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 屋久島山行(1983.4.30〜5.3)

 屋久島を訪れたのは3度目、登山としては前年に引続いての2度目となる。 屋久島は雨が多いことで知られているが、綺麗に晴れ上がったことは一度も無かった。
 初めて訪れたのは30年以上前のことであり、 単なる観光でヤクスギランドを見ただけであった。 雨には降られなかったが晴れ間は全く見られず、 洋上アルプスと称される屋久島の山岳部は雲に覆われており、 行き帰り共船上から見ることは出来なかった。
 最初に山に入ったのは前年であるが、初日は時々雨の状態で荒天と言うほどのものではなかった。 しかし最高峰である宮之浦岳の近辺は森林限界を超えており、 海から直接吹き付ける強風が大きな障害であった。 高塚小屋からの尾根道ははっきりとしており、 視界が悪くても迷う心配は無かったのだが、頂上まで行かずに手前で引き返した。 視界が開ける可能性は期待できなかったし、頂上にこだわる気持ちが全く無かったためである。
 翌日も森林限界を超えた所まで行ってみたのだが、 風雨が強まって視界が全く利かないので引き返すことにした。 前日登った道を引き返したのであるが、高塚小屋にはかなりの登山者がいたものの、 その後の下山道で途中で登山者に会うことは殆ど無かった。
 下まで降りることも可能ではあったがフェリーには間に合わないので、 白谷雲水峡の上流にある白谷山荘に泊まることにした。 白谷山荘は自炊専門ではあったが、屋久島では唯一の有人山小屋であった。 宿泊客は総勢5人であったが、小屋番ならではの貴重な話を聞くことが出来た。
 翌日は早起きして1番のフェリーに乗ることが出来たのだが、 前日とは一転して青空が広がり、船上から山並みを見ることが出来た。 帰る日になると晴れるのはよくある話だが、やはり悔しいものである。 飛行機が取れていれば山中でもう一泊し、 好天の下で主要山群を縦走することが出来たのだが、 5月の連休では無理な話であった。
 この年も前年も京都府舞鶴市に住んでいたのであるが、 往復共に寝台列車とフェリーを利用しての行程であった。 やはり交通費がかかるので何度も来られる山ではなく、 この年は多少天気が悪くても縦走するつもりでいた。 勿論登山コースは天候次第で変更することもありうるが、 日程的にも前年より余裕を持つことが出来た。
 
4月30日(くもり時々雨)
 前年は民宿に泊まって宿の車で白谷雲水峡まで送ってもらったのだが、 この年は国民宿舎に泊まって乗合バスを利用し、 海抜は精々10m程度の楠川バス停から登ることにした。 前年白谷山荘から下ってきた道を逆に登って行くことになる。⇒バス停発:0755
 屋久島の緯度は30度程度なので、標高の低い所ではシダの類が多かった。 植物の分布は標高が高くなるに連れて変わるので、 植物に興味のある人にとっては面白いコースかもしれない。 しかし途中までの林道でもその後の登山道でも人に会うことは無く、 白谷雲水峡に着いても観光客の姿は見られなかった。
 前年泊まった白谷山荘で昼食休憩を取り、辻峠を越えて小杉谷に着いたのが1時過ぎ。 ここからは廃線となったトロッコ道を歩くのだが、歩き易いように見えて案外これが歩きにくい。 原因は枕木の間隔と歩幅が合わないためであるが、 平坦な道なので山道を歩く時のように体力を消耗することはない。 途中でヤクジカに出会うことが出来たのだが、 後姿しか見えなかったから出会ったと言うよりは逃げられたと言うべきか。
 トロッコ道の途中から右へ急な山道に入り、 ウィルソン株や縄文杉を経由して高塚小屋に向かうのであるが、 その山道への入り口で若いカップルに出会った。 服装からして明らかに一般の観光客であるが、縄文杉を見ようとして歩いてきたようである。 ヤクスギランドの方からトロッコの軌道跡に沿ってやってきたのであるが、 持っている地図は等高線も無い観光用のものであり、 雨具も傘だけで靴も山道には不向きなものであった。 時刻も既に2時半になっており、 山中で泊まる用意が無ければ引き返すべきだと伝えて二人を後にした。 軌道跡を戻って行けば多少降られても大きな危険は無いので、 恐らく引き返して無事に帰れたことと思われる。
 屋久島も世界遺産登録と言うことで一層有名となり、 航空機はジェット化と共に便数も倍増され、 船便も水中翼船の就航によって輸送力が増している。 縄文杉の周囲には観光客の侵入を防ぐために柵が設けられたそうであるが、 事故防止の点からも安易に観光客が入り込まないようにすべきであろう。 ニュースになるような遭難騒ぎは起きていないようであるが、 一度大雨に降られればその可能性は十分にあり得るのである。
 屋久島は雨が多いので水場は随所にあるが、 それでも高塚小屋から宮之浦岳への尾根道には水場らしいものは無い。 縄文杉を少し過ぎた所にあるのがこの道では最後の水場で、 水を補給してから高塚小屋に向かった。⇒高塚小屋着:1655
 到着時刻が遅かったこともあるが、小屋の周囲は既にテントで一杯であり、 若干傾斜した空地にテントを張る羽目となってしまった。 前年の経験からはそう混まないと思っていたのであるが、 小屋の中も既に満杯の状態であった。
 
5月1日(雨風共に強い)
 5時半起床。 朝方は雨風共にそれほど強いものではなかったが、 濃霧が立ち込めていて視界は全く利かない状態であった。 あるいは引き返すことになるかもしれないが、 一応縦走の予定なのでテントをたたんで出発する。⇒高塚小屋発:0740
 尾根道も初めのうちは樹林帯なので風の影響も少ないが、 森林限界を越える頃には強風雨状態となっていた。 相変わらず視界は悪いが道を見失う恐れは無かったので、 何はともあれ宮之浦岳の頂上までは進むことにした。 永田岳への分岐点付近からはザックカバーを飛ばされそうなほどの強風となったが、 昼前には山頂に立つことが出来た。 雨に関しては豪雨と言うほどのものではなかったが、 視界は更に悪い状態となっていた。
 予定では石塚小屋まで縦走することにしていたが、 この先の銃走路はもろに強風を受けることが予想されたので、 前に進むことは止めることにした。 引き返すとすれば再び高塚小屋に戻るか、 永田岳を経由して鹿之沢小屋に向かうことになる。 晴れていれば当然まだ歩いていない永田岳へ向かうことになるが、 分岐点まで来ても風が弱まる気配は全く無いので、 明日に期待して高塚小屋に戻ることにした。⇒高塚小屋着:1423
 高塚小屋へは前日よりも早く着いたためか人は少なく、 濡れた衣類を乾かしながらゆっくりと休むことが出来た。 宮之浦岳付近では胸まであるヤクザサ(屋久笹)を押しのけながら歩く感じになるので、 合羽を着ていても隙間から水が入ってくるのである。 透湿性のあるゴアテックスの合羽ではあったが、 汗による濡れもまた大きなものであったと思われる。 それでも合羽を着ていれば風による体温の低下を防ぐことが出来る。 これは後から聞いた話であるが、 単独で鹿之沢小屋に向かう途中で意識不明で倒れた人がいたそうである。 幸い後から来たパーティーによって小屋まで運ばれ、 意識を取り戻すことが出来たそうである。 全身が濡れた体に合羽を着ていなかったので、 風によって体温を奪われたのが意識を失った原因のようである。
 その後宿泊者も徐々に増えて夕方には満員となったが、 前日のテントに比べればゆったりと寝ることが出来た。 この日もテント組は多数いたが、 雨が強いだけ前日よりも大変だったことだろう。
 
5月2日(くもり)
 5時半起床。前年は3日目は晴れたのだが、毎年同じようには行かない。 雨こそ降ってはいなかったが、曇り空の下を歩き出す。⇒高塚小屋発:0720
 展望が開けるようになると、足元に雲海が広がっている様子が良く分かる。 その雲海の中に、中央の山群とは独立した愛子岳の山頂が良く見える。 雲の高さは1000m程度と思われるが、下界でも雨は降っていなかったようである。 曇り空でも種子島や開聞岳がかすかに見えていたから、 天候が良ければ綺麗に見えることだろう。
 永田岳や翁岳等の主要な山々も良く見え、天候が崩れる心配は無いように感じられた。 この日の宿泊は石塚小屋の予定だったので時間的な余裕は十分にあり、 永田岳を往復してから宮之浦岳に着いたのが1時過ぎ。 永田岳への道はかなり急であり、ヤクザサの中の道は沢のようになっていた。 屋久島は雨が多いので、地面が露出するとたちまち大量の水で土が流れてしまうのだろう。 本州の人気のある山では保護措置も取られているが、 屋久島ではそれだけの予算が得られないのであろう。 勿論登山者も不要にヤクザサの表面を傷めないよう注意しなければならない。
 翁岳を過ぎると道も緩やかなものとなり、ヤクザサも見られなくなった。 迷うほどの道ではないが、本州の山に比べれば踏み後ははっきりとしたものではない。 視界が悪い場合には注意しないと道を誤る可能性もありうる。 花之江河へ向かう途中では数人に出会っただけであるが、 淀川小屋は超満員だったようである。 恐らく殆どの人は淀川小屋から宮之浦岳の往復を目的とし、 午前中に宮之浦岳を後にしていたのであろう。 飛行機を使えばその日のうちに帰ることも可能なのであるから。
 花之江河は古い案内書では『山上の楽園』とも紹介されているが、 この当時でも相当に荒れていた。 林道が近くまで来ているので一般の人でも容易に入れるためかと思われるが、 現在はどうなっているだろうか。 観光客が増えて更に荒れ果ててしまう可能性もあるが、 世界遺産登録を重視して保護が強化されていれば嬉しいのであるが・・・
 花之江河からは予定通り石塚小屋に向かったが、 かつての主要道の面影は全く見られないほどに荒れ果てていた。 それでも道を見失うようなことは無かったのだが、 倒木がそのままになっていて道を塞いでいる箇所が多く、 予想以上に時間がかかってしまった。 安房林道からはヤクスギランドを経由して入ることが出来るが、 石塚小屋まではかなりの距離を歩かなければならない。 花之江河や宮之浦岳へ行くには淀川小屋を経由した方がずっと楽なので、 自ずと利用者が減少したためであろう。⇒石塚小屋着:1626
 道が荒れていると言うことは利用者が少ないと言うことであるが、 小屋に着いた時には誰もいなかった。 薄暗くなってから2人やってきたが、 高塚小屋とは対照的にゆったりと過ごすことが出来た。
 
5月3日(くもり後雨)
 5時半起床。天候はやはり曇り空であったが、前日よりは悪いようである。 北から南への縦走を予定していたので、 下山路は湯泊歩道か尾之間歩道の利用を考えていた。 何れにしても花之江河まで出なければならない。⇒石塚小屋発:0715
 花之江河で一息入れて検討した結果、湯泊歩道を使って下りることにした。 登山地図によれば所要時間はどちらでもほぼ同じであるが、 淀川小屋経由の尾之間歩道の方がコースとしては楽なように感じられた。 しかしこのコースでは沢を横切る箇所があり、 雨が強く降ってきた場合には渡れなくなる可能性も考えられた。 そこから引き返しても安房林道経由で帰ることが可能であるが、 それでは南端への縦走は実現しないことになる。
 花之江河からジンネム高盤岳下のワレノ岩屋までは深い樹林帯であるが、 その雰囲気は縄文杉への登山道とは全く違うものだった。 標高は1500m前後であったが山中とは思えないほど平坦な道が多く、 何かしら南方の樹林帯を思わせるような原生林であり、 本州の山では経験したことの無い雰囲気を持っていた。 途中のデー太郎岩屋では岩屋らしきものは見当たらなかったのだが、 ちょっとした広場と言う感じで30分余りもお茶休憩をしてしまった。 展望こそ開けなかったが気分良く歩くことの出来た道であり、 湯泊歩道を選択して良かったと思ったものである。
 ワレノ岩屋まではルンルン気分と言った感じで来られたのだが、 それから先は一転した悪路となっていた。 ジンネム高盤岳の斜面に付けられた桟道を歩くことが多いのだが、 桟道の丸太は腐りかけたものが殆どであり、 安全を確かめながら進まなければならなかった。 桟道を必要とするような斜面だから展望は良いのであるが、 雨が降ってくれば流れ落ちる雨水も浴びることになるし、 桟道も滑りやすくなってくる。 更に強風が吹き付ければ下から煽られることも十分に考えられるので、 進むか引き返すかこでも検討することにした。 時刻はまだ11時頃だったので、引き返すことも十分に可能であった。
 花之江河からここまで誰にも会わなかったし、 桟道の荒れ具合から殆ど利用されていないことは明らかであった。 桟道の付けられた斜面には迂回路は無いので、 一箇所でも通行不能な箇所があればそこから引き返すことになってしまう。 桟道がどの程度続いているのかは不明であったが、 最悪の場合には引き返すことも覚悟してとりあえず進むことにした。 時間的には余裕があったし、急激に大雨になるとは思われない空模様だったからだ。
 幸い桟道を渡っている時には雨に降られることも無く、 1時間余りで三能山舎跡に着いた頃から雨が降り出してきた。 無事に危険地帯を通過したので三能山舎跡で昼食休憩とし、 荷物を置いて七五岳の往復も考えたのであるが、 視界が悪くなりつつあったので取り止めた。 三能山舎跡から1時間半ほど下りると林道に出たが、 これからの林道歩きは長くてうんざりした。 疲れが溜まっていることもあるかもしれないが、 ただ黙々と歩くだけなので肉体的にではなく、精神的に疲れるのである。 しかし内地の林道のように自動車に出会うことは無いので、 その点では幾分か救われた思いであった。
 3泊4日の行程中、一度も天候に恵まれることは無かったが、 2日目を除けば最悪の天候と言うわけでもなかった。 初日の高塚小屋では混雑したものの、 登山道では自然を満喫しながら歩くことが出来たから、 まあまあの山行であったと言って良いだろう。 悪天候のために予定よりも1日余計に費やしてしまったが、 北の海岸線から南の海岸線まで歩き通すと言う初期の目的は、 無事に湯泊に到着して達成することが出来た。⇒湯泊着:1643
 湯泊では民宿に泊まり、翌日乗合バスでフェリーの出る宮之浦に向かった。 山中で予備日を使わなければ本富(モッチョム)岳にも登ろうと思っていたのであるが、 天候の都合で消費してしまったので諦めることにした。
 
 この屋久島山行は20年以上前のことであるが、現在の状況を少し調べてみた。 大きな変更点としては白谷山荘が無人小屋となっていること、 そして高塚小屋から宮之浦岳へ向かう途中、 小高塚山付近に無人小屋が建てられたことが挙げられる。
 石塚小屋に関してはその後も訪れる人は少ないようで、 静かな山旅を楽しみたい人には向いているかもしれない。 気になるのは湯泊歩道であるが、 現在でも廃道になることなく利用可能なようである。 ただし最近では頻繁に台風が通過しているので、 一年で状況が一変してしまう可能性もあるので、 利用する場合には引き返せるだけの余裕のある日程を組むことが好ましい。
 当時に比べれば格段に体力が落ちてきているが、 出来れば晴天の下でもう一度同じコースを歩いてみたいと思っている。

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