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妙義山・幻の登山道〜登山時の状況

 妙義山。群馬県西部に位置し、奇岩と紅葉で知られている。 一般的には『妙義山』と呼ばれているが、これは単独の山の呼称ではなく、 碓氷川の支流である中木川を挟んで相対する二つの山塊の総称である。
 白雲山・金洞山に代表される東南の山塊は表妙義と呼ばれ、山腹を観光道路が貫いている。 一般の観光客でも手軽に奇岩の景観を楽しめるため、 特に紅葉の季節には人があふれんばかりの賑わいを見せる。 単に『妙義』と言った場合には、この表妙義を指していると思って差し支えない。
 西北に位置する裏妙義は、俗化された表妙義とは対照的に静かな山塊で、 観光の対象とはなり得ない。 一部の時期を除いて訪れる人も少ないので、静かな山旅を楽しむことができる。 標高で言えば谷急山が最高であるが、登山の目標としては『丁須ノ頭』が魅カ的であり、 数本の登山道が延びている。
 
 1989年5月下旬、久しぶりに裏妙義に向かった。 裏妙義への登山は3度目で、前回登ったのは9年前の5月初めである。

 初めて登ったのは1978年の秋で、御岳経由の稜線コースをたどり、 丁須ノ頭を経て三方境まで縦走する予定であった。 しかしこの時は赤岩付近で道を見失い、丁須ノ頭まで引き返して篭沢を下ることとなった。 晩秋の山道は落ち葉で覆われ、入山者の少ない道では識別するのに困難な場合がある。 入山は他の多くの場合と同様単独であり、登山道では誰にも出会っていない。
 2度目の登山も前回の予定と同じルートだったが、 この時は首尾良く三方境まで抜けることが出来た。 やはり単独行だったのだが、 連休中のためか、丁須ノ頭は高校生の団体も含めて数多くの登山者で賑わっていた。 しかし殆どの登山者は篭沢を利用しての往復であり、三方境へ向かう登山者は稀であった。 篭沢は最も安全なコースであり、道を間違える心配も無いからだ。
 
 3度目は前2回とはルートを変え、鍵沢コースを利用して丁須ノ頭まで登り、 下山路には篭沢を選んだ。
 天候の心配も無く、全てが順調で計画通り進んでいった。 丁須ノ頭の下部を回り込んで尾根筋に出ると、 そこが御岳方面への縦走路と、篭沢コースとの分岐点である。 異変に気付いたのは、分岐点から篭沢へ下り始めた時だった。
 分岐点から篭沢への道は急斜面であり、数本の鎖が設けられている。 しかしその時は、最初の鎖を伝って降りた後は鎖はなく、 岩壁の側面に色あせた虎ロープが水平に張られているだけだった。 その箇所を通ったのは一度だけであり、しかも10年以上前のことである。 それでも鎖を伝って一気に降りた記憶は残っており、 岩壁の側面をトラバースしたような記憶は全くなかったのである。

 不審に思ったので、その場に荷物を置いて分岐点まで引き返し、改めてコースを確認した。 道に迷った場合、位置を確認できる所まで戻るのが登山の鉄則である。 分岐点からは桶木沢に下るコースもあるのだが、 案内書によれば桶木沢は一般向きではないと記されている。 しかしどう考えてみても、桶木沢への道とは思えない。 2回程引き返して確認したのであるが、他に道はなく、 意を決して虎ロープに沿っ進むことにした。
 不安はあったものの危険な筒所はなく、やがて岩のゴロゴロした沢筋に出た。 しかし沢を下っている時にも、前回とは違ったものを感じていた。 岩の角が鋭く、あまり人が歩いた形跡が感じられないのである。 それに加えて、手を使って体を支えなければならない筒所が多数あったのだ。 前回の記憶ではそのような箇所はなく、初めてのコースで夕暮れが近かったにもかかわらず、 かなりのスピードで下ることができたのだ。
 途中での指導標は、数は少ないにしても何筒所かはあったと記憶している。 ただし書かれていたのは『妙義湖』の表示だけであり、 篭沢であることを示すものは何もなかった。 しかし僅かでも指導標があるということは、正規の登山道から外れていないことを意味している。 登山道の様子が変わっていることも、 10年の歳月が経過していることを考えれば、十分に有り得ることである。 余計な心配をするよりも、確実に歩を進めることが最も必要なことなのだ。
 やがて沢の水量が増え、小道が現れて岩歩きから解放されると、程なく国民宿舎の横に出た。 ほっと一息入れて時計を見たが、所要時間はコースタイムを若干下回るくらいだった。 無事に下山してからも不審感は残っていたが、 降りてきた道が篭沢であることは疑う余地はなかった。
 
 4度目の登山は同じ年の10月下旬だった。 登りには展望の良い御岳コースを選び、 下山路については丁須ノ頭に着いてから考えるつもりだった。 天候は快晴で風もなく、汗ばむくらいの穏やかな一日だった。
 御岳コースは9年振り3度目になるが、やはり印象はかなり異なっていた。 前回の荒れた感じの登山道は一変して、良く整備された快適な道になっていた。 とは言っても決して楽なコースではなく、 千メートル程度の山としては変化に富んだハードなコースである。 平日で紅葉には早い時期なので、一人も登山者に出会うことは無かった。
  痩せ尾根に
   リンドウーつ我一人
 御岳に向かう稜線で詠んだ俳句であるが、 単独行ならではの良さを十二分に満喫することができた。 当時は北方の山腹を貫く高速道路はできておらず、山旅本来の静けさが残っていたのである。 快適であるが故に随所で休憩して展望を楽しんでいたので、 丁須ノ頭に着いた時には珍しく予定時間を超えていた。
 この日は家を出たのも遅く、昼食休憩を終えて下山を始めた時には2時を回っていた。 三方境まで縦走することも可能であったが、堅実に篭沢を下ることにした。 御岳コースの状況から判断して、丁須ノ頭から三方境までの縦走路も、 以前よりも整備されていることは十分に予想できた。 しかし天候が良いとは言え秋の日は短いので、最も確実な篭沢に向かったのである。
 御岳コースとの分岐点に着いた時にも、 5ヶ月前の篭沢での異変については全然意識になかった。 ほんの2時間程前にはその地点を通過しているのだが、 その時にも篭沢への下山路の様子については注意を払うことはなかった。 3時間程歩いて目的地も間近な時なので、余計なことには頭が回らないのだ。
 分岐点からの急坂を最初の鎖を伝って降り、次の鎖を少し降りた所で、 何か異様な感じがして足が止まった。 更に下方にも、急坂と鎖が続いているのである。 それはかすかに残る10年前の記憶と同じであり、 鮮明に残る5月の状況とは明らかに異なっていた。 岩壁に張られた虎ロープも、笹の上をトラバースする道も見当たらなかったのだ。
 5月の記憶が新しいだけに、それは困惑させるのに十分な状況だった。 やはり前回と同様分岐点まで引き返し、何度も道を確認した。 半年足らずでそんなにも状態が変わるはずはないのだが、 それが篭沢へ下る道であることは確実だった。 この時に幸いしたのは、その急斜面で登山手帳を拾ったことである。 手帳には数人のパーティーが、2日前の日曜日に丁須ノ頭まで行ったことが記されていた。 それでも状況の変化については納得できないが、 落ちていた手帳は人が通ったことを示すものであり、 そこが篭沢コースである確信は更に強まったのである。 手帳の持主は相模原の人だったと記憶しているが、 下山後書かれていた住所に郵迭し、礼状をもらっている。
 篭沢であると確信しても不信感は残ったが、前回のような不安はなかった。 沢筋に出てからも状況は異なっており、転がっている岩の角は丸く、 両手で体を支えなければならない筒所もなかった。 沢筋を避けて木々の間につけられた巻道も、前回には存在しないものだった。 更に決定的な違いとなったのは、山麓近くになってから現れた大岩である。 岩には鎖が取り付けられており、その鎖を利用して登降するようになっている。 このような箇所は記憶に残るものだが、 5月の時には絶対に無かったと断言できる。
 大岩を過ぎると、やがて国民宿舎の横に出た。所要時間は予定通りである。 最初の時と印象が似ていることから、今回のコースには異常があったとは思えなかった。 最後の鎖の付いた大岩は一度目の時には無かったと思うが、 10年の歳月を考えれば問題は無いだろう。 問題はなぜ5月の篭沢の状況が違っていたかだが、考えていても結論は出ない。 近々もう一度登ることにして、最寄り駅である信越本線の横川駅に向かった。
 
 5度目の登山は10日後の11月3日、文化の日である。 今回は篭沢の状況を確認するのが目的であったため、 篭沢を歩いて丁須ノ頭までを往復するつもりでいた。
 登山口は国民宿舎であるが、着いてみて驚いた。 いつもとは一変して大勢の登山者で賑わっており、制服の警察官まで来ていたのである。 登山者の入山チェックをすると共に、初めて登る人にはアドバイスをしていたようだった。 多くの人が休日になるので人出もあるだろうとは思っていたが、 それは予想を遥かに上回るものだった。
 篭沢を登るのは初めてになる訳だが、やはり下りの時とは随分と印象が異なるものだ。 下りでは見えなかったものが、色々と見えてくるのである。 歩く速度が違うことも一因だろうが、下りでは合流するだけの沢が、 登りでは次々に分岐して行くためだろう。 随所で倒木を利用した障害物が見受けられたが、 初心者が誤ってコース以外の沢に入り込まないようにするためだろう。 岩の多い沢筋を離れての巻道が多いこととも併せて、 コース整備が良くなされている印象を受けた。 それでも家族連れが多くて道も混雑していたので、思いの外時間を食ってしまった。 しかしこれも見方を変えれば、じっくりと状況を観寮できるメリットもあったのだ。
 丁須ノ頭からは、予定を変えて三方境への縦走路に向かった。 篭沢の様子は十分に把握でき、10日前と全く同じであると確信できたからだ。 遠回りにはなるが、渋滞の無い縦走路の方が快適に歩けるというものだ。
 5度目の登山で確認できたことは、3度目の登山で降りてきた篭沢において、 何らかの異変が発生したと言うことである。 その後も篭沢は何回か利用しているが、 稜線の分岐点から虎ロープを使ってトラバースするような状況は一度も無い。 なぜそのような奇怪な現象が起きたのか、私なりに分析してみたので紹介する。

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