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 駆逐艦「むらくも」

 昭和51年10月、東京恵比寿にある防衛庁技術研究本部船体設計第2班に着任した私の最初の仕事は、 駆逐艦「むらくも」の改造工事であった。

 改造の要点は、後部の3吋連装速射砲とDASH装置一式を撤去し、 新たにOTTOメララ76ミリ砲及び新型の射撃指揮装置、 それにASROCランチャー及び弾庫を装備することだった。 船体設計第2班と言うのは船体構造を担当する部門であり、初めての経験する業務ではあったが、 当初はそれ程大きな工事にはならないだろうと考えていた。
 改造工事においては、搭載品(工事に伴う構造物も含めて)の重量重心と、 撤去品の重量重心とが一致することが望ましい。望ましいと言うよりも、 本来はそうしなければならないのである。ところが殆どの場合、搭載品の重量は撤去品を遥かに越え、 重心は確実に上昇する。この傾向は戦前戦後を通して、一貫した傾向であると言って良いだろう。 そして復原性を確保するために、艦幅を広げてメタセンターを上げるか、 バラストを積んで重心を下げるか、どちらかの方法が取られる。駆逐艦のような小型艦の場合は、 幅を広げる工事は大工事になると共に、大幅な速度の減少を招く。 従って一般的にはバラストを搭載して重心を下げる方法が用いられる。
 技術研究本部と言っても定員は極端に少なく、各工事毎に担当者が1名いれば上等の部類であり、 当然この時も私一人であった。いきなり設計を任されても大学での授業がそのまま使える訳ではないし、 入隊以後も設計の教育なんてあろうはずがない。転勤前の業務にしても設計作業とは異なるものであり、 全く0からの出発と言う感じであった。しばらくの間設計の実務を勉強し、 しかる後に実務に取りかかる、と言うような余裕はなく、 勢い詳細な設計は造船所への外注に頼らざるを得なかった。
 造船業界では比較的早い時期から設計業務にコンピュータを導入していたようで、 この時点でもコンピュータによる構造設計が可能となっていた。 当然電卓を用いての手作業による設計に比べれば、素早く合理的な設計が可能となっていたのだ。
 改造工事も既存の構造物がそのまま使えれば工事量も少なくて済むが、 この時は後部上部構造物は全面的に造り替えることになったと記憶している。砲の支持構造も異なるし、 DASHの格納庫とASROC弾庫とでは寸法も構造も異なる。射撃指揮装置も高い位置に存在するため、 振動を防ぐためにかなりの補強を必要としていた。
 結局改造工事のご多分に漏れず、この時も重量増加・重心上昇に加えて風圧即面積が増加し、 バラストを搭載する必要に迫られた。「むらくも」はこれ以前にも改造工事を行っており、 やはり復原性確保のため、艦内随所にバラストを搭載していた。 そしてバラスト搭載の図面を見ていて、私には一抹の不安が湧いてきた。

 重心降下のためにバラストを搭載すれば、排水量が増加して速力の低下を招く。 これは誰でも考えることであるが、 排水量の増加が船体強度−縦強度−に悪影響を及ぼすことに頭を巡らせる人は少ない。 「むらくも」では以前の改造工事でも前後部に重量物を搭載し、 バラストもまた前後部への搭載となっていた。バラストの搭載位置は下になるほど効果が大きいので、 中央部の機関室船底(図2イ・ロ)が最も望ましい。 しかし「むらくも」の場合にはそのスペースが無かったようで、 やむを得ず前後部の船底(図2A・B)に搭載したようである。 前後部への搭載ではバラスト自身の重心も幾分か高くなり、 機関室に搭載した場合より大量のバラストが必要となる。 当然今回の改造でもバラストの搭載位置は同様となり、搭載箇所を探すのに苦労していたようであった。

 船は自らの重量と浮力が釣り合って浮かんでいるのであるが、部分的に見るとそうではない。 駆逐艦のように痩せた船型をした船の場合、右図中段に示すように前後部では重量が浮力よりも大きく、 船体中央部では浮力の方が大きい。つまり平水中においても前後部では下向きの力が働き、 中央部では逆に上向きの力が働いている。更に上段の図のように船が波の頂に乗った場合には、 下段に示すようにその力は一層大きなものとなる。
 部分的な重量と浮力のアンバランスにより曲げモーメントが発生するのであるが、 このように上甲板に引張り力、船底に圧縮力が働く状態をホッギングと言い 逆の場合をサッギングと言う。艦艇で問題とされるのはホッギングの場合であり、 定められた波高の波に乗った場合を考慮して強度計算が行われる。この場合、 波長が船の長さと一致した場合が一番厳しい状態であり、波高が高いほど曲げモーメントは大きくなる。 更に燃料・弾薬等の消耗品は、中央部は空にして前後部は満載とし、 最悪の積載状態を設定して計算が行われる。なおサッギングの場合には逆の積載状態とし、 使用する波も波底が中央部に来るようにして計算を進める。

 今回の改造に伴うバラストの搭載位置は、 以前よりも条件が悪くなって図2Cのような所になってしまう。 更に改造工事そのものも後部での重量増加となるので、 適切なトリムを保つためには図2Dのように前部にもバラストを搭載しなければならない。 そして図2を見れば分かるように、 搭載したバラスト(A〜D)は全てホッギング時の曲げモーメントを増加させることになるのだ。 以前の改造工事と今回の改造工事に伴う重量増加、そしてそれに伴う大量のバラスト搭載。 今回の工事を行っても、果たして縦強度は保てるのだろうか。 それが私が不安に感じたことなのであった。

 バラストの搭載状況等を見ての私の直感は、 設計基準により定められている許容応力を超えるだろう、というものであった。 勿論感じで設計を進めるわけには行かないので、 強度を保てるかどうかは詳細な計算をしなければならない。 上部構造や砲支筒等の設計は手慣れているメーカーに任せ、 私自身は縦強度の計算に専念することとした。
 曲げモーメントを算出するためには、重量曲線と浮力曲線とが必要となる。 浮力曲線は線図があるので容易に作成できるが、艦内の重量分布を示す重量曲線の作成は、 難しいものではないが作業量が多いので厄介なものである。 しかしやらなければ強度計算は出来ないので、縮小された小さな図面で作業を開始した。 手を抜いたという訳ではないのだが、新造時よりは幾分粗めの重量分布になってしまった。 実用上は問題無いと判断し、設計期間も短いのでやむを得なかったと思っている。
 重量曲線と浮力曲線が出来れば、荷重曲線を求めることが出来る。 そして荷重曲線を積分すれば剪断力を求めることが出来、 更に積分すれば曲げモーメントを求めることができる。 幸い防衛庁にもコンピュータが導入され始め、縦強度の計算は重量曲線と浮力曲線を作成すれば、 後の計算はコンピュータに任せることが出来た。 コンピュータ本体は別な場所にあり、勤務時間が終了してからでないと利用できなかった。 データの入力も紙製のパンチカードを使用し、専用のカードリーダーで読み込む時代だった。
 計算の結果は、予想通り設計基準に定められた応力を超えていた。 参考までに以前の改造工事のデータだけを入力しても、僅かながら設計基準値を超えていた。 元々十分に余裕のある強度を持たせることは出来ないのであるから、 重量物を搭載したら代償重量を撤去するのが原則なのである。 その原則を破り、重量物を搭載するだけで何も撤去しないのだから、強度不足は当然の結果に過ぎない。 法律の改変により生じた改造工事なので、他の艦でも同様の工事を行っていた。 それらについては計算を行っていないが、やはり設計基準値を超えていた可能性はある。 ただし、超えていたとしても数値的には僅かなものであり、 大規模な工事となるので黙認していたのかもしれない。
 「むらくも」の場合には黙認できないほどの超過だったので、補強案を作成して提出した。 応力を下げるためには断面係数を大きくする必要があり、 そのためには上甲板及び船底外板の板厚を増す必要がある。 しかし甲板や外板を新換えすることは不可能なので、 実際の工事としては鋼板の二重張りということになる。
 船底の場合には、工事のために入渠するとキールは盤木に乗ってしまうので、 その隣の外板に取り付けることになる。甲板の場合は、上甲板では通行に支障を生じる恐れがあるので、 効率は若干落ちるが舷側厚板(一番上の舷側外板)に取り付けることとした。 単に鋼板を貼り付けるだけならそれほどの大工事ではないが、艦内側の防熱材などをはがし、 燃料タンク等は内部を清掃する等の付帯工事が大きくなると予想された。

 必要な強度を確保するための部材寸法を計算し、図面を作成して直属の上司である2班長に提出した。 2班長は構造設計の専門家なので、幾つかの質問をされた後、補強工事の必要性を認められた。 しかしこの工事が実現するためには、まだまだ多くの「印鑑」が必要である。 このように大規模な補強工事は、戦後の艦艇では一度も行われていない。 何しろ舷側の最も目立つ所に補強版を取り付けることになるので、誰がどう見ても格好良いとはいえない。 かなりの反対意見が出ることは十分に予想された。
 造船技術者なら誰でも知っているのが、旧海軍の「第四艦隊事件」である。 構造担当者が安易に妥協したら、再び大事故が発生しないとも限らない。 自衛隊に限らず、組織において最終的な決定権を持っているのは、 はるか上の部署に座っている人間である。 しかし官民を問わず組織の常として、権限と責任が比例することはない。 一旦事故が発生すれば、その責任は必ず担当者にやってくる。 補強工事案がすんなり通れば問題ない。しかし差し戻しとなった場合、私の取る道は2通り考えられる。 縦強度に不安を残したまま補強工事を中止するか、 担当を外されることを承知で自分の意見を主張するかである。 2通りの選択とは言っても、工事の中止は全く念頭になかった。

 私の心配をよそに、補強案はすんなりと認められたようだった。 基本的な図面は出来上がっているが、現場で実際に施工するとなると、 また色々な問題が発生するものである。 その最大のものは、外板に二重張り工事を行った結果、 補強板は強度部材として有効に働くかどうかだった。 補強板が既存の船体と一体化していなければ、計算上の応力低下は何の意味も持たないことになる。
 その当時は、巨大タンカーが次々と造られている時代だった。 船体の巨大化に伴い、使用される鋼板の厚さも次第に増していく。 ところが製鋼所の設備が間に合わないのか、思うように厚板が入手できないらしく、 入手可能な鋼板を貼り合わせて建造する場合もあるが、特に問題は発生していないという話だった。

 「むらくも」の場合も幅広の1枚板を使うのではなく、2枚に分割してスロット溶接を併用し、 既存の船体との固着を出来るだけ強固なものとした。 図3は上部側、舷側厚板への固着要領を示している。 補強板両端の溶接だけでは不十分と考え、内部にスロットを開けて溶接工事を行った。 そのスロットも同一断面上に重ならないよう、右側に示すように千鳥配列とした。 船底外板の場合にはスロットの凹みが残ったままだと、抵抗の増加や雑音の発生にも繋がるので、 補強板と面一になるよう施行したことと思われる。
 改造工事でもう一つ問題となるのは、材料手配の問題である。 新造の場合には契約から起工までかなりの余裕があるので、 ある程度図面が出来てから発注しても間に合う。 しかし改造工事では工事期間が短く(この時は定期検査だったので、年次検査よりは長かったが)、 契約したら直ちに発注しなければ間に合わない。
 艦艇の検査・修理の場合、殆どが指名入札となっている(現在の状況は知らないが)。 しかし大規模の改造工事の場合には、落札して契約後に材料を発注したのでは、 契約期間内に工事が終了しない場合もありうる。 随意契約により、契約前に発注しておかなければ間に合わない場合も存在するのだ。 随意契約と言うと業者との癒着がしばしば問題にされるが、 状況によっては他に手段がないことも知っておいて貰いたい。 技術研究本部の仕事は改造工事の資料作成であり、実際の契約・工事は他の組織で行っている。 従ってどのように契約されたのかは、私には知る由もない。ただ工事が無事に終了し、 「むらくも」も何ら異常なく退役を迎えられたと言う事実が存在するだけである。

 「むらくも」も既に除籍となったが、もしこの補強工事を行っていなかったら、 無事に退役を迎えることが出来だろうか?結論を先に言えば、答えは「YES」である。 当の担当者がこんなことを言うのはおかしいと思われるかもしれないが、 海上自衛隊の訓練は旧海軍のそれとは異なる。 何時開戦するか分からない状況に置かれた旧海軍とは、訓練の内容が全く異なるのである。 それに気象観測も発達し、通信状況にも雲泥の差がある。 予期せぬ荒天に遭遇し、船体強度が危険に陥るような訓練はありえないのだ。
 普通の海面状況では、多少荒れていたところで「むらくも」の強度に問題は無い。 うねりと波浪が交差し、巨大な三角波が発生する海面状況に遭遇した場合に、 「むらくも」の縦強度が設計基準値を下回ってしまうのである。 勿論設計基準に定められた応力値も、材料固有の強度に対してはかなりの余裕を持っており、 設計基準値を満足していないと直ちに壊れてしまうと言うものではない。 過去の実績を踏まえ、最悪の状態での応力値をこれ以下に抑えておけば、 過去に遭遇したような荒天下でも安全に航行できますよ、 と言うのが設計基準に定められた値なのである。
 大きな危険性は存在しないことを承知していながら、なぜ補強工事を主張したのかと言えば、 それは「設計基準の重み」と言うことになる。どうせ大丈夫だから、 という安易な気持ちで設計基準を無視し続ければ、何れは大事故が発生しかねない。 どこかで歯止めをかけておかなければならないのだ。 それと同時に、幾ら重量物を積み込んでも、バラストさえ積めば大丈夫だ、 という安易な考えにも警鐘を鳴らしておく意味がある。 更に一度このような工事を行っておけば、今後同じような状況が発生しても、 前例があるからといって工事がやり易くなるだろうという思いもあった。 役所と言う所は、前例というものを非常に重要視する組織なのである。

 安全というものは最優先されるべきだと言いながら、 実際には安全性はどんどん削られているケースは珍しいことではない。 資本主義社会の日本においては、あるいは一般社会の方がその傾向が強いかもしれない。 大量の死傷者が発生しているにも拘らず、利益優先でことを進める業界にとっては、 安全という言葉はもはや死語と化しているのであろう。 安全を口にする人間は多いが、腹の中はどうであろうか。
 艦艇建造においては、過去の事故の経験を生かして設計・建造を進め、 船体構造関係の技術的要因による大事故は発生していない。 「むらくも」の両舷に貼られた各々2条の補強板は、 安全性を最優先させた結果として、記憶に留めて頂ければ幸いである。

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