことではないが、
この件に関しては軍隊においても実行されていたと思って差し支えないだろう。
文書の真偽に関しては口頭命令の「言った・言わない」と同様であり、
実際にどの命令書で行動したかが分からない場合もあったことと思われる。
文書が残ると言うことと、真実が残されることとは別物なのである。
『戦陣訓』は法的には命令書には分類されないことと思われるが、
実質的には命令書と同等の効力を持っていたと見なしても良いだろう。
そして多くの兵士がその命令に従い、捕虜になることを拒否して死んでいった。
ところが本来ならば招集兵よりも戦陣訓に忠実であるべき高級職業軍人が、
そのような命令は無視して捕虜になっている。
沖縄戦では負傷兵が捕虜になることなく死んでいったのに対し、
無傷の佐官級の将校が階級章を外して投降しているのである。
海戦においては陸戦の場合とは異なり、
沈没した艦船の乗員が捕虜になることを嫌って敵艦の救助を断り、
そのまま溺死したと言う話は聞いたことが無い。
しかし同じ海軍に所属していても陸戦に参加した将兵の場合には状況が異なり、
陸軍と同様捕虜になることを拒んだようである。
現在の自衛隊においても、いや、自衛隊に限らずあらゆる組織において、
地位が上がって権限が強くなるほど規則は守らなくなると言って良いだろう。
海軍の場合には乙事件がその典型であったということが出来る。
海軍中将が捕虜となり、暗号書を奪われながら生きて帰ってきたと言うのだから、
もはやそこには軍規の存在はありえない。
しかも海軍はその行動に対して何らの罰則も与えていないのだから、
海『軍』と言うよりは海のお笑い集団と言うべきかも知れない。
陸軍においても似たような例は見られる。
兵糧も情報も不備な部隊に優勢な敵に対する攻撃を下命し、
作戦が失敗すると部隊はそのままにして自分は安全な所へ撤退し、
しかも虚偽の報告をして責任を部下になすり付ける。
そして陸軍においても海軍の場合と同様、最高責任者への責任追及は行われない。
一般的には最高権力者=最高責任者と考えられがちであるが、
両者は全く別であると言うのが軍隊の常なのである。
最後に私の経験談を紹介しておく。
既に退職願も承認され、3月の退職まで数ヶ月となっていた時期の話である。
年度末に除籍となる駆潜艇の工事請求書が上がってきたのだが、
その中に『マストの撤去』と言う項目があった。
表現方法は実際とは異なっているかもしれないが、
要するに船体に固定されているマストを切り離す工事である。
同艇は除籍後はスクラップとして売却されることになっており、
必要不可欠な工事ではない。
マスト撤去の経緯は、海軍贔屓のある造園業者が、
自分の敷地内に実際の軍艦のマストを建てたいということだったらしい。
しかし除籍となっても売却されるまでは国有財産であり、
勝手にマストだけを売却することは出来ない。
マストだけが欲しいのであれば、
駆潜艇を購入したスクラップ業者から買い取れば良いのであり、
自衛隊としてはマスト撤去に金を掛ける理由は存在しないのである。
駆潜艇が所属する部隊からは、
海幕(海上幕僚監部)からの依頼だからどうしてもやってくれと言う。
しかし文書による海幕からの指示は全く無かったので、
私としては工事を実行するような仕様書を承認することは出来なかった。
何度か海幕の担当者に連絡して文書の提出を求めたのであるが、
結局は口約束のまま仕様書の提出期限となり、
事後になるが文書は発行すると言うことで仕様書は提出された。
なおこの時の私の立場は船体科長と言う役職で、
部下の作成した仕様書を検討し、
私が承認したら仕様書は上司である艦船部長・造修所長へと回され、
両者の承認が得られれば契約へと回されることになる。
従ってマスト工事の件は上司も承知していることであり、
契約の担当者にも説明を行っている。
結局海幕からの文書による指示は来なかったが、
それはある程度予想していたことであり、
特別に気にはしていなかった。
しかし問題はその後にやってきたのである。
海幕の監査というのがあり、そのマスト工事の件で呼出がかかった。
そしてこれも予想通り、何故マスト工事を行ったのかという質問であった。
勿論監査の人間はマスト工事を指示した人間とは別人であるが、
その間の経緯を知らないはずはない。
契約の担当者でも工事請求者でもなく、
私の上司も飛び越して私に説明を求めてきたのは、
既に私が退職することが決定していたので、
何か問題が発生した場合の責任者として最適であったためであろう。
具体的な問題点としては会計検査院の指摘が考えられるが、
海幕で関連文書を発行していれば責任はそちらに行く。
しかし文書が無ければ現場で勝手にやった工事だと突っ撥ねることが出来、
責任を私に擦り付けることが出切ると言う算段である。
本来ならば契約や艇側にも責任はあるのだが、
当然その辺りの根回しは実施済みだったのであろう。
どうやら海幕の魂胆は分かったし、監査に来た人間と喧嘩しても仕方ないので、
最後は勝手にしろと言うことでけりをつけたように記憶している。
監査の人間も裏の状況は知っていると見えて、
薮蛇となることを避けてか、深く追求することは無かった。
徒に私を刺激すれば、事が明るみに出て海幕にも影響が及ぶと考えたのであろう。
実際余りしつこく言ってきたら表沙汰にするつもりでいたのだが、
そんな私の性格は調査済みだったようである。
要するに会計検査院からの指摘が無ければ、
特に問題にするようなことではなかったのである。
海幕の担当者がその造園業者とどのような関係にあったのかは知らないし、
金銭報酬があったかどうかも知る由はないが、
無事に目的を達成することが出来て株を上げたことと思われる。
私としては面白くない出来事であったが、
自衛隊と言う組織の本質に触れることが出来たのは収穫であったとも言える。
しかしやはり腹は立っていたので、
退職時の挨拶状は一切出さない方針に変更した。
印刷業者に出さずにワープロ印刷を予定していたので、
葉書が無駄にならずにすんだのは幸いであった。
本来ならば厳格であるべき軍隊における『命令』も、
実際には極めて曖昧なものであることを知って頂ければ幸いである。