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 初めてのゴロゴロ  
 「ナオくん、車よ、気をつけて!」
 お母さんの声で振り向いたナオくんは、急いでかさを横に倒しました。
 バシャッ!
 ナオくんは素早くかさを倒したので、泥水がかかるのを防ぐことができました。でもそ
の直後に、車の走り去った方から鋭い悲鳴が聞こえてきました。
 フンギャア!
 驚いたナオくんが声のした方を見ると、そこには大きな黒猫が倒れていました。
 「ああっ、猫がひかれちゃった」
 動物の好きなナオくんは、急いで倒れた猫の所に駆け寄りました。
 「まだ生きてるよ」
 ナオくんは後から来たお母さんの方を板り向いて、大きな声で言いました。でもその猫
を見たお母さんは、ナオくんを叱るような声で言いました。
 「いつも台所に来る野良猫じゃないの。そんな猫、ほっときなさい」
 「でも、死んじゃうよ」
 ナオくんはお母さんを見上げながら、小さな声で言いました。
 「それは悪い猫だから、死んだっていいの。お母さんは先に行きますよ」
 お母さんはそう言うと、ナオくんをそのままにして歩いて行ってしまいました。
 その真っ黒な猫は、ナオくんの近所で見かける野良猫で、人間で言えば八十才くらいの
おじいさん猫でした。大きな体のあちこちで毛が抜けかかり、どう見ても『かわいい』と
は言えない猫でした。
 ナオくんはじっと猫の目を見ていました。黒猫も同じように、だまってナオくんの目を
見つめ返します。苦しそうに息をしているだけで、鳴くことさえできないのです。
 「お医者さんに連れてってあげるよ」
 ナオくんはそう言って猫を抱き上げようとしましたが、思ったほど簡単にはいきません
でした。雨にぬれた大きな猫は、予想以上に重かったのです。
 「元気出すんだよ」
 やっとの思いで抱き上げたナオくんは、猫をはげましながら歩き始めました。しかし両
手で猫を抱いているナオくんは、思うようにかさをさすことができません。雨は小降りに
なってきましたが、家に着いた時にはびしょぬれになっていました。
 お母さんはナオくんの帰りが遅いので心配していましたが、猫を抱いたナオくんの姿を
見るとびっくりして言いました。
 「何やってるの!そんな汚い猫、どこかへ捨ててきなさい。早く着替えないと、かぜを
ひいちゃうわよ」
 ナオくんは猫を抱いたまま、お母さんを見上げて恐る恐る言いました。
 「お医者さんに見せなくっちゃ」
 でもお母さんは、ナオくんの言うことなんてききません。
 「馬鹿なこと言うんじゃないの。悪いことぱかりしている野艮猫なんて、病院へ連れて
行く必要ないでしょ!」
 「だって・・・」
 「だってじゃありません。早く捨ててこないとお家に入れませんよ」
 お母さんはそう言うと、ナオくんを外においたままドアを閉めてしまいました。
 ナオくんは困ってしまいました。一人では病院には行けないし、これ以上お母さんに頼
んでもだめなようですから。
 大きな猫を抱いて歩いてきたナオくんは、もうへとへとに疲れていました。雨に当たら
ない場所を探して、猫を抱いたまま腰を下ろしました。ナオくんが猫の目を見つめると、
黒猫はさっきと同じように、だまってナオくんの目を見つめ返しました。
 「・・・ごめんね」
 ナオくんは目を見つめたまま、元気なくつぶやきました。すると黒猫はゆっくりと目を
閉じて頭を寄せ、『ゴロゴロ、ゴロゴロ』っと、のどを鳴らし始めました。
 その黒猫は、生まれた時から野良猫でした。可愛かった子猫の時でさえ、人間に追い回
されていました。人間が近寄れば直ぐに逃げ出さなければならないので、人間に抱かれた
ことなんてありませんでした。でも、ナオくんに抱かれている黒猫は、気持ち艮さそうに
のどを鳴らしています。
 「楽になったの?」
 ナオくんが猫にたずねると、黒猫はまるで返事でもするかのように、一層大きくのどを
鳴らしました。ナオくんが安心するとのどを鳴らす音はだんだんと小さくなり、やがて眠
るように消えていきました。
 それは黒猫にとって、初めて人間から受けた親切でした。そして初めてのどを鳴らした
『ゴロゴロ』は、最後の『ゴロゴロ』となってしまったのです。
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