54DE、これは昭和54年度計画駆逐艦「ゆうばり」のことであるが、
当時の技本船体設計班の面々はDEとは呼ばず、54Ddと呼んでいた。
DEとは何か。米海軍に倣ってこのような記号を付けたのであれば、
海上自衛隊にはDEと呼ぶべき艦艇は存在しない。
米海軍のDE、デューイ級からノックスを経てペリーに至る一連の流れ(途中で記号は変っているが)
の特徴は、何れも1軸艦であるということである。
このことから推測されるのは、DEとは建造費を抑え、
非常時には短期間での量産化が可能な体制が取られているのではないか、と言うことである。
では日本でDEと呼ばれている艦はどうであろうか。
DEを付された艦は勿論、より小型の駆潜艇においても1軸艦は存在しない。
52DE「いしかり」においても、船体の一部への高張力鋼の使用に止まらず、
上構へのアルミ合金の採用、更にはその接合にSTJと呼ばれる特殊な材料を使用している。
どう見ても短期間での量産化は困難であり、米海軍のDEとは全く異なった艦種と言わざるを得ない。
単に排水量が小さいだけで、その性格はDDと何ら変りは無い。
そんな意味合いから我々はDEとは呼ばずに、Ddと呼んでいたのである。
本艦の前身とも言える52DE「いしかり」の基本設計が行われていた頃、
私はARC「むろと」の船殻設計を担当していた。
この年は52DD「はつゆき」の設計も行われており、技本としても忙しい年であった。
「むろと」の場合には基本的にはNK準拠で設計され、縦強度は防衛庁基準が適用された。
自分の担当を進めながら他の2艦の状況も眺めていたが、
要求の増加で艦橋・上構がアルミ化されたのを見て、なかなか大変な艦になるな、と感じていた。
「いしかり」の場合は当初は平甲板型が有力視されていたが、
何故か日本艦としては異例の船橋楼型となってしまった。
主たる原因は機関室配置の関係のようだが、機関選定は政治的な要求から決定されたようである。
技術的には(恐らく運用上も)不適当な決定であり、
後続の「ゆうばり」共々設計上の癌となってしまったと言って良い。
54Ddの船殻担当となった時、私は高張力鋼やアルミ合金は使用しない方針であった。
「いしかり」からの追加装備はCIWSの標準装備だけであり、
200tの排水量増加があれば十分に行ける自信があった。
「いしかり」の構造上の欠点はと言えば、上甲板が全通していないことである。
そして全通甲板を設けることが出来るかどうかが、本艦設計上の要点であると言って良い。
ある程度の艦艇設計の経験者が「いしかり」の図面を見たならば、
恐らく誰もが私と同じことを考えたことと思う。
「いしかり」はまだ船台上にあり、当然使用実績は上がっていない。
しかし運用側からも不具合点が指摘されることは予想されていたので、
54Ddでは「いしかり」同様の船橋楼型にこだわらず、
最適の船型を求めて若手を中心に検討を進めた。
54Ddでは「いしかり」より30pほど深さが増えており、
最初の計画では機関室上部に全通甲板を張れるはずであった。
ところが機関担当の方から「いしかり」同様にしてくれとの申し出があり、
船型は勿論、一般配置も似たようなものになる気配が感じられた。
「ちくご」型の場合、1基4000馬力のディーゼルで機関室の高さはおよそ4.6mである。
それに対して本艦では2割程度の出力増加にも拘らず、高さ6.2mの機関室に収まらないのである。
20年以上前に就役している「いかづち」でさえ、
6000馬力のディーゼルで深さ5.5mの船体に収まっていると言うのに、である。
機関室の高さは艦の深さを決める上で重要な要素であり、
このように著しく大きな高さを必要とする機関は艦艇用として失格であると言ってよい。
前途多難を思わせる機関部からの要求であった。
機関部で十分な検討がなされたかどうかは不明だが、
船体部としてはこの悪条件下で最適の船型を求めなければならなかった。
船型としては「いしかり」同様船橋楼型とするか、深さを増して機関室天井を上甲板とする平甲板型、
あるいは機関室上部を中甲板とし、もう1層甲板を設ける長船首楼型が考えられた。
船橋楼型は優先順位を最下位とし、平甲板型から検討を始めた。
戦後の艦艇では戦前とは異なり、食事場所を食堂方式としている。
使い勝手を良くするためには隣接する調理室と同一区画とすることが好ましいのだが、
そのためには大きな床面積を必要とする。
長船首楼型や遮浪甲板型(2層の全通甲板を持った平甲板型)の場合には主船体内に収まるが、
平甲板型ではどうしても上部構造物内に設けることとなる。
CBR戦を考慮すれば密閉された荒天通路は絶対に必要であるし、
CIC等を主船体に収めた反動で多くの区画を上構内に設けなければならず、
上構の容積はかなり大きなものとならざるを得なかった。
長船首楼型の場合は深さを若干増して機関室上部に全通甲板を張り、
食堂区画をそこに収めることによって船楼後端をより前方に持ってくることが出来た。
深さを増せば一般的には船殻重量は増えるものだが、
右図のシルエット比較を見れば分かる通り、平均深さは殆ど変らない。
縦強度の連続性も良好となり、船楼前端の補強も必要なくなったので、船殻重量は軽くなっているのだ。
また主船体内の無駄な空間が無くなったので、上構もより小型化できたと記憶している。
なお船橋楼型では前甲板のシアーが著しいものとなっているが、
これは連続した2区画への浸水があっても艦首乾舷を保持するという、
設計基準に基いた結果である。
技本としては長船首楼型が最適であるとして返答したのだが、
海幕での船型決定は技術的見地とは無縁のようで、「いしかり」同様船橋楼型となったのである。
決定理由の1つは「いしかり」と隊を組むために同じような船型が好ましいこと、
そしてもう1つはヨーロッパ視察団の報告として、
ヨーロッパではこのような船型が主流となっている、と言うようなことであった。
確かに一見似たような船型の艦も多々見られるが、殆どの艦の船楼は短く、
強度甲板は全通しているものと判断して間違いないだろう。
つまりそれらの艦の船楼は甲板室が両端まで広がったものであり、
強度甲板を形成している「いしかり」とは全く異なった構造であると推測出来る。
しかし船体構造まで勉強している用兵者は皆無に近い状態であり、
素人同然の視察団にとっては外見だけで同じ船型だと見えてしまったのだろう。
隊を組む上でも同じ船型である必要はなく、乾舷高さが同じであればハイライン作業等にも支障は無い。
かくして「いしかり」の轍を踏むような方針で進められることとなってしまったのである。
最適の船型では無くなったが、まだアルミ合金の非採用の余地は残されていた。
しかし例によって予算が成立すると要求性能が増し、結局は「いしかり」同様となってしまった。
54Ddではチャフの標準装備と司令部設備の設置が主な追加要求だったと記憶している。
司令部とは言ってもそれ程大げさなものではないが、容積の増加は確実に艦の大型化に繋がる。
予算成立時の排水量に収めるためには、どこかで重量を減らさなければならない。
そしてこのような場合に重量軽減を受け持つのは、殆ど例外なく船殻担当となるのである。
上昇した重心を放置すれば「友鶴」の転覆を再現することとなり、
安易に部材の寸法を減らせば「第四艦隊」のようなことが起こりかねない。
定められた排水量に収めつつ船体強度・復原性を確保するためには、
「いしかり」同様高張力鋼やアルミ合金を採用せざるを得なくなったのである。
アルミ合金の採用も一時的なものであったが、52年度艦から採用された特殊な材料として、
STJに関して簡単に紹介しておく。
STJは鋼材とアルミ材とを溶接により接合するためのもので、両金属の間にチタンを挟み、
「爆着」と呼ばれる方法で瞬時に高圧を掛けて一体化したものである。
アルミの使用が廃止されてからは当然STJも用いられることも無く、
製造元としても開発費や設備費を回収できていないのではあるまいか。
造船所としてもアルミ溶接のための設備や溶接工の教育を行っていたが、
それらの努力も効果的に生かされること無く、アルミ材の使用は廃止されてしまったのである。
日本人の長期展望の無能さが如実に現れていると言ってよいが、
STJで困るのは修理が発生した場合である。
防衛庁でもSTJの予備は無いであろうし、造船所でも保管はしていないだろう。
かつてのメーカーにしても、修理のための僅かなSTJ材を造ることは出来ない。
特殊な材料を使用する場合には、後々のことまで考えて決定しなければならないのだが、
その責任はやむを得ずアルミ合金を使用した技術者にあるのではなく、
無策に要求を増加する用兵者に帰すべきものと考える。
ただし、技術側に要求を拒絶するだけの権限が与えられていれば話は別だが、
その場合でも人事問題も絡むので話は複雑である。
54Ddでは固定バラストの搭載はなかったと記憶しているが、
「はつゆき」型においては上構の一部をアルミ化しても重心の下降が十分でなく、
計画当初から固定バラストを搭載することとなってしまった。
予算要求は基準排水量を用いてなされているが、バラストの搭載によりこれを超えてしまった。
そこで「固定バラストの重量は基準排水量に含まない」ことにして、
規定の排水量に収めることが出来たようである。
艦艇の要目表示には基準排水量が最も多く用いられているが、
その内容がワシントン条約当時のものと変っているのは、恐らく日本だけではないだろう。
冒頭でも述べたが米海軍のDEは1軸であり、艦の大小には関係が無い。
しかるに本艦では1基の機関からの出力を、わざわざ2軸に振り分けている。
2軸艦よりも1軸艦の方が効率が良いのは周知の通りであり、2軸とすれば軸系の重量も増す。
1軸の漁船等では時々航行不能となる船が発生するが、その原因は機関の故障であり、
軸系の故障で漂流したと言う例は聞いた事が無い。
2軸艦は2基以上の機関を積んでこそ、航行不能に陥る確率を低減できるのである。
本艦も主機は2基搭載であるが、その使用法から1軸としても安全性に変りは無い。
あえて2軸の利点を挙げれば、可変ピッチの採用により出入港が容易になったことであろうか。
だがその利点よりも、重量の増加や推進効率を考えればマイナス面の方が遥に大きいと言える。
本艦の設計途中で調本舞鶴への転勤となり、
図らずも数年後には2番艦「ゆうべつ」の監督・検査を担当することとなった。
造船所もしっかりとした仕事をしてくれたし、艤装員も良くその任務を果たしていた。
それでも「ゆうべつ」が優秀な艦であるかと言えば、どうしても否定せざるをえない。
戦略の失敗を戦術で取り返すのは困難と言われているが、
基本計画を失敗したとも言える艦は、設計や建造過程で努力しても容易に優れた艦とはなり得ない。
勿論「船」としては十分な性能を持っているが、軍艦として戦闘を行った場合、
特に応急面における使い勝手が異なる艦では無いかと思われる。
応急面では他にも危惧される点があるのだが、ここでは省略する。
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