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 孔明と三国志

 諸葛亮孔明−言うまでも無く中国三国時代の蜀漢の丞相であり、 本場中国のみならず、日本でも絶大の人気を誇っている。 孔明の人気はやはり小説である「三国志演義」の影響が大きいと思われるが、 それでも孔明自身に人徳が備わっていなければ人気が出ることは無かったであろう。
 「三国志演義」の人気には大きな波があるようで、 十数年前にもその波の頂点が見られたことがある。 当然孔明の人気も高まることになるが、 それに伴って孔明に関する書籍の出版も大幅に増えたようである。 しかしそうしたブームに乗って出版されたものには駄作もまた多く、 私自身も内容を確認しないで買ってがっかりしたことがある。 自分の意見と言うものは全く無く、複数の本の一部を引用して繋ぎ合わせ、 そのままでは掲載出来ないので若干表現を変えて完成品としたとしか思えないのである。
 
 さて、今回諸葛孔明に関する記事を書こうと思った理由は、 衛星放送で流れている韓国ドラマ「チャングムの誓い」の中に興味深い場面があったからである。 普段はテレビドラマと言うものは全く見ないのであるが、 この作品は日本の作品に比べて脚本がしっかりしているように感じられた。 勿論詳しく分析すれば首を傾げる筋書きも多々あるが、 全体の流れとしては面白く作られている。
 このドラマには「三国志」に由来する故事が何度か出てくるが、 時代設定は15世紀末から16世紀前半となっている。 羅貫中の「三国志演義」が書かれたのと同時期からドラマは始まっていることになるが、16世紀に なっても直ちに朝鮮半島に「三国志演義」が広まったとは考えられないから、 ドラマの中で対象となるのは正史の「三国志」か民間伝承と言うことになる。 何れにしても該当箇所は史実には無い創作なので、 韓国においても「三国志演義」、 あるいは「三国志」の人気が高いことを物語っていると言っても差し支えないだろう。
 「三国志」に関連する最初の場面は、 黄巾の旗印となっていた「蒼天已死、黄天当立」に倣って意志を伝えるもので、 これを更に暗号化して送っているのだが、 たとえその暗号を解読したとしてもこの故事を知らなければ意味は通じない。 更に言えば、視聴者もこの故事を知っていればより楽しめるわけであるが、 そこまで考慮しての脚本であるかどうかまでは分からない。
 次は漢中攻防戦において曹操が発したとされる「鶏肋」であるが、 僅か8歳の女の子が「鶏肋」の説明をするところに面白みが感じられた。 韓国の視聴者がどの程度この故事を知っているのかは知らないが、 日本のドラマでは殆ど使われることの無い手法ではないかと思われる。
 最後はいよいよ孔明の登場で、 何の料理を作るかを「頭否頭、衣否衣、人否人」と言う命題から当てなければならない。 なにやら禅問答のような問題であるが、 「三国志演義」に詳しい人なら孔明と料理と聞いただけで饅頭を思い浮かべることだろう。 勿論正解は饅頭であり、孔明が南征から帰る時に荒れた濾水を鎮めるために作ったとされている。 現在の饅頭からはそれが頭を象っているとは思えないから、 饅頭と言う名前からもこの故事の信憑性は高いものと思われる。
 以上の3件からだけでは韓国での孔明の人気が高いとは言い切れないが、 それでも「三国志演義」の人気が高いであろうことは十分に予想できる。 そしてそれは中国や日本と同様、 孔明の人気が高いことをも暗示していると思って良いだろう。
 
 孔明の人気が高いのは「三国志演義」の影響が大きいことは確かであるかもしれない。 しかし孔明の実像は「三国志演義」に描かれているような天才的軍師ではなく、 清廉潔白で有能な政治家であったと言われている。 それ故に現在に至るまで人気を保っているものと私は考えるのであるが、 やはり「三国志演義」における超人的な活躍が原因だと思っている人も多いようである。 そんな孔明の人気の秘密を、私なりに考察していきたい。
 孔明は実生活においても質素なものに甘んじており、 死後に調査した結果でもほんの僅かな田畑しか所有していなかったと言う。 孔明は法令の順守に関しては極めて厳しい人であったと言われているが、 その厳しさは自分にも課していたものと考えられる。 丞相と言う高い地位にありながらもその権力を乱用することなく、 むしろ民衆のレベルで生活していたからこそ多くの支持を得ていたのであろう。
 信賞必罰の公平さも孔明の人間性を示すものであり、 信賞必罰と言う言葉自体はしばしば用いられているが、 長い人間の歴史の中でそれを実行した人間はと言えば、 孔明を含めてほんの一握りの人間に過ぎないと言うことが出来るだろう。 そのような公平さも孔明の人気が高い要因の一つであり、 権力を得ても公平を保っていたところに孔明の偉大さがあると言って良いだろう。
 革命だの維新だのと大義名分を掲げても、権力を手中にしたら態度が一変し、 己の利害のみに奔走するのが人間の常であると言うことも出来る。 あるいはまた信賞必罰を声高に掲げても、 「信賞」の対象となるのは己に味方する派閥のみであり、 逆に「必罰」の対象は敵対するものに限定するのも凡人の常であろう。 前大戦等もその好例であり、召集兵までもが捕虜になることを拒んで死んでいったのに対し、 戦争遂行者に与する者は将官ですら捕虜になっても生き延び、 作戦を失敗しても罰せられることが無い。 これは現在の政治家や官僚・実業家においても同様であると思われるが、 果たして孔明の理念に比すべき者は存在するのだろうか。 己の利益のみを追求する人間が多いからこそ、 公平無私な孔明の生き方に共鳴する者が多いと言うべきであろう。
 
 孔明の人気は「三国志演義」に依存していると言う意見に対しては、私は全く逆の意見を持っている。 即ち「三国志演義」によって孔明の人気が出たのではなく、 孔明が多くの人に慕われていたからこそ「三国志演義」が書かれたと言う見方である。
 羅貫中によって「三国志演義」が書かれたのが15世紀末であるから、 三国時代から1300年近く後と言うことになる。 現在のように十分な市場調査が行われているとは考えられないが、 羅貫中は何故このような超長編を書き上げたのであろうか。 「三国志演義」を完成するまでには多大の年月を要したものと思われるが、 それが広まっていく自信が無ければ大きな出来事を短編で綴り、 それぞれが独立した状態で出版された可能性もある。
 「三国志演義」は正史の「三国志」も参考にしているとは思うが、 それよりも民間伝承を主体に書かれたとも言われている。 庶民の間では文字によって伝えられる可能性は少ないから、 語り部のような形で語り継がれてきたものと考えられる。 内容も一人の人間が全編を一気に語るのではなく、 それぞれの土地に合わせて登場人物も話の年代も異なっていたのではないだろうか。 その土地に関係する人物像を良いものにしたいのは人情であり、 同じ人物でも土地によって評価が変わるのは当然のことであろう。 そして羅貫中はそれらの伝承を取りまとめ、 一貫性のある物語として「三国志演義」を完成させたのではないかと思われる。
 「三国志演義」では表面的には蜀の劉備・孔明を善、魏の曹操を悪とし、 呉の孫権は中間的な存在となっている。 しかしデジタル的思考で曹操を絶対的な悪としているのではなく、 あくまでも劉備・孔明に敵対するものとして描かれていると言って良いだろう。 小説として面白いものに仕上げようと思えば、どうしても悪役の存在は欠かせない。 しかし曹操の長所は長所として描くことにより、 蜀を贔屓とする地域以外でも愛読されてきたのではないだろうか。 民間伝承で曹操がどのように語り継がれていたのかは知らないが、 曹操を善として伝承している地域もあったはずである。 そのような地域でも伝承は伝承として残しつつ、 小説として「三国志演義」が読まれていたものと思われる。
 
 更に孔明の存在を大きくさせる理由の一つに、 杜甫等の詩人の存在を挙げても良いと思っている。 漢詩に関しては専門的な知識は持っていないのであるが、 杜甫のみならず、李白や白楽天もまた政治家を称える詩は殆ど無いのではないかと思われる。 それにもかかわらず、孔明に対しては好意を持って詩に取り上げているように見受けられるのだが、 如何なものであろうか。
 杜甫が活躍しているのは孔明の死から500年程後の時代だから、 羅貫中よりも700年以上前の時代である。 したがって民間伝承にしても、 杜甫と羅貫中の時代とでは異なっていたことも十分に予想される。 杜甫の時代でも伝承は少しずつ形を変えていたことは十分に予想されるが、 それでもより三国時代に近い分だけ生々しい情報を得られたのではないかと思われる。 また杜甫は各地を旅しているので、色々な土地での伝承を耳にしていたはずである。 当然魏に好意を持っている地方も訪れたものと思われるが、 そのような土地でも孔明の評判は高かったのではないだろうか。 だからこそ杜甫は孔明を称える詩を作ったのだと推測しても、 何ら不思議ではないだろう。
 羅貫中が「三国志演義」を書くに当たっては、 民間伝承に加えて杜甫等の詩も大いに参考にしたのではないだろうか。 権力に媚びない杜甫のような人間が孔明を称える詩を書いているからこそ、 羅貫中もまた孔明を盛り上げていくような筋書きにしたのだとしても不思議ではない。 それ故に「三国志演義」によって孔明の人気が高まったのではなく、 孔明の人気が高かったからこそ「三国志演義」が生まれたと思う次第である。
 
 冒頭で紹介した「チャングムの誓い」に出てくる「鶏肋」や「饅頭」の話は、 ドラマが設定された時代には朝鮮半島に広まっていたとは考えにくい。 しかし特別な三国志ファンでなくても使ってみたい素材であるし、 あるいは脚本家も三国志に魅せられていたのかもしれない。
 日本でも「三国志演義」の人気は高いが、単に「三国志」と題しているものが殆どである。 最も親しまれているのは吉川英治の作品かと思われるが、 手軽に読むのであれば横山光輝の作品が良いだろう。 三国志はテレビの人形劇にもなったし、中国で作られた長編ドラマも放送されている。 更には本来の三国志とは無関係に、その名前を一部に冠した小説や映画も存在する。 変わっているのは熱烈な蜀ファンと思われる人物の書いた蜀を勝利に導く「反三国志」であるが、 小説としての内容は今一つ物足りないものがある。 江戸時代に湖南文山によって書かれた物を現代風に書き改めた「絵本通俗三国志」は、 吉川作品等昭和になってから書かれた作品とはかなり異なっているので、 そうした作品に物足りなくなったら読んでみたら面白いだろう。

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